こんな 夜更け に バナナ かよ 本人。 『こんな夜更けにバナナかよ』は実話?実在の人物鹿野靖明ってどんな人だったの?

映画「こんな夜更けにバナナかよ愛しき実話 」ネタバレあらすじと結末・みんなの感想

こんな 夜更け に バナナ かよ 本人

ダブル受賞! 第35回大宅壮一ノンフィクション賞 第25回講談社ノンフィクション賞 デビュー作で2大ノンフィクション賞を制覇! 第35回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した渡辺一史氏(1968年名古屋生まれ)はこれが単行本デビュー作。 北海道大学在学中からライター活動を始め、一度も組織に属さず、北海道でキャリアを積んできた「たたき上げ」のフリーライターである。 2003年3月に出版した本書で同年9月、講談社ノンフィクション賞を受賞。 今回の大宅賞受賞でふたたびノンフィクション賞の最高峰に輝いた。 これまでに両賞のダブル受賞は高山文彦氏の「火花」など3度あるが、新人のデビュー作としては初めて。 また地方出版社の本が両賞を受けるのも初という快挙を果たした。 「先入観」裏切るスリリングな成長物語 本書は、札幌市内で在宅自立生活を送る筋ジス患者・鹿野靖明さんと、24時間体制で支える介助ボランティアとの交流や葛藤を描いたノンフィクション。 渡辺氏がみずからもボランティアの一員となり、「わがままな」障害者である鹿野さんとそこに通う主婦や学生ボランティアたちの人生を丹念に聞き取った。 鹿野さんは、原稿完成直前の2002年8月、42歳で亡くなった。 完成まで3年の歳月をかけてまとめ上げた本書では、ありがちな美談ではなく、障害者と健常者の枠を超えた新しい人間関係がリアルに描かれている。 大宅賞選考委員の作家・関川夏央氏は受賞作発表の記者会見で「介護の話というと、普通は『またあれか』と思われるかもしれないが、その、またあれか、という最初の数十ページの感想が、だんだん裏切られていく。 書き手がボランティアの場に放り込まれて、成長しないと生きていけない、というふうになっていって、ある種のビルドゥングスロマン(成長物語)としても非常に面白いのではないか。 現在の福祉行政におけるノーマライゼーションに対する意義深い意見をもはらんで、スリリングな読書体験を生んでいる」と講評を述べた。 内容(「BOOK」データベースより) 本書は、多くの人が読むに値する本だろう。 「美談」とか「泣ける」とか「感動した」という感想には違和感を感じる。 本書は「考えさせる」本であり、「問いかける」本だ。 答えや正解は本書の中にはない。 もちろん人によっては、本書から何らかの答えを導き出せる人もいるだろう。 でも、私には出来なかった。 それが正直なところだ。 鹿野氏に元気や勇気をもらえるとも思わない。 それは、もし私が同じ境遇におかれても、とても鹿野氏のようには生きられないと思うからだろう。 健常者と障害者の共生は、一筋縄ではいかないだろう。 障害者にも健常者にも、また障害者の家族にも、いろんな考え方の人がいて、そこには「正解めいた最大公約数的なもの」ならあるかもしれないが、算数における最大公約数のような、明確な答えとして提示できるものはなさそうに思う。 本書に記された鹿野氏のケースは、決してモデルケースとか理想のケースとかいう類のものではないと感じる。 鹿野氏という強烈な個性の存在があってこその事例であって、これを同じ境遇の人に、同じように当て嵌めても、上手くいくとは到底思えない。 鹿野氏のワガママともいえる要求。 それに耐えきれなくなって途中で抜けたボランティアが悪いわけでもないと思うし、逃げずに続けたボランティアだって、高尚な意思を持っていたとも限らない。 それは本書に記されたボランティア自身の言葉からもうかがえる。 逃げたからダメで、残ったからエライという単純な図式でもないだろう。 障害者の要求が、どこからワガママになるのかも簡単に線は引けないだろう。 私は大きな度量などない人間なので、どうしても「障害者から健常者への一方通行な要求」という部分に目を向けてしまう。 「健常者が障害者から一方的に要求を受けて、それに応えなければならない」というのは、自分の中でどう消化して腹に落とせばいいのか。 未だによく分からない。 以前、全国区で有名な障害者が、飲食店に要求を断られた事をネットで実名入りで暴露して、障害者の側に批判が集中した事例もあった。 そのように障害者側からの要求が必ずしも全て社会に受け入れられるわけでもないし、受け入れなければならないというわけでもないように思う。 ああいう障害者側からのハラスメント的な事例を見聞きすると、思いは余計に複雑になってしまう。 「障害者のワガママ」というのは、ある意味、健常者の心に響きやすい言葉だと思う。 健常者側の負の感情の多くをまとめると「健常者がみんな自分でやっていることを、障害者は健常者にやってくれと要求する。 あるいは、やってもらわないと出来ない しかも、それは常に障害者から健常者への一方通行ではないか」というような内容になるのではないだろうか。 しかしながら一方で、多くの健常者が持つのは負の感情ばかりでもないし、「そんな風に思ってしまう自分は心の狭い、冷淡な人間なのではないだろうか」と自己嫌悪や葛藤を抱えていたりもする。 また、きっと同じように、障害者の中にも複雑な心情があるのだろうとも推察する。 誤解を恐れずに書けば、鹿野氏のように「生きる死ぬ」のレベルにある場合は、まだ多少は共感しやすい面もあるのかもしれない。 「生きたい」というある意味究極の欲求は、誰しもが認めざるを得ないから。 むしろ、より困難なのは、直接の生死に関わるほどでもないレベルの障害を前にした時かもしれない。 、、、いくら書いても結論も答えも出ない。 ここに書いたことでさえ、自分の確固たる意見というわけでもない。 時間とともに揺れ動く。 本書は、そういう、日頃はあまり考えずに過ごしているようなことを、ちょっと立ち止まって考えさせれくれる本である。

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僕が「こんな夜更けにバナナかよ」を書いたワケ

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「自立」という言葉の定義 自立、という言葉は聞いて、どんなイメージを抱きますか? 1 他への従属から離れて独り立ちすること。 他からの支配や助力を受けずに、存在すること。 「精神的に自立する」 2 支えるものがなく、そのものだけで立っていること。 -デジタル大辞泉 自分でお金を稼ぎ生計を立てる 経済的自立 成人に課される責任を全うする 社会的自立 自分一人で身の回りのことを行うことを「自立した生活」とも言いますね。 それは、重たい荷物を一生懸命抱えて立っているようなイメージです。 自立とは、「拠り所」をたくさんもっていること 出生時のトラブルから脳性麻痺となった熊谷晋一郎氏は、親元を離れて医学部に進学し自身の経験から小児科医として活躍されています。 彼はこちらの記事の中で自立という言葉の意味をこのように語っています。 健常者は何にも頼らずに自立していて、障害者はいろいろなものに頼らないと生きていけない人だと勘違いされている。 けれども真実は逆で、健常者はさまざまなものに依存できていて、障害者は限られたものにしか依存できていない。 依存先を増やして、一つひとつへの依存度を浅くすると、何にも依存してないかのように錯覚できます。 チーム鹿野の絆 主人公である鹿野さんは筋ジストロフィーという進行性疾患とともに生きています。 この病気は体中の筋肉が徐々に衰えていく疾患で、進行すると寝たきりや、呼吸機能の低下により気管切開や呼吸器を使用する場合があります。 最近はOrihime関連のニュースで度々取り上げられていますね。 寝たきりで呼吸器も使いながら一人暮らしなんて危険すぎるでしょ! 何かあったらどうするの?病院にいれば安全なのに 自立生活を営んでいる方が周囲にいない人の感想は、このようなものが多いのではないでしょうか。 障害者の自立生活を支援する全国自立生活センター協議会は、自立生活の意味をこのように表現しています。 自立生活とは、 危険を冒す権利と決定したことに責任を負える人生の主体者であることを周りの人たちが認めること。 また、哀れみではなく福祉サービスの雇用者・消費者として援助を受けて生きていく権利を認めていくことです。 命が助かっているのだからそれでいい。 もしそれが自分の身に起きていることだとしたらどう感じるでしょうか。 食べたいものを食べたいときに食べる。 好きなところへ気分転換に行く。 会いたい人と好きなだけ見つめあう。 自立生活は、決して「誰かに責任を押し付けるわがまま」ではありません。 危険を冒すことすら、重要な権利なんです。 夜更けにバナナを食べるのも、ワガママ? 親の庇護下から離れるということ 作中では、鹿野さんの母親は時々鹿野宅を訪れて、ヘルパーたちに食事を配るなどして、すぐに帰宅します。 親子関係というのは子どもが成長するに従って距離が大きくなるのが通常です。 反抗期等を通じて精神的・経済的に自立に向かっていき、親もそれを受け入れていきます。 しかし、障害がある若者の場合はその過程を踏むことが出来ません。 「世話をする側とされる側」といった一方的な上下関係へと向かう恐れもある。 親が子どもの全てを抱え込んでしまうかもしれない。 その結果介護負担で命を奪うような形になったり、親自身が体や心を壊すかもしれない。 それならば、親の負担軽減のために施設に閉じ込めよう!そんな流れが加速していくかもしれない。 脳性麻痺を有する障害者を中心に結成されたは、このような親の支配的(献身的)な愛を否定することこそが本人の自立につながると主張していました。 親とずっと一緒にいると、障害のある子はいつまでも「自立」出来ない。 それだけ、親の愛は偉大。 一緒にいれば、誰だって甘えたくなる。 ・自分のことを自分で決める能力 ・要求を適切に人に伝える能力 何でもわかってくれる家族だからこそ、いつか離れなくちゃいけない。 — なかむらかなこ オンライン子育て相談始めました MinmachiBuho 消費者になる意味 自立をする、ということは「サービスを利用」したり「消費したり」、自らの意思の下で可能になるということです。 経済的な活動に参画するということは、成人の欲求のひとつです。 さらに、前述したOrihimeのような遠隔ワークが一般化すれば、就業することも出来ます。 そうすれば、彼らは消費だけでなく生産・納税することも可能になるかもしれません。 自立する、働いて収入を得ることは「消費者」になること。 社会福祉サービスの「雇用者」になること。 人口が減る・AIが生産手段になるこれからは、 いかに「消費者」を増やすかが重要。 賃金こそ発生しないものの、彼は立派な「サービスを選択して消費する」側であり、かつ指導を通して生産活動にも携わっていたと考えられます。 重度障害とファミリー 例えば、生まれつきの疾患などで重度心身障害児と呼ばれる子どもたちがいます。 寝たきりであったり、気管切開や経管栄養などの医療的ケアを必要とする子たちです。 彼らの場合は成長したときに、必ずしも自立生活がベターな選択だとは言い切れないかもしれません。 それだけ、ケアが重度だからです。 その場合は「自立」をどのように捉えたら良いのでしょう。 そのヒントも、熊谷医師の言葉にあると思います。 特に複雑な医療ケアを有するお子さんの場合、親御さんがメインの看護者になるため、たとえプロだとしても看護師や医師・介護士のケアが不十分だったり、子どもが受け付けなかったりする場合もある。 親御さんが体を壊すまで育児・ケアに奮闘する…そんなケースも度々見かけます。 そのような状況にならないためにも、頼り先、「ファミリー」を増やすことは子どものため、親御さんのため、ひいては社会のためにもなると考えます。 レスパイト先の機関• 気軽に立ち寄れる公共施設• 一緒に楽しい時間を過ごせる地域の友人 そんな人たちを少しでも多くつくることが、重度の障害をもつお子さんに必要なんです。 まとめ 今回は、「こんな夜更けにバナナかよ」のストーリーに合わせて、障害者の自立・自立生活について紹介してきました。 少しでも興味がわいた方は、是非書籍を手に取ってみてください!.

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こんな夜更けにバナナかよ|裏切られるけど勇気をもらえる映画

こんな 夜更け に バナナ かよ 本人

あらすじ 北海道の医学生・田中はボランティアとして体が不自由な鹿野と知り合った。 筋肉が徐々に衰えていく病気:筋ジストロフィーを幼い頃発症した鹿野は、いつもわがままで周囲を振り回してばかりいた。 しかし、そんな彼はなぜか憎めない愛される存在だった。 ある日、新人ボランティアの美咲に恋心を抱いた鹿野は、ラブレターの代筆を田中に依頼するが…… 実話?鹿野靖明さんってどんな人? 映画『こんな夜更けにバナナかよ愛しき実話』はタイトル通り、 実話をもとにして作られたお話です。 もちろん、大泉洋さんが演じる主人公 「鹿野靖明」さんも実在の人物です。 鹿野靖明さんは1959年に札幌市で生まれ、室蘭市で幼少時代を過ごしました。 非常に 前向きで明るい性格で、 筋ジストロフィーを発症してからもサッカーでゴールキーパーを担当するなど、スポーツもこなし、身体障害者授産施設の訓練生になってからは喫煙や飲酒もし、不摂生な生活を続け、自由に生活。 自立生活を始めたのは24歳の頃。 ボランティア(鹿ボラ)の助けを受けながら札幌市白石区の木造アパートの一室を借りて生活を始めました。 映画ではわがままにふるまい、傲慢そうな方のように思えますが、実際鹿野さんを助けていたボランティアのインタビューを見る限りは わがままではなく、むしろ周りの人間をよく気遣える方だった様子。 普通に生活をしたいと思っていて、自立生活をするために自分のしたいことを遠慮なく伝える必要があったため、映画ではわがままな人物として描かれています。 筋ジストロフィーって? 『スポンサーリンク』 筋ジストロフィーとは、 人口10万人あたりで17~20人ほどが発症されるといわれる、国から難病指定されている病気です。 筋ジストロフィーは筋肉の中野たんぱく質に異常が起きる遺伝性の疾患。 時を重ねるごとに筋肉が徐々に壊され、そのことから体を動かすことに不自由をきたす他、心臓や呼吸器系、内臓機能も低下していくおそろしい病です。 筋ジストロフィーにはデュシェンヌ型とベッカー型の2種類があり、デュシェンヌ型はベッカー型に比べて症状が重く、小さい頃よくつまずいたり、立ち上がりにくくなって、 小学生くらいになると車いすが必要になるそうです。 また、 中学生くらいからは呼吸状態が悪くなり、呼吸器が必要になります。 当時(1990年代以前)は呼吸状態や心臓の治療もあまり発達していなかったため、 成人前に亡くられる方が多かったらしく、『こんな夜更けにバナナかよ』で鹿野が20歳まで生きられないといわれたのはこのため。 いつ発症したのか 鹿野靖明さんが 筋ジストロフィーの診断を受けたのは12歳の頃。 小学校時代に筋ジストロフィー特有の「ふくらはぎが筋肉痛になり、つま先立ちになる癖が出る」という症状が出始めていることから、発症という意味では小学生時代。 筋ジストロフィーの病状が進み、18歳の頃に床につまずいて足を捻挫して以降、車いす生活を余儀なくされました。 ふくらはぎが筋肉痛になる。 つま先立ちをするなど筋ジストロフィー特有の症状が出始める。 1972 12 筋ジストロフィーと診断される 1972~1975 12~15 実家を離れて国立療養所八雲病院に入所。 自力で歩ける 1978~1979 18~19 身体障害者職業訓練校の経理事務課に入学。 捻挫したことから車いす生活になる。 1981 21 エド・ロングさんを北海道へ招く実行委員会が発足。 委員会の副委員長になる。 1982 22 エド・ロングさんの講演会成功。 彼との交流から施設を出ることを考え始める。 1984 24 札幌市白石区の木造アパートの一室で自立生活をスタートさせる。 1987 27 結婚 1992 32 離婚 1993 33 心不全で危篤に。 尿2リットルを放出して奇跡的に回復。 1995 35 英検2級の勉強を毎日4、5時間行う。 風邪を繰り返し、気管支炎や心不全を起こして何度も入院。 人工呼吸器の必要性を医師から宣告される。 1995 35 緊急入院 鼻マスクによる人口呼吸器装着を試みる 1995 35 主治医に「助けて」とお願いする 気管切開手術を受ける。 人工呼吸器使用。 痰吸引が必要になり、生活が激変。 1996 36 ボランティアとともに美瑛に旅行 人工呼吸器をつけた初めての外泊。 原作情報について 映画『こんな夜更けにバナナかよ愛しき実話』には原作があります。 原作本のタイトルは『こんな夜更けにバナナかよ』で、書店にも並んでいますがネットでも購入ができます。 詳細は下記からどうぞ! Amazon 楽天 楽天で購入 『こんな夜更けにバナナかよ』フル動画を無料視聴する方法 『こんな夜更けにバナナかよ』は、動画配信サービス「 」で配信がスタートしました! U-NEXTはできるだけリーズナブルに動画を見たい人におすすめのサービスで、 通常は1か月1990円かかりますが、登録すれば最初の31日間は 完全無料でサービスを利用することができるのでお勧めです。 ・挿入歌は「THE BLUE HEARTS」の『キスしてほしい』、 ・エンドロールで流れる主題歌はポルノグラフィティの『フラワー』。 それぞれ詳細は下記から キスしてほしい【THE BLUE HEARTS】 Amazon 楽天.

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