丸井 今井 札幌 店。 ルイ・ヴィトン 丸井今井札幌店 日本|ルイ・ヴィトン 公式サイト

【Cafe Eden】カフェエデン丸井今井店の限定パフェが大人気

丸井 今井 札幌 店

丸井今井呉服店・洋物店の開業 かっては[丸井さん]と呼ばれ地元を代表するデパートの雄として君臨してきた丸井今井百貨店は、1871年(明治4年)店祖である今井藤七氏が新潟県から渡道した事から始まります。 今井藤七氏は渡道後函館で陶器商を営んでいた武富平作氏の店で奉公、翌年の'72年 明治5年 札幌で独立して小間物屋を現在の南1条創成橋付近に開業しました。 開店早々良品販売で商品は飛ぶように売れた為、藤七氏は2ケ月に一度商品仕入れのため函館まで通わなければならないほどでした。 所蔵 札幌公文書館[北海道十字の光]より 明治7年藤七氏は当時の西創成通り(現在の南1条西1丁目南西角)に新店[今井呉服店]を構え、始めて丸井今井の[のれん]を出し、呉服太物と雑貨を扱いました。 丸井物語より引用。 写真は、[札幌繁栄図録 高崎龍太郎・財界さっぽろ ]より引用させて頂きました。 写真左図は、1874年 明治7年 藤七が開業した[今井呉服店]です。 所蔵 札幌市公文書館[丸井今井百年の歩み]より転載。 写真右図は、明治20年胆振川埋め立て後の呉服店前の通りです。 所蔵 北大付属図書館 当時、現在の南1条西2丁目の道路は[胆振川]が流れ、2丁目と1丁目の間には[胆振橋]が架けられていました。 明治19年岩村北海道長官が川を埋め立てた事で2丁目通以西も急速に発展を続けました。 2丁目通の完成を機に藤七氏は、明治21年2丁目通を挟んで新たに[札幌丸井洋物店]を開店し、呉服店から洋服他一切の用品を分離しましたが、これが後のデパート開店につながります。 註 当時現在の南1条通は[渡島・日高通]、2丁目通は[胆振通]と呼ばれていましたが、明治14年の明治天皇行啓にあたり条丁目改正が行われ現在名にかわりました。 明治34年丸井今井は創業30周年を迎えました。 当時はまだ合名会社今井商店の時代でしたが、経営は順調に推移しており、30周年を記念した大売り出しが盛大に行われました。 合名会社丸井今井は、明治44年株式会社組織に改められ、同年[札幌呉服店][札幌洋物店][藤武良呉服店][札幌金物店]を合併して百貨店建設の基盤づくりを進めました。 所蔵 北大付属図書館 本格的な百貨店の開設と推移 時代は進み我が国の経済も自給自足経済から商品経済に移行しつつありましたが、現在の札幌三越の前身である[越後屋]が明治37年に株式会社三越呉服店を設立したのを機に、東京、大阪地区で百貨店が続々と誕生しました。 このような状況を踏まえ藤七氏は丸井今井本店の百貨店開設を志し大正5年10月1日北海道で最初の百貨店が誕生しました。 新しい百貨店の建設場所は南1条西1丁目の[洋物店]の跡地で、現在の丸井本店の場所です。 最初の店舗は総3階建て総建坪1260坪のセッシヨン様式で、北海道で初めてのエレベーターも設置されていました。 この百貨店も大正13年12月28日の夜漏電により出火して焼失するという惨事に見舞われましたが、2年後の大正15年4月には、総4階一部5階建の新館が再建され、5月13日から営業が再開されました。 所蔵 札幌市公文書館 再建された札幌今井呉服店 所蔵 札幌市中央図書館 昭和に入り丸井は札幌本店の大増改築計画に取りかかり、昭和12年2月工事に着手して10月28日新店舗が完成し、11月1日華々しく営業を開始しました。 新しく完成した店舗は、地上総7階で屋上広場、展望台なども設置され、大正15年の店舗の2倍の面積でした。 因みに竣工時の昭和12年の札幌の人口は20万余でした。 その後札幌市は、人口も増大の一途を辿り流通業界も近代化の道を歩み始めました。 昭和25年丸井は社名の変更を行い、これまでの[株式会社丸井今井商店]から[株式会社丸井今井]としました。 株式会社丸井今井としてスタートした後経営は順調に推移し、昭和50年には本店に[大通館]が開設され、その後これまでの小樽・函館・旭川に加えて苫小牧店・釧路店なども相次いで開店するなど店舗網の拡大に加えて多角化路線を強め昭和年代末には年商100億円を超える発展を続けてきましたが、平成に入り平成9年の拓銀の影響破綻を契機として経営危機に陥り新しい経営の見直しが不可欠となりました。 経営再建の道 丸井今井から札幌丸井三越へ 経営破綻に陥った丸井今井は、平成17年には伊勢丹などの支援を受けて二度目の再建に着手しましたが、平成15年に進出した大丸札幌店の開業などの影響を受けて資金繰りに行き詰まり、平成17年には小樽・苫小牧店の閉鎖に加え釧路・旭川店の閉鎖を行いました。 函館店と札幌本店は、存続して営業を行っていますが、2011年4月1日、札幌丸井今井は札幌三越と合併して[札幌丸井三越]と改称し、長い間道民に親しまれてきた[今井]の文字が消えることとなりました。 2011. 1日、 株 札幌丸井今井は、 株 札幌三越と統合して 株 札幌丸井三越としてスタートしました。 現在の丸井今井は、本館の他に大通館、大通別館、南館を持つデパートとして営業を展開しています。 記事は、丸井今井90年史、丸井今井物語を参照させていただきました。

次の

札幌丸井今井店|ロイズ(ROYCE')公式サイト

丸井 今井 札幌 店

この項目では、北海道の百貨店について説明しています。 本州(首都圏のほか関西)に展開している小売店については「」をご覧ください。 その他については「」をご覧ください。 株式会社函館丸井今井 Hakodate Marui Imai Ltd. 現在は株式会社を参照。 北海道丸井今井株式会社 Hokkaido Marui Imai, Inc. (平成22年)12月15日。 民事再生手続き中。 事業譲渡により、現在は運営店舗はなし。 丸井今井(まるいいまい、:Marui-Imai)は、内にあるである。 明治期に北海道唯一の呉服店として始まり 、最盛期には道内7店舗を展開し、北海道随一の百貨店グループに成長したが、経営不振から2009年に倒産し 、現在はが2店舗を以下の完全子会社2社に分けて運営している。 「 丸井今井札幌本店」 株式会社• 「 丸井今井函館店」 株式会社函館丸井今井 目次• 歴史・概要 [ ] 創業から第2次世界大戦前まで [ ] (明治5年)4月に三条町 現在の 出身の が同郷の高井平吉と共同で札幌の創成橋 現在の札幌市中央区南1条西1丁目 の近くの 創成川河畔にあった 茅葺きの家屋の一角にむしろ敷きの屋台の様な店舗で 小間物店 今井商店を開業した のが始まりである。 低価格と誠実さ・勤勉さが評判となって開業前に仕入れた商品を2ヶ月で売り切るほど繁盛し 、2年後の(明治7年)には店舗を新築・移転して 丸井今井呉服店を開店した。 当初は創業前まで今井藤七が在住していた函館 と頻繁に往復して仕入れていた が、この形態では東京と函館の問屋を二重に経由して割高となるため(明治24年)に東京に仕入店を開設する など東京の問屋から直接仕入れに早くから切り替え 、開拓途上の北海道にできるだけ豊富で低価格に物資を供給して移住者の生活安定に寄与しようとし 、(明治12年)からは正札販売を開始した。 こうした営業姿勢が評判を呼んでこの頃から尊敬と親しみを込めて まるいさんと敬称をつけて呼ばれるようになったといわれる。 (明治21年)には 今井洋装店を開業して洋服などの販売に乗り出した ほか、(明治23年)に滝川支店を開設した のを皮切りに道内各地に支店展開を始め、(明治2年) 10月に 小樽の色内に 丸井今井呉服店小樽支店 、同年11月に室蘭市中央町に 丸井今井呉服店室蘭支店 、(明治25年)4月25日には当時の函館の繁華街末広町の南部坂下の一角にあった函館第一の呉服店山丸二菊池呉服店を買収し今井藤七の末弟今井良七に任せて 函館丸井今井呉服店 、(明治30年) 10月 には 丸井今井呉服店旭川支店 など函館から旭川にいたる道南から道央まで広がる店舗網を構築した。 そして(大正5年)には札幌大火からの復興の際にレンガおよび石造3階建の店舗を新築したのを機会に札幌本店を百貨店として営業を開始した。 (明治31年)1月に 合名会社今井商店として法人化し 、(8年)には 株式会社今井商店に改組して 株式会社化し 、(大正12年)には函館の末広町に3階建で玄関に大理石柱がある店舗を建設して函館支店の百貨店営業を開始した ほか、同年には小樽支店を色内から稲穂第一大通り(現在の)に移転する と同時に百貨店としての営業を開始する 同年には旭川支店も百貨店としての営業を開始する など支店の百貨店化を開始し、室蘭支店も昭和に入ってから百貨店する など各支店の百貨店化を進め、第2次世界大戦前から道内各地に店舗を展開する百貨店網を構築した。 この間の(大正13年)に失火により札幌本店が全焼したため直ぐに再建に取り掛かり 、1926年(大正15年)に総4階一部5階建てので北海道では初の客用エレベータを備えた札幌本店を新築して復興し 、(昭和5年)11月2日に函館支店を5階建てに増築して開業した際には客用と貨物用のエレベーターや催事場や屋上サンルームなどの施設も導入し 、(昭和9年)ににより函館支店焼失がした際にも鉄筋コンクリート構造地下1階地上5階建で塔屋2階建として復興させる など早くから近代的な施設の整備を進めた。 第2次世界大戦後の増床や店舗網の再構築 [ ] 第2次世界大戦後の(昭和25年)9月に 株式会社丸井今井に商号変更を行って 百貨店名と同一とし、その後各店舗の増改築などを行って(昭和40年)時点で同年に別館新築を行った 札幌本店が15,491で道内最大の売場面積となっていたほか、旭川支店 4,411m 2 、小樽支店 4,318m 2 も各々の地区で最大の売場面積となるなど積極的な営業戦略を採った。 同年には札幌本店が売場面積15,491m 2で売上高83. 6億円を上げて同じ地場資本の五番館の47. 9億円 売場面積9,864m 2 や東京資本の三越札幌店の45. 6億円 売場面積9,554m 2 を大きく上回って北海道で最大の売上を上げる地域一番店となったほか、旭川支店も売場面積4,411m 2で売上高16. 0億円を上げて地場資本の丸勝松村百貨店の8. 5億円 売場面積3,500m 2 を大きく上回って地域一番店となるなど複数の地域一番店を持ち、その他にも函館支店が売場面積4,979m 2で売上高15. 0億円を上げて地場資本の棒二森屋の26. 9億円 売場面積6,513m 2 に次ぎ、小樽支店が売場面積4,318m 2で売上高13. 5億円を上げて地場資本のニューギンザ百貨店の14. 1億円 売場面積2,823m 2 を下回ったものの地場資本のの13. 5億円 売場面積3,821m 2 とほぼ並んで2番手に付け、室蘭支店が売場面積3,385m 2で売上高10. 4億円で5店合計で売上高128. 5億円を上げるまでに成長した。 (昭和44年)10月21日 に函館支店を五稜郭地区の本町に移転し 、(昭和53年)4月に旭川支店を1条通8丁目に移転させ 、(昭和56年)4月に室蘭支店を中島町1丁目に移転させる など繁華街の移動に合せて店舗のスクラップアンドビルドを行ったほか、(昭和49年)9月29日には函館店の増床をし 、札幌本店は1969年(昭和44年)12月に増改築し 、(昭和50年) 9月には大通館を開業 して大幅な増床をはかり、(平成2年)9月には小樽駅前に進出した大型ショッピングセンターに対抗するため小樽支店を再開発ビル内に拡張移転させる など既存の店舗網の強化と再構築に取組み、店舗網の維持拡大を図った。 また、1968年(昭和43年)9月には本店の近隣で業績が悪化していた地場資本の百貨店 の事業を当社も出資した新会社株式会社丸ヨ池内に引き継ぐ形で 傘下に入れ 、(昭和48年)には子会社丸井マルサを設立して札幌で の運営に乗り出し 、(平成3年)には小樽店の移転に関連して旧小樽支店跡にできた再開発ビル内にも小樽マルサを開業させる など既存店の周辺の商業集積を高める戦略も同時に展開していた。 なお、(昭和54年)に北見市の老舗百貨店まるいいとうと業務提携して役員の派遣を行ったが、(昭和61年)にきたみ東急百貨店との競合に破れて閉店に追い込まれている。 4代目社長今井春雄の経営多角化 [ ] (昭和63年)に4代目社長に今井春雄が就任すると 、1989年(平成元年)にクレジット会社を傘下に収めてクレオファイナンスとして顧客向けクレジットカード事業を中心としたノンバンク事業にも乗り出した のを皮切りに(平成2年)に子会社丸井クレオコーポレーションを設立して外車輸入事業 、(平成6年)に子会社丸井ディオスを設立して小樽市でペテルブルグミュージアムの運営事業 、同年に子会社丸井店舗開発を設立してマルイストアとして事業 、更には札幌本店の駐車場ビル丸井パークタワー内でスポーツクラブ事業 や関連会社アイ・エム・アイを通じた米国不動産投資 と矢継ぎ早に新規事業を展開して急速に多角化を進めた。 また、(平成6年)5月に今井春雄社長の資産管理会社だった千登世開発が取得した札幌市のビルにマルサ2を開業 、(平成4年)10月に旭川店を増床 、(平成5年)に設立した丸井都市開発に店舗ビルを建設させて (平成7年)9月には苫小牧支店を開店 、さらには(平成8年)7月8日に 業績不振に陥っていた釧路市の地場資本の百貨店の株式の大半を取得して買収して 10月4日に釧路支店を開設する など後の景気低迷が始まって以降も多店化を進めるなど積極的な営業戦略を採り続け、(元年)1月期決算で北海道内小売業で初の売上高1000億円を突破した のを(平成9年)1月期決算で売上高1320億円にまで伸ばした。 今井春雄の解任と事業の再構築の始まり [ ] (平成9年)11月に当時のメインバンクだったが経営破たんすると 、それまで今井春雄社長が推進してきた急激な経営多角化により債務が増大してグループの有利子負債が約940億円に膨らみ 、不透明な海外不動産投資の失敗で財務体質が悪化していた丸井今井は経営危機に陥り 、後継のメインバンクを見つけるのが困難と考えられたため 、同年12月16日の緊急役員会で今井春雄を社長から解任して後任に創業家出身ではない専務取締役だった柴田哲治を社長に昇格させて路線転換を図った。 (平成10年)12月に歳末商戦用の決済が集中して資金がショートしかけた際にはから30億円の新規融資を引き出して何とか乗り切り、同年10月には同行を含む道内3行によるなど金融機関の協調支援の方向性が固まり、(平成11年)7月には北海道拓殖銀行から債権約354億円を引継いでいたが「倒産すれば北海道経済に甚大な影響を与える」として178億円の債権放棄に同意するなどして金融支援が実現した。 こうした金融支援に加え、(平成10年)に丸ヨ池内との資本提携を解消し 、(平成11年)にはクレオファイナンスの個人向け優良債権をジャックス(函館)に売却して金融機関への債務弁済に充てたり 、(平成12年)の小樽マルサの閉店 や(平成13年)2月16日に丸井店舗開発が所有する関連会社のマルイストアが核テナントになったショッピングセンター2店 を含むマルイストア全3店(麻生、円山、真駒内)を札幌東急ストアに譲渡して 3月末までに閉店してスーパーマーケット事業から撤退する などといった事業再編も行われたため、(平成14年)11月に旧長崎屋札幌店の建物に札幌本店南館を開設する と同時に本店を改装するなどして(平成15年)3月のを核とする開業に対抗する前向きの投資を行いながら(平成15年)までに債務が約520億円まで圧縮されて再建がいったん軌道に乗りかけたように思われた。 その後も(平成16年)3月にマルサ2を同業のに売却してその運営から撤退し 、(平成17年)2月18日までに丸井店舗開発がに自己破産を申請して破産手続きが開始される など関連事業の再構築が進められた。 また、本業の百貨店でも(平成16年)8月30日 に効率化のために釧路店大通館を閉鎖して釧路店の売場を1館体制へ集約を図ったり 、人員削減を含むコストダウンを図るなど業績の改善策を講じた。 しかし、大丸進出への対抗時に二十数億円の投資と資金を十分に注ぎ込めず 段階的な改装を続け老朽化が目立つ上複数の建物に売場が分散しているため利便性が低い札幌本店 は(平成15年)の売上高約639億円をピークに 、同年3月にJRタワースクエア内に開業した大丸札幌店がJR札幌駅に隣接した好立地で天井が高く 真新しい店舗という優れたハード を武器に開業すると、以降は毎年売上が減少する など大きな打撃を受けた ことに加え、同年4月1日にスタートした 100億円規模の減損処理や今井春雄社長時代に発行した70億円の社債の償還が重なったため(平成17年)4月に発表した(平成17年)1月期決算で純損益が6億4300万円の赤字に転落する と同時に256億円の実質債務超過に陥り 、2度目の経営危機が表面化することになった。 この再建案に前社長の今井春雄が「再建案にノーと言おう」と丸井今井株主らに書簡を送付した ため、同年9月27日に開かれた臨時株主総会で3分の2以上の賛成を得て承認されたものの議決権総数の2割弱が反対し 、反対した株主のうち約100人が同年10月7日までに商法に基づく株式の買い取りを請求を行った が、同年11月に 札幌本店と函館店と旭川店の主要三店を新設会社「丸井今井」が継承した。 この再建策の一環として(平成17年)10月23日に小樽店と苫小牧店を閉店し 、(平成18年)8月20日に釧路店を閉店 して百貨店の店舗を4店体制に縮小した。 この際には閉店後の3店舗の個人得意客や企業向けの外商部門として小樽、苫小牧、釧路に営業所を開設してその事業の一部を引継いだ。 また、(平成17年)7月21日までに千登世開発とアイ・エム・アイの2社が各々札幌地方裁判所に自己破産を申請して破産手続きの開始決定を受け 、同年10月31日までにクレオファイナンス 、(平成18年)1月27日までに丸井クレオコーポレーションと丸井マルサ、丸井ディオスの3社 、同年7月19日までに今井醸造 同年12月19日までに丸三鶴屋 が各々札幌地方裁判所に特別清算を申請するなど不採算事業を手かげていた関連会社の解散手続きが進められ、(平成18年)に丸井パークタワー内に開設していたスポーツクラブをに売却してその運営から撤退する など関連事業の整理も進められた。 (平成19年)2月に札幌本店の紳士フロアを伊勢丹のノウハウを導入して 14年ぶりに全面改装して 「マルイメンズ」とする大改装を行い 、同年3月には旧マルサの建物に札幌本店大通別館を開設する と共に地下街の の札幌本店地下入り口向かいに道産品セレクトショップ「きたキッチン」を開店させる など立て続けに大型改装を行ったが 、同年10月に札幌本店地下食品売り場を改装してマルイフーズとする など改装を進めたが、当初計画より半年遅れた影響で売り上げが再建計画を下回り 、同年11月8日発表した(平成19年)7月中間単独決算で 札幌本店が前年同期比2. 37億円 、函館店が前年同期比3. 7億円 、旭川店が前年同期比4. 73億円の減収減益で純損益が約3. 42億円の赤字に転落し 、その通期決算である(平成20年)1月期決算で売上高は約815. 25億円で純損失約43. 83億円 、その翌期となった6カ月の変則決算の(平成20年)7月期決算でも売上高は対前年比93. 82億円で約9. 55億円の純損失 となって自己資本は5億円未満まで減少し 、(平成21年)1月に長年維持してきた札幌での地域一番店の座を大丸札幌店に明け渡して2位に転落する など業績は回復しなかった。 更にリーマンショックの影響などで北海道内でも雇用環境が悪化するなか (平成20年)秋以降に急激な販売不振から資金繰りが悪化し 、同年12月末には約5. 52億円の債務超過に陥り 、「このまま事態を放置すれば資金繰りがショートする。 」として (平成21年)1月29日に札幌地方裁判所に民事再生法の適用を申請し 同日中に民事再生手続開始決定を受け 経営破綻し 、2度目の経営再建も失敗に終わった。 3度目の再建 [ ] 三越伊勢丹ホールディングスは法的整理に入った後も派遣している伊勢丹幹部を引き揚げず 、「システムやカードの導入も進めており、手を引くということにはならない」とし 、民事再生法適用申請と同時に丸井今井側からスポンサー就任要請を行った 際にも同社も「至急検討に入る」との回答していた が半月近く要請受諾を表明せずにいたため 、(平成21年)2月13日に高島屋が文書で当社にスポンサー就任の意向を表明したため 、両社の再建案を比較検討する方針へ転換し 、大手百貨店同士による争奪戦に発展し 、4月15日までに両社が再建案を示して比較して決定することになった。 高島屋は4月2日に札幌市役所を訪問した際に札幌本店の大通館と一条館を一体化する増改築を行う構想を伝えたとされていた ほか、「店舗の存続を基本に再建策をまとめ」高島屋の出資で設立する新会社が 事業譲渡を受けて札幌本店に加え函館店と旭川店を存続させると共に別法人が運営する室蘭店も引き継ぐ など全4店舗の再生を目指す 案を提出し 、全4店舗が存続して雇用確保につながる点が評価され 、再建支援企業に選ばれる方向で 最終調整に入ったと報じられた が、不動産や営業権の譲渡を受けて新会社を設立する際の資金提供額で高島屋の110億円に対して三越伊勢丹ホールディングスが135億円と上回っていたため その資金で返済を受ける主力銀行の北海道銀行など大口債権者の同意の取り付けなどの調整が難航し 、4月30日に開かれた臨時取締役会で事業譲渡額が高島屋を上回って債権者の理解も得られて再建が確実になるとして三越伊勢丹ホールディングスを経営再建の支援企業に選定したと発表し 、その発表をした記者会見で高島屋の提示額では一般債権に優先する退職金の支払いさえできず民事再生法の手続きを進められないとの見解を代理人の弁護士が説明し 、丸井今井が札幌本店と函館店を経営する体制での営業を7月30日で終了し 、翌日31日に丸井今井から札幌丸井今井に札幌本店 、函館丸井今井に函館店の事業をそれぞれ譲渡し 、8月1日に 新会社が札幌本店と函館店を運営する新体制で営業を開始した。 また、札幌本店は同年1月に大丸札幌店に地域一番店の座を奪われて 以降そのまま2位に沈み続け、(平成21年)の年間でも札幌本店の売上高は前年比16. 22億円で大丸札幌店の約504. 33億円を大きく下回って地域一番店の座を明け渡すことになった。 函館を中心とした道南地方の景気は道内でもとりわけ厳しいため函館店の経営の先行きについて厳しい見方がされていた が、その後は黒字転換して(平成24年)3月期で売上高が前期比2. 15億円と決算減収は続いているものの最終損益は約2. 29億円と前期比14. この再建策の一環として(平成21年)7月20日に旭川店 、(平成22年)1月20日に室蘭店が閉店 して百貨店の店舗は現在の2店にまで減少した。 また旭川店の閉店と同日の(平成21年)7月20日に以前百貨店の店舗を閉鎖した後の営業を引継ぐ形で設置していた小樽、苫小牧、釧路の3営業所も廃止した。 (平成22年)12月15日に不採算部門を継承した北海道丸井今井は札幌地方裁判所へ特別清算を申請して 破産処理に移行している。 (平成23年)4月1日に札幌丸井今井と札幌三越の両社が合併し(存続会社は札幌丸井今井)、 株式会社となったため、現在札幌本店は同社が経営している。 (明治5年)4月 - が札幌で小間物店を創業• (明治7年) - 丸井今井呉服店と称し店舗を新設• (明治12年) - 正札販売を開始• (明治23年) - 滝川支店を開設• (明治24年)• 10月 - 小樽支店を色内に開設• 11月 - 室蘭支店を開設• 東京に仕入店を開設する• (明治25年)4月25日 - 函館支店を十字街近くの末広町に開設• (明治30年) 10月 - 旭川支店を開設• (明治31年)1月 - に仕入店を開設• (明治42年) - 株式会社今井商店に改組• (大正5年) - レンガおよび石造3階建の店舗を新築したのを機会に札幌本店を百貨店として営業を開始• (大正8年) - 株式会社今井商店に改組• (大正12年) - 函館支店の百貨店営業を開始。 小樽支店を稲穂第一大通りに移転 して同時に百貨店営業を開始。 旭川支店の百貨店営業を開始。 (大正13年) - 札幌本店を失火により焼失• (大正14年)10月24日 - 今井藤七死去• 1926年(大正15年) - 総4階一部5階建ての札幌本店を新築• (昭和9年) - により函館支店焼失。 (昭和19年) - 2代目・死去、今井道雄が3代目社長就任• (昭和25年)9月 - 株式会社丸井今井に商号変更• (昭和43年)9月 - との資本提携• (昭和44年)10月21日 - 函館支店、現在の本町へ移転• (昭和48年) - 子会社丸井マルサを設立 ファッションビルを運営• (昭和49年)9月29日 - 函館店を増床• (昭和50年)9月 - 札幌本店大通館を開業• (昭和53年)4月 - 旭川支店を1条通8丁目に移転• (昭和54年) - の「」と業務提携• (昭和56年)4月 - 室蘭支店を中島町1丁目に移転• (昭和60年)3月 - を変更• の「GARDEN OF LOVE」は長期に亘りイメージソングとして使用された。 (昭和63年) - 4代目社長に今井春雄就任• 1989年(平成元年) - クレオファイナンスを買収してノンバンク事業に進出• (平成2年) - 子会社丸井クレオコーポレーションを設立して外車輸入事業に進出• (平成4年)10月 - 旭川店を増床• (平成6年)• 5月 - 札幌市にマルサ2を開業• 子会社丸井ディオスを設立して小樽市でペテルブルグミュージアムの運営事業に進出。 子会社丸井店舗開発を設立。 (平成7年)9月 - 苫小牧支店を開設• (平成8年)• 7月8日 - 旧の経営権を取得• 10月4日 - 釧路店を開設• 各支店を「店」に呼称変更。 (平成9年)12月16日 - 緊急役員会で今井春雄を社長から解任して柴田哲治が社長に就任• (平成10年) - 丸ヨ池内との資本提携を解消• (平成11年)• 7月 - が178億円の放棄に合意 、を中心とする金融団が支援を決定。 再建スタート• クレオファイナンスの個人向け優良債権をジャックスに売却• (平成12年) - 小樽マルサを閉店• (平成13年)2月16日 - 丸井店舗開発所有のショッピングセンター2店 を含むマルイストア全3店(麻生、円山、真駒内)を札幌東急ストアに譲渡 3月末をまでに閉店してスーパーマーケット事業から撤退• (平成14年)11月 - 札幌店(閉店時には「BIG OFF」として営業していた)跡に札幌本店南館を開設する• (平成16年)• 3月 - マルサ2を同業のに売却して撤退• 8月30日 - 釧路店大通館を閉鎖• (平成17年)• 6月24日 - を正式に決定。 株式会社、北海道マザーランド・キャピタル株式会社の3社間で、経営支援の基本合意締結。 8月8日 - 丸井マルサよりの営業を譲受• 7月21日 - 千登世開発とアイ・エム・アイの2社が札幌地方裁判所に自己破産を申請• 10月23日 - 小樽・苫小牧両店を閉店• 10月31日 - 株式会社丸井今井から「 北海道丸井今井株式会社」と商号(社名)変更する。 により新会社「 株式会社丸井今井」を設立し、釧路店・室蘭店以外の全店舗を継承。 11月1日 - 北海道丸井今井株式会社(旧・株式会社丸井今井)の会社分割により、新会社「株式会社丸井今井」を設立し、主要三店舗(札幌、函館、旭川)と外商営業所の経営を移管。 の経営支援を受ける• (平成18年)• 1月31日 - 北海道企業再生ファンド、株式会社、株式会社を引受先とする35億円のを実施。 6月30日 - 株式会社を引受先とする5億円のを実施• 8月20日 - 釧路店を閉店• 12月19日 - 丸三鶴屋がに特別清算の適用を申請• (平成19年)• 2月 - 札幌本店の紳士フロアを伊勢丹のノウハウを導入して「マルイメンズ」とする• 3月 - 旧マルサに札幌本店大通別館を開設。 オーロラタウンに「きたキッチン」を開設。 10月 - 札幌本店地下食品売り場を改装してマルイフーズとする• (平成21年)• 1月 - 札幌本店が大丸札幌店に地域一番店の座を奪われて2位に転落• 1月29日 - への適用を申請して 民事再生手続開始決定を受け 経営破綻。 4月30日 - 株式会社三越伊勢丹ホールディングスが、事業再生スポンサーに選任。 5月29日 - 株式会社三越伊勢丹ホールディングスが、として、 株式会社札幌丸井今井を資本金1円で設立。 6月29日 - 株式会社三越伊勢丹ホールディングスと契約。 7月20日 - 旭川店閉店。 旭川空港店閉店。 全外商営業所(小樽、苫小牧、釧路)営業終了。 7月30日 - 同社による札幌本店・函館店の営業を終了。 7月31日 - 札幌本店を株式会社札幌丸井今井(現・札幌丸井三越)に、函館店を株式会社函館丸井今井に事業譲渡。 株式会社札幌丸井今井は、資本金を10億円。 8月1日 - 新会社が札幌本店と函館店を運営する新体制で営業を開始。 (平成22年)• 1月20日 - 唯一、北海道丸井今井が運営を続けていた室蘭店を閉店。 3月 - 株式会社札幌丸井今井が資本金を1億円に減資。 減資の理由は手許流動性を高めるためで、資本合計を減ずるものではないとされる。 12月15日 - 北海道丸井今井がへを申請。 (平成23年)• 4月1日 - 株式会社札幌丸井今井が、株式会社札幌三越を吸収合併して、 株式会社に商号変更。 (明治7年)には店舗を新築・移転して 丸井今井呉服店を開店した。 (大正5年)にはからの復興の際にレンガおよび石造3階建の店舗を新築したのを機会に百貨店として営業を開始し 、(39年)に北海道内で最初の百貨店を営業開始していた に続いた。 (大正13年)に失火により店舗が全焼したため直ぐに再建に取り掛かり 、1926年(大正15年)に総4階一部5階建てので北海道では初の客用エレベータを備えた店舗を新築して復興した。 (昭和7年)に京屋呉服店の跡地に三越札幌店開店 して五番館と共に3つ巴の百貨店競争を繰り広げ、屋上にあった観覧車や北海道新聞社が経営していた道新ニュース劇場でのディズニー短編アニメ映画上映などが子供の人気を集める などして当地区を代表する百貨店となり、別館新築を行った (昭和40年)には売場面積15,491m 2で売上高83. 6億円を上げて同じ地場資本の五番館の47. 9億円 売場面積9,864m 2 や東京資本の三越札幌店の45. 6億円 売場面積9,554m 2 を大きく上回って北海道で最大の売上を上げる地域一番店となった。 1969年(昭和44年)12月に増改築し 、(昭和50年) 9月には札幌本店大通館を開業 して大幅な増床をはかって2館体制へ移行した。 (平成14年)11月に旧長崎屋札幌店の建物に南館を開設する と同時に店舗を改装や(平成15年)3月1日に別棟のサザビーハウスを改装してまるいリビングハウスを開業する などして同月の大丸を核とするJRタワースクエア開業に対抗し、(平成15年)の売上高約639億円を上げ 、(平成19年)2月に紳士フロアを伊勢丹のノウハウを導入して 14年ぶりに全面改装して 「マルイメンズ」とする大改装を行い 、同年3月には旧マルサの建物に大通別館を開設する と共に地下街のオーロラタウン の当店地下入り口向かいに道産品セレクトショップ「きたキッチン」を開店させ 、同年10月に札幌本店地下食品売り場を改装してマルイフーズとする など再建計画を進めている最中にもかかわらず立て続けに大型改装を行い 、札幌本店地下食品売り場改装が同年秋となる など改装が当初計画より半年遅れた影響で売り上げが再建計画を下回る など苦戦しながらも(平成20年)12月まで地域一番店としての地位を保った。 しかし、投資額二十数億円と資金を十分に注ぎ込めず 段階的な改装を続け老朽化が目立つ上4館に売場が分散しているため利便性が低い店舗構造 のため、JR札幌駅に隣接した好立地で天井が高く 真新しい店舗という優れたハード を武器に大丸札幌店が開業すると以降は毎年売上が減少する など大きな打撃を受け 、(平成21年)1月に地域一番店の座を奪われて 以降そのまま2位に沈み続け、(平成21年)の年間でも札幌本店の売上高は前年比16. 22億円で大丸札幌店の約504. 33億円を大きく下回って地域一番店の座を明け渡すことになった。 (平成21年)4月30日に三越伊勢丹ホールディングスを経営再建の支援企業に選定して再建に取り組むことになった ことに伴い、丸井今井が札幌本店と函館店を経営する体制での営業を同年7月30日で終了し 翌日31日に丸井今井から新会社の札幌丸井今井に当店 の事業が譲渡されて 、8月1日に 札幌丸井今井が運営する新体制で営業を開始した が、新体制発足直後の(平成21年)9月中間決算 2カ月の変則 で売上高66億1400万円で営業利益5800万円と登録免許税などの開業経費を賄えない水準に留まったため経常損失約5. 01億円で純損失が5. 02億円の赤字となって三越伊勢丹ホールディングスの社長が店舗体制の縮小の可能性に言及するほど厳しい再出発となった。 (平成23年)4月1日に、札幌丸井今井と札幌三越の両社が合併し(存続会社は札幌丸井今井)、 株式会社札幌丸井三越となったため、現在は同社が経営している。 (平成23年)3月12日に札幌駅から大通公園を結ぶ全長520mの地下歩行空間が開通により札幌駅から地下を通って雨や雪を避けて当店に来店することが可能になった。 当店の店内で機械が音を立てながら自動的に焼き上げている白あんまんじゅうのも隠れた札幌名物の一つとして知られている。 (平成23年)7月15日にの新ターミナルビル開業に合わせて同空港内にあった従来のみやげ物店を閉鎖し、土産店などが集まる同ビル2階に北海道内各地の農水産加工品や菓子を扱うきたキッチン2号店を開店している。 現在は大通館と一条館、南館、大通別館の4館 を中心に、別棟のまるいリビングハウス や地下街のオーロラタウン の当店地下入り口向かいの道産品セレクトショップ「きたキッチン」 など周辺店舗を展開し、服飾雑貨や道産食品の品ぞろえが豊富とされている。 (大正12年)には函館の末広町に3階建で玄関に大理石柱がある店舗を建設して百貨店として営業を開始し 、(昭和5年)11月2日に5階建てに増築して開業した際には客用と貨物用のエレベーターや催事場や屋上サンルーム、美容室、電機部、写真部なども導入した。 (大正14年)12月に「四階楼」に時計台を配置した 鉄筋コンクリート造 3階建の新店舗を建設して百貨店を開業した や(昭和6年)10月2日にはシャンデリアのある催事場や食堂、エレベーターなどを装備した4階建500坪を超える大規模な新店舗に全面的な建て替えを行って本格的に百貨店化した と3つ巴の百貨店競争を繰り広げた。 (昭和6年)に正月の「善光寺展」では18日間で20万人余の入場者を集めた ほか動く展覧会 電動模型展 、伯国 ブラジル 展覧会や洋画・日本画などの展覧会などを開催して催事でも金森森屋百貨店と激しい競争を繰り広げ 、(昭和9年)ににより函館支店が焼失した際にも、鉄筋コンクリート構造地下1階地上5階建で塔屋2階建として復興させる など早くから近代的な施設の整備を進めて競争に挑んだ。 第2次世界大戦後の(昭和34年)に函館初のエスカレーターを新設し 、(昭和40年)には売場面積4,979m 2で売上高15. 0億円を上げて地場資本の棒二森屋の26. 9億円 売場面積6,513m 2 に次ぐ売上を上げた。 (昭和44年)10月21日 に、店舗を東部地区の人口急増を背景に副都心を標榜する五稜郭地区の本町に移転し 、(昭和49年)9月29日に増床をしたが 、からに進んだ人口の郊外移動との影響で 当店のある中心市街地の商店街の地位は(昭和48年)に年間販売額が(昭和43年)の6倍になった旧亀田市赤川通地区など の郊外の商業施設との競争に巻き込まれて地盤沈下し、造船不況による函館ドックの低迷や北洋漁業の衰退など地域経済が伸び悩むなど、外部環境が厳しさを増していき 、それまで全国主要100都市で本州大手スーパー7社がひとつも出店をしていなかった函館 にとが旧亀田市赤川通地区への進出計画を発表し 、地元経済が伸び悩む状況下での本州資本の進出に対して、地元商業者と共に進出反対運動を繰り広げた ものの、イトーヨーカ堂進出に賛同する8万人もの消費者の署名が集まったり 、「地区の今後の開発を見据えて核となる店舗が欲しい」と(昭和50年)6月に亀田商工会会長が発言するなど地元の旧亀田市側が進出を歓迎する傾向にあった ため、(昭和55年)8月に長崎屋 、同年9月にイトーヨーカ堂が開店し 、同月の函館の既存の大規模小売店が全店前年割れした際には、当店も前年同月比-20. (平成17年)6月24日に発表された再建計画の中で、当店は基幹3店舗の一つとして新設会社の2代目丸井今井に引継がれ 、有名ブランドを導入を含む改装や駐車場整備などの投資を行って ファッション重視の都市型百貨店としての性格を強めた。 (平成21年)1月29日に札幌地方裁判所に民事再生法の適用を申請し 同日中に民事再生手続開始決定を受けて 三越伊勢丹ホールディングスを経営再建の支援企業に選定した 3度目の再建計画でも存続店となり、丸井今井が経営する体制での営業を同年7月30日で終了し 、翌日31日に丸井今井から函館丸井今井に函館店の事業を譲渡し 、8月1日に 新会社が札幌本店と函館店を運営する新体制で営業を開始した。 この新体制発足直後の(平成21年)9月中間決算 2カ月の変則 で売上高15億7300万円で営業利益7100万円で登録免許税などの開業経費を賄えず経常損益と純損益はともに3100万円の赤字となり 、三越伊勢丹ホールディングスの社長が店舗体制の縮小の可能性に言及するほど厳しい再出発となり 、函館を中心とした道南地方の景気は道内でもとりわけ厳しいため函館店の経営の先行きについて厳しい見方がされていた が、その後は黒字転換して(平成24年)3月期で売上高が前期比2. 15億円と決算減収は続いているものの最終損益は約2. 29億円と前期比14. 旧店舗跡は函館市が(昭和45年)から(平成14年)まで、末広町分庁舎として使用した 後、外観保全および安全性確保のため、改装工事を実施。 (平成19年)4月より「」として活用されている。 (大正12年)に小樽支店を色内から稲穂第一大通り(現在の)に移転する と同時に百貨店としての営業を開始した。 当店が移転する前の(大正6年)に河野呉服店が同様に色内から店舗を移転していたほか、(大正7年)にも進出していた ため、当店の移転で稲穂第一大通りは後に百貨店となる有力店3店が揃う小樽を代表する商店街としての地位を確立した ため、当店は中核店舗の一つとして周辺の商店街と共に営業していくことになった。 (昭和9年)に大国屋が百貨店としての営業を開始し 、(昭和30年)には河野呉服店もとして百貨店としての営業を開始した ため、当店は同じ商店街内で3つ巴の百貨店競争を行うことになり、(昭和40年)には売場面積4,318m 2で売上高13. 5億円を上げて地場資本のニューギンザ百貨店の14. 1億円 売場面積2,823m 2 を下回ったものの地場資本の大国屋の13. 5億円 売場面積3,821m 2 とほぼ並んで2番手に付ける など激しい競争を繰り広げながら小樽を代表する百貨店の一つとして営業していた。 しかし、(昭和50年)4月に前にを核店舗とするが当店の2倍くらいの店舗面積 売場面積12,066m 2 でオープンして開店1ヶ月で市内の人口の1. 5倍となる30万人を集めて順調な売上を上げて当店を含む既存の商業集積から顧客を奪ったため売上は減少傾向に転じた。 そうした状況への対応策として当店は(昭和57年)に再開発準備組合が結成して (昭和63年)にその開発を担う小樽開発が設立し 、ニューギンザ百貨店と旧北海ホテルの跡地を中心として再開発が行って (平成2年)9月にも入居した再開発ビル 売場面積14,500m 2 の中核店舗として売場面積11,500m 2の新店舗を開業させて移転・増床を図った。 また旧小樽店跡も小樽開発が第2期ビルを建設して系列のファッションビルマルサが(平成4年)に開業させる など整備したため、周辺のやを含むの商店街全体の歩行者通行量も著しく増える ほど新店舗を含む再開発は成功した。 この新店舗建設に伴ってその敷地となることになったニューギンザ百貨店が(昭和63年)に閉店し 、新店舗成功のあおりを受けて(平成5年)4月にが 採算の悪化を理由に 86年の歴史に終止符を打ち閉店した ため、当店は小樽で唯一つ残った百貨店として営業することになった。 しかし、(平成11年)3月11日にの近くに約5,000台の無料駐車場を持ち、約7倍の売場面積98,000m 2を誇るマイカル小樽(現・)がオープンする など郊外型のショッピングセンターの開設が相次いで競争が激化して中心市街地の集客力を奪われた ため新店舗の成功は長続きせず 、(平成17年)10月23日に閉店して 115年の歴史 に終止符を打った。 閉店後個人得意客や企業向けの外商部門として営業所が設置された が、(平成21年)7月20日に廃止して撤退した。 店舗跡地は(平成17年)11月から専門店街「おたるサンモール・ネオ」 が1階と地下1階で営業していた が(平成21年)3月24日に閉店となり 、同年2月15日に併設されていた小樽グランドホテルも営業終了して 3月3日に札幌地方裁判所小樽支部に自己破産を申し立てて倒産した ため空きビルとなり 、(平成22年)4月12日に小樽開発が破産申請に追い込まれ 、(平成22年)2月に債権者の申立で土地建物の競売開始が決定され 、(平成22年)4月と(平成23年)9月に2回行われた競売にかけられたものの旧小樽開発以外に権利者・地権者が複数いて権利関係が複雑なことなども影響して不調に終わり 、(平成24年)1月6日には1回目の約10分の1の買い受け可能価額約6671万円で3回目の競売を行うと発表する状態に陥り 、空きビル状態が続いている。 最終的には(平成25年)2月に札幌市に本社を置く調剤薬局大手の医療福祉系不動産子会社である株式会社日本レーベンが取得し 、2014年(平成26年)3月にビルの解体が終了した。 サービス付き高齢者向け住宅の新設との移転が決まり、2014年(平成26年)3月に着工。 2015年(平成27年)12月1日に高齢者向け住宅「ウィステリア小樽稲穂」が開業 するとともに小樽掖済会病院も移転を完了した。 旧店舗跡地は小樽開発が第2期ビルを建設して系列のファッションビルマルサが(平成4年)に開業したが(平成12年)に閉店している。 室蘭唯一の百貨店として買い物客の肩と肩が触れ合うぐらいにぎわい 、地元の基幹産業である鉄鋼大手企業などが「贈答関係は依存している」といわれるほどの法人客の厚みを持ち 、(昭和40年)には売場面積3,385m 2で売上高10. 4億円を上げる など「丸井さん」の愛称で市民に親しまれる存在となっていた。 (昭和56年)4月には中島町1丁目の新店舗へ移転し 、近くにある長崎屋室蘭中島店 とともに中島商店街の中核店舗の一つとなった。 (平成17年)6月24日に発表された再建計画の中で当店は閉店される店舗と同様に旧会社に残されて 新設会社の2代目丸井今井に引継がれず 、不採算店などを引継いだ北海道丸井今井に引継がれた が、計画発表当時で鉄鋼大手企業など外商法人客600社強を抱えて年間数十億円とされる法人売上を中心に黒字店であったため5年後の(平成22年)1月をめどに存廃を決めるとしてこの時点での閉店を免れた。 しかし、(平成17年)9月に当時の社長が「基本は5年後に閉鎖」と述べる など原則閉店の方針が打ち出されていた上 、その後も売上減少にも歯止めがかからず従業員1人当たりの年間売上高が4,000万円台で札幌本店の約7,000万円や函館店の約6,000万円よりも大幅に低かった ことから(平成21年)5月29日に閉店の方針が決まり 、(平成22年)1月20日に閉店して118年の歴史に終止符を打った。 閉店時には会社側として正式な式典を行わなかったが 、OBによる同窓会組織の丸井今井店友会室蘭支部から玄関付近で店長に花束が贈られてその返礼を兼ねて店長がOBや買い物客が残っていた前で挨拶を行ったほか 、丸井今井店友会による万歳のコールなども行われて事実上の閉店セレモニーとなった。 店舗跡は旧店舗敷地と旧駐車場敷地の間にある市道を廃止して売却する方針を固めるなどした室蘭市の支援もあって閉店後の8月6日に家電量販店への売却が丸井今井から室蘭市に正式に伝えられて同月中に売却され 、(平成23年)9月9日にヤマダ電機テックランド室蘭店が開店した。 また、中央町の旧店舗跡地は室蘭プリンスホテルになっている。 (昭和40年)には売場面積4,411m 2で売上高16. 0億円を上げて地場資本の丸勝松村百貨店 現在の の8. 5億円 売場面積3,500m 2 を大きく上回って地域一番店となる など旭川でトップの百貨店として営業していたが、(昭和50年)に旭川店の開業後は地域一番店の座を奪われて2番手となった ため、(昭和53年)4月に店舗を1条通8丁目に移転させて 対抗したが、西武百貨店旭川店から地域一番店の座を奪い返すことは出来なかった。 (昭和47年)6月1日に誕生して (昭和54年)で約36万人、1989年(平成元年)に約21. 8万人の1日当たりの平均延べ歩行者通行量を集めた 当店前を含むから北に約1km続く旭川市 の中核店舗の一つとして営業し 、(平成4年)10月に増床を行って (平成8年)に売上高約155億円を上げた。 しかし、(平成4年)11月1日に旭川店が旭川駅前から郊外の旭川市春光の国道40号沿いの約1,000台収容駐車場を持つ店舗に移転して売上を伸ばした のを皮切りに(平成16年)にイオン旭川西ショッピングセンター(現・)が開業するなど 大型商業施設の郊外進出が相次いだ影響で旭川市平和通買物公園の1日当たりの平均延べ歩行者通行量が(平成20年)に約13万人と大きく減少した 影響などを受けて売上高は下降の一途をたどり 、(平成17年)6月24日に発表された再建計画の中で当店は基幹3店舗の一つとして新設会社の2代目丸井今井に引継がれ 、約5億円を投資して婦人服、紳士服、化粧品・雑貨など各売り場の改装を行って ファッション重視の都市型百貨店としての性格を強めた がその傾向は変わらず、(平成21年)1月29日に札幌地方裁判所に民事再生法の適用を申請し 同日中に民事再生手続開始決定を受て 経営破綻した 際には、店舗全体の(平成21年)1月期で年間売上高が約83. 44億円で 従業員1人当たりの年間売上高が4,000万円台で札幌本店の約7,000万円や函館店の約6,000万円よりも大幅に低く、売り場面積1m 2当たりの年間売上高が約40万円と札幌本店の約110万円や函館店の約80万円を大幅に下回るなど 収益性が低かったため「一般論からいっても存続は不可能」(大手百貨店幹部)とみられていた ほど低迷していた。 「店舗の存続を基本に再建策をまとめ」 当店の存続を盛り込んだ案を提出した高島屋が 再建支援企業に選ばれる方向で 最終調整に入ったと報じられた ため存続の期待がもたれていたが、不動産や営業権の譲渡を受けて新会社を設立する際の資金提供額で三越伊勢丹ホールディングスが上回っていたためその資金で返済を受ける主力銀行の北海道銀行など大口債権者の同意の取り付けなどの調整が難航して 4月30日に開かれた臨時取締役会で事業譲渡額が高島屋を上回って債権者の理解も得られて再建が確実になるとして当店の存続をしない計画を提出していた三越伊勢丹ホールディングスを経営再建の支援企業に選定したと発表されたため閉店することが決まり 、(平成21年)7月20日に閉店し 、個人得意客や企業向けの外商部門として営業所の設置もされなかった ため、112年の歴史 に完全に終止符を打つ形となった。 当店の閉店と同日に付属の店舗だった店も閉店し 、西武百貨店旭川空港店が代わりに出店している。 閉店後(平成22年)12月に土地と建物はに売却され、(平成23年)6月24日に「」として、(5フロアに合計約1,000坪の売場を構える)や(2フロアに化粧品と医薬品の売場を構える)を含む女性向け衣料品店を中心とするテナント58店舗を集めて地上9階地下1階のうち地下1階から地上5階までを先行して開業させ 、その後も丸善の文具店を含む約40店を追加で入居させて 同年9月に6-7階に 屋内遊戯場「もりもりパーク」 やシニア大学といった旭川市の施設 、8-9階にコールセンターが入居する 複合施設として開業した。 また札幌丸井三越も、に開業した内に新業態の「MI PLAZA」を出店し、約6年のブランクを置いて旭川市に再進出している。 苫小牧駅ビルと連絡通路で結んで直結させた5階建の店舗と立体駐車場が駅東側に並ぶ構造となっていた。 開店当時の苫小牧駅周辺は長崎屋やダイエー、イトーヨーカドー、サンプラザなどが集まる商業の集積地で 、(平成12年)4月に競合していた地場資本の百貨店が旧店舗を閉鎖して ショッピングセンタービッグジョイの核店舗として移転縮小した後(平成14年)10月31日にその店舗も閉店した 後は市内唯一の百貨店して営業していた が、(平成17年)4月のイオン苫小牧ショッピングセンター(現・)開業による中心街空洞化 による店舗の立地環境悪化 もあり、再建計画の一環として(平成17年)10月23日に閉店して わずか10年 ほどの歴史に終止符を打った。 閉店後個人得意客や企業向けの外商部門として営業所が設置されたが、(平成21年)7月20日に廃止して撤退した。 店舗跡は閉店後に土地・建物は不動産のによるビックランドプロパティ1が取得して札幌市の不動産会社ゼウスの管理・運営するゼウス・シティ ZEUS CITY が(平成18年)11月23日に開店したが 、約150店を目指したテナントが開業当初でも63店に留まって 初年度に140万人以上の来客で売上75億円を目指した目標 は達成できず 、出店したテナントも業績不振で撤退が相次いで(平成20年)3月に約20店まで減少し 、(平成20年)4月末に開店からわずか1年5か月で閉店した。 その後空き店舗となっていて、(平成23年)12月に札幌市のジェイシーシーがデータセンターの開設計画を打ち出して合同会社ビックランドプロパティ1と売買契約を結んだが着手金や残金を(平成24年)2月になっても支払えなかったため、ビックランド側が契約を破棄し、同年3月30日付で苫小牧市内の道央佐藤病院グループの社会福祉法人ふれんどが底地と立体駐車場の所有権を取得している。 釧路店 [ ] 丸井今井釧路店 釧路店大通館跡(2019年7月) (平成8年)7月8日に 業績不振に陥っていた釧路市の地場資本の百貨店の株式の大半を取得して買収して10月4日 に当社初の道東地区の百貨店として開店した。 開店当初はJR釧路駅から延びる北大通 に面した大通館と新館の2館体制で営業して そのかいわいの中核商業施設として 年間売上83億円前後を上げていたものの、その後(平成12年)9月23日に開業したイオン釧路昭和ショッピングセンター(現・) や同年11月30日に増床した釧路サティとその店内へのシネコンの開業 などの郊外の大型店に顧客を奪われる 一方で、中心市街地では(平成12年)2月29日に地場資本の百貨店だったが閉店し 、(平成13年)4月8日にスガイビル内の映画館3軒が閉館して映画館が消え 、(平成14年)2月11日に長崎屋釧路店が閉店する など集客施設の閉鎖が相次ぎ、北大通の空き店舗数が(平成16年)に全店舗の14. 閉店後は釧路営業所を開設して外商営業活動は継続された が、(平成21年)7月20日に廃止して撤退。 (平成17年)5月に再建計画の一環として当店の閉店計画が浮上した際には釧路市が営業存続を条件に当店が面する市道パステルタウンのアーケード化を行う存続支援策を丸井今井本社に提示し 、釧路市職員や地元企業の社員・その家族への丸井今井クレオカード加入呼び掛けも開始する など、行政、地元企業ともに全面支援の方向性を打ち出し、釧路商工会議所も地元女性グループが立ち上げを準備している団体への支援協力を行うなど、オール釧路体制で存続支援に取り組むことを決定する などの存続に向けた支援体制がとられたが、売上はさらに減ってしまうなどして再建は実らなかった。 そして当店の閉店が盛り込まれた再建計画の発表後からは、閉鎖に伴う人通りの減少を見込んで早めに店舗の縮小や移転、店自体の廃業を行う動きが広がって、中心部の衰退は一段と深刻化した。 当店閉店と同時期の閉店により、釧路市周辺に百貨店がなくなったため、の百貨店まで買い物に出かける釧路市民が増加し 、(平成20年)3月1日に初めて藤丸が釧路から店舗まで送迎する当時全国的にも珍しかった 買い物ツアーバスという長距離の送迎バスを運行したところ 、100人の予定を大幅に上回るほど申込みが殺到して急遽バスを10台に増やして350人を送迎するほどの人気を集め 、その後も定期的に運行されるようになるなど、釧路から需要が流出する状況が生まれ、これに対する非難の声も多くなっている。 なお、店舗跡は閉店後の(平成18年)10月24日に札幌市の不動産会社ノースキャピタルに売却されて札幌市のコンサルタント会社アラが管理・運営する複合型商業施設「kute(キュート)」として開業する計画が進められた が、老朽化や狭隘化などによって核テナントが決まらないため、数度にわたって 開店が先送りされ 、(平成19年)8月に北海道と釧路市がそれぞれ税の滞納で差し押さえた。 この影響から、(平成20年)2月に札幌市の建築コンサルティング会社リフレックスが取得して 「kute」の名称を使わない形でのショッピングモールを計画して(平成21年)春の開業を目指した が、やはり老朽化や狭隘化などによって核テナントが決まらず、(平成21年)2月13日にはリフレックスも不動産取得税数千万円を滞納して、北海道釧路支庁から土地と建物を差し押さえられた。 リフレックスはその後音信不通になるなど、混乱が続いたため、閉店から一度も再開されずに放置されている。 また、大通館は閉館した(平成16年)に、東京に本社を置く不動産会社に売却されたが、老朽化や狭隘化などもあって核テナントが決まらないなどの諸事情から、翌年(平成17年)1月に早くも札幌の企業に転売された。 当店の土地・建物などを所有していた丸三鶴屋は店舗跡地の売却が終了した直後の(平成18年)12月19日にへ特別清算の適用申請を行っている。 なお、丸井今井札幌店を運営する「札幌丸井三越」は、「三越釧路」 という外商拠点を営業しており 、 それを母体に内に2014年(平成26年)6月18日から9月上旬までの期間限定売り場を開設して一般向けの小売を行って様子を見たのち 、同年10月3日から売場面積約330m 2の三越伊勢丹グループの小型店「エムアイプラザ」が開設されることになった。 滝川支店 [ ] (明治23年)に開設した 今井呉服店の初の地方支店で、(明治33年)に丸井今井滝川支店音楽隊を結成する など営業活動以外にも展開していたが、(明治43年)に山田呉服・金物店に譲渡して撤退した。 その後(昭和9年)に山田呉服・金物店の金物部が合名会社中川金物店となり 、(昭和32年)に店舗全体を同店のオーナーの中川正が買収して店舗拡張を行い 、(昭和42年)に株式会社中川かなものに改組されて現在も同社が使用していたが 2018年4月5日破産し 店舗は閉鎖されている。 4代目社長今井春雄の時代の拡大路線の失敗を受けて、同氏を解任して始まった経営再建の一環として(平成12年)春に撤退して売却するとの報道が流れたため 、三条市内の有志らが集まって「保存市民の集い」を設立して募金活動を展開してその募金の寄付を受けて三条市が当社より譲渡を受け、(平成14年)4月に三条市の保存条例により丸井今井邸保存会が市の委託を受けて管理運営する 丸井今井邸として地域文化や教育活動に使われる市民のための公共文化施設となっている。 (平成18年)6月22日に隣接する精肉店工場から出火、延焼し邸宅の一部が焼けたが、(平成19年)初頭までに改修を終え、活用を再開している。 また、創業者出身地としての縁から(平成16年)7月13日に発生したでは、丸井今井から三条市に対し義援金を寄付した。 呉服店時代の丸井今井出身者が独立し創業した百貨店 [ ]• 旧(後に丸井今井釧路店となったが廃業)• 旧 株式会社丸井との関係 [ ] を中心に店舗を擁するの MARUI とは全く関わりが無い。 同社名の由来は、創業者が(昭和6年)に独立する際にを受けた勤務先の月賦小売店 丸二商会と、自身の苗字(青 井)から採ったものである。 その他 [ ]• はと提携していた「クレオクラブカード」を発行していた (クレジットカードの他に現金専用の「クレオクラブ・Sカード」もあった)が、三越伊勢丹ホールディングスの傘下となってからは短期間であるがと提携した「クレオクラブ・アイカード」を発行し 、(平成22年)10月より札幌三越共々「」に一本化された。 サッカーではを応援しており、縦縞模様のユニフォームデザインをモチーフにしたクレオクラブカードを発行していた。 また、プロ野球では、かつてはを応援していたが、現在はを応援している。 には店舗は存在しないが、営業所が置かれていた。 これは同市に存在すると業務提携しているためであった。 札幌本店南館の開設時、入居した高桑ビルのオーナーは元のであった。 参考文献 [ ]• 取材班 『実録・老舗百貨店凋落 - 流通業界再編の光と影』 講談社、(平成18年)、• 丸井今井編 『丸井今井九十年史』 丸井今井、(昭和37年)• 丸井今井編 『丸井今井百年のあゆみ』 丸井今井、(昭和48年)• 丸井今井百二十年史編纂委員会編 『株式会社丸井今井創業百二十年史』 丸井今井、(平成4年) 脚注 [ ] [] 出典 [ ]• 93-94• 岡村書店, 1915• 東京商工リサーチ• ステップアップ vol. 167 2003-2. 北海道新聞社. 2009年2月12日• 北海道丸井今井. 2009-04-27. 広報たきかわ 2009年9月号 滝川市 2009-9. 毎日新聞社. 2009年3月23日• 地域総合研究第37巻第1号 地域総合研究所 2009. 朝日新聞社. 2010年1月16日• 北海道新聞社. 2009年7月21日• 北海道新聞社. 2009年1月29日• 北海道新聞社. 2009年10月22日• 朝日新聞社. 2009年7月19日• 北海道新聞社. 2011年3月5日• 2010-04-13. 『日本商業年鑑 1972年版』 、1972年。 北海道新聞社. 2006年1月28日• 北海道新聞社. 1986年3月2日• 毎日新聞社. 2009年1月30日• 北海道新聞社. 2005年11月1日• 北海道新聞社. 2004年3月17日• 北海道新聞社. 2005年2月18日• 北海道新聞社. 2008年11月6日• 北海道新聞社. 2005年7月22日• 北海道新聞社. 2007年1月23日• 苫小牧民報社. 2005年6月25日• 日本食糧新聞社. 1996年7月12日• 北海道新聞社. 2007年7月27日• 日本食糧新聞社. 2001年2月23日• 日本食糧新聞社. 2001年4月25日• 釧路新聞社. 2004年8月13日• 北海道新聞社. 2005年4月23日• 毎日新聞社. 2009年4月18日• 朝日新聞社. 2010年7月30日• 2009-01-29. 北海道新聞社. 2005年4月24日• 北海道新聞社. 2005年4月24日• 2005年8月号 太陽 2001-12. 毎日新聞社. 2005年10月8日• 北海道新聞社. 2009年1月29日• 北海道新聞社. 2005年10月24日• 釧路新聞社. 2006年8月21日• 北海道新聞社. 2009年5月13日• 北海道新聞社. 2006年7月20日• 北海道新聞社. 2006年12月15日• 北海道新聞社. 2007年11月9日• 2010年5月号 財界さっぽろ社 2010-5. 日本食糧新聞社. 2008年1月31日• 日本経済新聞社. 2009年5月6日• 北海道新聞社. 2009年1月31日• 毎日新聞社. 2009年4月30日• 北海道新聞社. 2009年4月2日• 北海道新聞社. 2009年4月17日• 毎日新聞社. 2009年4月19日• 毎日新聞社. 2009年4月19日• 北海道新聞社. 2009年4月25日• 北海道新聞社. 2009年5月1日• 北海道新聞社. 2009年7月31日• 北海道新聞社. 2009年7月31日• 北海道新聞社. 2009年11月10日• 毎日新聞社. 2010年1月28日• 読売新聞社. 2009年6月10日• 函館新聞社. 2012年5月11日• 室蘭民報社. 2010年1月21日• 北海道新聞社. 2009年6月12日• 北海道新聞社. 2010年12月16日• 2011年6月号 財界さっぽろ社 2011-6. 北海道新聞社. 2009年6月10日• 北海道新聞社. 2009年5月20日• 北海道新聞社. 2011年7月9日• 北海道新聞社. 2009年9月15日• 広報さっぽろ 2003年6月号 札幌市 2003-6. 二番街瓦版 創刊号 二番街商店街振興組合. 2008-09-05. 北海道新聞社. 2003年2月25日• 朝日新聞社. 2011年3月11日• 国土審議会調査改革部会 第4回国際連携・持続的発展基盤小委員会配付資料 人口減少下での活力ある地域社会と二層の広域圏形成に資する国土基盤の現状と課題(資料編) Report. 調査改革部会. 2000. 函館市史編さん室『函館市史 通説編 第3巻』函館市、1997年、421-425頁。 函館市史編さん室『函館市史 通説編 第3巻』函館市、1997年、705-709頁。 ステップアップ vol. 168 2003-3. 函館新聞社. 2005年10月13日• 北海道建設新聞社. 2012年1月11日• 消費者が百貨店離れ。 高コスト体質続く。 北海道新聞社. 1993年2月18日• 第44号-通巻697号 2008-12. 小樽市編『小樽市史 第10巻(経済編)』、2000年。 朝日新聞社. 2005年6月26日• 北海道新聞社. 2009年2月16日• 北海道新聞社. 2009年3月3日• 北海道新聞社. 2013年2月23日• 北海道新聞社. 2014年3月14日• 北海道新聞社. 2014年3月21日• 産業タイムズ社. 2010年4月13日• 室蘭民報社. 2011年9月10日• 室蘭民報社. 2005年6月25日• 毎日新聞社. 2010年1月21日• 北海道新聞社. 2005年9月28日• 北海道新聞社. 2009年5月29日• 北海道新聞社. 2009年5月30日• 室蘭民報社. 2010年8月6日• 朝日新聞社. 2010年2月1日• 北海道新聞社. 2009年5月27日• 朝日新聞社. 2012年2月20日• 北海道新聞社. 1993年2月17日• 毎日新聞社. 2009年4月5日• 毎日新聞社. 2009年4月19日• 北のまち新聞. 2011年6月28日• 北海道新聞社. 2011年7月24日• - 日本経済新聞・2015年1月8日• 調査改革部会. 2000. 苫小牧民報社. 2006年11月23日• 苫小牧民報社. 2007年1月17日• 苫小牧民報社. 2002年12月30日• 北海道新聞社. 2008年3月13日• 読売新聞社. 2008年5月5日• 苫小牧民報社. 2012年4月6日• 釧路新聞社. 2006年5月15日• 日本経済新聞社. 2006年1月30日• 釧路新聞社. 2004年4月24日• 釧路新聞社. 2005年4月26日• 日本経済新聞社. 2005年12月21日• 北海道新聞社. 2003年1月24日• 釧路新聞社. 2006年2月16日• 2006年2月22日• 釧路新聞社. 2005年5月19日• 釧路新聞社. 2005年5月12日• 北海道新聞社. 2008年3月2日• 釧路新聞社. 2006年10月25日• 北海道新聞社. 2009年2月21日• 釧路新聞社. 2009年2月21日• 財界さっぽろ 2012年1月号 財界さっぽろ 2012-1. 釧路新聞社. 2005年6月1日• 2015年5月18日閲覧。 [ ]• 広報たきかわ 2009年9月号 滝川市 2012-2. 公益財団法人. 2012年6月18日閲覧。 広報資料・プレスリリースなど一次資料 [ ].

次の

グレコ 丸井今井札幌店

丸井 今井 札幌 店

カフェエデン丸井今井店の場所は? 住所 北海道札幌市中央区南1条西2丁目 丸井今井本店一条館2F アクセス 地下鉄東豊線 大通駅から徒歩3分 駐車場 まるいパーキング等2000円以上お買い上げで無料サービスあり 問い合わせ 011-205-1539 営業時間 10:30~19:00 L. denコラボ企画 ルビーチョコパフェセット 1900円 2月中旬まで予定 出典:Cafe E. den 2月の新パフェ ラムレーズンパフェ 1350円 出典:Cafe E. 月ごとに変わります。 den 出典:Cafe E. den】カフェエデンは円山店と丸井今井店の2店舗展開となっています。 円山店は食事メニューとパフェメニューがあり、丸井今井店は限定スイーツがメインとなっています。 可愛いスイーツプレートや映えるパフェが女性中心に人気で友達とおしゃべりをしたり、一人でスイーツを楽しんでいる方も多いです。 基本、 パフェセットと スイーツプレートの2つがメインメニュー。 今回私は スイーツプレートを注文。 内容はマロンロールケーキ・バスクチーズケーキ・ざくろゼリー・レモンソルベ。 しばらくして出てきたのがこちら どどーん! お皿の周りにアーモンドスライスやくるみやミントなどが散りばめられていておしゃれ可愛い。 アップでこんな感じ。 バスクチーズケーキ。 ざくろゼリーとレモンソルベ.

次の