種 を まく 人 あらすじ。 映画『種まく旅人 夢のつぎ木』公式サイト

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種 を まく 人 あらすじ

解説 10歳の少女が犯した罪とそれを取り巻く大人たちの姿を通し、人間の心に潜む闇を残酷なまでにえぐり出した人間ドラマ。 3年ぶりに病院から戻った高梨光雄は、弟・裕太の家を訪れる。 姪の知恵やその妹でダウン症の一希に迎えられ、つかの間の幸せを味わう光雄。 その夜、光雄は知恵にせがまれ、被災地で見たひまわりの話をする。 知恵はその美しい景色を思い浮かべながら、太陽に向かって咲くひまわりと、時折ふと空を見上げる愛しい一希の姿を重ね合わせる。 翌日、知恵が光雄と遊園地へ行きたいと言い出し、両親は快く娘たちを光雄に預ける。 しかし、遊園地で思わぬ不幸が3人を襲い……。 「桜、ふたたびの加奈子」「USB」の岸建太朗が光雄を演じ、撮影監督も務めた。 監督は本作が初長編となる竹内洋介。 第57回テッサロニキ国際映画祭で最優秀監督賞、最優秀主演女優賞(竹中涼乃)、第33回ロサンゼルス・アジアン・パシフィック映画祭でグランプリ、最優秀脚本賞・最優秀主演男優賞(岸建太朗)・ヤングタレント賞(竹中涼乃)を受賞。 2019年製作/117分/日本 スタッフ・キャスト 幼い子から年配に至るまで、全ての演者のパフォーマンスが素晴らしくて、複雑な構成や内容にもかかわらず、かなりの集中力で観賞しきったという印象。 特に子役の2人は凄かった・・・ 流暢な演技とか台詞というのは少ない。 それ故に妙なリアリティーがあって、見ていてかなりつらい。 決していい話ではなく、むしろ個人的にはこの設定やストーリーに嫌悪感を持ってしまったけれど、表現したいところは強烈に伝わってくるだけに、作品そのものを嫌だと投げ捨てることはできない。 それどころか、随所に見せつけられる映像での展開の見せ方、象徴や暗示といった表現力には秀逸さを感じて、表面的ではない作品の質の高さを思い知らされた。 しかし、どんなに美しく導こうとしても、あのストーリーでは希望は見えず絶望しか感じないというのが率直な感想。 凄い作品だとは思ったけれど、自分の中ではいい映画としてとらえることは難しい。 ネタバレ! クリックして本文を読む 今までに経験のない後味を残す映画だった。 見終わって2週間も経つというのにずっと考えてしまう・・・知恵と光雄の幸せを祈らずにはいられない。 スティーブン・キングのミストも、頭から離れない映画で、何ともやるせない映画だったが、ミストとの違いは、ミストには絶望感が残り、種をまく人はやるせない気持ちの中にも希望と祈りのような感情が残ったこと。 どちらの作品も、人間というものをよく描いているなと思う。 誰のことも責められないからこそ苦しい。 知恵の母・葉子から想像するに、きっと母からの深い深い愛を受けずに育ったと思う。 それでも、自分はそういう親にはなりたくなくて、愛に満ちた幸せな家庭を築きたいと裕太と結婚した。 それは裕太が、障害のある弟と、純粋な心ゆえに心を病んでしまうような兄、そして他にも障害がある親戚がいるから自然と育まれる優しさや愛を持っていて、葉子が欲しい愛情を裕太に見つけたのだと思う。 そして、愛おしい娘二人が生まれ、幸せな家庭だったのに、ある事件からそれが崩壊しかけて行く。 でもきっとその前兆はあったのだと思う。 葉子は障害をもって生まれて来た次女の一希に、母親としての責任やこの子を守らなければという強い気持ち、母親だからこその様々な感情によって、結果的には知恵に厳しくなったり、一希中心の家庭になってしまったのではないか。 もちろん母の葉子としては、長女の知恵のことだって同じように愛していて大切なのに・・・長女の知恵は自分のことを分かってくれていると思っていたのだと思う。 近過ぎて、自分の分身のように思って、知恵にも人格があることを忘れていたのか。 いずれにしても、知恵の心の陰りに気付くことが出来なかった。 信じていた裕太が、一希の誕生の時に言った言葉によって、信頼にヒビが入ってしまった。 葉子も苦しみながら、一生懸命生きていたのだと思う。 でも裕太は、一希が生まれて来なければ良かったとは微塵も思っていなくて、だけど障害を持つ子を育てることの大変さ、きれいごとでは済まない現実を知っているから、複雑な想いが裕太に「ごめん」と言わせてしまったのだと思う。 知恵は妹の子守を頑張ったのだと思う。 そして、わざとではないけれど妹を落としてしまった。 その瞬間はパニックだったはず。 大好きな両親に見捨てられる、どうしよう、自分は一希を妬むこともあったから、本当はわざと落としてしまったの?グルグル頭をまわり、混乱していたのではないか。 恐怖のあまり、光雄に救いを求めた結果が、光雄のせいにしてしまうことだった。 だから、知恵が一番傷つき苦しんでいると思うけれど、心を閉ざした知恵に本当に寄り添うことが出来たのは、やっぱり深い愛を持っている裕太だった。 光雄は、きっとガラスのような繊細な心の持ち主で、心を病み、さらに人の痛みが自分の痛みとして伝わって来てしまうほど感受性豊かでピュアな人間だのだと思う。 事件が起こる前日の夜、知恵との会話の中で、きっと知恵の心の闇に気付き、光雄はとても心配し、自分のことのように胸を痛めたに違いない。 過失か故意かなど関係なく、一希を死なせてしまった責任を感じ、そんな罪を可愛い姪に背負わせてしまったことに、どれほど苦しんだだろう。 一希という大切な存在を、自分のせいで失っただけでなく、知恵のこと、裕太一家のことを考えると、どれだけ苦しかったか・・・知恵が自分に罪を着せたことなど、きっと何とも思わなかったのではないか。 あるいは、甘んじてそれを受け入れたか・・・ 一希を弔う行動の中で、きっと神に祈り続けたと思う。 その祈りが神に通じたかのごとく、空からあの不思議な音が聴こえて来た瞬間、私も映画に吸い込まれて不思議な感覚になった。 一番最後の場面で、知恵が振り返ったひまわりの中に、一希の姿を見つけたのだと思う。 そして、一希が天真爛漫な笑顔で、知恵に語りかけたのだろう。 だからこそ、ようやく知恵の表情が明るく変わったのではないか。 あの家族には、まだまだ越えなければならない山があるけれど、きっとやり直せるはず。 光雄の心の傷も癒える日が来て、いつかまた笑顔で裕太一家と再会して欲しい。 この映画を見て自分なりに背景を考え、最後は「幸せになって」という祈りになった。 もう一つ・・・この映画に感謝したいこと。 それは、自分の子育てに対して・・・ 自分で生んだ子でも、別の人格があり、幼くても一人一人に感情があるということ。 こんな当たり前のことを忘れて子育てしていたことに気付かされた。 保育園の先生が言っていた「過保護ではなく、お金をかけることでもなく、手間をかけること」という意味が分かった気がした。 映画を見終わって、子ども達の顔が違って見えた。 子どもの声がちゃんと聞こえて来た。 私は何をしていたの? 仕事も大事だけれど、目の前の子ども達を見ていなかった・・・と、はっとした。 良い映画や絵画、音楽・・・そういうものに触れて、感性を鈍らせないようにしたい、改めて思った。 感性が鈍ると、自分の人生は味気ないものになってしまう。 家族の大切さが当たり前になってしまうほど、鈍い人間になってしまう。 深く深く色々なことを考えさせられた。 「デスカムトゥルー」 C IZANAGIGAMES, Inc. All rights reserved. 「ソニック・ザ・ムービー」 C 2020 PARAMOUNT PICTURES AND SEGA OF AMERICA, INC. ALL RIGHTS RESERVED. 「エジソンズ・ゲーム」 C 2018 Lantern Entertainment LLC. All Rights Reserved. 」 C 2019 Sony Pictures Television Inc. and CBS Studios Inc. All Rights Reserved. 「ドクター・ドリトル」 C 2019 Universal Pictures. All Rights Reserved.

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「種をまく人」ポール・フライシュマン

種 を まく 人 あらすじ

作品紹介・あらすじ 言葉にならない思いを抱えて生きる人へ贈る最新エッセイ集! 通勤途上の橋の上に住む初老の男性がある日亡くなった。 そこにはだれともなく、大きな花が飾られ、続いてさまざまな捧げものが次々捧げられていった……。 日常のなかで出会う「言葉なき人々」に思いを寄せる、25のエッセイと詩。 「穏やかに語られた切実な声に、はっとさせられます。 若松さんの言葉は静かな警鐘の響きを感じます。 暗い場所にいる時は、光となって、私の心を照らしてくれる言葉です。 」 (スーパーブックスあおい書店春日店 森カンナさん) 「日々膨大な情報にふれる私たちに必要なのは、誰かが発した言葉の前でほんの少し立ち止まり、その向こう側に見える景色に思いを馳せることかもしれない。 」 (ブックスキューブリック箱崎店・見月香織さん) 「とびきりの言葉を獲得するには、「本」という厚さが必要だと教わりました。 」 (本の店英進堂・諸橋武司さん) 25の詩とエッセイ すごい人 言葉と燈火 伴走者 独語の効用 「私」への手紙 抱擁する詩人 燃える言葉 賢者の生涯 人類の歴史 臨在する者 プラトンの教育観 勾玉と二人の文士 幽閉された意味 本と書物 種まく人 武士(もののふ)の心 歌の源泉 沈黙の秘義 すこしのかなしさ赤い鼓動 風の一語を愛し、「風」の世界を生きようとした ギリシア語で「風」を示すプネウマという語は、同時に聖霊を意味する 万物は「風」のような何もの蚊によって、生かされている。 いかに生きるかではなく、いかに生かされているのかをかんじなくてはならない。 師は、つねづねそう語っていた。 p8 独語は、無意識から意識への呼びかけだ。 独語を消滅させるとは、無意識界とのつながりを遮断することにほかならない。 無意識の奥には「たましい」という名状しがたいはたらきがある、と河合隼雄はいう。 「たましいそのものをわれわれは知ることができない。 たましいは何かにつけて明確に決めつけることに抵抗する。 」と河合はいう。 p25 真の手紙は、その本性からして、詩的なものであるノヴァーリス 本来、読むことのできない私信だが、それを読むとき、私たちは文字を扉に、その奥にあって言葉にならない思いを、感じとらなくてはならない。 p31 彼らは(柿本人麻呂、リルケ)しばしば、亡き者たちの心持ちを詠った。 むしろ、語らざる者たちの言葉を引きうけることを詩人の使命だと考えていた。 彼らにとって、詩歌を「詠む」とは自らの心情を吐露することに終わるものではなかった。 むしろ、人の心の中にあって、容易に言葉になろうとしないおもいに言葉の衣を着せることだった。 詩歌に限らず書くとは、そのこんてにおいて、おもいを言葉の器に移し替えることだ、といえるのかもしれない。 p34 詩を書くとは、おもいを言葉にすることであるよりも、心のなかにあって、ほとんど言葉になり得ないコトバにふれてみようとする試みなのではあるまいか。 p45 批評家の小林秀雄は、一度しか起こらないものこそ「芸術」と呼ぶにふさわしいと感じていた。 「芸術は、必ず個性的なものを狙う」とのべたあと、こう続けている。 画家が、画布の上に描いたものは、或る時、或る場所で、彼が二度と見る事はない色彩とともに見たものである。 詩人の歌うところは、詩人自身の心、誰の心でもない彼自身の二度と還らぬ心である。 芸術家によって個性化されたそういう感情に、一般的な名称を与えようとしても無駄だ。 p57 日ごろはあまり意識しないが、人はつねに「時間」と「時」という、二つの時空にまたがって生きている。 「時間」は過ぎ行くが、「時」は過ぎ行かない。 時間は社会的なものだが、「時」は、どこまでも個人的なもの、固有なものとして存在している。 時間で計られる昨日は、過ぎ去った日のことだが、「時」の世界では、あらゆる過去の事象が、今の出来事としてよみがえってくる。 p60 こうして死者を身近に感じながらも人は悲しむ。 悲しいのは亡き人が存在しないからではなく、そんざいをはっきりと感じるにもかかわらず、その声を聞けず、抱きしめることもできないのだ。 時間がたてば、、悲しみは癒える、と人はいう。 だかそれは、表向きの現象に過ぎない。 悲しみは癒えるのではなく、深まるのである。 悲しみの経験は、他者の目には悲しんでいないかのように見えるほど、私たちのこころではなくp61 昔の人は、「悲し」や「哀し」とだけでなく、「愛し」「美し」と書いても「かなし」と読んだ。 p63 人間もいかなる形であれ、日々命を営んでいるんけですが、形になって見える営みと、見えない形もあると思うのですね。 私どもは形に見える営みもいたしますけれども、形に見えない営みを心の中に持っているわけでしょう。 自分の行き先を求めて流れて行く水脈のようなものを持っていると思います。 石牟礼道子p72 『神話の力』ジョーセフ・キャンベル 『野に雁の飛ぶとき』 グリム兄弟以前のおとぎ話の収集家たちは、民間伝承は自由に手を加えてもかまわないものと考えていたが、二人は庶民の言葉をそのまま活字にしようと努めた、とキャンベルは書いている。 学者たちにとって民話とは言葉で綴られた伝承の記録だったが、グリム兄弟にとっては違った。 それは言葉、ことに文字という様式からは容易にこぼれ落ちてしまう何ものかだった。 物語を文字に還元するのではなく、文字たり得ないものを文字に記す。 この矛盾に挑むこと、そこにグリム兄弟の試みがあった。 p75 だか、語ることのできない者にも語るべきことはある。 後世の者が受け継ぐべきは、この語られることのなかったおもいなのではあるまいか。 p79 作家が物語を創る。 それが現代文学の常識なのかもしれないが、すべての作家がそう感じているわけではない。 物語が作家に宿る、と感じている人もいる。 カズオ・イシグロもその一人だ。 p82 言語は、文化の表象だといってよい。 p91 雄弁に語られた言説、詳細に書き記された言葉があったとしても、そこでは起こったことの断片しか述べられていない。 誰の人生においても、語り得たことに比べれば語り得なかったことの方がはるかに多い。 語られざるものを感じとるために私たちは、しばし、解析し、自説を展開する気持ちを鎮めて、自らのうちに「純粋なる心情と謙虚なる精神」を目醒めさせなくてはならないのだろう。 語ろうとするのをやめ、歴史の沈黙のコトバに耳を傾けなくてはならないのではないだろうか。 p95 現代人は、頭脳を鍛えすぎているのかもしれない。 言葉を尽くして考えることが重要なのは言うまでもない。 しかし、同時に他者の痛みを、歴史の痛みを「皮膚」と「手」によって交わる道を見失ってはならない。 深い憐憫を伴うことなく生まれた「平和」はいつも、為政者が説く征服の異名に過ぎないことを歴史はおしえているからである。 p102 いっそう偉大なものである非物体的なものについて言えば、それらは、ただ言葉(ロゴス)を通してのみ現れてくるのだ。 プラトンp105 人間にとってかけがえのないものは「非物体的なもの」である、とプラトンはもちろん、アランも考えていた。 そればかりか、物体的なものの奥に「非物体的なもの」を見出すこと、それが、哲学者に託された使命だとプラトンはいうのである。 「非物体的なもの」というと、少し難解に映るかもしれない。 だが「見えないもの」あるいは「所有することができないもの」と言い換えるとより身近に感じられるのではないだろうか。 物体的なものは所有できる。 だが、「非物体的なもの」を所有することはできない。 p106 どんなに見た目のよい言葉を発しても「コトバ」のはたらきが十分ではないとき、言葉は、相手の心に届かない。 誰が見ても同様のことを認知する記号的な意味を表現するだけなら言葉で事足りるが、語り得ないものを相手に伝えようとするとき、私たちはどうしても「コトバ」のにからを借りなくてはならない。 p107 真の意味において知るとは、すべて「想い出す」ことである、とプラトンは述べている。 p108 本は、人間にふれられることによって書物へと変貌する、といってもよい。 p120 書かれた言葉は、読まれることによっていのちを帯びる。 そして、その言葉を種とした言葉が、読み手によって語られたとき、新たな生命として新生するのである。 p123 p116 幽閉された意味 「読む」とは 本に 幽閉された 意味に解放を もたらす行為 意味は 書き手によって 記されたときに 誕生し 読まれることによって 育ち ついには 本の外へと 飛び立っていく そして 本は 意味を 青藍の時空に 解き放つことによって 世に ただ一つの 書物へと 姿を変える すごい人 この世で すごい人にならなくてもいい あちらの世で 愛される人になりなさい そうあのひとは言った 数で 量れるものではなく 量り得ないものを 探しなさい 語ることよりも 黙って行うことで 自分を表現できるように なりなさい とも あの人は言った わたしのこころに 刻まれた 消えることのない 人生の戒律.

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映画 種をまく人|公開いつからいつまで?

種 を まく 人 あらすじ

『未来には、より大きな愛がある。 だから我々は喜び、来たるべき生活を信ずるのだ。 』 《「ゴッホの手紙」より》 ここ数年の映画体験の中でも最もビビった。 そして衝撃を受けた作品の一つだ。 年をとったせいか、映画を見ても、昔みたいな興奮が無くなったと知人と話してた矢先にだ。 とにかく、人や事物や風景が恐ろしいくらいに生々しい。 格闘する精神みたいなものが映っている。 東日本大震災以降、自分たちの生きる世界はまだそこと地続きであり、それでも生きることは未だに美しい。 そう伝えてもらった気がした。 —瀬々敬久 映画監督 《『HYSTERIC』『ヘヴンズ ストーリー』『 64-ロクヨン』『友罪』『菊とギロチン』『楽園』ほか》 愛おしく、切なく、「種をまく人」は深く心を動かされる映画だ。 繊細さと、作品への尊厳を込めて語るならば、 物語は最も単純な方法で、 人間の本質的な真実へと潜り込んでいく。 ずっと心につきまとう映画である。 —ヨルゴス・アルヴァニティス 撮影監督 《テオ・アンゲロプロス作品 『旅芸人の記録』『霧の中の風景』『永遠と一日』ほか》 世界のごく小さな一角と一瞬を、緻密に設計された脚本と撮影で切り取り、積み重ねていく。 あらゆるショットと役柄に宿る説得力。 その果てに立ち現れる、見た試しのない人間と社会の深淵、大きさ。 竹内洋介という途方もない才能の誕生を、けっして見逃してはならない。 ゴッホはその短い人生の中で、精神に変調をきたす発作に悩まされ続け、それでも懸命に生と戦い続けた。 本作「種をまく人」は、障がい者を抱える家族の苦悩と葛藤を通じて、人間の心の闇を残酷なまでに炙り出そうとする。 そして、一人の少女が犯した罪とそれを取り巻く大人たちの姿を通じて、正常や異常といったレッテルを剥がし、生きるとは何かといった根源的な問題を観るものに提起し突きつける。 そして生きるということの真実をより深く追求していく。 「種をまく人」は、第57回テッサロニキ国際映画祭で日本人では史上3人目の最優秀監督賞、そして撮影当時10歳だった竹中涼乃が史上最年少で最優秀主演女優賞を受賞した。 その後も様々な国際映画祭に出品され、多くの賞賛を得た「種をまく人」は、ロサンゼルス・アジアン・パシフィック映画祭ではグランプリ・最優秀脚本賞・最優秀主演男優賞(岸建太朗)・ヤングタレント賞(竹中涼乃)の4冠を獲得している。 主演の光雄を演じるのは、映画監督(「未来の記録」ほか)でもある俳優の岸建太朗。 今回、竹内監督の立っての希望で、撮影と主演を兼任して欲しいという要請のもと、前代未聞の挑戦を受け入れた。 一年に及ぶ役作りと研鑽の末、不可能ともいえるその偉業を成し遂げた。 昨今では、映画やドラマ、CM、PVの撮影監督としても広く活躍の場を広げている。 主人公の少女・知恵を演じるのは、本作が映画初主演の竹中涼乃。 その迫真の演技は世界中から賞賛され、ギリシャやアメリカで主演女優賞を獲得した他、世界中の観客の心を鷲掴みにした。 そして父・裕太を演じるのは、劇作家岡田利規が率いる「チェルフィッチュ」などの演劇公演で世界的に活動する実力派俳優・足立智充。 昨今ではドラマや映画、CMなどにも多数出演している。 本作でも自然体で揺るぎない演技力を見せ、映画の登場人物の核をなしている。 母・葉子役には、映画やドラマ、CMなどでも幅広く活躍する元宝塚歌劇団の中島亜梨沙。 美しさの中にも強さを感じる彼女の人間性は、本作の難役に深みを与えている。 他にも映画「僕の帰る場所」で主人公を演じ世界中の観客を魅了したカウン・ミャッ・トゥ、映画「Noise」での演技が話題となった鈴木宏侑、そして葉子の母を演じた早稲田小劇場出身の実力派女優・杉浦千鶴子、現在テレビで活躍中のマルチ女優・原扶貴子など、本格派俳優たちが脇を固め、映画に重厚感を与えている。 本作の主人公・光雄は悲しみの最中、ひたすらひまわりの種を植え続ける。 やがてその行為に没頭するうちに、主人公はその意味すらも忘れてしまう。 そこにはもう、 悲しみも喜びも存在しない。 あるのはただ、 種を植えるという行為、 その種がのちに花開くという自然本来の営みと、 その事実のみになる。 時の流れは人の感情を変える。 重くのしかかる日常の時間から一歩踏み出した時、 そこに在る時間に救われることがある。 絶望の中にある少女・知恵と父・裕太が最後にたどり着いた結論の先に、かすかな光が垣間見れる。 世界各国で「日本映画史に残る最も美しいラストシーン」と呼ばれたそのエンディングは、きっと多くの人々の心を魅了することだろう。 笑うのは普通の子より早かった。 映画『種をまく人』は、長年追い求めてきたヴィンセント・ヴァン・ゴッホの人生と、東日本大震災の直後に被災地で見た一輪のひまわり、そして震災の翌年に誕生したダウン症の姪との関わりによって生まれました。 2011年夏、私は友人とともに東北の被災地を訪れました。 東日本大震災の津波によって倒壊した家屋や木々、津波の威力を物語る瓦礫の山を前に私たちは打ち拉がれ、荒廃した土地をただ黙って歩き続けました。 一体どれくらい時間が経ったのでしょう。 疲れ果てて腰を降ろすとそこに一輪のひまわりが咲いていました。 誰かが植えたものなのか、波に流された種が自生したものなのかは分かりません。 ただ一つだけ確かなのは、そのひまわりが私の心に何かを残したという事実だけでした。 「津波は多くのものを奪い去ったが、この花は津波が運んで来たものなのかも知れない。 」 そう思うと、ひまわりとの出会いが特別なことのように感じられました。 そして撮影の年の6月、私たちは、宮城県仙台市の若林地区に約2000粒のヒマワリの種を植えました。 震災の傷跡を残した状態の荒れた果てた土地を一から耕し、肥料を撒き、種を植えました。 その後も定期的に若林地区を訪れ、草引きや追肥、水やりを行い、そんな育成作業は本編の撮影開始ぎりぎりまで続きました。 やがて度重なる危機に瀕しながらもひまわりは育ち、開花を迎えた8月の半ば、無事にラストシーンを撮り終えることが出来ました。 早いもので震災からすでに9年が経とうとしています。 時の流れは景色を変え、人の感情もゆっくりと変えていき、やがて震災での記憶を薄れさせていきます。 私たちが種を植えた場所の周辺は、復興事業の工事によって土が運ばれ、現在は見る影も残されていません。 しかし、過ぎ去った記憶や失われた光景は、私たちの映画の中に確かに残されています。 35ミリフィルムの中に刻み込まれたその失われた光景を、一人でも多くの方々に届けたいと願っております。 そして撮影当時3歳だったダウン症の姪も、来年には年8歳を迎えます。 同じ年代の子供たちと比べると成長のスピードがゆっくりではあります。 それでも彼女なりのペースで感情の表し方を覚え、コミュニケーションの取り方を身につけ成長しています。 彼女の屈託のない笑顔は、本当に私たちの心を癒してくれます。 彼女の無垢な心、その笑顔に触れるたび、人間の存在価値とはいったい何なのか、生きるということは何なのか、といったことを考えさせられます。 映画『種をまく人』を通して、障害と個性、そしてそれを受け入れる家族や社会、人のあり方について今一度考えたいという欲求がこの映画を企画した目的でもあります。 そして今回、本作に出演しているダウン症の姪と、それを取り巻く人物たちの苦悩と葛藤を通して、個性とは何か、生きるとは何か、そういったことを少しでも考えるきっかけを持って頂ければ嬉しく思います。

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