尼崎事件 茉莉子。 尼崎ドラム缶コンクリート事件及び尼崎連続変死事件の容疑者や被害家族などのまとめ

尼崎連続変死事件 26歳の被害女性に対する凄惨な虐待内容

尼崎事件 茉莉子

美代子元被告らに見つからないよう夜にだけ行動し、茉莉子さんや瑠衣被告を捜した。 美代子元被告の自宅近くまで行くこともあったという。 「みんなどこかで生きているはず。 また家族で暮らしたい」。 そんな思いから2DKのマンションを借り、茉莉子さんらの部屋を用意した。 男性は、事件を報じる新聞の切り抜きを手に検察庁に駆け込んだ。 「似たような事件があったんです」。 その後、美代子元被告らによる事件が次々と明らかになっていったが、まさか茉莉子さんが死んでいるとは想像もしなかった。 24年10月に尼崎市の民家の床下から茉莉子さんと兄の隆さんの遺体が発見され、初代さんも亡くなっていたことが判明。 瑠衣被告は逮捕された。 「加害者と被害者の父になってしまった…」 家族や兄を助けられなかった自分を責め続けた男性だが、一方で「生き残ったものとして、やるべきことがある」とも思うようになった。 そこで思わぬ話も聞いた。 「お父さん、お誕生日おめでとう」。 今年の男性の誕生日に瑠衣被告から弁護士を通じ、祝いの言葉が伝えられたという。 瑠衣被告にとって、生き残った家族は男性だけ。 「瑠衣が、何があったか正直に話していると聞き、安心した」。 男性はそう話す。

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神戸新聞NEXT|連載・特集|尼崎連続変死事件公判|「茉莉子さん、顔がどす黒かった」 尼崎連続変死一問一答

尼崎事件 茉莉子

尼崎連続変死事件で、角田優太郎被告(28)の裁判員裁判第17回公判が14日、神戸地裁であった。 2008年に尼崎市のマンションのベランダ物置に監禁され、死亡したとされる仲島茉莉子さん=死亡時(26)=に対する殺人、監禁事件、安藤みつゑさん=同(67)=に対する監禁事件の審理があり、証人として茉莉子さんの夫康司被告(45)が出廷した。 康司被告と検察官の主なやり取りは次の通り。 -茉莉子さんは08年12月上旬に亡くなったが、どこで。 「マンションのベランダの物置の中で」 -どうして。 「(角田)美代子(元被告)に入れられていた。 虐待されて亡くなった」 -いつから入れられていた。 「7月ごろ」 -茉莉子さんは1人で入っていた? 「僕と一緒に」 -どうして。 「一緒に6月初めに東京や僕の実家がある沖縄へ逃げたから。 それまで食事制限や睡眠制限、排せつ制限、殴る蹴るなどの虐待を受けていて、嫌になって2人で逃げた」 -でも見つかった。 「僕の兄が美代子に尼崎まで呼びつけられて、(2人を)かくまっていることを言ってしまった」 -美代子元被告は沖縄であなた方を見つけ、どうした。 「怒ってた。 僕の方に走ってきて『返せ』と僕に貸していた杖を取り上げた。 茉莉子には服をまくし上げてブラジャーを引きちぎった」 -どこで。 「コンビニ。 友人宅近くの」 -回りは知らない人もいた。 「たくさんいたけど、そんなことは関係なしに」 -7月6日ごろに連れ戻され、2人で物置に入れられた。 物置では自由にしてられた? 「正座させられた」 -他の人はどうやって物置の中を確認していた。 「僕らが入ってから1週間ぐらいで、監視カメラが付けられた」 -部屋のモニターで見ることができた。 「はい。 物置は外から鍵もついていた」 -あなたは物置から出されたり、入れられたりしていた。 茉莉子さんは。 「(亡くなるまで)出ることはなかった」 -全く外出することはなかった。 「そうではない。 角田家はパチンコが好きで、パチンコのいい台を取るため、整理券取りに並ばせていた。 あとは逃げられないように免許証を返納に行ってたし、カードや携帯電話を契約するときも外に出ていた」 -なぜ免許証を返納させるのか。 「茉莉子が逃げたときに、仕事を探したり、アパートを借りたりするのに、免許証が身分証になるから。 それをできなくするため」 -カードや携帯は。 「支払いを滞納させる。 そうすれば逃げた後も契約できない」 -安藤さんはいつ、どこで亡くなった。 「11月10日ごろに物置で。 入れられてから3~4日後だった」 -どうして物置に。 「瑠衣(被告)と優太郎(被告)の子どもに手を上げたからと聞いた」 -亡くなったのはどうやって気付いた。 「外出先から帰ってきて、美代子に(物置に)連れて行かれて、直接見た。 正座で、うつぶせというか、前のめりになっていた。 びっくりした」 -どう思った。 「美代子に逆らったら、こうなるっていうことをあらためて認識した」 -そのとき茉莉子さんは。 「物置にいて、顔はどす黒かった。

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尼崎連続変死事件 角田瑠衣_01|tk84yuki|note

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「姉妹の母親が写真が好きでね。 それで、これだけの量になったのだろう」 親族の男性(70)は、幼い姉妹の写真に目を細めた。 節分にクリスマス、保育園のお遊戯会…。 男性の元には、皆吉さんがかつて住んでいた民家床下から遺体で見つかった長女の茉莉子さんと、次女の瑠衣容疑者の成長を記録したアルバムが十数冊も保管されていた。 一家離散後、男性が家財道具を整理した際に見つけたものだ。 「両親をパパ、ママと呼んでハイカラな感じで、うらやましかった」「娘2人がピアノを弾くかたわらでお母さんがお茶を飲む。 優雅な家庭でした」。 近隣住民は口をそろえ、一家を「理想の家族」と評した。 保険代理店を営んだ父親は小学校のPTA活動にも熱心で、地元では市議に推す声もあがるほどだった。 母親は几帳面でおしゃれ。 夫婦で参加した地域の催しでは、カラオケで流行歌を歌い、盛り上げたという。 父親が「親に似ずに、ええ子ができた」と周囲に自慢したように、ピアノが得意でおとなしい性格だった茉莉子さんは英国に語学留学し、活発で運動好きだった 瑠衣容疑者は県内有数の進学校で学んだ。 茉莉子さんの同級生の母親(54)は「茉莉子さんと瑠衣さんはいつも一緒だった。 2人と遊んでいた娘は『妹を産ん で』とせがんだほどです」と、姉妹の仲の良さを懐かしんだ。 暗転した運命 瑠衣容疑者は「お父さんごめんね」と泣きながら父親を殴った。 親族や知人らによると、集団は暴力を繰り返し、父親や親族は資産をむしり取られた。 家族間で暴力を強要され、瑠衣容疑者は「お父さんごめんね」と泣きながら父親を殴った。 「美代子容疑者に洗脳されていた」と親族は振り返る。 父親だけでなく、母親も美代子容疑者らから受けた暴力の支配により、知人を頼って借金に駆け回っていた。 「プライドが高いから、その鼻をへし折らなあかん。 金を借りてこい」。 母親は美代子容疑者にこう恫喝(どうかつ)され、知人宅に駆け込んだという。 母親は皆吉さんの長女にあたる。 15年8月、美代子容疑者らから逃れ、一時和歌山県内に身を潜めた。 しかし19年に連れ戻され、21年に病死したとされる。 父親の無念 夫婦げんかを装い、美代子容疑者らが居座る自宅から母親を逃がした一家の父親は15年秋、自らも知人らの協力で姿を消した。 数カ月後に高松に戻ると、姉妹が連れ去れたことがわかり、尼崎市で偽名で生活しながら姉妹を取り戻す機会をうかがっていたという。 母親の実家にあたる尼崎市の民家床下から茉莉子さんら3人の遺体が見つかった直後、父親は、連絡を入れた知人に「自分は家族を守ってやれなかった。 自分が 悪いんや」と悔やんだという。 そして「瑠衣は一生、十字架を背負って生きることになる。 それを思うとたまらない」とも。 父親は、瑠衣容疑者に初孫にあたる幼い子供2人がいることを捜査員から知らされた。 「いつか(瑠衣容疑者の)目が覚めたら、一緒に暮らしたい」。 父親は、そう願っているという。 姉妹の家のそばで.

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