あ号作戦。 い号作戦 ウィークリー任務効率化【第二期】 | ぜかましねっと艦これ!

捷号作戦

あ号作戦

第二次世界大戦の内、主に太平洋を中心として行われた日本と米英による人類間大規模抗争。 開戦劈頭は破竹の勢いで連戦連勝するも、中盤米軍に情報収集能力・戦力共に優勢に立たれ、1944年日本は講和による条件付きの敗北を認める。 無条件降伏こそ免れたものの半属国化政策によって実質的に米国の支配下に置かれた。 爾後、国号は「日本帝国」に改められ、帝政の絶対君主制ではなく、議会内閣が存在する立憲君主制の政治形態を取った。 冷戦状態の現出を受け極東に於ける米国の最重要同盟国となった日本は、50年に安保理条約を締結。 属領という誹りを甘んじながらも、国力の回復に邁進した。 またこの戦争の早期講和により、日本は欧米文化 英語由来の用語,クリスマス があまり浸透しなくなっている。 キャンベル大将 国連宇宙総軍司令官 結果 人類の敗北。 BETA地球侵攻を許す。 研究開発が進みスーパーカーボンや多目的切削ナイフが生み出される中、米国の探査衛星ヴァイキング1号が火星起源と推定される生物を確認。 人類は特務調査機関ディクニファイド12 を結成するなど、異星起源種とのコミュニケーション手段を模索した。 ダイダロス計画が始動してから17年後、即ち1967年1月25日。 人類はこの異星起源種と接触することになる。 数日前に発生した大規模月震の調査の為、サクロボスコクレーター に展開していた地質探査部隊がほぼ同時に消息を絶った。 何事かと第1次捜索隊を向かわすもこれも不通。 そして慎重に投入された第二次捜索隊によって状況が判明。 BETA、のちにそう呼ばれる生物群がクレーター周辺に散在し、部隊はその生き物に食い殺されていたのだった。 この異常事態に人類側は大混乱に陥り、発見から数日後には月面各所に存在した観測基地が襲撃を受けた。 以て国連安保理は月面基地「プラトー1」を最前線と位置付け、国連憲章第43条に基づき「国連軍」を編成した。 BETA大戦の幕開けである。 第1次月面戦争 カシュガルから西進を開始したBETAはソ連を構成する中央アジア諸国へと侵攻。 ソ連軍は戦術機による機動防御や戦術核による焦土戦術を展開したが効果はなく1975年にはカザフスタンにウラリスクハイヴ H3:甲3号目標 が建設された。 ソ連軍はソ連経済の心臓部であるスターリングラードなどヴォルガ河流域の重工業地帯を守るためコーカサスに防衛線を構築したがBETAの攻勢によって突破され共産党政府はヨーロッパ・ロシアの放棄を決断し首都機能をハバロフスクに移転させ国内主要産業の疎開を開始した。 1976年には首都モスクワが陥落、白ロシアにミンスクハイヴ H5:甲5号目標 が建設され1977年にはBETAがウラル山脈にまで到達、ソ連軍は戦力をウラル以東に退避させた。 この危機に対し、北大西洋条約機構 NATO 軍、ワルシャワ条約機構 WTO 軍の両司令部は、東欧州戦線の安定化を図るため、ミンスクハイヴ排除を目的とした一大反攻作戦を計画。 西欧州、ウラル以東に退避させた兵力を再配置した後、秘匿名称『パレオロゴス作戦』の下に攻勢を開始した。 オルタネイティヴ3計画本部より提供されたデータから、BETAに対する陽動の有効性を認識したNATO・WTO合同司令部は、陸上戦力に優れていたWTO軍を主力、NATO軍を助攻兼陽動とし、東西からミンスクハイヴを中心とした突出部を挟撃。 周辺ハイヴからの浸透を排除しつつ、約二ヶ月の戦闘の後にこれを完全に包囲。 その後、ソ連空挺軍によるハイヴへの強襲空挺降下など、いくつかの方法でハイヴ突入が試されるが、そのいずれもが失敗に終わる。 この事態を受け、NATO軍からは戦術核によるハイヴの破壊を唱える声があがったが、ソ連軍首脳がハイヴ内のG元素奪取を強硬に主張。 ソ連軍第43戦術機甲師団、「ヴォールク」連隊が人類史上初のハイヴ突入に成功するが、約3時間半で連隊は全滅。 この後、ハイヴから出現したBETAの反撃で戦線は押し戻され、作戦は失敗に終わった。 衛星軌道上の国連低軌道艦隊による軌道飽和爆撃、戦術機の軌道降下突入戦術など、宇宙軍がハイヴ攻略に本格的に参加した初の作戦としても名高い。 国連軍・アフリカ連合軍・東南アジア諸国の共同作戦として立案され、「カシュガルハイヴ近辺の橋頭堡確保」、「東進するBETAに対する牽制」、「インド亜大陸への兵力増援」など、複数の戦略目的を柱に立案されたが、最優先目的はオルタネイティヴ第三計画直轄の特殊戦術情報部隊によるハイヴ内の情報収集であった。 軌道降下突入に成功した国連第一軌道降下兵団と特殊戦術情報部隊がフェイズ4ハイヴの到達深度としては最深となる511mまで侵攻するも、同深度の広間で師団規模のBETA群と遭遇し、ハイヴ内のデータを地上へ送り届けたごく一部の部隊を残して消息を絶った。 攻略作戦そのものは失敗に終わったが、インド亜大陸への兵力増強と戦線の立て直しには成功し、同年中に崩壊すると予想されていたインド戦線を94年まで持ちこたえさせた。 作戦は失敗に終わる。 オルタネイティヴ3直轄・特殊戦術情報部隊• F-14 AN3:フサードニク1• 指揮系統の大混乱を誘発し国連軍は多くの損害を被った。 国連は日本政府に猛抗議し、彩峰中将の国際軍事法廷への引き渡しを要求。 国連の要求に従えば軍部の反発は必至、逆らえばオルタネイティヴ4が失速すると考えた内閣総理大臣榊是親は、最前線を預かる国家の政情安定を人質に、国内法による厳重な処罰という線で国連を納得させた。 それに先立ち榊首相が彩峰中将を密かに訪ねた際、日本の未来を説き土下座する榊に対し彩峰は笑顔で人身御供を快諾。 帰路の車中、榊は彩峰の高潔に心打たれ、静かに涙したという。 帝国軍は帝都東京防衛を最優先し戦力を太平洋沿岸部に集中させた為、日本海沿岸部の守りは手薄となり北陸の帝国軍は苦戦を強いられた。 帝国東部方面軍第12師団は新潟市に展開し万代橋とみなとトンネルを利用した遅滞戦術でBETAの侵攻をかろうじて食い止めていた。 オルタネイティブ4を推進する榊首相は国連へのアピールの為、決定的な戦果を望み第12師団を囮とし第1軌道降下旅団を投入して北陸のBETAを一気に殲滅するプラン「ユキツバキ」をたてたが、第12師団司令部の強硬な反対をうけ、板挟みとなった統合参謀本部は第1軌道降下旅団を軌道上に待機させ新潟市では第12師団司令部の推進する遅滞戦術を採用した。 榊首相はユキツバキを強引に発動させる為、国防大臣直轄の特殊部隊第1特殊作戦団を新潟市に派遣した。 第1特殊作戦団の工作によって万代橋は爆破されBETAはみなとトンネルへと殺到し第12師団司令部の遅滞戦術は瓦解、統合参謀本部はユキツバキの発動を決断し第1軌道降下旅団を新潟市に降下させた。 戦術機部隊による包囲殲滅戦の末、北陸のBETAは一掃され帝国軍は帝都防衛に全力をそそげるようになった。 西関東侵攻 横浜ハイヴ H22:甲22号目標 、1999年当時フェイズ2 主縦坑の直径と最大深度はフェイズ4 国連軍と大東亜連合によるアジア方面では最大、BETA大戦においてはパレオロゴス作戦に次ぐ大規模反攻作戦。 横浜ハイヴの殲滅と本州島奪還が優先戦略目的。 太平洋側と日本海側からの艦砲交差射撃による後続の寸断に始まった本作戦は、横浜ハイヴ攻略の最終局面に於いて国連軍の主力であった米軍が2発のG弾を日本帝国・大東亜連合への事前通告なしに使用、モニュメントと呼ばれる地表構造物を破壊しBETA群をほぼ一掃した。 それに呼応して西日本を制圧していた残存BETA群は一斉に大陸に向け撤退を開始。 戦術機甲部隊による追撃戦、艦砲射撃などによって敗走するBETA群に大損害を与え、歴史的な大勝利となった。 ほんの一年前、安保条約を一方的に破棄して撤退した米国が、なぜ本作戦に部隊を送り込んだのか。 これについては様々な憶測と疑念を呼んでいるが、恐らくはそれが目的だったであろう無通告のG弾使用が、日本国民の心に更に深い反米感情を刻み込んだのは確実である。 オルタネイティヴ4への牽制と、オルタネイティヴ5の優位性を誇示するためのG弾投下が、結果的にオルタネイティヴ4と香月博士に利をもたらしたという事実はもはや歴史の皮肉と言う他ない。 ブラボー中隊が"捕虜"を発見し、同時にデルタ中隊が残敵と交戦を開始している。 国連横浜基地はこの横浜ハイヴの上に作られ、ハイヴ内に残っていたBETA由来のいくつかの設備をオルタネイティヴ計画のために利用している。 11 部隊• 国連太平洋第11方面軍横浜基地• A01部隊【新潟方面にてBETA個体の捕獲作戦を展開】• 第207衛士訓練小隊B分隊【待機】• その他• 帝国軍日本海艦隊• 第34機動艦隊• 第55機動艦隊• 第56機動艦隊【全滅】• 帝国本土防衛軍 第12師団• 第132中隊• 第195中隊【全滅】• 第189中隊【全滅】• 第137中隊【全滅】• 第206中隊• 第208中隊• 第231中隊• 第104中隊【全滅】• 第225中隊• 帝国本土防衛軍 第14師団• 第308中隊• 第316中隊• 第319中隊 経過• 06:20 旅団規模のBETA群が日本海・海底を南下。 帝国軍日本海艦隊がこれを迎撃。 06:27 BETA群、第一次海防ラインを突破し、新潟に上陸。 第56機動艦隊が全滅。 06:48 帝国軍第12師団がBETA群と接敵• 【時刻不明】 帝国軍第14師団が帝国軍第12師団と合流• 07:10 BETA進軍予想により、BETAの戦略目標が判明。 これを受けて国連太平洋第11方面軍横浜基地にて防衛基準体制2 デフコン2 への移行を発令。 【時間不明】 中越、下越、新潟の3方面に分流したBETA群の殲滅を確認。 国連太平洋第11方面軍横浜基地にて防衛基準体制2 デフコン2)解除。 第207戦術機甲小隊:UN 207sqd• 撃震:A20700:神宮寺 まりも• 吹雪:A20701:• 吹雪:A20703:• 吹雪:A20704:• 吹雪:A20705:• 第209戦術機甲大隊:UN 209bn 国連横須賀基地所属。 旧下田市内に上陸し、クーデター軍を待ち構える。 第11艦隊:USW 11 国連横浜基地所属。 白浜海岸で207と合流、横浜基地へ帰還。 第1戦術機甲大隊 国連横浜基地所属。 ブリーフィング時には既に帝都に向けて出撃中。 品川埠頭にて米国第117戦術機甲大隊と共に強襲上陸を敢行、クーデター軍と交戦。 第3戦術機甲大隊 国連横浜基地所属。 ブリーフィング時には、手薄になった第二次防衛線の支援部隊として出撃準備中 出撃予定時刻は19時40分• 第4・第5戦術機甲大隊 国連横浜基地所属。 ブリーフィング時にはまだ出撃準備中• 第2航空支援大隊 国連横浜基地所属。 ブリーフィング時には既に帝都に向けて出撃中。 第5航空支援大隊 国連横浜基地所属。 ブリーフィング時にはまだ出撃準備中 米軍• 第66戦術機甲大隊:US 66wig• F-22A:ハンター1:アルフレッド・ウォーケン• F-22A:ハンター2:イルマ・テスレフ• F-22A:ハンター3• F-22A:ハンター4• a中隊:US 66Asqd• F-22A:スパイク1• F-22A:スパイク2• F-22A:スパイク3• F-22A:スパイク4• c中隊:US 66Csqd 敵包囲網の完成を阻止• F-22A:ハンター9• d中隊:US 66Dsqd 敵包囲網の完成を阻止• F-22A:ハンター13• e小隊:US 66Efli 防衛線の再構築• F-22A:ハンター5• 第108戦術機甲大隊:US 108wig ブリーフィング時にのみ登場• 第117戦術機甲大隊 品川埠頭にて国連軍第1戦術機甲大隊と共に強襲上陸を敢行、クーデター軍と交戦。 第132戦術機甲部隊? ブリーフィング時のみ登場。 大隊ではなく部隊らしい• 第174戦術機甲大隊:US 174wig 冷川料金所跡周辺でE1(富士教導団)と交戦。 F-15E:ヒートリーダー• F-15E:ヒート9• F-15E:ヒート11• F-15E ストライクイーグル 全36機• 第7艦隊 相模湾にて待機 ブリーフィング時、東京湾に向けて出航中 クーデター軍• 帝国本土防衛軍帝都守備連隊• 不知火• 帝国軍富士教導隊 団• 不知火(露軍迷彩)• 帝国軍671航空輸送隊:An-225 ムリーヤ 帝国厚木基地所属 経過• 12月5日 水• 05:00 沙霧尚哉の声明放送。 07:00 横浜基地米軍受け入れ。 08:23 横浜基地を帝国軍が包囲。 18:23 仙台臨時政府が国連軍の介入を正式に受け入れ。 19:40 207小隊出撃。 21:42 帝都で戦闘開始。 22:25 207小隊、塔ヶ島離宮を警備。 12月6日 木• 01:47 207小隊、悠陽殿下と合流。 02:55 伊豆スカイライン跡、山伏峠付近207小隊がクーデター部隊と接近。 米軍部隊に助けられる。 03:37 伊豆スカイライン跡、亀石峠で補給。 ウォーケン少佐の部隊と合流。 04:04 悠陽が倒れる。 未明 休憩中、クーデター部隊のエアボーン作戦により包囲される。 未明 ブリーフィング。 未明 沙霧尚哉と接触。 未明 米軍機の発砲により戦闘に突入。 未明 沙霧戦死。 13:23 市ヶ谷駐屯地の反乱部隊が投降。 クーデター終息。 煌武院悠陽の演説 2001. 10 国連横浜基地に於いて研究サンプルのBETAが逃走、XM3トライアル演習を実施中の非武装部隊に大損害を与えた。 A207小隊• 207A分隊• 吹雪(概念実証型OS搭載機):20701:• 吹雪(概念実証型OS搭載機):20702:• 吹雪(概念実証型OS搭載機):20706:• 207B分隊• 吹雪(概念実証型OS搭載機):20703:• 吹雪(概念実証型OS搭載機):20704:• 吹雪(概念実証型OS搭載機):20705:• 不知火(先行型XM3搭載機):ヴァルキリー1:伊隅 みちる• 不知火(先行型XM3搭載機):ヴァルキリー2:速瀬 水月• 不知火(先行型XM3搭載機):ヴァルキリー3:宗像 美冴• 不知火(先行型XM3搭載機):ヴァルキリー4:風間 祷子• 不知火(先行型XM3搭載機):ヴァルキリー5:• 不知火(先行型XM3搭載機):ヴァルキリー6:涼宮 茜• 不知火(先行型XM3搭載機):ヴァルキリー7:柏木 晴子• 不知火(先行型XM3搭載機):ヴァルキリー8:築地 多恵• ホーネット隊 エリア2の敵侵攻を阻止せよ• 撃震:ホーネット3:国連軍衛士1• ソード隊 ホーネット隊と合流し、エリア2の敵侵攻を阻止せよ• 撃震:ソード1:国連軍衛士4• 撃震(XM3搭載機):ソード2• クラッカー隊 ホーネット隊と合流し、エリア2の敵侵攻を阻止せよ• 撃震(XM3搭載機):クラッカー1:国連軍衛士5• ストーム隊 ホーネット隊と合流し、エリア2の敵侵攻を阻止せよ• アックス隊 27番ハンガーにて、実戦装備に換装せよ• ソード隊 27番ハンガーにて、実戦装備に換装せよ• ソバット隊 27番ハンガーにて、実戦装備に換装せよ• ハウンド隊 27番ハンガーにて、実戦装備に換装せよ• シャーク隊 エリア3の各隊は、即時合流し、敵の侵攻に備えよ• 撃震:シャーク1:国連軍衛士2• ファルコン隊 エリア3の各隊は、即時合流し、敵の侵攻に備えよ• 撃震(XM3搭載機)• タイガー隊 エリア1、制圧完了。 エリア2に向かう。 2001年12月24日、佐渡島にあるBETAハイヴ『甲21号目標』制圧を目的とする、国連と帝国の大規模共同作戦。 明星作戦以降、最大規模の対BETA作戦。 帝国軍と極東国連軍の総戦力の半数を投入した大反抗は、フェイズ4ハイヴを壊滅させるという、人類の歴史的大勝利で幕を閉じた。 作戦概略(当初予定)• 第1段階 国連宇宙総軍の装甲駆逐艦隊による対レーザー弾での軌道爆撃を開始。 敵の迎撃と同時に帝国連合艦隊第2戦隊が対レーザー弾による長距離飽和攻撃を行い、二次迎撃による重金属の発生を合図に全艦隊による面制圧を行う。 第2段階 帝国連合艦隊第2戦隊が真野湾へ突入、艦砲射撃にて旧八幡~旧高野・旧坊ヶ浦一体を面制圧。 同時に帝国海軍第17戦術機甲戦隊が上陸し、雪の高浜から橋頭堡を確保。 続いてウィスキー部隊を順次揚陸して戦線を維持しつつ旧沢根へ西進、敵増援を引き付ける。 第3段階 両津湾沖に展開した国連太平洋艦隊と帝国連合艦隊第3戦隊が制圧砲撃を開始。 同時に帝国海軍第4戦術機甲戦隊が旧大野を確保。 続いてエコー部隊を順次揚陸。 先行部隊が戦線を構築し、主力は北上して旧羽吉からタダラ峰跡を経由し旧鷲崎を目指す• 第4段階 軌道上を周回中の第6軌道降下兵団が再突入を開始、降着したのち「甲21号目標」内部へ突入。 第4層への到達を確認後、ウィスキー部隊を順次投入「甲21号目標」の占領を目指す。 エコー部隊は突入作戦の支援に当たり、海底からのBETAの再上陸に備える。 この時点でA-01は旧上新穂を目標として南下を完了しA-02の侵攻ラインを維持。 突入部隊が成功した場合はA-01及びA-02はハイヴに進入し情報収集に当たる。 突入部隊が失敗した場合はA-02の攻撃によりハイヴと周辺BETAを無力化し、その後ウィスキー部隊が突入し残存BETAを掃討、A-01及びA0-2は情報収集に当たる 作戦プラン• プランA• プランB• プランD• プランG 艦隊• 作戦旗艦 最上• 重巡 最上:艦長 小沢• HQ:ヴァルキリーマム:CP-A09:涼宮 遙• HQ:ピアティフ• 最上オペレーター1~5• 戦術機母艦 国東• 帝国連合艦隊第2戦隊• 戦艦 信濃:艦長 安部• 信濃オペレーター1~3• 戦艦 美濃• 戦艦 加賀• 水中戦術機母艦 嵩潮:艦長 大田 千早• 戦術機母艦 高尾• 帝国連合艦隊第3戦隊• 戦艦 大和:艦長 田所• 大和オペレーター1• 大和オペレーター3• 戦艦 武蔵:艦長 井口• 戦術機母艦 大隈• 大隈オペレーター1• 国連太平洋艦隊• 戦艦 アイオワ• 戦艦 ニュージャージー• 戦艦 ミズーリ• 戦艦 イリノイ• 戦艦 ケンタッキー• 国連宇宙総軍艦隊• 再突入型駆逐艦:マザーグース1:リーナ・テルヴォ 戦術機甲部隊• A小隊• 不知火:ヴァルキリー1:A09a-00:伊隅 みちる• 不知火:ヴァルキリー7:A09a-01:• 不知火:ヴァルキリー8:A09a-02:• 不知火:ヴァルキリー9:A09a-03:• B小隊• 不知火:ヴァルキリー2:A09b-00:速瀬 水月• 不知火:ヴァルキリー10:A09b-01:• 不知火:ヴァルキリー11:A09b-02:• 不知火:ヴァルキリー12:A09b-03:• C小隊• 不知火:ヴァルキリー3:A09c-00:宗像 美冴• 不知火:ヴァルキリー4:A09c-01:風間 祷子• 不知火:ヴァルキリー5:A09c-02:涼宮 茜• 不知火:ヴァルキリー6:A09c-03:柏木 晴子• A-02• 凄乃皇弐型XG-70b:• 斯衛軍第16大隊• 武御雷(青):クレスト1:斑鳩• 武御雷(赤):クレスト2:月詠 真那• 武御雷(白):神代 巽• 武御雷(白):巴 雪乃• 武御雷(白):戎 美凪• 武御雷(黒)• 帝国海軍第17戦術機甲戦隊• スティングレイ隊• 海神:スティングレイ1• サラマンダー隊• 海神 ? :サラマンダー1• ウィスキー部隊(西部方面部隊) Whiskey = West• 帝国軍機甲4個師団• J(ジュリエット)大隊• K(キロ)大隊• L(リマ)大隊• M(マイク)大隊• N(ノベンバー)大隊• クラッカー小隊• 撃震:クラッカー1• 撃震:クラッカー2• 撃震:クラッカー3:伊隅 あきら• 撃震:クラッカー4• 帝国海軍第4戦術機甲戦隊• エコー部隊(東部方面部隊) Echo = East• 国連軍機甲3個連隊• 国連軍戦術機甲5個連隊• 国連軍第6軌道降下兵団• 国連軍戦術機甲1個連隊• ザウバー隊• F-15E 軌道降下兵団仕様 :ザウバー1• F-15E 軌道降下兵団仕様 :ザウバー2• F-15E 軌道降下兵団仕様 :ザウバー3• ゴースト隊• F-15E 軌道降下兵団仕様 :ゴースト1• レザール隊• F-15E 軌道降下兵団仕様 :レザール1• アクイラ中隊• F-15E 軌道降下兵団仕様 :アクイラ1:アンリ・ギーツェン• F-15E 軌道降下兵団仕様 :アクイラ2:アクセル・ビョルケル• F-15E 軌道降下兵団仕様 :アクイラ3:クリシュナ・マニ・グルン• F-15E 軌道降下兵団仕様 :アクイラ4:パウルス・アメイ• 武御雷(赤):1901:ブラッド1:月詠 真那• 武御雷(白):1902:神代 巽• 武御雷(白):1903:巴 雪乃• 武御雷(白):1904:戎 美凪• 不知火:A09c-00:宗像 美冴• 不知火:A09c-02:涼宮 茜• 不知火:A09b-02:• 不知火:A09b-03:• 不知火:A09c-01:ヴァルキリー4:風間 祷子• 不知火:A09a-01:• 不知火:A09a-02:• 不知火:A09a-03:• 不知火:A09b-00:ヴァルキリー1:速瀬 水月• 不知火:A09b-01:ヴァルキリー2:• 涼宮 遙• 護衛の警備兵 応戦部隊• CP-A09:涼宮 遙• A小隊• 不知火:A09b-00:ヴァルキリー1:速瀬 水月• 不知火:A09a-01:• 不知火:A09a-02:• 不知火:A09a-03:• B小隊• 不知火:A09b-01:ヴァルキリー2:• 不知火:A09b-02:• 不知火:A09b-03:• C小隊• 不知火:A09c-00:宗像 美冴• 不知火:A09c-01:ヴァルキリー4:風間 祷子• 不知火:A09c-02:涼宮 茜• 第19警備小隊• 武御雷(赤):1901:ブラッド1:月詠 真那• 武御雷(白):1902:神代 巽• 武御雷(白):1903:巴 雪乃• 武御雷(白):1904:戎 美凪• ヴィクター大隊 第二防衛線にいる為、第3or第4戦術機甲大隊• F-15J:ヴィクター1• F-15J:ヴィクター2• F-15J:ヴィクター3• F-15J:ヴィクター4• ギャンブル隊• F-4J:ギャンブル1:中尉 ゲート封鎖時生存• F-4J:ギャンブル2:主脚大破の後、戦車級に喰われる。 F-4J:ギャンブル3:要塞級の衝角にやられる• F-4J:ギャンブル4: ゲート封鎖時生存• トマホーク隊• F-4J:トマホーク1• F-4J:トマホーク2• F-4J:トマホーク3: ゲート封鎖時生存• F-4J:トマホーク4• ハーミット隊• F-4J:ハーミット1• F-4J:ハーミット4:自機と供に補給コンテナを誘爆させる• ロータス隊• F-4J:ロータス1• F-4J:ロータス2• F-4J:ロータス3• 第7戦術機甲大隊 07bat• レイピア隊• F-4J:レイピア1• ホーク隊• F-15J:ホーク1:• F-15J:ホーク2:ホーク4の救助を試みるも、戦車級に取り付かれ失敗。 錯乱し乱射。 グリズリー3に止めを刺される。 F-15J:ホーク3:突撃級により、撃破される。 F-15J:ホーク4:戦車級に取り付かれる。 グリズリー隊• F-4J:グリズリー1:• F-4J:グリズリー2:• F-4J:グリズリー3:戦車級に喰われる• F-4J:グリズリー4:戦車級に取り付かれた上、撤退時に取り付かれたまま• サーカス隊• F-4J:サーカス1• F-4J:サーカス4:ゲート前の死骸をロケットで掃除するも不評• ドラゴン隊• F-15J:ドラゴン1• ジョーカー隊• F-15J:ジョーカー1• フレイム隊• F-4J:フレイム1• ライガー隊• F-4J:ライガー1• ブリザード中隊 他戦力• 作戦司令部• オペレーター1~3• 戦車部隊 第3防衛線の接敵に伴い砲撃を開始• 105支援航空隊 第二防衛線がBETAの奇襲によって破られるが、それまでの戦況にレーザー属種が見られないため全機緊急発進。 第1~7航空支援隊• 101機械化歩兵連隊 101reg メインシャフト第1隔壁にて接敵、全滅。 108機械化歩兵連隊 108reg メインシャフト第3隔壁にて接敵、残存中隊・・・たぶん全滅。 116機械化歩兵連隊 116reg メインシャフト第2隔壁にて接敵、全滅。 舞鶴基地所属 第8艦隊 撤退したBETAを照射危険地帯ギリギリまで追撃。 海神 次点• 被害状況• 支援航空部隊は11機• 機械化歩兵部隊は4個中隊壊滅• 警備歩兵部隊は3個中隊全滅• 戦術機甲部隊は全て壊滅• 甲一号排除に伴う地球全戦線の安定化。 作戦目標 第一目標、オリジナルハイヴ最深部に存在する超大型反応炉『あ号標的』の完全破壊 第二目標、特殊物質精製プラント『い号標的』の制圧 作戦立案 オルタネイティヴ第四計画司令部 作戦承認 国連安全保障理事会 決議第3666号 作戦命令 国連統合参謀会議 命令第24172号 結果 人類の勝利• 第3段階突入本隊がSW115へ降下。 先んじて国連部隊が突入し陽動。 米軍部隊は第2制圧目標『い号標的』を目指す。 本隊は最下層『あ号目標』を破壊。 オリジナルハイヴを制圧。 米・国連連合軍• 国連軍第3艦隊• 旗艦 ネウストラシムイ 露• 第1戦隊 爆撃装備• 旗艦 再突入型駆逐艦 早蕨 日• 第2戦隊 爆撃装備• 旗艦 再突入型駆逐艦 夕凪 日 艦長:一文字鷹嘴• 第3戦隊 降下部隊輸送• 旗艦 再突入型駆逐艦 エイラート イスラエル• 第4戦隊 降下部隊輸送• 旗艦 再突入型駆逐艦 シャイロー 米• 第5戦隊 部隊輸送• 旗艦 再突入型駆逐艦 ラファイエット 仏• A-04 XG-70d凄乃皇四型 戦術機甲部隊 鉄原ハイヴ H20:甲20号目標 、2001年段階フェイズ42003年4月10日、鉄原ハイヴ攻略作戦。 帝国呼称、甲20号作戦。 2003. 10 09:04 帝国海軍海兵隊・国連派遣部隊『スティングレイ中隊』、朝鮮半島・仁川に橋頭堡を確保• 2003. 10 12:34 主縦坑に近い多数の門を突入口として確保• 2003. 12 21:33 国連軍・帝国軍統合作戦司令部は反応炉を含む地下茎構造の完全制圧を宣言。 帝国海軍 第2戦術機動艦隊• 戦術機母艦 下北• 下北オペレーター:スィアラーデルタ1 SD1 帝国海軍海兵隊 国連派遣部隊• 潜航ユニット戦隊• 崇潮艦長:オルシナス1:大田 千早• スティングレイ中隊• 海神:スティングレイ1:矢沢 征二 帝国陸軍 戦術機甲部隊• 富士教導団• 第11中隊• 不知火・弐型 XM3搭載機 :スクルド1:涼宮 茜• 不知火・弐型 XM3搭載機 :スクルド5• 第12中隊• 月虹:ウルド1:宗像 美冴• 月虹:ウルド2:風間 祷子• 第31戦術機甲部隊• ライトニング中隊• 陽炎:ライトニング1:• 陽炎:ライトニング2• 陽炎:ライトニング3• 陽炎:ライトニング4• 第26補給大隊• 多脚運搬車輛 国連軍 戦術機甲部隊• ジョーカー隊• 小隊を破壊目標に対して3つの分隊に再編成する。 編成は以下の通り。 第一分隊(C地点担当)• 第二分隊 A地点担当• 第三分隊(B地点担当)• 各個目標破壊後、合流地点にて合流(スタート地点と同一)• 合流時鹵獲物資• 戦域地図• 防寒シート• 対物体狙撃銃(弾一発分のみ)• ラペリングロープ• 各目標を破壊完了• 合流後は小隊での行動にてD地点へ向かう。 途中、渡河中に雨が降り、ロープの回収で意見が対立するも、武の提案により、3時間滞留することになる。 その後まもなく雨が上がり、ロープの回収と狙撃銃の温存に成功。 D地点到着。 しかし、離れ島からの砲撃を受け、第三目標が指示される。 夕呼曰く「無人の砲台が何故か生きていて砲撃されてしまった」とのこと。 最終目標E地点が指示される。 無人砲台のレドーム破壊に成功• 最終目標地点Eに到着• 状況終了• 総合戦闘技術評価演習を合格• 第4段階 第1次攻撃の成功を確認した段階で、間髪入れず残る全てのハイヴへの第2次攻撃を実施 オリジナルハイヴには最大規模のG弾が投下予定 同時に第1次攻撃対象ハイヴでは第2次攻撃を待たずにフェイズ4へと移行 (第2次攻撃対象ハイヴはG弾爆撃の成功が確認され次第逐次移行) 敵増援が発生する前に主縦坑至近でえぐった地下茎破孔から最大戦速で反応炉突入を仕掛けるというもの。 しかしフェイズ4のG弾投下後、G弾が原因による大規模重力偏差が発生してしまい、それどころではなくなってしまった。 なお、UL,TDAでも佐渡島ハイヴ攻略作戦は行われており、「アイスバーグ作戦」という名称でG弾戦術の確認が行われた。

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天一号作戦 (てんいちごうさくせん)とは【ピクシブ百科事典】

あ号作戦

大陸打通作戦(たいりくだつうさくせん、 operation ichi-go)は、第二次世界大戦中の(昭和19年)からにかけて、によりで行われた作戦。 正式名称(日本側作戦名)は 一号作戦。 その結果発生した戦闘についての中国側呼称は 豫湘桂会戦。 前半の京漢作戦(コ号作戦)と後半の湘桂作戦(ト号作戦)に大きく分けられる。 日本軍の目的は、当時の艦船やを攻撃していた爆撃機を阻止するために、中国内陸部のの航空基地を占領することと、日本の勢力下にあるへの陸路を開くことであった。 日本側の投入総兵力50万人、800台の戦車と7万の騎馬を動員した作戦距離2400kmに及ぶ大規模な攻勢作戦で、日本陸軍が建軍以来行った中で史上最大規模の作戦であった。 計画通りに日本軍が連合国軍の航空基地の占領に成功し勝利を収めたが、その後連合国軍が航空基地をさらに内陸部に移動させたことや、作戦中にによりが陥落し、本州がの作戦範囲内になったことから戦略目的は十分には実現できなかった。 背景 [ ] 本作戦は・陸軍部作戦課長が企画立案し敢行したもので、次のような複数の戦略目的があった。 華北と華南を結ぶを確保することで、などの日本の勢力圏内にある南方資源地帯と日本本土を陸上交通路で結ぶこと。 当時、により日本の海上交通は被害を受けつつあった。 鉄道確保は、減少しつつある戦線の兵力の機動力を高めて 小兵力での戦線維持を実現する狙いもあった。 の新型長距離爆撃機である、ボーイングB-29の基地に使用されると予想される連合国軍の航空基地を占領し、中国大陸側からの日本本土空襲を予防すること。 これに先立つ11月にはのが起き、続く方面への空襲への危機感があった。 の率いるの撃破とその継戦意思を破砕すること。 日本の無条件降伏を通告した参加の三国の中で最も弱体の中国国民党勢力を叩いて、カイロ宣言の裏にある英米の対日戦略を崩壊させる狙い。 太平洋戦線における戦況悪化、さらにの降伏やのヨーロッパ戦線での戦況悪化の中で勝利のニュースを作り、国民の士気を維持すること。 当時日本軍は、や、などの連合国軍との戦いが熾烈さを増してきた太平洋方面での防衛体制構築のため、中国戦線から部隊を抽出しつつあり(甲号転用)、(司令官:)は太平洋戦争開始時の兵力90万人以上から62万人へと減少していた。 大陸打通作戦は1943年夏ごろからで検討されていたが、このような兵力上の問題からなかなか実施決定に至っていなかった。 しかし、台湾の新竹空襲など危機感の高まりから、ついに実施が決定したのである。 支那派遣軍の指揮下にある25個と11個のうち、歩兵師団17個と1個、旅団6個が投入されることになり、太平洋戦争開始以来最大の作戦となった。 防諜上の観点から、参加部隊のは、一部で正式なものとは異なる臨時の兵団文字符を使用した。 ただ、大陸打通作戦の実施については、なお異論もあった。 のの間では、連合国軍の航空基地制圧及び中国国民党軍の継戦意思破砕という目的のためには、首都である・方面への侵攻の方が有利であるとの意見があった。 また、食料・物資補給の観点から作戦実施に慎重な意見もあった。 は本作戦を認可しながらも「敵航空基地破壊を徹底し、要らざる欲を出すな」と作戦目的を連合国軍の航空基地破壊に限定するよう指示したが、服部はあくまで陸上交通路を結ぶことに拘り、作戦計画を変えなかった。 一方中国側の兵力は、1944年1月時点で全土に約300万人存在すると考えられた。 4月14日、(司令官:)の部隊が列車で黄河の通過を開始した。 内山中将の指揮下にはと、、独立混成第7旅団の各歩兵部隊の他、と ()が入った。 4月20日、日本軍はを守る中国第85軍に対して攻撃を開始した。 中国軍はすぐに後退に移ったのに対して、日本軍は追撃を開始し、での撃滅を目指した。 第37師団のにより密県は攻略され、守備していた中国軍第23師団は壊滅させられた。 ついで日本第12軍は、の攻略と救援に来るであろう中国軍の包囲殲滅を狙った。 日本軍の許昌進撃を知った蒋介石は、4月26日に許昌の死守を命じ、援軍を派遣させた。 日本軍は第62師団を迎撃部隊として控えさせたうえ、4月30日に第37師団をもって許昌攻城戦を開始した。 第37師団は城外の渡河に苦労したものの、の集中と航空支援により翌日には許昌を占領してしまった。 守備隊長であった新編第29師団長の()中将は戦死した。 援軍としてやってきた中国側の第12軍(司令官:将軍)と第29軍も迎撃を受け、うち第12軍は5月7日までに壊滅した。 さらに中国軍の物資集積基地のあったも、5月20日までに日本の第37師団によって占領された。 所在の飛行場と倉庫は日本軍の制圧下となった。 湯恩伯将軍によれば、京漢作戦中で最大の打撃であったという。 の中国軍は糧食を住民からのによる現地調達に頼っていたため、現地住民の支持を得ることができなかった。 これが中国軍の敗北の大きな一因になったと言われる。 1942年には大があったばかりだった。 によるとほとんどのような状態だったという。 洛陽攻略戦 [ ] 進軍する日本軍の 順調な作戦推移を見た日本の司令部(司令官:大将)は、第12軍にの攻略を命じた。 第12軍の内山中将は中国側の野戦部隊追撃を重視したため、5月19日に第63師団と独立歩兵第9旅団のみでの攻略を命じたが、容易には攻略できなかった。 その後、戦車師団などを含む第12軍主力による攻撃に切り替えられ、~の戦闘で洛陽を占領した。 洛陽の戦闘で中国軍は、第36集団軍司令官の()中将が戦死した。 これをもって、前半の京漢作戦は完了した。 京漢鉄道は開通し、日本軍の記録によれば中国軍の損害は遺棄死体32,390体、7,800人に及んだ。 北支那方面軍司令官の岡村大将は、堕落していた占領軍の規律を回復させ、「焼くな、殺すな、犯すな」の三悪追放令を発した。 この結果、例えば第110師団の占領地域では夜間でも民間人が安心して外出可能であるほどまでに治安が向上し、終戦後の復員の際にも中国側担当者の将軍により第110師団は優遇された。 その兵力は固有の8個歩兵師団と1個旅団のほか、京漢作戦から転戦した第37師団など3個師団が加わって36万人を超えた。 第11軍の最初の任務は、連合国軍の航空基地が設置されていると見られるの占領であった。 第11軍司令部としては、長沙の占領よりも中国側の野戦軍の撃滅を重視しており、都市攻略には3個師団のみをあて、主力5個師団は別に前進しての決戦を計画していた。 5月27日のに日本軍は進撃を開始した。 対する中国側は、第9戦区軍(司令官:将軍)の29個師団を主力に、約40万人を有した。 うち長沙の防衛には第4軍の3個師団を配置した。 6月16日、日本の・・は、長沙の攻撃に着手した。 中国側の守備隊主力は郊外の丘陵に拠って応戦したが、6月18日に日本軍が水路で運び込んだ15cm榴弾砲2門が砲撃を開始すると、夜陰に紛れて撤退した。 しかし、横山軍司令官は略奪などの発生を警戒して、部下将兵に長沙市街への入城は禁じた。 同日夜、アメリカ軍機の激しい空襲により、長沙市街は全焼した。 この間、日本側の第11軍主力は中国軍主力の捕捉を試みたが、中国側は決戦を回避したために大きな成果を得なかった。 衡陽の戦い [ ] 衡陽における中国軍の善戦を記念する碑 ついで日本軍は同じく飛行場所在地であるの攻略に向かった。 ここでも第11軍司令部は野戦軍の捕捉を重視し、と第116師団のみで衡陽占領を目指した。 他方4個師団を中国軍との決戦兵力とし、2個師団は補給路の自動車道路構築にあてた。 6月26日から日本軍は衡陽攻撃を開始し、夜襲により速やかに飛行場の占領には成功した。 しかし、衡陽城市の占領は簡単にはできなかった。 中国側の第10軍(司令官:()将軍)は4個師団の兵力で、養魚場や畑、丘陵などの地形を生かした防御陣地を構築していた。 日本側の第一次総攻撃は7月2日までに頓挫し、第68師団司令部がの直撃を受けて師団長・参謀長が負傷するなどの被害を受けた。 日本側は火砲・食糧・弾薬が不足しており、山砲などの到着を待って7月11日に第二次総攻撃を開始したが、これも将校の死傷が相次ぐなどして失敗に終わった。 事態を重くみた支那派遣軍総司令部は、総参謀長中将を現地に派遣して、第11軍に攻城戦への戦力集中を求めた。 横山第11軍司令官はこの指示に従い、第58師団・・(一部)と重砲部隊を衡陽に向けた。 これにより日本側の砲兵は10cmなど重砲5門、・山砲50門となり、開通した自動車道により弾薬も集積できた。 第三次総攻撃は8月4日から開始され、激しい戦闘の末に8月8日についに中国第10軍は降伏した。 中国側の援軍は、積極的な行動を行わず、衡陽には到着しなかった。 40日間の戦闘で日本軍の損害は死傷19,380人に上り、これには(第68師団の歩兵第57旅団長)など390人の士官の戦死、同じく520人の負傷が含まれていた。 中国側の死傷者も7千人以上になり、これは第十軍の3分の2に及んだ。 方先覚将軍は部下の将兵と市民を引き連れて投降したがこれは中国軍としては初めてのことだった。 その後方先覚将軍は捕虜収容所を脱走し重慶に帰還し、蒋介石から勲章を受けた。 桂林・柳州の戦い [ ] 桂林・柳州の戦いで戦闘に臨む日本軍 この頃、中華民国軍の協力を受けて桂林・柳州に進出したアメリカ軍航空隊の航空機により、などの日本軍輸送船団に被害が出るようになっていた。 日本軍の当初計画では、衡陽攻略後には速やかにやへと南進する予定であった。 しかし、衡陽での苦戦を見た日本の大本営は、以後の作戦の前に第11軍の再編と休養を行う方針とし、補充兵10万人を送ることにした。 8月下旬には現地の統括司令部として(司令官:岡村寧次大将)を新設し、第11軍などを指揮下に入れて安定した作戦遂行を図った。 第11軍は自動車道の開通で補給態勢がようやく整ってきていたので、大本営の方針を無視して進撃を続けたが、アメリカ軍によりが陥落し作戦目的は失われたと判断した大本営とフィリピンでの戦いに備えて桂林・柳州の米軍飛行場を攻略したいと言い出した作戦立案者の服部作戦課長らが停止か継続かで対立、結局服部の意見が通り10月にへ到達したところで発令された停止命令が解除された。 第6方面軍は11月3日のを期して進撃を再開することにし、桂州と柳州を順に攻略するという計画を立てた。 ところが、進撃開始後、第11軍は独断で桂州と柳州に同時侵攻し、方面軍の指導を無視して11月10日までに容易に双方を占領した。 日本軍は柳州付近での中国軍との決戦を想定していたが、将軍率いる中国軍主力は戦闘を回避して後退したのであった。 日本軍は無事に桂林・柳州の連合軍基地を占領したかに見えたが、このような事態になることを恐れたアメリカ軍は、日本軍の侵攻に先立つ10月に航空基地を爆破した上で撤収していた。 なおこの際に、連合国東南アジア軍副最高司令官のは、大統領により罷免され帰国させられている。 後任にはが就任した。 もっとも、第131師団長の()は撤退を拒んで桂林市内に立てこもり戦死し、桂林防衛司令部参謀長()や第31軍参謀長()らも退却中に戦死するなど、中国軍も無傷では済まなかった。 日本軍は補給線が伸びきり自動車用の燃料が不足したために、これ以上の追撃は不可能だった。 この頃になると日本軍の食糧不足は深刻となり、周辺住民からの強制徴発無しでは作戦が不可能になっていた。 小銃などの武器弾薬も不足し補充兵だけが送られてくる状況だった。 中国軍も日本軍も補給は現地調達頼みだったので周辺住民には大変な負担がかかった。 闞維雍師団長、・桂林城防衛司令部参謀長、第31軍参謀長の慰霊碑 第6方面軍の命令でのがを再占領し 、12月10日にはに到達して、の派遣した一宮と連絡に成功した。 ここにおいて「大陸打通」は一応成功したことになる。 これによりとがインドシナへ進出し、印度支那駐屯軍へ編入された。 さらに一部の部隊は貴州省に進出し、独山まで到達した。 南部粤漢線打通作戦と湘桂反転作戦 光号作戦 [ ] 華南とベトナムの間には自動車道のみで鉄道路線がなかったが、今から鉄道路線を建設するのは間に合わないとされた。 第23軍は翌1945年1月に、漢口とを結ぶの確保と遂川などの米軍飛行場の攻略を行った。 を多用した作戦により1月後半から2月前半までに作戦は完了し、地図の上では朝鮮から香港までの鉄道路線が確保された。 続けて4月からは湖南省西部でを、河南省西部および湖北省北部でを実施した。 この二つの作戦は日本陸軍最後の大規模な攻勢作戦となった。 1945年3月に服部が華南の最前線部隊の連隊長に就き、中国国民党軍追撃命令を発令したが5月に変更し撤退命令をだした。 ビルマを奪還した連合軍がインドシナ半島にも攻撃するようになっていたためと、5月28日に大本営から支那派遣軍に対して、湖南省・江西省・広西省を占領している部隊を撤収させて沿岸部のアメリカ軍の上陸が予想される場所に再配置するように命令していたためである。 日本軍は逆に中国軍の追撃とアメリカ軍の機銃掃射の中、かつて進撃してきた道を引き返し、上海や広東・香港まで撤退した上で米軍上陸に備えた(光号作戦)。 これにより日本軍はこれまでの作戦で得た、陸上交通路の確保と飛行場の占領という戦果を自ら放棄することになった。 武漢周辺には第11軍と第20軍から守備部隊を抽出して中国軍の反攻に備えた。 航空戦 [ ] 中国戦線で撮影された日本陸軍の戦闘機 日本側は隷下の250機弱が中国戦線にある航空兵力であった。 1943年8月21日から1944年5月6日の期間中、連合軍機44機撃墜に対して空戦損害は10機喪失を報告しており、この頃、その数を背景に連合国軍が勢力を増してきていた太平洋方面でのそれに比べると善戦であった。 しかし、これらの陸軍航空隊は戦闘消耗と太平洋方面への転出で、1944年7月には150機に減少した。 アメリカ陸空軍を主体とする連合国側の航空兵力は逆に増加し、1944年5月には520機だったのが、7月には750機となった。 日本側は新鋭を装備したを9月から1ヶ月限定で投入して、一時的に戦況を好転させたものの、全体としては連合国側がを握ってきていたため、日本軍の地上部隊は空襲を避けるために夜間移動しなければならなかった。 日本軍の補給線は激しい空襲を受けて、前線で弾薬などの不足をきたした。 1944年12月にはが実施された。 結果 [ ] 大陸打通作戦後の日本軍占領地域 赤部分 、及び中国共産党ゲリラの拠点地域 ストライプ部分 日本軍は勝利したものの大きな損害を受け、戦死が11,742と戦病死がそれ以上 であった。 戦死戦病死者十万 という大きなものであった。 この大陸打通作戦の最大の目的は、中国西南地区に設置されたアメリカ陸軍航空軍基地群を占領する事であった。 当時日本は中国戦線の制空権の一部を連合国軍に奪われており、中国の基地から出発したアメリカ軍の爆撃機は九州、山陰、朝鮮を爆撃していた。 満足な装備を持たない日本軍がこの作戦に成功した要因は、アメリカやイギリスから供給された武器や物資があるにもかかわらず、国民党軍が満足に戦わなかったからである。 その結果、桂州と柳州では在華米軍基地を日本軍に明け渡した。 7月にルーズベルトは蒋介石に書簡を送り、在華米軍、国民党軍、共産軍を統合した最高指揮官にスティルウェル将軍を任命するよう提案したが、蒋介石はこれを拒絶している。 スティルウェルはその日記に次のように記述している。 「 蒋介石は自分に補給される軍需品をためておき、日本軍の退去につれ、共産主義者の地域を占拠してこれを粉砕するつもりである。 (日本軍と)真剣に戦う努力はしないであろう。 」 なお、1942年の日本軍によるビルマ攻略以降、唯一の援蒋ルートであったイギリス領インドから中国への空輸による軍需物資輸送は、300万人の中国軍を維持するには輸送量に限界があり、運ばれた物資も、その多くがビルマ方面で援蒋ルート確保のためにスティルウェルの指揮のもと戦う中国軍部隊(X部隊及びY部隊)との指揮する在華アメリカ陸軍航空隊に優先的に割り当てたため、中国本土で日本軍の支那派遣軍と戦う中国軍にはろくな補給がされず、装備も日本軍以上に貧弱で、敗北は必須だったと蒋介石を擁護する意見も存在する。 そもそも当時の蒋介石政権は長期化した対日戦争に因るインフレにより経済的に内部崩壊を起こしていた。 中国国内のインフレは官憲の汚職を進行させ、軍隊の活動にも支障をきたした。 また蒋介石は非中央系部隊(や系の部隊)への補給を、再度行われるであろう国共内戦のために彼らが横領するであろうと躊躇したため、中国軍は戦力が不揃いなものになった。 武器弾薬はおろか食糧に事欠く中国軍の大群は農民からの強制的な徴発で間に合わせた。 河南は1942年に旱魃と飢饉があったばかりであり、日本軍の大攻勢で散り散りになると各地で同じ中国人の農民から袋叩きにされた。 飢饉と重税により、日本軍や反政府ゲリラである八路軍に協力する、もしくは協力せざるを得ない住民が多数発生した。 他方で、日本軍は作戦目的地の占領には成功したものの、戦略的にはあまり利益を受けることができなかったという見方もある。 地図上ではのから、を経て、日本軍の勢力下にあるビルマのラングーンまでで往復できることになったが、広大な大陸を点と線で結んだに過ぎず、京漢鉄道は中国軍の的妨害活動を排除して運行するには長大過ぎ、まともに機能しなかった。 第22師団と第37師団を主に徒歩でフランス領インドシナへ転用できた程度であった。 また、アメリカ軍のボーイングB-29基地の使用阻止も、さらに内陸のや成都、芷江などにも飛行場が作られたうえに、大陸打通作戦中の1944年7月にはが陥落したことで、日本本土の大半がボーイングB-29の作戦圏となっていた。 やむなく続けてを実施して飛行場を制圧したものの、マリアナ諸島が陥落している以上は、本土空襲予防という意味ではほとんど成果は無かったことになる。 大本営内部でも「作戦を続ければの二の舞になる」として作戦中止と戦力の太平洋方面への転用を求める声もあった。 しかし作戦計画立案者の作戦課長はあくまで作戦続行を主張したため、大陸打通作戦はその後も継続された。 国民党軍の損害は軽微ではなかったものの、継戦意欲を完全に失わせるには至らなかった。 占領地が広がったではの攻勢に苦しめられる事となる。 さらに芷江の飛行場の制圧を試みたは中国軍の勝利に終わり、日本軍は撤退に追い込まれた。 大陸打通作戦は第二次世界大戦最大の大攻勢、かつ日本陸軍最後の大攻勢であり、これにより国民党軍は大打撃を受けて国共内戦時に影響を受けた。 しかし一方でアメリカは、蒋介石に対し内戦回避のため、締結の仲介も行っている。 の研究によれば、この作戦の結果は日本側の想像以上にその後の戦況に重大な影響を及ぼし、かつ日本の命運にも決定的な影響を与えたという。 それによるとは、開戦以来一貫して蒋介石を強く信頼しかつ支持しており、カイロ会談の際に、蒋介石を日本との単独講和で連合国から脱落しないよう、対日戦争で激励し期待をかけたが、本作戦により蒋介石の戦線が総崩れになった事でその考え方を改めたという。 実際、これ以降蒋介石が連合国の重要会議(「」と「」)に招かれる事はなくなった。 スティルウェル文書によると、「中国は勝てるか」と述べたルーズベルトに対し、スティルウェルは「蒋介石を排除するしかない」と述べ、1944年の衡陽会戦に際しては夜も眠れず、2回も自殺を考えたと言う。 アメリカ側も蒋介石の暗殺を計画し、「毒殺」、「航空機事件」、「自殺に見せかける」という三方法が検討されたが、1944年ビルマ等の国際状況の変化で中止した。 アメリカが想定していた後継者はだという。 ルーズベルトの配下の陸軍参謀総長や将軍 がかねてより主張してきた通り、実は蒋介石の軍隊は軍隊の体をなしていない士気の沮喪したどうしようもない腐敗した組織であり、とてもアメリカをはじめとした連合国軍と共に戦う意欲もなければ、その能力もないことが明らかになったのだという。 その結果、ルーズベルト大統領は対日作戦のシナリオを、従来の中国大陸の航空基地から日本などを爆撃するというものから、マッカーサーらが主張したに転換した。 そしてもう一つ重要な点は、それまで蒋介石とその一派にのみ注がれ続けていたアメリカの目を、中国のもう一つの勢力、指揮下の軍に向けさせる効果を持ったことである。 戦略的誤算 [ ] ヒマラヤ超えの援蒋航空ルート。 日本陸軍のなどは「辻斬り」と称する攻撃を実施していた ルーズベルト大統領は、対日無条件降伏を目指すカイロ宣言に中国を参加させた。 ルーズベルトは蒋介石を巨頭として祭り上げ士気を高めさせようとした。 この政策は蒋介石に対する優遇政策に見えるが、中国側にとっては余りにも過酷な課題であった。 当時中国はにビルマで日本軍がが遮断した事で、アメリカからの軍事物資が空輸によるヒマラヤ越えのみとなって物資不足で戦局が不利であり、ヨーロッパ戦線や太平洋戦線と違い中国戦線にはアメリカ軍の援軍がいなかった。 さらにアメリカからの物資が不足している事に蒋介石は不満を募らせていた。 更に国民党軍とは戦力に圧倒的な差があった。 中国国民党軍はドイツ式やアメリカ式の装備と訓練を受けた一部の中央軍(蒋介石直属の軍)の部隊を除けばゲリラと軍閥の寄せ集めのような集団であり、1943年頃に中国は将軍18名、高級将校70名、兵士50万人が日本軍に投降していた。 逃亡を防ぐためのもあった。 1945年1月のレド公路の打通まで中国側の軍事物資がヒマラヤ越えという不利な点を考慮すれば、日本と単独講和で休戦して連合国の戦線から離脱する事が蒋介石政権崩壊を防ぐための得策であった。 一方、同時期のにイタリアは軍事的な考慮から枢軸国の戦線から離脱し、の一角が崩れた。 しかし英米首脳はカイロ会談で日本への無条件降伏を目指しており、そのためには中国大陸にいる100万人の日本陸軍を撃ち破ってくれる味方の地上軍が必要であり、その役割を蒋介石率いる中国軍に当てはめた。 カイロ会談で行われた対日戦略は、テヘラン会談におけるソ連の役割を無理矢理に中国国民党に当てはめたという意味で無理のある戦略が立てられ、また中国から日本本土への爆撃計画も行われ、1943年11月にが実施された。 後に、スティルウェルや国務省の外交官からは次に日本軍の攻勢に晒されれば蒋介石政権が倒壊させられると危険信号が出された。 一方カイロ宣言を知った日本陸軍は自分たちに無条件降伏を要求した蒋介石に激怒し、蒋介石の軍隊を粉砕させようと大攻勢を始めた。 そもそも蒋介石自身がスティルウェルによる中国戦線での指揮権と中国軍の抜本的改革に反発したため、大陸打通作戦における中国国民党軍は蔣介石の指揮下の弱小な軍隊だった。 1944年の春、スティルウェルの予告どおり、国民党軍は大陸打通作戦で日本軍に大敗してもはや中国は勝てる見込みがなかったが、ルーズベルトは蒋介石に日本と単独講和で休戦させず戦争継続を唱え、半年後に国民党軍が総崩れになってしまう。 ルーズベルトは中国本土から日本への空襲計画を考案したが、スティルウェルは空輸による戦略物資の輸送は限界がある上、中国内からの日本本土爆撃は日本軍の猛烈な反撃や更なる内陸侵攻をもたらし重慶政権が危うくなると反対しており、それが的中したのである。 ルーズベルトの提案した、中国に日本を無条件降伏をさせる対日戦略 と中国大陸からアメリカ軍の日本空襲計画、米英ソの連合国三巨頭に中国を加える事によって対日戦争での中国の士気を高める「」は彼の認識不足による過大なものであった。 彼は劣勢な中国戦線を前述の激励させて士気を高める事によって解決させようとしたのであるが、中国は到底米英ソと共に第二次世界大戦を完遂する事について行けない事に気がつかなかった。 やで見られるように日本軍の抵抗は頑強であり、その抵抗ぶりにはアメリカ軍が苦戦を強いられた程である。 それほど頑強な抵抗をする日本軍(支那派遣軍)100万人を中国側が単独で無条件降伏させるような事はほぼ不可能であった。 ルーズベルトがにソ連軍の対独戦勝後に対日参戦を要請したのは、日本を無条件降伏させるためにアメリカ軍の損害を増やさないためである。 余談であるが、ソ連は自国内に侵攻してきたドイツを英米の協力の元押し戻し、無条件降伏させるために第二次世界大戦で最大の戦死者を出している。 1944年の秋頃にようやくルーズベルトは蒋介石の実力を認識し、対日無条件降伏では戦争を長期化させるとして、一日でも早く日本を降伏させるために日本への無条件降伏の内容を譲歩する方針を出した。 1945年2月の米英ソのは中国代表の参加が認められず、ルーズベルトはスターリンに対して蒋介石の承諾なしにソ連の対日参戦や満州の利権確保を認め、朝鮮の南北分割まで取り決めた。 これを伝え聞いた蒋介石は独自に日中の二ヶ国間和平交渉であるを開始し、ソ連の満州侵入前に戦争を終結させようとした。 これには日本側の小磯國昭首相も賛成・期待していたが天皇や重臣の支持が得られず逆に小磯内閣の総辞職を招いた。 1945年になっても中国には支那派遣軍を弱体化させる事は出来ず、1945年の受諾の際に支那派遣軍総司令官のは「百万の精鋭健在のまま敗戦の重慶軍に無条件降伏するがごときは、いかなる場合にも、絶対に承服しえざるところなり」と無条件降伏に反対した(しかし実際にはや湘桂からの撤退戦で中国軍に敗北していた)。 1944年の他方面戦況との比較 [ ] イギリス領インドで再編成された中国軍 イタリアは1943年9月に枢軸国から脱落したものの、日本とドイツは依然として強力な軍隊を保持しており、この2ヶ国を無条件降伏させるのは未だ簡単なことではなかった。 ではアメリカ・イギリスが6月のでフランスを解放し、さらに12月のでもドイツの反撃を抑えた。 では6月にが連合国軍の手に落ちていた。 でもソ連が反攻に転じて勝利を収め、開戦前の領土を回復しドイツ領内に侵攻した 、6月22日 - 8月19日。 8月から9月にかけてはルーマニア、ブルガリア、フィンランドが枢軸国から脱落した。 ドイツ国内ではが発生した。 アジア太平洋戦線においては、1943年夏頃までは日本軍と連合国軍が一進一退を続けていたが、その後で以降イギリスが日本に勝利し、やではアメリカが勝利を重ねていた。 つまり、1944年にはヨーロッパでもアジア太平洋でも他の連合国軍が勝ち進んでいる中で、中国だけが大陸打通作戦で惨敗しており、連合国の中で戦局は最も悲惨であった。 中国を強く信頼していたルーズベルトに対し、チャーチルは中国の戦闘能力の低さを、スターリンは中国の戦争貢献の少なさを指摘している。 ビルマ戦線では、スティルウェルの指揮のもと再建された中国軍がやで日本軍に勝利を収めたが、それらの部隊が中国本土に転戦するのは日本軍の敗色が濃くなった1945年になってからである。 本作戦は太平洋戦争末期の日本軍の敗色濃厚な戦局の中で唯一のまともな大勝利を収め、この期間の大本営発表とそれに伴うマスコミの報道は中国戦線での勝利の発表で埋め尽くされた。 1944年9月の大本営発表に至っては、内容の約7割が中国戦線の動向の発表だった。 関連作品 [ ]• 第6号付録ゲーム『衡陽風暴1944』:1944年日中戦争における「大陸打通作戦」の過程で6月に発生した衡陽の戦いをテーマにしている。 第118号付録ゲーム『帝国戦車師団:大陸打通作戦』:一号作戦の第一段階に当たる「河南作戦」を作戦級のスケールで再現している。 『人間の条件1942』劉燕子訳、集広舎、2016年。 1942年春のに際して日本軍が軍糧を放出して難民を救済し、一部の中国の民衆が日本軍に協力した事件を描いた歴史小説 注記 [ ]• ジェームズ C. 2016年4月28日閲覧• オールカラーでわかりやすい!太平洋戦争 [Kindle版] 172頁• 伊藤、299頁。 伊藤294~295頁。 伊藤、322~324頁。 伊藤、312頁。 劉燕子「」2015年11月12日集広舎• 伊藤、313~314頁。 伊藤、316頁。 伊藤、330頁。 伊藤、340,343頁。 伊藤、346頁。 2017年2月23日閲覧• にも一度日本軍が占領していたが、大東亜戦争開始に伴い放棄していた。 梅本弘,『第二次大戦の隼のエース』 大日本絵画、2010年8月 p48• 伊藤、319頁。 日军共战病六万六千人,某野战医院收治的6164人中死者2281人 而且这是44年5月下旬到11月下旬的统计,因此是不完全的 餓死した英霊たち P116• 第二次世界大戦1939-45(下)78項、191-192項• 歴史の探求(上)• バーバラ・W・タックマン 『失敗したアメリカの中国政策 ビルマ戦線のスティルウェル将軍』 朝日新聞社、1996年。 スティルウェルは、1942年の段階で、「蒋介石は全く役に立たず、能力はあっても抗日戦に軍を使う気がない」とレポートしていた• そもそも蒋介石自身がスティルウェルによる中国戦線での指揮権と中国軍の抜本と改革に反発したのである。 それは弱くても自分に忠誠な軍隊を欲する蒋介石にとって、軍隊の強化は恐れた事である。 1945年に蒋介石はを通じて和平工作を行った。 国共内戦に備えて10万人の日本軍の貸与の条件であった。 ルーズベルトは中国に「中国による沖縄占領」「米中共同出兵による日本占領」という対日戦略を提案しているが、軍事力の乏しい中国による日本占領は不可能である。 中国の役割は100万人の日本陸軍を釘付けにさせる以外は期待がなかった。 劉燕子「」2015年11月12日集広舎• 2006年6月4日読売新聞書評 参考文献 [ ]• 一号作戦 1 河南の会戦、防衛庁防衛研修所戦史室、朝雲新聞社、1967年• 一号作戦 2 湖南の会戦、防衛庁防衛研修所戦史室、朝雲新聞社、昭和43年• 一号作戦 3 広西の会戦、防衛庁防衛研修所戦史室、朝雲新聞社、昭和44年• 『帝国陸軍の最後 2 』 、1973年• 『戦史検証 総兵力40万、突進距離2400km 帝国陸軍最大の攻勢作戦 大陸打通作戦』(『No. 50』所収)、、2001年• 辻田真佐憲 『大本営発表』 幻冬舎新書、2016年、•

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天一号作戦 (てんいちごうさくせん)とは【ピクシブ百科事典】

あ号作戦

7.戦艦大和・武蔵の昭和18年5〜7月の変更箇所 図は1943年7月の大和です。 ただし武蔵との違いは、ラッタル 赤 の部分のみで、この時期の艦橋構造物に関しては大和も武蔵も殆ど違いがありません。 1943年5月の入渠時の改装により、第一艦橋付近にあった空中線支柱や信号指揮所 いずれも黄色 は移設され、18cm海上見張用眼鏡のスポンソン 紫色 は拡大されました。 武蔵では以上の変更を竣工時に行っています。 また15m測距儀の上には21号電探 緑色 が装備されました。 先の説明にもありましたが、武蔵では1942年9月に装備済みです。 艦橋部の22号電探 水色 は大和が1943年5月、武蔵は1943年7月に装備しましたが、その後 大和が1944年3月、武蔵は1944年4月 18cm海上見張用眼鏡のスポンソン 紫色 の直下に移動されました。 大和、武蔵とも1943年5月と7月の工事で信号所甲板 白 は後部に2m程拡張されたと言われてます。 艦舷の艦窓 水色 は1942年10月の訓令対策にて1943年中頃までに塞がれたようですが、おそらく1943年の入渠時 大和が1943年5月、武蔵は1943年7月 だと思われます。 両舷副砲前後の25mm3連装機関砲 オレンジ色 は、武蔵は竣工時に装備していましたが大和は1943年7月に装備したとの事です。 大和は1944年2月25日〜3月18日までの間に両舷の15. 5cm副砲を撤去し12. 7cm高角砲や25mm機関砲を増設し、対空防御機能を強化してます。 上図は改装された後の大和の中央部です。 艦橋部のラッタル 赤 は武蔵との違いを示しています。 艦橋部の22号電探 水色 は18cm海上見張用眼鏡のスポンソンの直下に移動されました。 また第2艦橋横の150cm探照灯管制装置は25mm増設機関砲の火器管制装置 黄色 に換装されたようです。 艦橋基部の後部には兵員待機所 緑 が設置されています。 また撤去された7,8番探照灯の所には、艦橋と煙突の間にあった94式高射指揮装置 水色 が移設され、94式高射指揮装置の部分には、25mm増設機関砲用の火器管制装置 黄色 が設置されました。 3脚マストには13号電探 緑 が設置され、マストの後ろには電探室 緑 も設置されています。 これに伴い3脚マストも一部補強 黄色 されたとの事です。 前楼下部及び後楼廻りの25mm機関砲 黄色 のシールドは増設された25mm機関砲に移設され、同様に既設の12. 7cm高角砲 黄色 のシールドも下段の12. 7cm高角砲 緑 用に移設されました。 下部に増設された高角砲甲板 緑 の周囲には25mm機関砲 緑 が増設されました。 また後楼の横には増設した25mm機関砲用の火器管制装置 緑 が増設されています。 武蔵は1944年4月10日〜4月22日までの間に両舷の15. 5cm副砲を撤去し対空火器増強を行いましたが、12. 7cm高角砲の増産が間に合わず、電探や25mm機関砲の増設のみの強化に留まっています。 上図は改装された後の武蔵の中央部です。 艦橋部のラッタル 赤 は大和との違いを示しています。 艦橋部の22号電探 水色 は18cm海上見張用眼鏡のスポンソンの直下に移動されました。 また第2艦橋横の150cm探照灯管制装置は25mm増設機関砲の火器管制装置 黄色 に換装されたようです。 艦橋基部の後部には兵員待機所 緑 が設置されています。 また艦橋と煙突の間にあった94式高射指揮装置 水色 は撤去され、25mm増設機関砲用の火器管制装置 黄色 が設置されました。 7,8番探照灯も撤去されましたが、ここには25mm単装機銃が設置されたようです。 3脚マストには13号電探 緑 が設置され、マストの後ろには電探室 緑 も設置されています。 これに伴い3脚マストも一部補強 黄色 されたとの事です。 下部に増設された高角砲甲板 緑 の周囲には25mm機関砲 緑 が増設されました。 また後楼の横には増設した25mm機関砲用の火器管制装置 緑 が増設されています。 11.戦艦武蔵 捷一号作戦時 1944年10月 大和同様、この図ではマリアナ沖海戦後の6月末〜7月初めにかけて増設された25mm機関砲は描き込んでおりませんが、捷一号作戦時の武蔵の中央兵装は諸説あります。 例えば第1、第2照明灯を下ろし、噴進砲を積んだとか、単装機銃を積んだ等あります。 しかし、別項のリサーチの通り噴進砲を積むには時期的に不可能、また戦闘詳報に記録がない等がありますし、大和自体が探照灯を最後まで6基のままだったと考えると、第1、第2探照灯は降ろさなかった可能性が高いのではないかと推測しています。 第7,第8探照灯は大和同様撤去され、そこに単装機銃を搭載したというのが一般的です。 考証のページにを掲載していますので、これもあわせて閲覧ください。

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