森内 羽生 なんj。 羽生世代

森内俊之のフリークラス転出の理由がヤバい!?嫁や妹が判明!?

森内 羽生 なんj

棋歴 [ ] プロ入りまで [ ] 将棋を始めたきっかけは、森内が小学校3年生の頃、学校の休み時間にクラスメート内で流行していた、いい加減な将棋遊びに参加したという、ありふれたものだった。 だが、このゲームに魅力を感じた彼は父親に手ほどきを受け、正式な将棋を指すようになる。 家で将棋に熱中している森内の姿を見ていた彼の祖母は、あるとき、雑誌『将棋世界』を孫に渡した。 『将棋世界』との出会いをきっかけに、森内は将棋の新しい世界を知り、将棋にのめりこんでいく。 毎週土曜日に将棋会館で行われる将棋教室に通うなどし、本格的に将棋を学び始める。 それから1年ほど経つと、各地のデパートで開催される将棋大会にも参加するようになった。 同学年のと出会ったのはこの頃だった。 最初の対戦はある将棋大会の予選で森内が勝ち、次の対戦は同大会の決勝トーナメントで羽生が勝った。 5年生の頃、試験を受験するか迷った末、「自分はまだ力不足」だと判断し、翌年に受験することを決意。 同時に、「棋士になる」という目標が明確になり、勉強にも熱が入るようになった。 1982年、第7回で3位。 このときの優勝者は羽生。 同年12月、関東奨励会入り。 同期合格者17名のうち、小学生は森内、羽生、の3名のみであった。 この年度は受験者が多く、高い競争率であった。 なお、二次試験で当時唯一の女性奨励会員だった女流王将とで対局し、勝利している。 三段の頃、六段主宰の研究会(いわゆる「島研」)に、二段とともに参加、研鑽を積む。 にプロ入り(四段に昇段)。 三段リーグ制度が復活する前に四段になった最後の棋士である。 また、第22期(1987年度)で、奨励会三段の時に出場し、途中で四段に昇段してそのまま優勝した。 森内は、新人王戦最年少優勝記録(17歳0か月)を、2018年にが更新(16歳2か月)するまで保持していた。 なお、森内は新人王戦で通算3回優勝している。 また、第10回「」(奨励会有段者による非公式棋戦)でも同様に、途中で四段になって優勝している。 タイトル獲得 [ ] プロ入り早々頭角を現し、1988年6月11日と89年5月27日に行われた、第7回・8回ので2連覇。 決勝戦の対戦相手は両年とも羽生善治五段であった。 さらには、全棋士参加の大型棋戦である(第7回、度)において、名人と決勝三番勝負を戦い、2勝1敗で谷川名人を破り、優勝した(1989年3月13日)。 18歳5ヶ月での優勝は、新人棋戦を除く公式戦に於ける史上4番目の年少記録である。 1988年度ので新人賞を受賞。 プロ入り後も向上心は旺盛で、特に前述した島研では、森内と佐藤が四段に昇段した後、羽生も加わり、 四人体制での練習対局と感想戦を中心にした研究が行われ、刺激し合いながらの精進が続いた。 での勝率は高く、C級2組を3期、C級1組を1期、B級2組を2期、B級1組を1期で抜け、合計わずか7期で最高クラスのA級まで上りつめた。 そして初参加の度A級順位戦で7勝2敗の成績を納め、度第54期七番勝負の挑戦権を獲得。 森内にとって、初のタイトル戦挑戦である。 相手は、当時七冠王だった羽生善治名人。 25歳同士の対戦であった。 タイトル戦初対局となった第1局は、二つの意味で話題となった。 森内はこの対局に敗れ、そこから3連敗。 第4局でタイトル戦初勝利をあげたものの第5局で敗れ、1勝4敗で敗退となった。 森内は、第2局の敗戦を「こんな負け方がありうるとは…」、続く第3局の敗戦も「不思議な負け方」と、当時を振り返る。 結果的に敗れはしたが、棋士冥利に尽きる名人戦だったという。 それと同時に、羽生との差を痛感した名人戦でもあった。 1996年度、において、決勝で七段を破って初優勝。 同棋戦では、5年後の2001年度にも、佐藤康光王将を破り優勝した。 2000年度、棋王戦の挑戦権を獲得。 相手は、それまで9連覇を果たしていた羽生棋王であった。 第25期棋王戦五番勝負(2001年)の結果は、1勝3敗での敗退。 敗れはしたものの、名人戦の頃と違い、手応えを感じたという。 (第19回、度)において、九段との決勝五番勝負(2001年)を3勝2敗で制して2度目の優勝。 同棋戦の最後の優勝者となる。 2001年度A級順位戦で、森内は8勝1敗の好成績を納め、名人への挑戦権を得る。 2002年度の第60期名人戦七番勝負において丸山名人を4連勝で破り、31歳にして念願の初タイトルとなる 名人位を獲得(2002年5月17日)。 また、名人位に就いたことにより、将棋連盟規定により九段に昇段。 第53期王将戦七番勝負においても、羽生王将を4勝2敗1千日手で降し、王将位を奪取。 さらには史上初の9戦全勝 を果たし、羽生名人への挑戦権を獲得。 2003年度で 最優秀棋士賞を初受賞。 そして、度の第62期名人戦七番勝負において、羽生名人に4勝2敗で勝ち、名人位を奪取。 この時点で史上7人目 の 三冠王(竜王・名人・王将)となり、 最多冠保持者となった。 また、2004年(1月-12月)のは1億円を突破した。 王座戦では、当時12連覇中だった羽生王座への挑戦権を獲得するも、1勝3敗で奪取には至らず。 また、同年度、三冠のうち竜王位を3勝4敗で七段に、王将位を4連敗で羽生二冠にそれぞれ奪われ、保持するタイトルは名人の一冠のみとなる。 第63期名人戦七番勝負(2005年度)に挑戦者として名乗りを挙げたのは、A級順位戦を8勝1敗で制した羽生。 第1局で逆転負けし、対羽生戦8連敗を喫する。 結果、この七番勝負では4勝3敗で名人位を防衛した。 これで羽生の永世名人資格獲得(通算5期)を2年連続で阻止したことになる(2年後、羽生より一歩先に永世名人の資格を獲得)。 (2005年度)、羽生からを奪取して二冠(名人・棋王)となる(棋王は翌年に奪われる)。 2006年の名人戦(第64期)では、十七世名人の資格を持つの挑戦を4勝2敗で退ける。 この七番勝負で森内自身が最も印象的に残った局面は、第1局の86手目と90手目に、自陣の8二、7二に2枚の銀を打ち並べるという珍しい受け方で、我慢したところであったという。 、第65期名人戦での挑戦を受け、4勝3敗で防衛。 通算5期獲得となり( 十八世名人)の資格を得た。 永世名人獲得後 [ ] 、第21期竜王戦5位決定戦1回戦で十六世名人に敗れ、2組へ降級。 タイトルホルダーの2組降級は、の羽生棋王(当時)以来、2人目。 2008年、の「天童ホテル」で行われた名人戦第6局で羽生に敗れ、無冠の九段に後退。 一方の羽生は、森内に1年遅れで永世名人(十九世名人)の資格を得た。 永世名人が2年連続で誕生したのは史上初。 以降、名人戦以外のタイトル戦からもしばらく遠ざかっていたが、第22期(2009年度)竜王戦でとの挑戦者決定三番勝負を2勝1敗で制し、渡辺竜王へ挑戦。 5年前とは立場を換えての対決となったが、4連敗のストレート負けとなった。 第69期(2010年度)A級順位戦で優勝し、羽生名人への挑戦権を獲得。 同時に、順位戦デビューの第47期から続く順位戦勝ち越し連続記録(名人在位を含む)を23期に伸ばした。 永世名人同士の対決となった第69期名人戦七番勝負第2局(4月20日 - )で挙げた勝利は、史上15人目の通算800勝(433敗)となった()。 その後名人戦は3連勝後に3連敗を喫して最終戦までもつれ込み、に・「」にて行われた最終第7局を123手で制し、遂に名人位を奪還。 永世名人同士の七番勝負は過去にもあるが、自身より後の永世名人から名人位を奪取したのは森内が初。 2011年度は、名人位を奪取したものの他棋戦の成績が振るわず、年度勝率は3割台に落ち込んだ。 2012年度の第70期名人戦七番勝負では、A級順位戦を全勝した羽生二冠の挑戦を受けた。 シリーズ前に森内の苦戦を予想する声があったが 、4勝2敗で名人位を防衛。 2013年度の第71期名人戦七番勝負では、前年に引き続き羽生三冠の挑戦を受けた。 羽生との名人戦は3年連続で8度目となったが、4勝1敗で名人位を防衛。 この年の名人戦は、星の差だけでなく将棋の内容においても、「一方的」であった。 さらに、竜王戦においては、決勝三番勝負で郷田九段に勝ち、挑戦権を獲得。 第26期竜王戦七番勝負では、かつて森内から竜王位を奪取して以来、9連覇中だった渡辺明竜王を4勝1敗で破り、竜王位を奪還。 渡辺竜王の10連覇を阻止した。 (対戦前、森内は、この竜王戦は非常に厳しい戦いになることを予想し、渡辺竜王になんとか2勝することを現実的な目標として考えていた)。 竜王位・名人位の2大タイトルを手中に収め、これらの活躍により、2013年度将棋大賞で2度目の 最優秀棋士賞を受賞した。 2014年度の第72期名人戦七番勝負では、今回で3年連続となる羽生三冠の挑戦を受ける。 羽生との名人戦はこれで4年連続9回目。 結果は4連敗で、名人位を失冠。 その直後に始まった第85期棋聖戦五番勝負で羽生棋聖に挑戦するも、再び3連敗のストレート負けを喫し、奪取はならなかった。 第27期竜王戦七番勝負では、七段の挑戦を受けるが、1勝4敗で敗れ、竜王位の防衛に失敗。 第64回NHK杯テレビ将棋トーナメントでは、1回戦はシード、2回戦から、木村一基八段、羽生善治名人、菅井竜也五段、深浦康市九段、決勝戦で行方尚史八段に勝ち、同棋戦において自身3度目の優勝を果たした。 A級からの降級、フリークラス宣言 [ ] 2016年度の第75期A級順位戦(降級1名)では、2017年2月25日の9回戦の結果、3勝6敗で佐藤康光と同成績ながら頭ハネで最下位となり、22期連続で在籍したA級 名人在位も含む からB級1組への降級が決まった。 永世名人資格保持者のB級1組への降級は、に続いて3人目であった。 森内は、2016年度が終了する直前、2017年3月31日にし、日本将棋連盟を通じてコメントを発表した(連盟への届け出は3月24日であった)。 B級1組からのフリークラス宣言は・中原誠に次いで3人目。 このうち、A級からの降級直後にフリークラス宣言をしたのは、米長に続いて2人目であった。 フリークラス転出の時点で満46歳であった森内は、翌期の順位戦B級1組所属が決まっていたため、満65歳となる2035年度までの19年間フリークラスに在籍できるが、実際に森内が2035年度まで現役を続けた場合、宣言者のフリークラス在籍年数最長記録となる。 2017年8月6日、1回戦でに勝ち、史上12人目の通算900勝を達成した。 棋風 [ ]• 居飛車、特に矢倉を多用する居飛車党である。 一般的には「受けが強い」というイメージから、「 鉄板流」、「鋼鉄の受け」と呼ばれるが、本人は鉄板流などと言う呼ばれ方をあまり好ましく思っていない。 森内の弟弟子のとによると、森内将棋には少なくとも「安全勝ち」というイメージは無く、「勝ち方のうまさ」と「攻守のギアチェンジ」に最も特徴があるという。 羽生善治は、森内の序盤作戦について「大胆にして入念な準備がある」と述べた。 「柔」の羽生将棋に対して「剛」の森内将棋とよく表現される。 後手番では『森内流』と呼ばれる駒組みがあり、現代矢倉の主要変化の1つである。 好きな駒は。 攻めのみならず、守りでの使い方にも特徴がある。 第64回NHK杯テレビ将棋トーナメント決勝戦でが解説した際、「二枚飛車で受けられたことがある。 」と話していた。 によれば、「自陣飛車の似合う棋士は? 」という質問をしたところ、多くの棋士から名前が挙がったと言う。 人物・エピソード [ ] 基本データ [ ]• 母方の祖父にプロ棋士である(八段、元日本将棋連盟理事・奨励会幹事)を持つ将棋界のである。 このため、「 鉄板流」の他に「 優駿流」と言われることもある。 卒業(同校在学中にプロ棋士となった)。 初の名人位に就いた翌月(2002年6月)に、東京都内の私立大学の教員(国文学)を務める女性とのを発表し、同年10月に結婚した。 は、「今を生きる」「」「一日一生」。 愛称は「ウティ」。 合理主義者 [ ]• 名人戦、王将戦など、1局2日制の対局であっても、定跡や研究手順であれば時間を使わず、1日目から手をどんどん進めることが多い。 かつては、1日目に駒がぶつからないことが普通であったが、森内がタイトル戦で活躍し始めた頃から、(森内が登場しないタイトル戦でも)2日制の1日目に本格的な戦い、時には終盤の入り口まで進行することが多くなっている。 かつては、番勝負の第1局に指し直しが1回あると、第1局の先手と第2局の先手が同じ棋士になるという不合理があった。 森内の提案をきっかけに、第1局の振り駒によって最終局の1局前までの先後が決定される一局完結方式に変更された( を参照)。 公式対局に関するエピソード [ ]• 事前に対局相手と先後が決まっている順位戦では無類の強さを誇っており、第73期(2014年度)にA級順位戦を4勝5敗で負け越すまで名人在位を除く全ての年度で勝ち越していた。 1990年度(当時C級2組)の途中から1992年度(当時B級2組)にかけては順位戦26連勝を記録した。 順位戦通算勝率は2007年度までの時点では8割を超えていた(114勝28敗、0. 803)。 順位戦と同様の制度(事前に対局相手と先後が決まっている)である・の挑戦者決定リーグでは負け越し経験が数度ずつあり、第60期王将リーグ(2010年度)では1勝5敗、第61期王将リーグ(2011年度)では0勝6敗と苦戦している。 二日制のタイトル戦で力を発揮する傾向があり、タイトル12期(詳細は)のうち11期が二日制の番勝負を制したものである。 体力に自信が無く、の後の体力勝負は苦手とのことである。 四段時代の1990年1月、竜王戦で七段(当時)にポカで敗北し、横浜市の自宅までの30キロを、5時間をかけて、スーツ・革靴で走り切ったエピソードがある。 郷田真隆と戦った第65期名人戦の第1局1日目(2007年4月10日)の午後、森内の手番(24手目)のときに郷田が扇子を開け閉じして音を鳴らしたため森内が苦情を訴えた。 立会人のらが対応に追われ約30分間対局が中断するという珍事となった。 この一局は郷田の逆転勝利となっている。 この他にも1996年の第54期名人戦七番勝負第1局(対羽生善治)では、1日目の封じ手を巡ってトラブルを起こすなど(詳細はを参照)、タイトル戦でやや神経質な動きを見せる事が多い。 同門棋士及び弟子 [ ]• 勝浦修門下の弟弟子には・・、妹弟子にはがいる。 元のは森内の弟子であった。 自身の師匠である勝浦と、羽生善治の師匠であるは、いずれも名誉九段門下である。 すなわち森内と羽生は「いとこ弟子」の関係にある。 2018年現在、出身地であるで 「青葉将棋クラブ」を主宰するなど、子供向けの普及活動にも力を入れている。 趣味等 [ ] チェスに興じる森内• 趣味は、、、、。 ストレス解消法は。 20代の頃はフルを走ることもあった。 特にクイズはかなりの実力で、の(第1011回)放送では予選会を勝ち抜いた一般出場者として出演した。 A級に昇級した初年度でのことでもあり、司会者のは番組冒頭で「今週は見たことのある方が出場されています」と紹介した。 後、同番組の1500回記念大会(「知性派タレントクイズ頂上決戦」、)では、、を破って優勝し、縦断旅行を獲得したが 、名人戦の対局と日程が重なり旅行には行けなかった。 この他にも『』『』の予選にも参加したことがある。 の実力者でもあり、本格的に勉強を始めてから半年後の2014年8月に行われた第39回では4位に入賞した。 2019年度にはバックギャモン王位の座についた。 (特に)も嗜み、2016年12月には『杯ポーカー王位決定戦』の著名人予選に出場した。 好角家。 2012年秋場所七日目の打ち出し後にと対面し、白鵬から「を見にいらしたことはありますか」と訊ねられ、「()理事長が現役の頃から見に来てます」と答えた。 好物は。 特に2010年代に入り、タイトル戦で昼食にカレーが用意されている場合はだいたいカレーを注文している。 2013年の竜王戦では5局とも2日目の昼食にカレー系の食事を注文した(特に5局中3局でを選んでいる)。 カレーを選ぶ理由を、本人は「カレーが好き」「カレーはどこで食べても美味しい」「緊張感の高まる二日目にメニューのことであれこれ悩みたくない」と自著やインタビューで述べている。 2013年9月にはファンイベントとして「名人を囲んでのカレーと自然食の夕べ」が開催された。 またにはのIHクッキングヒーターの特設サイトに登場し、そこでもカレー好きがフィーチャーされている。 も好物。 2001年4月、浜松市であった名人戦第2局では対局中にパインアメを食べていた。 一方で苦手な食べ物はで「これだけは食べられない」という。 2020年6月13日にYoutubeチャンネルを開設した。 その他 [ ]• 発行のジュニアプログレッシブ英和辞典(第2版 - 2002年12月発行。 )の "master"の項目に "Mr. Moriuchi is a master of Japanese chess. "(森内先生は将棋の名人です)という用例が記載されている。 昇段履歴 [ ] 昇段規定は、 を参照(ただし、四段昇段は旧規定)。 6級 入会• 四段 プロ入り(奨励会三段昇段後、12勝4敗を2回)• 五段(勝数規定)• 六段(B級2組昇級)• 4月1日 七段(順位戦B級1組昇級)• 4月1日 八段(順位戦A級昇級)• 九段(名人位獲得) 主な成績 [ ] タイトル・永世称号 [ ] 他の棋士との比較は、、を参照 タイトル 獲得年度 登場 獲得期数 連覇 永世称号(備考) 03(第16期), 13 5 2期 1 02(第60期), 04-07 , 11-13 12 8期 4 (歴代4位) 資格 襲位は原則引退後 - 0 - - - 0 - - - 1 - - 05(第31期) 3 1期 1 03(第53期) 2 1期 1 - 2 - - 登場回数合計25、 獲得合計 12期() (番勝負終了前は除く。 最新は、2014年度の棋聖戦敗退) 一般棋戦優勝 [ ]• 将棋大賞 [ ]• 第16回(1988年度) 新人賞• 第19回(1991年度) 勝率第一位賞・最多勝利賞・最多対局賞・殊勲賞• 第21回(1993年度) 技能賞• 第24回(1996年度) 技能賞• 第29回(2001年度) 敢闘賞• 第30回(2002年度) 技能賞• 第31回(2003年度) 最優秀棋士賞・最多勝利賞・最多対局賞• 第33回(2005年度) 優秀棋士賞• 第38回(2010年度) 名局賞特別賞(第69期A級順位戦7回戦・対九段戦)• 第41回(2013年度) 最優秀棋士賞 その他表彰 [ ]• 2004年 (通算六百勝達成)• 2007年 第56回• 2007年 第56回神奈川文化賞• 2011年(通算八百勝達成)• 2013年 第15回神奈川イメージアップ大賞• 2017年 記録(歴代1位のもの) [ ]• 『森内俊之の戦いの絶対感覚』(、2000年2月、)• 『矢倉3七銀分析〈上〉』(、1999年4月、)• 『実戦の詰将棋-初段120題 実力判定初段のカベを破る最強の寄せ』(成美堂出版、2001年1月、)• 『初段の〈実戦〉詰将棋150題 強くなる! 』(成美堂出版、2005年11月、)• 『矢倉の急所-4六銀・3七桂型』(、2008年12月、)• 『矢倉の急所 2』(、2009年6月、)• 『覆す力』 、2014年2月、) 編著・監修など [ ]• 森内俊之監修 ほか著 「森内優駿流棋本ブックスシリーズ」全10巻(、1997年4月ほか、 ほか)• 島朗編著 佐藤康光・羽生善治・森内俊之講師『読みの技法』(、1999年3月、)• 原田泰夫監修 森内俊之ほか編 『日本将棋用語事典』(、2004年12月、) 漫画監修 [ ]• マサルの一手! (2006年、作画:村川和宏、小学館『小学五年生』連載)• (2016年、作画:佐々木健、小学館『コロコロコミック』連載) 関連書 [ ]• 毎日新聞社編著 『第54期将棋名人戦』(毎日新聞社、1996年7月、)• 毎日新聞社編著 『第60期将棋名人戦-名人丸山忠久・挑戦者森内俊之』(毎日新聞社、2002年7月、)• 毎日新聞社編著 『第61期将棋名人戦』(毎日新聞社、2003年7月、)• 読売新聞社編著 『竜王決定七番勝負 激闘譜 第16期』(読売新聞社、2004年2月、)• 毎日新聞社編著 『第62期将棋名人戦』(毎日新聞社、2004年8月、)• 読売新聞社編著 『第十七期竜王決定七番勝負 激闘譜-森内俊之vs. 渡辺明』(読売新聞社、2005年2月、)• 毎日新聞社編著 『第63期将棋名人戦』(毎日新聞社、2005年8月、)• 毎日新聞社編著 『第64期将棋名人戦七番勝負-名人森内俊之・挑戦者谷川浩司』(毎日新聞社、2006年8月、• 毎日新聞社編著 『第65期将棋名人戦七番勝負-森内俊之VS. 郷田真隆』(毎日新聞社、2007年8月、)• 毎日新聞社編著 『愛蔵版 第66期 将棋名人戦 七番勝負』(毎日新聞社、2008年9月、)• 椎名龍一 『名人を夢みて-森内俊之小伝』(日本放送出版協会、 2008年10月、)(自戦記部分を担当)• 森内俊之・羽生善治 共著 『羽生VS森内 百番指し』(日本将棋連盟、2011年1月、) ゲームソフト [ ]• 激指デラックス 名人戦道場(2013年07月19日、、パソコン用ソフト)出演、監修 出演 [ ] テレビ番組 [ ]• NHK『』 ライバルスペシャル (2008年7月15日放送)• BSフジ『その男、名人につき』(2014年8月31日放送) ほか多数 その他媒体 [ ] の動画 『【東大VS天才棋士】東大生4人vs天才棋士・森内九段!どちらが勝つ!?【検証】』 2019年9月27日公開 など 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 2019年11月23日時点のよりアーカイブ。 2019年11月23日閲覧。 2019年4月5日. 2019年11月23日時点のよりアーカイブ。 2019年11月23日閲覧。 日本語. 2018年10月17日. の2018年10月17日時点におけるアーカイブ。 2018年10月17日閲覧。 1位はの15歳6ヶ月()、2位はの17歳0ヶ月()、3位はの17歳2ヶ月()。 「」(日本将棋連盟)1996年6月号• ただし、休場者がいた第26期A級順位戦(1971年度)で、が8戦全勝を達成している。 過去には、、、、、、。 成銀で取らせて相手の攻めを一手遅らせる意味の手。 58「勝又教授のこれならわかる!最新戦法講義」。 「」2006年8月号• 永世名人の襲位は、原則として引退後。 失冠後は1年間 前名人の称号を名乗る権利があるが放棄。 4年前に名人失冠した時も名乗っていない。 ちなみに過去には、谷川浩司が「前竜王・前名人」の肩書きを放棄して九段を名乗った例があり、その後も佐藤康光や丸山忠久は「前名人」を名乗らなかった。 「第70期名人戦七番勝負第6局-堂々の防衛劇」 『将棋世界』 2012年8月号、6-17頁。 『将棋世界』2014年8月号、9頁• 『覆す力』、25頁• 2017年2月26日. 2017年4月4日時点のよりアーカイブ。 2017年4月5日閲覧。 2017年4月1日. 2017年3月31日時点のよりアーカイブ。 2017年4月5日閲覧。 現行の制度上、宣言者がフリークラスに在籍できる最長年数は23年(満42歳以下で翌期順位戦でB級1組所属が決まっている場合)• 2017年8月11日. 2017年8月18日閲覧。 「将棋世界スペシャル」vol. 3 森内俊之• 「羽生VS森内 百番指し」まえがき• 「将棋世界」2009年11月号• 2017年11月2日. 2018年3月30日時点のよりアーカイブ。 2017年11月2日閲覧。 監修 、荒木一郎 プロデュース 、 森内俊之ら(編)、2004、『日本将棋用語事典』、東京堂出版• 『将棋世界Special Vol. 3 森内俊之』 日本将棋連盟、2013年、44頁。 将棋ペンクラブログ(「対局日誌」1990年3月号を引用) 2012年10月15日. 2017年6月20日時点のよりアーカイブ。 2017年6月20日閲覧。 青葉将棋クラブ(代表:). 2018年7月11日時点のよりアーカイブ。 2018年7月11日閲覧。 「」『』、2018年1月18日。 2018年7月11日閲覧。 の2018-7-11時点におけるアーカイブ。 平成10年版「将棋年鑑」(日本将棋連盟)• 』より• 大阪 2005年3月4日記事『ABC系「アタック25」1500回記念タレント大会を収録』• 2015年1月30日. 2015年1月29日閲覧。 - 将棋ペンクラブログ・2015年6月25日• - 2014年8月8日• 2020年7月8日閲覧。 - 夕刊フジ杯ポーカー王位決定戦• 2012年9月15日. 2015年1月29日閲覧。 - 将棋ペンクラブログ・2013年10月17日• - アメーバニュース・2013年11月29日• - 将棋ペンクラブログ・2014年4月7日• - 日本将棋連盟・2013年8月30日• - 朝日新聞デジタル・2012年6月7日• - カレーの学校• 日本語 , 2020年3月6日閲覧。 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• TeamYasumitsu -• - チャンネル• 女流棋士• 奨励会員• 古賀悠聖 アマチュア• 1 9• 2 6• 3 7 ・ 6 ・ 6• 4 11• 5 6 ・ 6 ・ 5• 6 5 ・ 5• 7 11 ・ 5 ・ 5• 8 6 ・ 6 ・ 5 ・ 6• 9 12 ・ 7• 10 該当なし• 10-11 12• 11 6• 12 6 ・ 9 ・ 6 ・ 8• 13 10 ・ 6 ・ 5 ・ 6• 14 6 ・ 6 ・ 7• 15 11• 16 8• 17 該当なし• 18 6 ・ 5• 19 5 ・ 6 ・ 7• 20 8 ・ 16 ・ 5• 20-21 7• 21 6• 22 7 関連項目.

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【将棋】羽生善治に負けた時のプロ棋士の顔が酷い 闇のゲームかよ【画像あり】

森内 羽生 なんj

森内俊之九段とバックギャモン 2014年8月、将棋界とバックギャモン界に衝撃的なニュースが飛び込んできた。 森内俊之竜王 当時 が、バックギャモンの世界大会で4位に入賞したのだ。 森内俊之九段といえば、2013年の竜王戦で、9連覇中だった当時の渡辺明竜王を破り竜王位を奪還。 すでに保持していた名人とあわせて竜王・名人となった。 将棋界に9年ぶりの竜王・名人の誕生。 このとき確かに森内俊之竜王・名人は名実ともに将棋界の頂点に立っていた。 しかし翌年、羽生善治三冠 当時 に4連敗で名人位を奪われると、棋聖戦でも羽生善治名人 当時 に挑戦するものの3連敗で敗退してしまった。 そんな中、世界バックギャモン選手権入賞 森内さんは密かに新たなタイトルを狙っていた たぶん。 バックギャモン世界一だ。 前述したとおり、モナコで開催された第39回世界バックギャモン選手権で4位入賞を果たした。 当時私もこのニュースに衝撃を受け、バックギャモンのルールを調べたりしてみた。 バックギャモンでは、サイコロを振るということで将棋のような二人零和有限確定完全情報ゲームではなく、不確定要素が入る。 しかし、双六のようなほとんど運だけのゲームではなく、緻密な戦略が要求される。 世界で3億人がプレイしているといわれる、メジャーなボードゲームだ。 当時のニュースによれば、森内さんは本格的に勉強してから6ヶ月という短期間で、世界4位に上り詰めたとのことだった。 その後、竜王も失冠 その後、2014年の竜王戦で糸谷哲郎七段 当時 に竜王位を奪われた。 1年の間に、将棋界の頂点である名人、竜王を失い、その代わり ? 世界バックギャモン選手権4位を手に入れたのだ。 森内俊之九段のバックギャモン研究はガチ 話を戻します。 番組に登場した望月正行さんは、日本では数少ない 3人しかいないらしい バックギャモンのプロプレイヤー。 国内大会では優勝を重ね、世界バックギャモン選手権でも優勝を果たしている。 2014年には世界ランキング1位となった。 そんな望月正行さんは2015年1月、「将棋ウォーズ」を運営するHEROZ ヒーローズ 株式会社と。 その流れで、今回の第2回将棋ウォーズ王将戦・最終日生中継に登場したようだ。 そんな望月正行さんは、森内俊之九段にバックギャモンを教えた先生らしい。 というわけで、望月正行さんから森内九段の話を聞けた。 プロがするような研究 望月正行さんによると、森内九段はバックギャモンの勉強において「本格的で」「プロがするような研究」をするそうだ。 アマチュアが趣味か遊びでやるようなレベルの勉強ではないらしい。 プロの望月さんがやるようなトレーニング法を、森内九段も実践しているそうだ。 そんな森内さんについて、望月さんは 「どこまでガチなんだろう」 と思った、とのことだ。 さすがですね。 何事にも一生懸命で真剣な感じがします。 そこが森内さんの素晴らしいところ。 ついでに、森内さんのバックギャモンの実力の成長過程について日本バックギャモン協会 望月さんは同協会ディレクター がツイートしたものがありますので、載せておきます。 話題の森内さん。 ギャモン歴は長いのですが、腕前はそれほどでもありませんでした。 ところが昨年暮れ、あるギャモン好きの将棋ライターさんに誘われ、勉強してモナコを目指すことに。 初級者から春頃には中級に。 そしてGW明けて数ヶ月で、尋常じゃない伸びを見せました。 そんなことはありませんよね・・・。 森内俊之九段といえばクイズも有名 余談ですが、森内九段といえば、クイズの実力も有名。 テレビ朝日系のクイズ番組「パネルクイズ アタック25」では一般参加で予選会を勝ち抜いて参加して準優勝したり、タレント大会では優勝したりしている。 このとき、羽生善治名人、佐藤康光九段とともにパネルの開け方を研究したというエピソードもある。 また、フジテレビ系の「クイズ・ミリオネア」にも職業:団体職員として登場したこともあるらしい。 望月正行さんは将棋もちょっと強い ちなみに森内九段のバックギャモンの師匠である望月正行さんは、学生時代に将棋部に在籍していたことがあるということで、将棋も強い。 同番組内で将棋を指した望月さんは、将棋ウォーズ二段の一般プレイヤーを相手に勝利を収めていた。 よりはるかに強いじゃないですか・・・。 もしかして森内九段に将棋を教わったとか・・・?いいなぁ。 将棋もがんばってください そんなわけで、森内九段は一躍バックギャモンのプレイヤーとして名を馳せたわけです。 現在もバックギャモンのガチの研究をされているのかはわかりませんが、たまには将棋の研究もして欲しいです。 森内九段のあの雰囲気、好きですね。 謙虚で真面目で実直な感じで。 それで、何事も一生懸命に研究される感じが、すごいです・・・。 今後の 将棋での 巻き返しを期待しております!.

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【将棋】羽生善治に負けた時のプロ棋士の顔が酷い 闇のゲームかよ【画像あり】

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概要 [ ] 羽生善治は、1990年代から2010年代にかけて、多数のタイトルを獲得したであるが、同時代に活躍したトップ棋士たちの中には羽生と年齢が近い者が非常に多かった。 そこで、これらの強豪棋士たちの総称として 羽生世代という言葉が使われるようになった。 もっとも、羽生世代という言葉は「羽生と年齢が近い強豪棋士」を漠然と指しており、具体的に誰が含まれるのかについてはメディアによってまちまちであり、 明確な定義は存在しない。 羽生と年齢が近いという点に関して [ ] 「世代」という言葉は、30年程度の広い範囲を指すのが本来の用法であるが、「羽生世代」といった場合には、もっと狭い範囲を指すのが通常である。 一般的には、• 羽生と同学年の棋士のみを羽生世代と呼ぶ用法• 羽生と同学年または1学年上の棋士を羽生世代と呼ぶ用法• 羽生と同学年または1学年違いの棋士を羽生世代と呼ぶ用法 の3つがある。 このうち、同学年または1学年上とするものは、1学年上は含めるが1学年下は含めないという少々恣意的な基準であるが、1学年上の代表的な棋士である村山や佐藤が当初からチャイルドブランド(後述)という言葉で羽生と同じ括りで注目されていたのに対して、1学年下の代表的な棋士である屋敷や深浦がチャイルドブランドの棋士たちに続いて活躍をし始めたためという事情によるものであり、広く用いられている。 強豪棋士という点に関して [ ] 羽生と年齢が近い棋士のうち、どの程度の実績を残したものを羽生世代とするかについてもさまざまな見解がある。 一般的には、• タイトル経験者のみを羽生世代と呼ぶ用法• 順位戦A級経験者を羽生世代と呼ぶ用法• 実績を問わず同世代の棋士すべてを羽生世代と呼ぶ用法 などがある。 「羽生世代」の棋士たち [ ] ここでは、羽生世代と呼ばれることのある棋士を広く紹介するという趣旨から、順位戦A級を経験した羽生と同学年または1学年上の棋士を列記し、併せて括弧付きで1学年下の棋士を列記する。 (生年月日順) 棋士名 生年月日 プロ入り 四段昇段 九段昇段 初タイトル 全棋士参加 棋戦初優勝 竜王戦1組 初昇級 順位戦A級 初昇級 その後 1969-06-15 (29歳没) 11月 8月 - 1996年度 1994年 1995年 にA級在位のまま逝去 1969-10-01 (50歳) 3月 1998年6月 1993年度 同左 1992年 1996年 名人2期(1998年 0- 1999年) 永世棋聖の資格獲得(2006年) 1970-06-22 (50歳) 1987年10月 4月 - 1990年度 1995年 2000年 1970-09-05 (49歳) 4月 6月 2000年度 1998年度 1998年 1998年 名人2期(2000年 0- 2001年) 1970-09-27 (49歳) 12月 4月 1989年度 竜王 1987年度 1989年 1993年 永世棋王の資格獲得(1995年) - 十九世名人の資格獲得(2008年) - 永世竜王の資格獲得 「永世七冠」達成(2017年) 1970-09-29 (49歳) 4月 2000年10月 1998年度 竜王 同左 1998年 2001年 竜王戦史上初の3連覇 (1998 - 2000年) 1970-10-10 (49歳) 1987年 5月 5月 2002年度 名人 1988年度 全日本プロ 1996年 1995年 十八世名人の資格獲得(2007年) 1971-03-17 (49歳) 1990年 4月 8月 1992年度 同左 1999年 1999年 タイトル6期(1992年度王位を含む) () 1972-01-18 (48歳) 1988年10月 4月 1990年度 同左 1997年 2011年 タイトル3期(1990年度棋聖を含む) () 1972-02-14 (48歳) 1991年10月 9月 2007年度 王位 1992年度 全日本プロ 2007年 2004年 タイトル3期(2007年度王位を含む) 便宜上、ここでは村山・佐藤・先崎・丸山・羽生・藤井・森内・郷田の8名を羽生世代として、以下この8名について記載する。 歴史 [ ] 「チャイルドブランド」の台頭 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2009年7月) 後に「羽生世代」と呼ばれる棋士達のうち、10代から目覚ましい活躍をした羽生・村山・佐藤・森内の4人は、によって「チャイルドブランド」 と命名された(年上の(- )も広義でチャイルドブランドの一人とされた [ ])。 「」 と呼ばれることもあった [ ]。 4人のうち羽生・佐藤・森内の3人は、島が主宰する研究会「 島研」で腕を磨いたメンバーであった。 1980年代後半、彼らは先輩棋士達を打ち負かしていく。 1988年度のNHK杯戦では、18歳の羽生が4人の名人経験者(十五世名人、九段 、名人(準決勝)、棋聖・王座(決勝))を破って 優勝したことで、注目を集めるようになる。 「羽生世代」の台頭 [ ] 1990年ごろからは、森内と先崎が全棋士参加棋戦で優勝。 さらには、郷田が同一年度に谷川に3度タイトル挑戦し、うち、王位戦で最低段位記録となる四段で 初タイトル。 佐藤は七冠へ駆け上がる途中の羽生(当時五冠)からいったん竜王位を奪い、初のタイトル獲得を果たす。 羽生を含む彼ら5名は早熟のため、A級昇級よりも優勝・タイトルが先行した。 その後、村山と丸山も順位戦で昇級を重ねるなどして追随する。 藤井は、B級2組(竜王戦は4組)に在籍していた1998年当時に、谷川をストレートで破って初タイトル・竜王を獲得し、一躍「羽生世代の一人」として認知されるようになる。 丸山は2000年に佐藤を破って名人位を獲得する。 「羽生世代」による将棋界の席巻 [ ] 1990年頃から現在に至るまで、タイトル棋戦やは、常に「羽生世代」の棋士達が主役となっており、各年度の7タイトルの過半数を占める状態が長らく続く( を参照)。 では、1994年から2016年まで毎年、彼らのうちの誰かが七番勝負に登場している。 羽生対森内のカードが特筆して多く、名人戦で9回(第54、61-63、66、69-72期)対戦しており、-と並び名人戦の中で1番多いカードとなっている。 竜王戦は創設翌年の第2期に羽生が獲得して以来、「羽生世代」の棋士が七番勝負に登場しなかったことが、ほとんどない。 1998年までは谷川浩二が竜王戦の七番勝負に絡んでいた。 第17期(2004年度)でが竜王を獲得して以降、05年に七段(当時)が挑戦した以外は、羽生世代の誰かが渡辺に挑戦する構図となっている。 第26期(2013年度)で森内が竜王を奪還、渡辺の竜王10連覇を阻止した。 2004年までは彼らより上の世代の谷川が、羽生世代を相手に孤軍奮闘した。 しかし、2004年に王位、棋王を羽生に奪われて以降、無冠の状態が続いている。 彼らが30代になると、逆に、若手の前に立ち塞がる壁となる。 しかし、下の世代では、2004年からは彼らより一回り以上若い渡辺が、佐藤、森内、羽生らを相手にして竜王の一冠を5連覇し、初代永世竜王の資格を獲得した。 2006年には、佐藤が棋聖5連覇で永世棋聖の称号の資格を得、2007年には、森内が名人通算5期で羽生より一歩先に永世名人の資格を得る。 2007年頃からは、渡辺に加え、、、木村一基もタイトル戦の舞台に多く出場するようになった。 1998年度の佐藤の名人奪取以来ずっと羽生世代の複数人がタイトル保持者だったが、2008年度棋王戦で佐藤から久保が棋王を奪取したことでタイトル保持者が羽生四冠(名人・棋聖・王座・王将)・渡辺竜王・深浦王位・久保棋王の四人となりついにそれが崩れた。 そして2009年度王将戦では久保が羽生から王将を奪取し、タイトルの過半数を羽生世代以外の棋士が占めることになった。 2011年度に入り、羽生二冠(棋聖・王座)がから王位を奪取。 渡辺が羽生から王座を奪うものの、久保の持つ王将・棋王の座を、それぞれ佐藤康光とが奪還し、2年ぶりに羽生世代がタイトルを席巻した。 (渡辺:竜王・王座、 森内:名人、羽生:棋聖・王位、佐藤:王将、郷田:棋王) 2012年度に入っても羽生と森内による名人戦(森内の防衛)、羽生の棋聖防衛、羽生と藤井の王位戦(羽生の防衛)、羽生の渡辺からの王座奪還、丸山による2年連続渡辺竜王への挑戦と、タイトル戦で羽生世代が席巻している状態が続いている。 2013年から2015年までもタイトル戦は「羽生世代対他の世代」「羽生世代対羽生世代」の構図となっており、該当しなかったのは2013年の棋王戦のみである(棋王渡辺明対挑戦者三浦弘行)。 2013年度に谷川浩司が順位戦A級から陥落したことで、A級最年長が佐藤康光となる。 2014年には羽生世代でただひとり八段でとどまっていた先崎が勝数規定で九段に昇段し、羽生世代のすべての棋士が順位戦A級を経験した九段昇段者となった(早世した村山も没後追贈ではあるが九段に昇段しているため該当)。 新世代の台頭 [ ] 2016年度に入ってから、徐々に世代交代の動きが始まった。 まず名人戦ではが羽生を破り、16年ぶりの20代新名人となった。 さらにでは、が1位となり名人への挑戦権を得て、翌年の名人戦が21年ぶりの20代対決となる一方で、森内がB級1組に陥落し、直後にフリークラス宣言を行った。 2017年度には、前年の2016年に14歳2か月でプロ入り・62年ぶりに最年少棋士の記録を更新したがデビューから無敗連勝を続けて歴代記録まで更新する29連勝を達成し、また中学校在学中の棋士としては史上初となる全棋士参加棋戦()優勝を成し遂げた。 さらにが生まれでは初めてとなる王位のタイトルを獲得、続いてが王座を獲得し、若手の台頭がより注目された。 一方、菅井と中村にタイトルを奪われた羽生は、渡辺明から竜王のタイトルを奪還して永世竜王の資格を獲得し、永世称号の「七冠」を達成した。 2018年度に入り、がタイトルに昇格したを、続いてが棋聖を獲得したことで、31年ぶりに複数冠者がいなくなった。 そして2016年度末に郷田が王将を失冠して以降、羽生のみがかろうじてタイトルを保持していたが、2018年12月に羽生が最後まで保持していた竜王を失冠して27年ぶりに無冠となり、ついに羽生世代のタイトル保持者がひとりもいなくなった。 一方、この年のNHK杯戦ではベスト4を羽生世代(丸山、羽生、森内、郷田)が独占し、健在ぶりを示してもいる。 2019年度は、竜王戦で第1期から続いていた羽生世代の決勝トーナメント進出が途絶え、タイトル戦の番勝負出場も、羽生が王位戦挑戦者決定戦で木村一基に敗れる等で31年ぶりに途絶えた。 一方、挑戦者決定戦で羽生に勝利して王位戦挑戦者となった木村一基は、豊島将之から王位のタイトルを奪取し、46歳タイトル挑戦7度目で悲願の初タイトル獲得となった。 なお、2019年度時点でA級に残留している羽生世代は、羽生と佐藤康光だけとなっている。 羽生世代のタイトル戦の成績 [ ]• 1960年度• 1961年度 なし• 1962年度 、、• 1963年度 、• 1964年度 、、• 1965年度 なし• 1966年度• 1967年度• 1968年度 なし• 1969年度 村山聖、佐藤康光• 1970年度 先崎学、丸山忠久、羽生善治、藤井猛、森内俊之、郷田真隆• 1971年度 屋敷伸之、深浦康市• 1972年度• 1973年度 、、• 1974年度 、• 1975年度• 1976年度 なし• 1977年度 なし• 1978年度 なし• 1979年度 なし• 1980年度 このうち、高橋道雄や島朗ら羽生世代のすぐ上の世代にあたる強豪棋士たちは、プロ入り年度が昭和55年に集中しており、 と呼ばれる(なお、谷川浩司のプロ入りは昭和55年ではないが、55年組の棋士らと同世代である)。 一方、久保利明らを中心とする羽生世代のすぐ下の世代については、 ポスト羽生世代と呼ばれる。 もっとも、ポスト羽生世代については、羽生世代と同様、明確な定義があるわけではない。 特に1971年度生まれ(羽生より1学年下)の屋敷と深浦については羽生世代として紹介されることもあれば、ポスト羽生世代として紹介されることもある。 なお、深浦は「自分を羽生世代とは認識していない」と述べている一方で、は深浦を羽生世代の一人として扱っている。 久保利明より下の世代(1976年 - 1980年生まれ、40歳~44歳)の棋士からは、現在のところA級棋士・タイトル挑戦者・全棋士参加棋戦優勝者が現れていない。 その世代の伸び悩みがしばしば指摘されるが、そのひとつの要因として、羽生世代・ポスト羽生世代の層の厚さを挙げられることがある。 世代交代 [ ] 羽生世代は他の世代を圧倒して長らく将棋界を牽引してきたが、前述のとおり、2016年度以降、羽生よりも10歳以上年下にあたる1981年度生まれ以降(39歳以下)の棋士の中から、羽生世代からタイトルを奪うような強豪棋士たちが多数現れており、2018年末に羽生がタイトルをすべて失ったことで羽生世代からの世代交代が概ね果たされる形となった。 羽生世代とは無関係であるが、これらの世代のタイトル挑戦者、A級経験者、全棋士参加棋戦優勝者を列挙する。 タイトル獲得者(10人とも初タイトルは20代で獲得)• () - 永世竜王の資格・永世棋王の資格を保持するなどタイトル獲得多数、A級経験もあり• (1月18日) - 2010年に王位、2018年に竜王を獲得、A級経験もあり• () - 2016年に名人を獲得、名人3期• (1988年)- 2017年に王座を獲得• (1988年) - 2014年に竜王を獲得、A級経験もあり• () - 2018年に棋聖・王位を獲得、2019年に名人・竜王を獲得• () - 2017年に王位を獲得、A級経験もあり• (1992年) - 2019年に叡王・王座を獲得• () - 2018年に王座を獲得、A級経験もあり• (1993年) - 2018年に叡王を獲得• タイトル挑戦者• () - 全棋士参加棋戦優勝もあり• (1988年) - 全棋士参加棋戦優勝・A級経験もあり• () - 全棋士参加棋戦優勝もあり• () - プロ入り1年目の初参加棋戦でタイトル挑戦は史上初• () - 21世紀生まれで初のタイトル挑戦・全棋士参加棋戦優勝はいずれも史上最年少。 全棋士参加棋戦優勝者• () - A級経験もあり• (1984年)• (1994年)• A級経験者(タイトル獲得・挑戦者・全棋士参加棋戦優勝者以外)• (3月3日) 羽生世代以外のタイトル戦成績 [ ]• このうち、中井は羽生の1学年上(村山や佐藤と同学年)にあたり、羽生世代の女流棋士と呼ばれることがある(なお、林葉と清水は羽生世代よりも年上である)• この点はメディアによって扱いが異なり、例えばでは深浦を羽生世代の棋士として紹介している。 羽生は第1期竜王戦で4組からのスタート。 ほかの棋士は、プロ入り後、6組からのスタート。 現役八段で逝去したことにともなう追贈の昇段。 「早指し将棋選手権」には「早指し新鋭戦」の優勝者・準優勝者も出場できるので、ここでは全棋士参加棋戦扱いとした。 、に次ぐ、史上3人目の中学生棋士。 藤井は竜王位獲得の頃から「羽生世代」と呼ばれ始めた。 その後、昇段規定が改訂され、四段の棋士はタイトル挑戦で五段(竜王戦挑戦の場合は七段)へ昇段することになったため、四段のタイトル保持者は郷田が最初で最後となった。 羽生の19歳竜王獲得の年少記録を更新する史上最年少18歳のタイトル獲得。 「恐るべき子供達」の意のフランス語 enfant terrible より。 谷川浩司は「(対戦相手は抽選で決まるから)羽生が持って生まれた運」と表現している(別冊宝島380「将棋王手飛車読本」pp. 16)。 なお、将棋のタイトル制開始以降、2016年までに永世称号を獲得したのは10人しかいない。 挑戦者決定三番勝負の勝者はであったが、三番勝負敗者の丸山が繰り上げで挑戦者になった。 詳しい経緯はを参照のこと。 1980年度生まれであればが存在する。 順位戦ではがB級1組に在籍しているのが最高である。 出典 [ ].

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