もみじまんじゅう。 もみじまんじゅう5種10個入り

もみじまんじゅう|楽天西友ネットスーパー

もみじまんじゅう

概要 [ ] のひとつ、(安芸の宮島)の名物でありである。 現在では宮島のみならず広島県を代表するとして全国的に知名度が高い。 にが会員サービス「」内で行った「日本一のまんじゅうは?」で全国1位 、各種の「全国お土産ランキング」でも上位の常連で、1位をとることもある。 知名度のある土産物は単一メーカーの製造ということも多く(・・(ひよ子饅頭)など)、「お土産ランキング」ではもみじ饅頭が不利になるという指摘もある。 逆に「どのもみじ饅頭を買うか」にこだわる楽しみがあることは、複数のメーカーがある土産菓子(他にのやのなど)の利点ともいえる。 宮島には焼きたてのもみじ饅頭を供する店舗が軒を連ねている。 名称 [ ] にある紅葉の名所、紅葉谷(もみじだに)にちなんだ名物ということで名付けられた(起源の節参照)。 表記は「 もみじ饅頭」が一般的だが、商品によっては「 もみじまんじゅう」とも表記する(後藤製菓、藤い屋など)。 これは他の多くの饅頭と同様、土産品として親しみをもたせるためにで表記していると考えられる。 「紅葉饅頭」や「紅葉まんじゅう」とは通常は表記しない。 元祖の高津堂は「もみぢ饅頭」と、「じ」ではなく「ぢ」で表記している。 略称として、「 もみまん」と呼ばれることがある。 近年 [ ]になって「もみまんソフト」というもみじ饅頭味のソフトクリームや、老舗である後藤製菓からイラストをあしらった「もみまん。 」なる商品が発売されるなど、「もみまん」の語が公然と使用される例が出てきている。 構造 [ ] 製法 [ ] ・・・を原料とする状の生地でを包み、の葉をかたどった型に入れて焼き上げる。 餡はこしあんが基本で、製法についてはどの製造元でもほぼ同一である。 までは、一つ一つ手で焼き型を押さえて焼き上げていたが、大型の機械で焼き型を次々に回転させる「もみじ饅頭焼成機」を広島市内の業者が開発してから、どの店でも一定の品質を保ったもみじ饅頭の製作が可能になった。 機械の開発に合わせて餡を大量・均質に整形する必要が出てきたため、宮島の菓子組合加盟10社が共同で餡の自動整形機を開発するということもあった。 現在の焼成機はガス加熱式が主流で、多いものは1時間あたり2500個の製造能力がある。 島内のもみじ饅頭メーカーや土産品店の店頭では、この焼成機で次々にもみじ饅頭ができる様子を見ることができる。 島外でも、やの上り線などで見られる。 現在でも少数ながら、職人が店頭で焼き型を使って手焼きし、販売している店舗もある(「ミヤトヨ本店」ほか)。 宮島島内にはもみじ饅頭手焼き体験ができる施設もある。 種類 [ ] 誕生当初は「こしあん」入り・状生地の焼き饅頭のみであった。 現在では当時と同じものに加えて、非常に多くのバリエーションがある。 2000年代に入ると、餡の種類だけでなく生地を変えたり(例:黒もみじ)、製法に変化を取り入れたり(例:生もみじ・揚げもみじ)といった工夫も見られるようになった。 餡のバリエーション [ ] 様々な餡の例• こしあん……もみじ饅頭が誕生した当時からの、もみじ饅頭の基本とされる餡。 つぶあん……初期、が厳島を訪問した際、所望したのがきっかけで誕生した。 白あん・ 抹茶あん・ 栗あん……後に考案された。 や栗まんじゅうなど、各地の銘菓を参考にしたもの。 チーズ……、もみじ饅頭のブームが到来した際に考案された、最初の変わり種あん。 食べる際にで1個10~20秒加熱(500W)すると、チーズがとろけておいしくなる。 チョコレート……1984年、チーズ入りとほぼ同時期に登場し、扱う店舗数もチーズ入りと同程度である。 これも、少し温めるとがとろけておいしい。 また、冷凍庫で冷やしても味わいがよい。 クリーム……が入っている。 チーズ、チョコレートより遅れて登場した。 その他…… 角切り、 、 、 あんなど、現在も新商品の開発が続いている。 生地のバリエーション [ ]• 黒もみじ(より1月1日発売 )は、生地にパウダーを加えて黒くしたもの。 秋冬は「黒が流行、ブーム」とされており 、これに健康に良いイメージのある竹炭を合わせたものである。 製法のバリエーション [ ]• 紅葉堂の揚げもみじ。 生もみじ(より発売)は、和菓子風の餅生地を使用している。 餡の種類はこしあんとつぶあん、および抹茶あんの3種類。 (の、発売)は、通常のもみじ饅頭を油で揚げたもの。 詳細はの項を参照。 入手方法 [ ] 島内やおよび、土産物店のほか広島市内の百貨店や、メーカー直営店で豊富な種類が手に入る。 の車内販売メニューにもある。 などの広島県東部(地方)でも有名メーカーのものが多く売られている。 県外ではのアンテナショップや一部の(など)で売られているほか、大手流通企業のの菓子商品にもみじ饅頭が入っていることがある。 近年 [ ]ではメーカーや小売店が通信販売も行っている。 歴史 [ ] 由来 [ ] 現存する「紅葉形焼饅頭」の商標登録証 もみじ饅頭を発案した人物は後期の(宮島)の和菓子職人、 高津常助とされている。 島内の名所・紅葉谷の「 岩惣」にはその頃、である嘉仁(後の)や皇太子(のちの)・・ら要人が多く投宿していたが 、この岩惣に和菓子を納入していた高津は、宿の女将・栄子から「大切なお客様への手土産に、紅葉谷の名にふさわしい菓子が作れないか」と依頼され、試行錯誤の結果(明治39年)に「 紅葉形焼饅頭」を完成させた。 4年後の(明治43年)には登録しており、この商標登録証は常助の孫の元に残っている。 このとき登録された焼き型は「7つの切れ込みのある葉に短い葉柄があり、二頭のを描いた」という凝った意匠であり、今日のもみじ饅頭とは趣が異なるが、しばらくして高津はより現在の形に近い焼き型を使い始め、この焼き型も商標登録証とともに保管され現存している。 呼び名も、常助の代にはすでに「もみじ饅頭」と呼ばれ始めていたと本人が子孫に語っている。 なお、孫である加藤宏明が2009年の7月18日に、残っていた焼き形を使って元祖もみぢ饅頭を復活させた。 現在、宮島ではなく本土の宮島口にて、元祖もみぢ饅頭「高津堂」としてもみぢ饅頭の製造販売をしている。 なお、高津堂は元祖復活の思いから今でも一つずつ手焼きしている。 伊藤博文の冗談説 [ ] もみじ饅頭の起源にはがかかわっていたという説があり、今日でも広く流布している。 内容は 伊藤博文が岩惣の茶屋で休憩していた折、給仕した娘の手を見て 「なんと可愛らしい、もみじのような手であろう。 焼いて食うたらさぞ美味しかろう」と冗談を言ったのを岩惣の女将が聞きとめ、饅頭屋がこの話をヒントに考案した。 というものである。 伊藤は当時から厳島びいきで知られ、たびたび島に滞在していた上(の項目を参照)、当時すでにを辞してにあって「女好きの好々爺」というイメージが民衆の間に確立していたことから、この説は広く受け入れられた。 現在でも、大手もみじ饅頭メーカー(例えば [ ])や地元の宮島観光協会()が由来として掲げるほど親しまれている説である。 実際にはそのようなエピソードの記録は公式に残っているわけではない。 前述の高津常助はこのあたりの状況を熟知していると考えられるが、伊藤とのつながりを認めたことはない(ただし否定したこともない)。 そのため「茶屋の娘へのお色気冗談」説は、あくまで俗説・噂にとどまる。 ただし高津の和菓子屋「高津堂」は伊藤の定宿である岩惣の門前にあり、取引先の岩惣の依頼でもみじ饅頭を考案したのであって、高津と伊藤が互いを認識していた可能性はある。 またマスコミや記録媒体が発達途上であったこの時代、休暇中の伊藤の冗談まですべて記録することには無理があり、この冗談もすべて創作と断じることはできない。 第二次世界大戦以前 [ ] 商標権の有効期間は当時20年間であったが、高津は権利の更新を行わなかった。 高津は職人気質で、「技や味は盗むもの」として息子で二代目の高津昇にももみじ饅頭のレシピなど一切伝えなかったという。 昇は試行錯誤したものの求める味にたどり着かず、「親父の名前を汚したくない」としてもみじ饅頭の製造販売自体を取りやめてしまった (現在、常助の孫である三代目がに元祖もみぢ饅頭「高津堂」という店舗を開いている)。 ただ、常助は宮島の菓子組合中長も務めていたこともあり、職人育成にも力を注ぎ、もみじ饅頭を高津堂だけのものとせず宮島の名物になるようにという思いから、もみじ饅頭はたくさんのお店が作るようになり広まっていった。 このようなことで、島の土産品店などでも型さえあれば製造・販売が可能になった。 当時は一つ一つを型に挟んで焼き上げる手焼きで、店や職人の腕によって大きさも品質もまちまちであった。 現在も製造している業者の中では、明治末期に創業した「岩村」(現在の)が最も古い部類に入る。 岩村もみじ屋によると、岩村の主人と高津常助が一緒に岩惣にもみじ饅頭を納入していた時期もあったという。 (15年)から翌年にかけ、「勝谷」「藤井」(現在の「藤い屋」)が製造販売を開始。 名称は「宮島饅頭」「紅葉型饅頭」などいくつかあったが、大正の終わり頃には「もみじ饅頭」に統一された。 その後、(昭和7年)に「山田商店」(現在の)が、翌昭和8年に「木村屋」ほか数軒が製造開始。 戦前はすべて宮島島内のみの製造販売で、製造元は全部で12軒だった。 本来の意味の「元祖もみじ饅頭」である高津堂が早期に製造をやめてしまったため、複数の店舗が「元祖もみじ饅頭」を名乗る事態が現在まで続いている。 はじめは入りのみであったが、初期にはつぶあん入りが考案された。 (昭和9年)にが厳島を訪れた際、岩村もみじ屋の初代・岩村栄吉に「つぶあんはないのか」と所望したのがきっかけで誕生した。 このため岩村もみじ屋は「元祖つぶもみじ」を名乗っている。 第二次世界大戦後 [ ] 戦後の混乱期を経て宮島への観光客が再び増加しはじめるともみじ饅頭の需要も増え、徐々に知名度が上がった。 日本各地の銘菓を参考に栗あん・抹茶あん入りも考案された。 最大手メーカーのは(昭和28年)創業である。 にしき堂の本社は広島駅近くの松原町(後に駅の反対側である光町に移転)であり、戦後は製造元が宮島以外というケースが増えていく。 (昭和29年)、宮島での利用が始まり生産性が向上した。 (昭和36年)以降、もみじ饅頭製造の機械化が進展し、広島市内の業者が開発した大型焼成機によって大量生産が可能となっていく。 (昭和50年)にはが全線開業し、広島・宮島エリアの観光は質・量ともに大きく変化した。 もみじ饅頭は宮島島内から出て、新幹線の車内販売や広島駅ビルの土産物コーナーにも陳列されるようになった。 のの中、10月頃から「」のネタとして、が「モミジマンジュウ!」と言うと相方のが「!」と返して互いに譲らないというが流行すると、もみじ饅頭の知名度は爆発的に上がり「もみじ饅頭ブーム」が訪れた。 ブームに乗って売り上げは飛躍的に伸び、に「チーズもみじ」が発売されたのを皮切りに入り、クリーム入りなど多くのバリエーションが生み出された。 ぷよまんのヒット [ ] 詳細は「」を参照 に大ヒットした『』の開発元であるは、広島に本社を構えていた(一時期は宮島対岸の、当時の に本社を構えた)ことから、同ソフトのキャラクターである「(ぷよ)」をかたどってもみじ饅頭製造機の焼き型とした「」を12月3日に発売した。 もみじ饅頭とは焼き型が異なるだけで製法は同一である(生地や餡に独自の工夫はあった)。 11月29日、宮島への玄関口である宮島口フェリー乗り場近くに「元祖ぷよまん本舗」を開いたのを皮切りに、同社は内のやビル、遠くはでの等に「元祖ぷよまん本舗」を構えて、自社グッズとともにぷよまんを販売した。 ぷよまんは派生商品としては異例のヒット商品となったが、ぷよぷよブームの終結やコンパイルの倒産に伴い、を最後に製造・販売が打ち切られた。 現状 [ ] 大手をはじめ約20社のメーカーが伝統の味を受け継ぐ一方で、趣向を凝らした新しい商品を開発している。 上記のように新しい餡を開発したものの他、生地や製法にも競って新たなアイデアを取り入れており、状の生地にレーズンを織り込んでそのまま焼き上げた風味のものや表面にチョコレートを塗ったもの、もみじ饅頭を衣につけて揚げる「」やもみじ饅頭など、従来の概念を覆すような商品も登場している。 や人気漫画のキャラクターなどをパッケージに取り入れた商品も多い。 地元廿日市市の酒造メーカーは11月にリキュール「もみじ饅頭のお酒」を発売した。 やを使った甘い風味のこしあんとカステラの味の酒という意外性が話題となり、予想の2倍近い売上げのヒット商品となった。 2014年にはチョコレート味とクリーム味の「もみじ饅頭のお酒」も発売され、初回出荷分が即日売り切れる人気で全国紙でも報道された。 その一方で伝統的な手焼きのもみじ饅頭を店頭で職人が実演してみせる店や、観光客が手焼き体験を楽しめる店もあり、もみじ饅頭の楽しみ方そのものが多様化しているといえる。 主なメーカー [ ]• (博多商店)• 宮島以外のもみじ饅頭 [ ]• はもみじ饅頭を「特産品」としている。 箕面によると「 箕面では戦前から焼いて売られているから歴史もなかなか古い 」という。 形状・製法とも宮島のもみじ饅頭とほぼ同じだが、以前は葉を二枚重ねにしたデザインもあったという。 にある紅葉の名所、でも「もみじ饅頭」が製造・販売されている。 宮島のもみじ饅頭とほぼ同じものである。 からは全くの別物だが、「もみじまん」なるものが発売されたことがある。 脚注・出典 [ ]• 付夕刊be evening・同2009年付朝刊 23面• 2011年11月28日, at the. 例えば、J-CASTニュース2013年5月7日付など。 、広島経済新聞 付。 、広島経済新聞12月21日付• 例えば、日本総研ウェブサイト2007年12月27日付より• Excite Bit 2010年8月30日 10時00分 2010年9月2日 09時55分 更新• 2013年6月15日, at the. (西広島タイムス 付)• 2009年8月19日, at the. 2013年12月7日, at the. (リンクはGoogleブックス上の該当箇所), 大空出版, 2009年• 一般社団法人宮島観光協会. 2020年7月9日閲覧。 現在はともどもに編入されている。 , 2013年11月6日付. , 電子版2014年1月29日付. 2014年3月25日, at the. , MSN産経ニュース2014年3月14日付. (箕面商工会議所ウェブサイト) 関連項目 [ ]• (、郷土ギャグ「モミジマンジュウ! (広島で活動するローカルアイドル。 名前の由来がもみじ饅頭から) 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するメディアがあります。

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もみじまんじゅう(こしあん)8個入り

もみじまんじゅう

もみじまんじゅうといえば、 広島の代表的なご当地銘菓である。 お土産ランキングやまんじゅうランキングの上位常連になるほど人気で知名度が高い。 安芸の宮島の美しい紅葉を彷彿とさせる、もみじの葉をかたどったもみじまんじゅう。 きめの細かいまんじゅう生地の中に、 上品な甘さのあんこがぎっしりと詰まっていて…。 それはもう、 「もみじまんじゅう!」と一発ギャグをかましたくなる美味しさである。 ちなみにこのギャグのおかげで売り上げがさらに伸びたそうだ。 そんなもみじまんじゅう誕生の裏には、 ある総理大臣の一言がきっかけとなったという話がある。 いったい誰の、どんな言葉でもみじまんじゅうは生まれたのか? 今回はもみじまんじゅう誕生にまつわる雑学をご紹介するぞ。 もみじまんじゅうは、伊藤博文が宮島を訪れた際に、茶屋の娘にかけた一言がきっかけで誕生したんだ。 【雑学解説】もみじまんじゅうと伊藤博文の関係 もみじまんじゅう誕生の火付け役となった総理大臣とは、かの有名な 伊藤博文である。 歴史が苦手な諸君のために一応説明しておこう。 伊藤博文とは、 初代総理大臣を務め、 千円札の顔にもなったことのある偉人だ。 その伊藤博文がなぜもみじまんじゅう誕生に関わることになったのか? それには、伊藤博文のお堅い経歴からすると意外すぎる、 ある一面が関係していたのだ。 ではご説明しよう。 信仰心の篤かった伊藤博文は、広島・宮島の 厳島神社をよく参拝していた。 厳島神社には今でも、伊藤博文が自ら植えたという松が存在している。 広島市民は小学生の時からもみじまんじゅう教育があるの?! それを元に子供たちは、もみじまんじゅうの歴史を年表にまとめたり、もみじまんじゅうの良さや特徴について調査したりするのだとか。 広島市民のもみじまんじゅう愛が、 学校教育によるものだったとは! しかし教科書には、伊藤博文のスケベな一言でもみじまんじゅうが誕生した話については触れられていない。 さずがに教育的にNGだったようだ…。 今や考案者・高津常助の高津堂だけでなく、 20社以上のメーカーによって、 様々な種類の味で販売されている。 豊富なバリエーションも、もみじまんじゅうの人気の理由なのだ。 あんこ系では、こしあん・つぶあん・抹茶・栗・芋・餅入りなど。 クリーム系は、カスタード・チーズ・チョコ・モンブランなど。 またフルーツ系も豊富で、リンゴ・イチゴ・レモン・みかん・メロンなどなど。 さらには 生地にも味を付けたバージョンや、 チョコでコーティングしたもの、もみじまんじゅうを熱々に揚げた 揚げもみじたるものまで…。 今度広島に行ったら、ぜひレアな味のもみじまんじゅうにチャレンジしてほしい。

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もみじ饅頭

もみじまんじゅう

もみじ饅頭誕生の由来 宮島の紅葉谷の入り口で今も営業を続ける老舗旅館『岩惣 いわそう 』。 もみじ饅頭の始まりは、当時の岩惣の女将さんが銘菓となるようなお菓子を作りたいと考え、岩惣にお菓子を納品していた高津常助さんにお菓子作りを依頼したのが始まりだとされています。 この高津常助さんがもみじ饅頭を初めて作った元祖となるのですが、饅頭のモチーフにもみじを使った理由には、ある人物の逸話が関係していたとされています。 その人物とは山口県出身の幕末の志士で、初代内閣総理大臣を務めた伊藤博文。 伊藤博文は宮島の弥山に祀られる三鬼大権現を厚く信仰し、度々宮島を訪れていました。 」と冗談を言ったそうです。 この話を岩惣の中居さんから聞いた高津常助が考え付いたのがもみじ饅頭でした。 当時のもみじ饅頭は、現代のもみじ饅頭とは少し形が異なっていましたが、これを『紅葉形焼饅頭』として商標登録し販売したのがもみじ饅頭の始まりです。 つまり、もみじ饅頭の誕生には伊藤博文と老舗旅館の岩惣の人々、和菓子職人である高津常助が深く関わっていたことになります。 もみじまんじゅうの元祖と言われる高津堂 高津常助が高津堂として販売を始めたもみじ饅頭は一旦販売を終了しますが、2009年に再びもみじ饅頭の販売始め、現在では宮島の対岸で営業をされています。 元祖のこだわりなのか、看板には『もみじ饅頭』ではなく、『もみぢ饅頭』の表記。 入り口には当時の看板を復刻したものが設置されています。 改装されてあまり時間が経っていないからなのか、店内はとてもきれいです。 店員さんにお話を伺っていると、『レプリカですがこういったものもありますよ。 』と教えてくれたのが下記の商標登録証。 お隣には当時使用していた、もみじ饅頭の焼型も展示されていました。 そして下記が高津堂の代表的なもみじ饅頭。 風にゆていている紅葉のように左右非対称で、少し尖っている印象を受けます。 味は当時の物を再現しているという感じではいのか、私の大好きなモチモチの生地でおいしいです。 この他にも様々な味や形のもみじ饅頭が販売されていて、元祖でありながらオシャレで若々しい印象を受けます。 高津堂は宮島には店舗がなく、フェリー乗り場からも少し離れた場所にあるので、実際に高津堂のもみじ饅頭を見かける機会はあまり多くないかもしれません。 その分、現地まで行って購入する価値はあります。 宮島で購入できるもみじ饅頭の一覧や食べ比べの様子などは下記の記事で詳しく紹介しているので参考にしてください。

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