犬山 モノレール。 廃線後の名鉄モンキーパークモノレール線。モンキーパーク側がどうなっているのか見てきました : ムーンライトゆかりん

名鉄モンキーパークモノレール線

犬山 モノレール

社名 (路線名) 名古屋鉄道 (モンキーパークモノレール線) 開業年月日 1962年 営業距離 1. モノレールの規格一覧 左段:海外マニュファクチャラー 右段:日本マニュファクチャラー 車両 MRM100形 先頭車MRM100形と中間車MRM200形で構成されます。 車体はアルミニウム合金製とされ、車幅は名古屋鉄道でも最大を誇っていました。 101-201-102 103-202-104 MRM100形(先頭車) 全長:11000mm 全幅:2952mm 全高:4300mm 自重:12. 0t(102・104) MRM200形(中間車) 全長:8800mm 全幅:2952mm 全高:4300mm 自重:13. モンキーパークモノレール線 モンキーパークモノレール線は、1962年〜2008年まで存在した名古屋鉄道のモノレール路線です。 開業当時はラインパークモノレール線という名称で開業しました。 1-1. 名古屋鉄道モンキーパークモノレール線(ラインパークモノレール線) ラインパークモノレール線は犬山自然公園内の名古屋鉄道犬山本線犬山遊園駅と子供動物園を結ぶ全長1399mのモノレール路線です。 路線は名古屋鉄道犬山遊園駅より成田山を経由し、日本モンキーパーク内の動物園駅までを結んでいました。 いくつか呼称が存在し、「犬山遊園モノレール」「犬山モノレール」等の愛称でも親しまれていました。 2008年12月27日の最終列車をもって、惜しまれつつも廃線となりました。 1962年(S37年)3月21日 ラインパークモノレール線開業 2008年(H20年)12月28日 廃止 写真 モンキーパークモノレール線 MRM100形および200形 写真 モンキーパークモノレール線MRM100形 スパリゾート湯の華アイランド展示車 (岐阜県可児市) 2. 2-1. アルウェーグ ALWEG 式 現在のモノレールの原点であり、最も繁栄した方式がこのアルウェーグ式です。 国内におけるモノレール主要路線、名鉄モンキーパークモノレール線、、(日本跨座式)、(日本跨座式)、多摩(日本跨座式)、(日本跨座式)は基より、重慶軌道交通(中国:日本跨座式)、KLモノレール マレーシア:Scomi 、ムンバイモノレール インド:Scomi 、サンパウロメトロ(ブラジル:Bombardier)等新規建設路線についてもこの方式から派生しています。 アルウェーグ式は、それまでの鉄道およびモノレールと大きく異なり、ゴムタイヤを走行および案内安定輪に用いました。 写真 アルウェーグ式モノレールの台車 (走行輪) 写真 アルウェーグ式モノレールの台車 (安定輪(上)および案内輪(下) スウェーデンの産業経営学者アクセルレナートウェナーグレンは第二次世界大戦後、モノレールの開発事業を展開します。 「アルウェーグ ALWEG 」は、創設者である彼の名前の頭文字から取られています。 5スケールの楕円形のモノレール試験線を設けます。 このデータも基に1957年7月、実物大スケールでのモノレールシステムの試験を行います。 ここから、ボンバルディア、日本では日立製作所、スコミ・レールへとアルウェーグ式モノレールは引き継がれ、現在ではそのシステムは世界的な発展を遂げていきます。 現在ではラスベガスモノレールも管轄下におき運行されている他、ブラジルサンパウロ地下鉄へも導入、建設が進められています。 ) ディズニーランドでの成功後も、遊園内や博覧会用に次々と小規模な路線が建設されていきました。 1961年、イタリア トリノでの博覧会で運行、続いて1962年 シアトルの21世紀万博で運行。 日本国内へは創めて日立製作所が技術導入し、1962年犬山遊園モノレール線(日立)、1963年読売ランド(日立)、1964年東京モノレール(日立)へと本格的な営業路線建設へと繋がっていきました。 2-2. モノレール大国日本の夜明け 1961年、トリノで行われた博覧会において、アルウェーグ式モノレールが当時の名古屋鉄道社長の目に留まりました。 この瞬間が、日本がモノレール大国へと進む一つのタイミングとなりました。 名古屋鉄道では当時、犬山自然公園における大規模な開発を計画していました。 犬山自然公園は、日本モンキーセンターで知られる木曽川をはさんで岐阜県と相対した、東北部一帯約9900アールの広大な自然に恵まれた土地でした。 この自然公園の地形は起伏に富み、地区と現在の犬山遊園駅間は丘で隔たれていたため、鉄道による輸送が困難とされました。 施設自体も、拡張整備に伴い年々増加する利用者を公園中心部である子供動物園へ輸送するのに苦慮していました。 時を同じくして、日立製作所ではアルウェーグ社と技術提携、アルウェーグ式モノレールの国内導入を目指していました。 このモノレールシステムは地形的に不可能と考えられてきた鉄道輸送の諸問題を一掃させる物として期待され、同地区へのモノレール建設へと舵が切られます。 このモノレールはその後1961年 S36 8月より工事着手し、1962年 S37 3月に完成しました。 写真 北九州モノレール 日本跨座式シリーズの第一号 北九州モノレール 写真 沖縄都市モノレール「ゆいレール」 日本跨座式シリーズの中で、最後発路線として誕生。 共にアルウェーグ式モノレールから派生した日本跨座式モノレール 3. ラインパークモノレール線の建設 ラインパークモノレール線の建設にあたっては、それまでの遊戯施設としてのモノレールとは異なり、日本国内最初の地方鉄道法による実用モノレール路線となりました。 この時点においては、国内へのアルウェーグ式モノレールの導入実績がなかったため、日立独自の基準を構築する必要がありました。 建設における構造や基準も、従来の鉄道とは根本的に異なったものであったため、様々な議論の中建設が進められる事となりました。 3-1. ルートの選定 ラインパークモノレール線の初期ルートは、当初犬山遊園駅より成田山駅、ラインパーク駅の中間駅を経て動物園駅に至る1. 575kmとして計画されました。 当時自然公園の中心的存在であったラインパークを主軸に考えられたためです。 このルートにおいては高所を通過するため景観が良く、遊覧を兼ねた遊園地内の輸送機関として最適とされ計画が進めらました。 しかし、その後事業計画の変更により子供動物園を自然公園の中心として整備されることが決定し、ルートは変更される事となりました。 当初のルートでは、ラインパーク駅と動物園駅間はわずか350m程度の短距離であったため必要性(需要)が低いとされました。 さらには、ラインパーク駅はラインパークの中心部に位置していない事、動物園の拡張整備と同時に動物園とラインパーク 間に橋を設け接続する事などを考えた場合、ラインパーク駅が不要であると結論付けられたのです。 上記事由によってラインパーク駅の計画は廃止され、建設費を安くするため後のルート(1. 399km)が選定されました。 写真 モンキーパークモノレール線犬山遊園駅跡地 写真 犬山遊園駅ホーム 上部分には、当時モノレール支柱を支えていた 支床部が突出している。 写真 モンキーパークモノレール線成田山駅跡地 写真 成田山駅跡地より動物園駅方面を見上げる。 (軌道跡地には安全柵が設置されている) 写真 モンキーパークモノレール線動物園駅跡地 写真 動物園駅跡地(駅正面入り口付近) 当時の雰囲気を残したまま時間が止まっている。 3-2. モノレールの規格 ラインパークモノレール線建設予定地は、木曽川沿いの山地で、地層は大体表面沖積層、その下は洪積層、深部は火成岩質となっていました。 また、モノレール工事の基礎が施工される箇所は赤褐色粘土層から砂質層、場所によっては風化岩層によりなりたっていました。 地質調査は犬山遊園駅より動物園駅に至る延長1. 575kmにわたって昭和35年12月および昭和36年8月に実施されました。 この調査は約50mおきにハンドオーガーによるボーリングおよび標準貫入試験を行い、さらに地耐力試験、試験杭打が行われました。 結果より様々な事情が考慮され、軌道施設の規格は以下で進められています。 モノレールの軌道桁 モノレール車両の走行路となる軌道桁の種類は、本線軌道内における長さ15m,10. 5mの直線桁および長さ15mの曲線桁の4種類が設定されました。 また、検修設備の側線に渡すためトラパーサが設定され、11mの直線桁とされました。 30〜36の区間に該当する約6,000m2の土地に設置され、 鉄筋組み立てから架設までの一貫した作業を行える製作場として整備されました。 写真 PC軌道桁の製作 (参考写真:沖縄都市モノレール) 写真 動物園駅に残るPC軌道桁 (モンキーパークモノレール線) 軌道桁製作場は主に以下に示す設備に分かれていました。 モールド場は2つのモールド場からなり、第1モールドはおもに直線用として、第2モールドは曲線用に区別されていました。 製作された軌道桁は、架設車、クレーン(またはトラッククレーン)または豆トロ運搬によるサンドル架設が実施されました。 軌道高が10mを越える位置もしくは軌道下の地面が使用できない箇所においては、このうち架設車を用いた架設が選択されました。 末端部分の軌道桁には車止めが設置されました。 ラインパークモノレール線においては非常列車停止装置が採用されていたために、衝突の可能性は低いとされました。 そのため、車両の入替えおよび引き上げのためホーム部分より車止め方向に走行する場合の状況を考慮した車止めが設置される事となりました。 3-4. モノレール車両 車両は日立製作所製造によるMRM100および200形が使用されました。 車体はアルミニウム合金製とされ、当時名古屋鉄道においても最大の車幅を誇りました。 写真 MRM100形の運転台 (スパリゾート湯の華アイランド展示車両) 写真 MRM100形の運転台 (運転手座席) (スパリゾート湯の華アイランド展示車両) 両先頭車のMRM100形および中間車MRM200形を組んだ全断面貫通路による3両編成として構成されていました。 後のおよびにおいても全断面貫通路による3両編成が採用されています。 MRM101-MRM201-MRM102編成およびMRM103-MRM202-MRM104編成の2編成が製作されました。 通常は1本での運行とし、多客時には2本を連結した6両編成で運行しました。 写真 連結器 写真 連結器の支持鋼 MRM100形(先頭車) 全長:11000mm 全幅:2952mm 全高:4300mm 自重:12. 0t(102・104) MRM200形(中間車) 全長:8800mm 全幅:2952mm 全高:4300mm 自重:13. 5t 制御装置:電動カム軸式抵抗制御MMC-HBM-5(日立製作所製) 主電動機:HS-510-Crb 直流1500V 4. 2008年-モンキーパークモノレール線廃止 2007年12月17日、名古屋鉄道はモンキーパークモノレール線を2008年12月28日付けで廃止することを発表しました。 名古屋の地で残存した日本国内最古のALWEG式モノレールは、その生涯を閉じる事となりました。 廃止後は、岐阜バスコミュニティのバスによる輸送が実施されています(犬山駅〜)。 写真 名鉄犬山遊園駅外観 写真 名鉄犬山遊園駅に今も残るモノレールの支柱 写真 山の中に残るモノレール軌道跡 写真 廃線後の軌道桁 廃線後、軌道が残るのは写真位置および 動物園駅の僅かな距離のみとなった。 廃止後のモノレール車両の状況は以下の通り。 MRM101(先頭車)およびMRM201(中間車) モンキーパークモノレール線動物園駅にて展示 MRM103(先頭車) スパリゾート湯の華アイランドにて展示(岐阜県可児市) MRM102(先頭車) 日立製作所笠戸事業所にて展示(山口県下松市:一般非公開) 5. その他(参考) 犬山モノレールは、名古屋鉄道&日立製作所が国内へのALWEG式モノレール導入に乗り出した初期路線でした。 この事から、国内ではその後いくつかのモノレール計画が立ち上がりました。 5-1. 名鉄長良養老港モノレール線 名古屋鉄道主体によるもう一つのモノレール構想が「長良養老港モノレール」、総延長30. 17kmの計画路線でした。 当時名古屋鉄道は、犬山モノレールを含めてモノレール路線の建設を推進しており、今日までにいたる東京モノレールもその一つであると言えます。 それらの計画の中で、名古屋鉄道主体による長良と養老港を結ぶモノレール計画がありました。 当時数多く存在したモノレール計画の中で、比較的現実味を帯びていた路線でもあります。 5-2. 熱海モノレール 上述した長良養老港モノレールとは違い、熱海モノレールは当時の東京モノレールが主体としたモノレール路線計画です。 ただし、当時東京モノレールは主要株主に名古屋鉄道が付いていました。 熱海モノレールは熱海駅からアタミロープウェイまでを結ぶ、1. 8kmのモノレール路線として計画されました。 諸説あるようですが、当時の東京モノレールが開業後の経営悪化により資金調達が難しくなった事が一因にあると言われています。 PC用 スポンサーリンク.

次の

ありがとうモノレール « 犬山観光情報

犬山 モノレール

[名古屋鉄道犬山遊園駅] 1番線より2番線停車中のパノラマカーを見る。 [名古屋鉄道犬山遊園駅1番線ホーム] 1番線ホームを下り2番線ホームへ向かいます。 [名古屋鉄道犬山遊園駅2番線ホーム] 2番線ホームへ移動。 早速目の前に、他の物とは明らかに雰囲気の違う支柱が登場します。 [名古屋鉄道犬山遊園駅2番線ホーム] この白く塗られた支柱こそが、現役時代のモンキーパークモノレール線の軌道を支えた支柱です。 [名古屋鉄道犬山遊園駅2番線ホーム] 白く塗られた モノレール用の 支柱は、2番線改札口付近より犬山駅方面ホーム全域で見る事が出来ます。 犬山遊園駅ホームの様子 左手前の独特な形状をした支柱がモノレール軌道を支えたもの。 [名古屋鉄道犬山遊園駅] 2番線ホーム改札外側より撮影。 ホームおよび支柱を駅外より見る。 「オブジェ」 知る人ぞ知るオブジェ。 それは長い歴史と、始まりを支え続けた。 [名古屋鉄道犬山遊園駅2番線側改札口] [名古屋鉄道犬山遊園駅2番線側改札口] 旧モノレール犬山遊園駅を上部より見る。 旧モノレール犬山遊園駅を上部より見る。 (ホーム屋根部分) 犬山遊園駅を出て一路、成田山駅跡地へ向かいます。 写真正面がかつてモノレール軌道が設置されていた場所。 現在はフェンスで封鎖されています。 左写真の同じ場所より犬山遊園駅を見る。 この真上をモノレール軌道が通っていました。 モノレール軌道跡地 (右方向が成田山方面) モノレール軌道跡地 (右方向が成田山方面) モノレール軌道跡地 (奥手が犬山遊園駅) モノレール軌道跡地 軌道はこの地点より左方向に逸れ(犬山線と別れ)、成田山駅を目指しました。 かつてモノレールの支柱があった場所。 左写真位置よりモノレールの軌道跡地を見る。 正面の空間部分にモノレール軌道は突入していました。 [山中のモノレール軌道跡] 一部の廃線跡は古墳(国史跡)に向かう 遊歩道の途中で見る事が出来ます。 遊歩道の途中に現れた廃線跡 軌道周囲は柵で覆われており、 直接近づく事はできません。 左写真位置よりモンキーパーク側を見る。 柵の網目より撮影したモノレール軌道跡 「紅葉に散る」 苔むす姿は威厳さえ感じさせる。 紅葉賑わう山中にあって、今もなお歴史を語り続ける。 上写真位置よりしばらくは、 遊歩道に沿ってモノレール軌道跡を見る事が出来ます。 [モンキーパーク] 「ルックス」 名鉄と日立製作所が生んだ国内初のアルウェーグ式モノレール。 そのルックスに宿るDNAは、やはり名鉄のものだ。 「ラインパーク」 ラインパークを駆け抜けたレジェンドは、 今も静かに後継者達を見守っていた。

次の

名鉄 犬山モノレール (その4)

犬山 モノレール

名古屋に行った際、少し時間があったので足を伸ばして犬山まで行ってきました。 犬山といえば、 犬山城・ 日本ライン下り・ 日本モンキーパークが観光名所だったりしますが、その一つである 日本モンキーパークへは名鉄犬山遊園駅から出ているモノレール線 通称「 犬山モノレール」 に乗って行くと、園内に直結と便利だったりします。 この写真は、その犬山モノレールの車両です。 犬山モノレールは開通した時期もかなり古く、 東京モノレールを開通させるにあたっての試験的路線でもあるということを、以前聞いたことがあります。 当時、名鉄は「東京モノレール」の経営にも参加していた さて、その犬山モノレールに乗車してみましょう! まずは、犬山遊園駅東口に併設されている改札口?から階段でプラットホームまで上ります。 廃止が近いということで、乗り場付近では懐かしいモノレールの写真パネルが展示してありました。 改札の外に置いてもよかったのになぁ… 早速、モノレールに乗車してみます。 何と、乗客は私だけ!貸切モードなのですが廃止直前なのに誰も居ないとは… モノレールは犬山遊園駅を出て、成田山駅に向かいます。 もう来年の初詣では、モノレールを利用して成田山には行けないんですね。 次は、成田山駅から動物園駅まで向かいます。 少し、撮影角度を変えてみました。 ここの区間も、森の中を駆け抜けるような感じで、結構車窓が楽しめますよ。 さて、動物園駅に到着したのですが、改札口を過ぎると日本モンキーパークの敷地なので、改札口を出ようとする場合は強制的に入園券を購入しないといけないのですが、もう閉園まで30分切ってたのでやむなく入園は断念。 そのまま折り返すことにしましたが、結局一往復、誰も私以外に乗客はなく、寂しい路線でした。 これじゃ、廃止もやむなくですかねぇ… また、名古屋に行くことがあるので次回は入園出来なかったモンキーパークにチャレンジしてみようかと思います。

次の