サンデー。 会社情報|DIY・園芸・日用品なら株式会社サンデー

サンデーサイレンス

サンデー

概要 [ ] (昭和34年)に、同年号として創刊。 「サンデー」という誌名は「この雑誌を読むとまるで日曜日のように楽しい気分に浸れるように」という初代編集長が名付けた。 当初は毎週の発売だったが、現在は、毎週に発行されている。 マスコットキャラクターはで、『ビッグコミック』系列誌のものとは異なり、本誌ではイナズママーク入りのヘルメットを被っている。 「澱んだ池の底でも辛抱していればそのうち大きくなる」というハングリー精神を表している。 企画立ち上げ時のスタッフの中核がの編集者ということから、創刊前には「小学館の新児童誌」と宣伝され、実際、創刊から10年近くの間、学年誌の延長線上にあり 、読み物や付録などが充実していた。 半ばにはに力を入れ、当時気鋭の若手が小説の連載を行なっていたこともあった。 1960年代にシリアスな漫画で問題を起こすことが多かった一方、比較的ライトな内容のギャグ漫画やコメディ・タッチの漫画にヒット作が多かったことから、俗に「 ギャグのサンデー」と呼ばれることになった。 初頭には「 ラブコメ」や「 パロディ」も加わり、この様な軽快さは雑誌の大きな気風として現在も続いている。 とは言い、1980年代半ばにはギャグ漫画家(パロディ組)が飽和状態になり、サンデー出身作家の『』()など他誌への鞍替えが目立った時期もあった。 担当編集者を介したつながりや誌上企画などに端を発した、師弟関係以外の漫画家間の交流(サンデー内のみではなく、小学館関係の雑誌も含め)が比較的盛んで、中でも1980年代から初頭のを中心としたグループ、1990年代半ばのを中心としたグループが有名である。 に通巻1500号の記念企画としてレコード「WINGS OF FREEDOM」が制作された際には、当時の連載陣の一部が歌を披露している。 伝統的に、掲載作品については編集部が企画段階から関与し、その意向が作品の方向性に少なからぬ影響を及ぼす。 また、長期連載となるには読者からの作品人気が必要で、雑誌付属のアンケート葉書などのリサーチの結果が編集方針や作品の内容・存続に影響を及ぼすことに、競合他誌と違いはない。 しかし、創刊時からの競合誌『』と比べれば編集部主導という姿勢がそこまで色濃いわけでもなく、かといって後発誌『』『』ほどにの結果データに極端に偏重したスタイルでもないため、これら競合誌と比較した場合、編集部との折り合いさえ付けば、あとは漫画家が自身の描きたい方向性を自由に打ち出せる傾向がある(そのせいか、他誌のように作品の方向性がによって突然、大きく変質してしまうケースが比較的少ない)。 現在の発行部数は、週刊少年漫画誌としては『』()、『』()に続いて業界3位に位置する。 歴史 [ ] 1959年創刊 - 1960年代 [ ] 1958年、学年誌編集部の次長だったが、時代の到来と1950年代半ばから続いていた週刊誌ブームを受けて、を中心に据えた少年週刊誌の発行を社長のに働き掛け、『週刊少年サンデー』の創刊が決まる。 当初は1959年5月5日の発行を予定して諸準備に取り掛かっていたが、『ぼくら』『少年倶楽部』などの月刊少年誌を持つも週刊誌ブームを受けて『』の創刊準備を始めたことから、徐々に創刊日が繰り上がり、結局ともに1959年3月17日に創刊した。 創刊号のラインアップは『』、『宇宙少年トンダー』、『』、 『』、『南蛮小天狗』で、創刊号の表紙にのを起用。 巻末にはのが祝辞を寄せている。 両誌の価格はサンデーが30円、マガジンが40円で、豊田が「もしサンデーがマガジンと同じ値段だったとしたら、マガジンの付録の分お得感で負けてしまう」と判断した事から、両誌の契約している印刷所がともにだったこともあり、「マガジンが刷り始めるのを確認してからサンデーの値段を入れて刷る」という機密漏洩的のような裏技を使っている。 創刊号の売上げはサンデーが30万部で、マガジンが20. 5万部でサンデー側に軍配が上がり 、マガジンも5号から30円に値下げした。 これ以降もお互い張り合って雑誌の総ページ数を増やしていった。 1960年代半ばには(『』をマガジンからサンデーに移籍)、1960年代末には『』のマガジンからサンデーへの移籍が起きるなど、その後もライバル間の争いは続いた。 1960年代のヒット作には、『』(1961年)、『』(1962年)、『』(1964年)、『』(1966年)、横山光輝『』(1967年)、手塚治虫『』(1967年)、赤塚不二夫『』(1967年)などがある。 1960年代半ばからマガジンが劇画路線・スポ根路線を開拓して、創刊当初の主要読者層()を離さなかったのに対して、サンデーは少年向けの漫画にこだわった。 毎週土曜日に編集部を子供達に開放し、漫画需要を探るという作戦を取り、当時立ち上げを企画していた『週刊少年ジャンプ』()編集部の協力要請に「一ツ橋に少年向けの漫画雑誌は二つもいらない」と協力を拒否する一方で、青年向けの漫画雑誌『』(1968年、創刊当初「一流の漫画家しか起用しない」というのをウリのひとつにしていた)を創刊するなどして対応していた。 1960年代末になると、「右手に朝日ジャーナル、左手にマガジン」のの時代が訪れ、学生の他にアングラ・カルチャー層からの支持を得たマガジンが発行部数を伸ばし、一気に追い抜かれることになった。 この時期、の『』(1968年)の懸賞問題の影響で、隆盛を誇っていた戦記モノが激減した。 1970年代 [ ] 『週刊少年マガジン』との争いの敗北を受けて、追随する形で青年向け雑誌(マガジンとは異なり、スタイリッシュな路線を目指した)への方向転換を図り、1970年21号から1年間広告製作プロダクションに表紙の製作を受注。 「傑作アイデアシリーズ」と称した、昆虫をダイナミックにレイアウトした「怪虫シリーズ」を皮切りに、トイレの便器、マネキン、スキンヘッド、マッチ箱、オール手書きイラスト、編集部宛の投書など表紙としての定義さえも破壊した表紙が次々と登場した。 この時期の主な連載に『』(1970年)、『』(1970年)、赤塚不二夫『』(1971年)などがある。 それらが沈静化した1972年頃からは『』、『』などの旧作のアニメ化に伴った漫画連載を展開し、当時作品に馴染んでいた親層の取り込みを図る一方で、『』(1972年)、『』(1973年)、『』(1974年)、『』(1974年)などの特撮・SFアニメ作品のコミカライズを大挙掲載し、新規子供層を押えようとするなど、「親と子が安心して読める」誌面の展開を目指した。 しかし、サンデー、マガジンともすでに青年(あるいはそれ以上)向け雑誌に転じていたため、本来の読者層であるはずの少年の多くが『』に流れることになり、1973年にはサンデー、マガジンともに発行部数で追い抜かれることになり、再び少年向けに方向転換(ただし、一部の劇画は残った)。 当時の小学館は路線転換の煽りで離れつつあった少年読者層の再度獲得を目指すべく、まず1974年6月にの「少年サンデーコミックス」(「」などが第一弾として刊行)を立ち上げ、続いてサンデーから特撮・SFアニメ作品の部分を引き継いだ『』(1976年)、児童向けの『』(1977年)、学年誌とサンデーの中間の『マンガくん』(1976年)(1979年に『』に改称)、新人作家育成のための『』(1978年)など次々と新雑誌を創刊。 この時期は『』の大躍進の影響もあり、発行部数が低迷、第4位になっていた。 1977年には編集長が交代し、ビッグコミック系誌から持ち込まれ、現在もサンデーを象徴するイメージキャラクターのヘルメットを被ったナマズが初登場。 また1976年から5年間1年ごとに誌名ロゴを変更する体制をとった。 1980年前後には、『週刊少年チャンピオン』の部数激減の影響もあり、発行部数が『週刊少年ジャンプ』に次ぐ第2位になった。 1980年代 [ ] 1980年代に入ると、出身のの『』(1978年)と、『少年ビッグコミック』で『』をヒットさせていたの『』(1981年)のヒットでブーム(学園もの、青春もの)を巻き起こし、部数を大きく伸ばして、1983年には最高発行部数の228万部を記録するなど黄金期を迎えた(ちなみに、この記録は現在でも破られていない)。 そのため、当時発行部数で首位に立っていた『週刊少年ジャンプ』編集部は猛追を恐れ、「友情・努力・勝利」を「友情・勝利・愛」に変えようとした程であった(ただし、これはその直後の『』の大ヒットと、これに伴う発行部数の急激な上昇によって回避された)。 また、この時期から増刊組が台頭し、の『』(1983年)、の『』(1985年)などの特撮のが話題になり、いずれもヒットした。 なお、本誌から連載の依頼があっても増刊で描くのが好きだからと断る のような漫画家もいた。 1985年に誌名ロゴを固定化し、その頃から、を筆頭に、などの、あるいはウィラードやガスタンクなどのパンク・ハードコア系のバンドの盛り上がり(第1次バンドブーム)にインスピレーションを受けたの『』(1985年)、の『』(1985年)などの、音楽的かつ青年誌的な漫画が増えた。 1985年中盤に『』が、1986年末に『タッチ』が、1987年初頭に『うる星やつら』が終了したのを皮切りに、それまでのサンデーを支えていた作品の多くが完結し、1980年代前半の勢いが止まる。 その後、高橋留美子の『』(1987年)、ゆうきまさみの『』(1988年)、の『』(1987年~、不定期連載)・『』(1988年)などがヒットするものの、続くヒット作がなかなか出ずに部数が大きく落ち込み、1987年頃にはマガジンに発行部数を追い抜かれた。 1988年から1991年にかけて連載数を増加させ、他社からのギャグ漫画家などの引き抜きや、、ら大御所の再登用、漫画家インタビューコラム「オレのまんが道」の連載、既存の枠にとらわれない増刊『サンデーspecial』の発行、プロ・アマチュアを問わずに連載用の第1話を公募して誌面に掲載、読者の人気が高かったものを連載化する「コミックグランプリ」の実施、(1990年14号)や(1990年35号)といったロックバンドのカラーグラビア掲載などの実験的な試みを数多く行った。 この時期は雑誌および編集部に混乱が続いていて、の『少年』(1989年)の不自然な打ち切り、の『ウエルカム』(1990年)の打ち切り、単行本が最終巻刊行直後に絶版になる(石ノ森『』、楳図『』)など、中堅・ベテラン・大御所を問わず悲惨な目に遭うことになった。 この時期、少年ビッグコミックの対象読者層が創刊当初に予測していた層より上になっていた事を受けて、青年誌『』(1987年)としてリニューアル創刊された。 1990年代 [ ] 1988年から1991年にかけての大混乱の中、若手漫画家の手により、それまでのサンデーの色に無かった新しい漫画が増え始め、『』(、1989年)、『』(原作:・漫画:、1989年)、『』(、1989年、増刊号から移籍)、『』(、1990年)、『』(、1990年、増刊号から移籍)、『』(、1991年)、『』(、1991年)などがヒットし、これらはいずれも長期連載となった。 これらに加えて、『』(、1992年)、『』(、1992年)、『』(、1994年〜)、『』(原作:・漫画:、1994年)、『』(、1994年)、『』(、1994年)、『』(原作:・漫画:、1995年)、『』(、1995年)、『』(、1995年)、『』(、1996年)、『』(、1996年)、『』(、1996年)、『』(、1997年)、『』(、(原案協力:)、1997年)、『』(、1997年)、『』(、1998年)、『』(、1999年)、『』(、1999年)などがヒットし、伸び悩んでいた部数も1994年頃から2000年頃まで上昇を続け、サンデーは再び黄金期を迎えた。 雑誌的には一種の安定期に入ったが、その一方で1990年代半ばから後半にかけて若手漫画家が台頭せず、暗い影を落とした(1995年に週刊少年サンデー増刊号を『』とリニューアルするなどして若手漫画家の台頭を待っていた)。 1992年16号から誌名ロゴが現在のものに落ち着き。 1993年51号で、サンデーは創刊2000号を迎え、その記念として(サンデー創刊と同じ年の生まれ)によるオリジナルソング「SUNDAY'S DREAM」が発表され、サンデーの懸賞プレゼント用に8cmCDが制作された(歌詞は嘉門の半生を歌った内容に的に過去のサンデーの連載作品名を盛り込んだもの)。 この時期、『コロコロコミック』と『サンデー』の中間層をターゲットにした『』(1999年)、メディアミックス誌『』(2000年)が創刊された。 2000年代 [ ] この前後から長期連載や人気作が次々と終了し、部数が低迷。 1990年代以上に積極的なメディア展開を行うようになり、『』(、2001年)、『』(、2001年)、『』(、2002年)、『』(、2002年)、『』(、2002年)、『』(、2003年)、『』(、2003年)、『』(、2003年)、『』(、2004年)、『』(、2005年) 、『』(、2005年) 、『』(、2005年~) 、『』(原作:・漫画:、2006年)、『』(原作:・漫画:、2007年)、『』(、2008年)、『』(、2008年)、『』(、2008年)などがヒットするが、その他の連載は伸び悩み、部数の低迷に歯止めが効かず、また、この時期から多くの漫画家がサンデーを離れていくことになり、さらに、、がサンデー編集部での原稿紛失を巡ってに対し損害賠償請求のを提起するなど、1980年代後半の混乱と同様に安定しない時期となった。 に創刊された『』の合同企画コーナーが設置され、一部の作家の入れ替えや引き入れが同じ小学館で刊行されている『』・『』と同時になされることが多くなった。 2009年第14号(3月18日号)では、「創刊表紙トリビュート号」と題して創刊号の表紙デザインを再現(創刊号表紙の長嶋茂雄をに、の『スリル博士』のイラストをの『』に置換)した。 50周年イベント終了後の3月末からは、週刊少年誌としては初の『』を開設。 さらに、月刊少年サンデー『』の創刊、『週刊少年サンデー超』(現在は『』)の月刊化などをし、今まで連載経験のない新人作家を、積極的に連載させるなど、これまで以上に新人育成に力を入れるようになる。 また、それ以降連載作品を『クラブサンデー』や『週刊少年サンデー超』に移動させたり、『週刊少年サンデー超』の連載作品を本誌に移動させたりする事例が増え、連載陣の入れ替えの激しさが増していった。 2010年代前半 [ ] この前後から、『』(、2008年~)、『』(、2009年)、『』(、2011年)など、他誌・他社の人気漫画家の新作を連載する事例が増え、いずれもヒットし、さらに、『』関連作品との連動も図られるようになっており、『』の出張掲載や『』の前後編読み切り掲載などが行われているほか、小学館の主力コンテンツである『』や『』を原作とする作品が連載されたり、メディアミックスとして『』や『』、『』、『』のコミカライズ作品を連載したりしている。 上記3作品以外では、『』(、2009年)、『』(、2010年)、『』(、2011年)、『』(、2011年~)、『』(、2011年)、『』(、2012年)、『』(、2013年)、『』(、2014年)、『』(、2015年〜)などがヒットする。 また、雑誌に付録として、やシール・栞・の限定シリアルコードなどを付録に付けることが増え、単行本関連では人気作品において限定版・特別版の同時発売が多く行われるようになっている。 他にも、SSS(サンデーサポーターズショップ)・一部 でイラストペーパーやなどを初回特典として同梱・配布するケースが増加した。 さらに、ウェブコミック関連では『』に加えて、WEB漫画作家を多数起用した『』(後に『』として独立)を2012年4月に開設し、『』(、2012年)や『』(原作:・作画:、2012年)などをヒットさせた。 その他にも、著名人であるやが原作の漫画の連載、2013年33号のみ17年ぶりに200円で販売、初の単独イベント『サンデーフェス』を開催したりなど様々な展開をするが、他の漫画雑誌と同様になどの影響で、発行部数は減少し続けた。 2010年代後半 [ ] 2015年7月、『』を創刊し、ゲッサンの編集長を務めていた市原武法が編集長として就任。 新人作家の育成を絶対的な使命とする大改革を行うと宣言し、大きな話題となった。 宣言通り、多くの連載作品の打ち切り、新たな作品の連載、サンデーの雑誌作りに協力する中高校生限定のサンデーサポータークラブ(SSC)の設立、『』のリニューアル、『クラブサンデー』を終了し、新たなウェブコミック配信サイト『』の開設など様々な展開をし、新人作家の作品として、『』、『』、『』、『』、『妖怪ギガ』、『switch』などを、サンデーうぇぶりでは、『ジンメン』、『死神坊ちゃんと黒メイド』などをヒットさせた。 これらに加えて、ベテラン・中堅作家による『』、『』、『』、『』、『』、『』などをヒットさせ、さらにはサンデーにて長年執筆している高橋留美子の7作目の連載作品である『』を立ち上げているが、他の少年誌と比べ、アニメ化などメディア展開される作品が減少傾向になっている。 また、連載作家に会えるなど、SSC会員限定のイベントを開催したり、2016年頃からサンデーSと共に『名探偵コナン』関連の全員サービスを定期的に行ったり、スピンオフ作品として、『』を連載したりなど、今まで以上に『名探偵コナン』の色が強く出るようになり、内容によっては、売り切れることも増え始めた。 2019年に創刊60周年を迎え、巻末には連載中の漫画家の日記を紹介するミニコーナー、『水曜日のDiary』を立ち上げる。 特徴 [ ] 連載傾向と読者層 [ ] 本誌の傾向としては、特にとにノウハウと強みを持っていることが挙げられる。 特に、中長期連載となった作品ではその傾向が強く見られる。 また、ラブコメ・恋愛漫画ではない作品でも、作中のエピソードなどで恋愛およびラブコメ的な要素を色濃く匂わせるものが多い。 他の少年漫画雑誌と比べて、スロースタートで始まる作品や一つの出来事・展開に数話分使う作品などが比較的多く、ストーリーを深く書かせてくれる傾向がある。 また、時折少年漫画雑誌とは思えない社会を絡ませた重厚な内容の作品が連載されることもある。 作品をにする場合、『』など他誌のように唐突に終了することは少なく、ある程度物語がまとまった形で終了させる傾向にある。 漫画家では、・・・など、他の少年誌と比べて、二作目以降も完全新作でヒット作を生み出す作家が多く、「作品を作ることよりもマンガ家を作ることを得意とする雑誌」と評させることがある。 少年漫画誌の中では読者の年齢層が高く、高校生以上の読者が全体の約6割を占めている。 ラブコメや恋愛漫画に強みを持っているため、少年誌でありながら女性の購読者も非常に多い。 そのためか、他の少年誌と比べて女性漫画家が多いのも特徴である。 各種コーナー [ ] 『週刊少年ジャンプ』とは異なり、表紙に(『週刊少年マガジン』なども同様)が付いている号がある。 ただ2013年に入ると前述のアニメプロジェクトもあってかグラビアは減少している。 また、グラビア以外でも女性キャラクターを前面に押し出す表紙イラストがしばしば見られる。 その他、2001年よりアンケートやがハガキ以外にも()からも応募・投稿できるが、これは週刊少年誌で最初に始まったものである。 の節やも参照のこと。 また、2008年より週刊少年漫画誌としては初めて「」を、2012年からは「」を、2016年からはを開設した。 週刊少年サンデー事件史 [ ]• 、読者懸賞の軍装品に対して児童文学者らが賞品の撤回を求めて抗議を行った騒動。 詳しくはを参照。 、が『』のクレームによる改題が発端で編集者との確執に至った。 、がサンデー編集部での原稿紛失を巡って、小学館に対し損害賠償請求のを起こした。 のちに小学館の謝罪と和解金255万円で和解が成立した。 歴代編集長 [ ]• (1959年 - 1960年)• (1960年 - 1963年)• (1963年 - 1965年)• (1965年 - 1967年)• (1967年 - 1969年)• (1969年 - 1970年43号)• (1970年44号 - 1972年3・4合併号)• (1972年5号 - 1977年46号)• (1976年47号 - 1984年29号)• (1984年30号 - 1987年27号)• (1987年28号 - 1991年32号)• (1991年33号 - 1994年33号)• (1994年34号 - 1996年33号)• (1996年34号 - 2000年16号)• (2000年17号 - 2001年34号)• (2001年35号 - 2004年50・51合併号)• (2004年52号 - 2009年35号)• (2009年36号 - 2012年33号)• (2012年34号 - 2015年34号)• (2015年35号 - ) 連載作品 [ ] 過去の連載作品についてはを参照 2020年6月3日(2020年27・28合併号)現在連載中の作品。 不定期連載作品も含む。 作品名 作者(作画) 原作など 開始号 備考 ましつくかいと あおやま こうしよう - 1987年26号 不定期連載 めいたんていこなん あおやま こうしよう - 1994年5号 せったいかれんちるとれん しいな たかし - 2005年33号 ひいふるうすあおになれ たなか もとゆき - 2011年9号 めしやあせかんと みつた たくや - 2015年15号 『』の続編 あまのめくみはすきたらけ ねこくち - 2016年3号 『』より移籍 そうほうていこわすへし ふした かすひろ - 2016年17号 あおさくらほうえいたいかつこうものかたり にかいとう ひかる - 2016年22・23合併号 まおうしようておやすみ くまのまたかきし - 2016年24号 こみさんはこみゆしようてす おたともひと - 2016年25号 まいこさんちのまかないさん こやま あいこ - 2017年5・6合併号 ほあんかんえうあんすのうそ くりやま みつき - 2017年20号 たいくのはとう くさは みちてる - 2017年21号 ようかいきか妖怪ギガ さとう さつき - 2017年22・23合併号 掲載順は巻末近くに固定 とかちひとりほつちのうえん よこやま ゆうし - 2018年1号 掲載順は巻末に固定 そうきゆうのありあとね やき のりひろ - 2018年2号 とにかくかわいい はた けんしろう - 2018年12号 きみはたふるおおえいと まつえな しゆん - 2018年13号 すいつちswitch なみきり あつし - 2018年20号 ほんこつちやんけんしようちゆう ふくち つはさ - 2019年21・22合併号 まお たかはし るみこ - 2019年23号 のけものたちのよる ふくい せい - 2019年36・37合併号 よふかしのうた ことやま - 2019年39号 めいたんていこなんけいさつかつこうへん あらい たかひろ (漫画) あおやま こうしよう (原作) 2019年44号 『』のスピンオフ作品 本編休載時の穴埋めとして不定期連載 うそつき みなみ - 2020年1号 そうそうのふりいれん あへ つかさ (漫画) やまた かねと (原作) 2020年22・23合併号 いとやんことなき こまつ しようた - 2020年24号 りゆうといちこ やなもと みつはる - 2020年25号 いけたくん あつみ たける - 2020年26号 休載中 [ ] 作品名 作者(作画) 原作など 開始号 備考 あらたかんかたり わたせ ゆう - 2008年44号 休載中 あとあすとらへるあすへら はた けんしろう - 2015年40号 休載中 めいたんていこなんせろのていいたいむ あらい たかひろ (漫画) あおやま こうしよう (原作) 2018年24号 『』のスピンオフ作品 本編休載時の穴埋めとして不定期連載 警察学校編の連載のため休載中 発行部数 [ ]• 1959年 30万部(創刊号)• 1983年 228万部(本誌の最高発行部数)• 1989年 140万部• 1995年 140万部• 1998年 170万部• 2001年 150万部• 2004年(2003年9月 - 2004年8月) 1,160,913部• 2005年(2004年9月 - 2005年8月) 1,068,265部• 2006年(2005年9月 - 2006年8月) 1,003,708部• 2007年(2006年9月 - 2007年8月) 935,729部• 2008年(2007年10月 - 2008年9月) 873,438部• 2009年(2008年10月 - 2009年9月) 773,062部 発行部数(2008年4月以降)() 1〜3月 4〜6月 7〜9月 10〜12月 2008年 866,667 部 833,334 部 802,084 部 2009年 781,667 部 765,000 部 745,770 部 717,728 部 2010年 684,462 部 670,417 部 645,834 部 624,546 部 2011年 630,770 部 605,000 部 583,750 部 565,584 部 2012年 540,167 部 526,500 部 525,834 部 520,334 部 2013年 502,000 部 494,000 部 532,667 部 490,334 部 2014年 461,250 部 445,500 部 428,417 部 411,250 部 2015年 393,417 部 388,417 部 369,231 部 356,584 部 2016年 345,667 部 369,833 部 330,000 部 323,250 部 2017年 319,667 部 315,750 部 311,167 部 306,000 部 2018年 298,333 部 301,667 部 306,667 部 296,250 部 2019年 277,500 部 263,333 部 252,500 部 242,083 部 2020年 232,500 部 詳細は「」を参照 系列誌 [ ]• (月刊少年サンデー)(2009年-)• (1960年-1974年)• (1987年-2008年)• 『』系列誌だったものが改名によってサンデー系列となった。 映像化作品 [ ] 作品名は五十音順としている。 アニメ [ ] 4月現在のもの。 中期には週4 - 5本程度のテレビアニメ作品が放送されていた。 しかし、他の少年誌と比べて、アニメ化作品が減少傾向になっており、時期によってはアニメ作品が『名探偵コナン』関連のみとなる時がある。 半ばまではアニメ化される作品の大半が系列 で放送されていたが、以降は制作・系列 で放送されることが多い。 2000年代に入ると系列 でアニメ化される作品も多くなっていた。 他の週刊少年誌の作品と比較するといわゆる「」として新作が放送されたのは『』・『』・『』・『』程度に留まっており、もっぱらやでの制作・放送が基本となっている。 現在放送中の作品 [ ]• (第2期) 放送予定の作品 [ ]• 過去にアニメ化された作品 [ ]• (アニメタイトル:PROJECT ARMS)• (アニメタイトル:ガンバリスト! (アニメタイトル:GS美神)• (アニメタイトル:金色のガッシュベル!! THE UNLIMITED 兵部京介 - 「」にてコミカライズ版が連載された。 (アニメタイトル:がんばれ! ぼくらのヒット・エンド・ラン)• マギ シンドバッドの冒険 - OVAの再編集版に新作エピソードを加えて放送。 (単独版アニメタイトル:まじっく快斗1412)• (アニメタイトル:メルヘヴン)• (アニメタイトル:剣勇伝説YAIBA)• タイアップ作品のアニメ化 [ ] いずれも「サンデー」ではアニメと並行して漫画版を連載。 - 「サンデー」では『小悪魔王伝 戦コレ! 』のタイトルで連載。 - 原作。 途中から「サンデーS」へ移籍し完結。 - アニメオリジナル作品を原作として連載。 途中から「クラブサンデー」へ移籍し完結。 OVA [ ]• うしおととら• おいら女蛮• 機動警察パトレイバー• 絶対可憐チルドレン• ハヤテのごとく! 神のみぞ知るセカイ• 史上最強の弟子ケンイチ• ムシブギョー• ハヤテのごとく! マギ シンドバッドの冒険• MAJOR• ドラマ [ ] 放送予定の作品 [ ]• 過去にドラマ化された作品 [ ]• 天下一大物伝• さよなら三角• なんか妖かい!? 現地語タイトル:旋風管家)• (ドラマタイトル:名探偵コナン 工藤新一への挑戦状)• (ドラマタイトル:FIRE BOYS 〜め組の大吾〜• (ドラマタイトル:ワイルドライフ〜国境なき獣医師団R. 〜) この節のが望まれています。 ( 2011年5月) 実写映画 [ ] 公開予定の作品 [ ]• ドラマ版 過去に映画化された作品 [ ]• OV [ ]• 特撮関連 [ ] ドラマ化されたものや、としてされた作品群。 少年サンデーCM劇場 [ ] 1995年から、連載作品の中でまだアニメ化されていない作品を用にアニメ化して放送している。 これらはで、一部を除き過去分も含め視聴することができる。 アニメ化された作品の場合はテレビ放送が開始した時点で放送を終了しているが、『ハヤテのごとく! 』ではアニメ開始後も放送をしばらく続けていた。 近年ではCM劇場の形をとらない形態でCMが放送される作品も増えている。 サンデーCM劇場でアニメ化された作品 [ ]• 近年はテレビアニメ化が決定している作品がCMに使われることがほとんどである。 海外提携誌 [ ]• 元気少年(台湾・)• 龍漫少年星期天(中国・吉林美術出版社。 編集は小学館の現地合弁法人「上海碧日咨詢事業有限公司」が担当)• BOOKING(韓国・鶴山文化社)• 読者コーナー [ ] 「」の『週刊少年ジャンプ』や「マガジン7」の『週刊少年マガジン』に対抗して、巻末に読者コーナーが設置された。 当時の人気アイドルだったおニャン子クラブ出身の、、などがいたが、特筆すべきは当時人気絶頂だったが最初の読者コーナー「サンデーファン」を担当していたことである。 現在の読者ページは2001年春に始まった。 週刊の少年誌の中で「」が初めて読者からのインターネットでの投稿を受け付けた。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 同様の状況は同時期に創刊されたライバル誌『』にもあり、マガジンの場合は企画立ち上げ時のスタッフに少女漫画誌の編集者が多く、少女漫画家を多く起用していた。 例として、『』においては10巻~22巻まで連続して関連グッズ・を同梱した初回限定版が発売されている。 作品にもよるが、主に・・で実施されるケースが多い。 漫画全般に置いてこうした店舗での新刊特典自体は珍しくないが、週刊少年誌の単行本としては多い部類に入る。 例としては『』や『』、『』、『』、『』など。 当初の題名『ジャップ』について、作者が日本に対する蔑称である点に懸念を抱いたが、編集者が問題ないと判断して題名としたものの、クレームが多発して改題されるに至った。 この一件が原因で『バランサー』は打ち切りになり、新谷は増刊号も含めサンデーから一時撤退した。 増刊号に連載された『紅たん碧たん』の単行本は小学館では1巻のみの発行となり、1994年に完全版がから発行されている。 その後はサンデーとの関係が修復し、単発の読切作品や『少年サンデー1983』の復刻・インタビューの掲載も行っている。 出典 [ ]• 2009. サンデーとマガジン. 『』第1巻、P. 193• 2011年7月22日時点の [ ]よりアーカイブ。 2007年12月18日閲覧。 『サンデーとマガジン 創刊と死闘の15年』(大野茂、2009年、光文社新書、)• 『Hello! あんくる』追悼版に収録されている関係者のコメント• 参考文献 [ ]• - 過去の連載作品の一覧。 - 月刊少年サンデー。 - サンデーの増刊誌。 - サンデーのメディアミックス系漫画雑誌。 - サンデーのウェブコミック配信サイト。 - 小学館のコミックアプリ。 - サンデーのウェブコミック配信サイト。 - 小学館が配信するウェブコミック配信サイト。 - 読者投稿コーナー。 外部リンク [ ]• - チャンネル.

次の

サンデー

サンデー

概要 [ ] (昭和34年)に、同年号として創刊。 「サンデー」という誌名は「この雑誌を読むとまるで日曜日のように楽しい気分に浸れるように」という初代編集長が名付けた。 当初は毎週の発売だったが、現在は、毎週に発行されている。 マスコットキャラクターはで、『ビッグコミック』系列誌のものとは異なり、本誌ではイナズママーク入りのヘルメットを被っている。 「澱んだ池の底でも辛抱していればそのうち大きくなる」というハングリー精神を表している。 企画立ち上げ時のスタッフの中核がの編集者ということから、創刊前には「小学館の新児童誌」と宣伝され、実際、創刊から10年近くの間、学年誌の延長線上にあり 、読み物や付録などが充実していた。 半ばにはに力を入れ、当時気鋭の若手が小説の連載を行なっていたこともあった。 1960年代にシリアスな漫画で問題を起こすことが多かった一方、比較的ライトな内容のギャグ漫画やコメディ・タッチの漫画にヒット作が多かったことから、俗に「 ギャグのサンデー」と呼ばれることになった。 初頭には「 ラブコメ」や「 パロディ」も加わり、この様な軽快さは雑誌の大きな気風として現在も続いている。 とは言い、1980年代半ばにはギャグ漫画家(パロディ組)が飽和状態になり、サンデー出身作家の『』()など他誌への鞍替えが目立った時期もあった。 担当編集者を介したつながりや誌上企画などに端を発した、師弟関係以外の漫画家間の交流(サンデー内のみではなく、小学館関係の雑誌も含め)が比較的盛んで、中でも1980年代から初頭のを中心としたグループ、1990年代半ばのを中心としたグループが有名である。 に通巻1500号の記念企画としてレコード「WINGS OF FREEDOM」が制作された際には、当時の連載陣の一部が歌を披露している。 伝統的に、掲載作品については編集部が企画段階から関与し、その意向が作品の方向性に少なからぬ影響を及ぼす。 また、長期連載となるには読者からの作品人気が必要で、雑誌付属のアンケート葉書などのリサーチの結果が編集方針や作品の内容・存続に影響を及ぼすことに、競合他誌と違いはない。 しかし、創刊時からの競合誌『』と比べれば編集部主導という姿勢がそこまで色濃いわけでもなく、かといって後発誌『』『』ほどにの結果データに極端に偏重したスタイルでもないため、これら競合誌と比較した場合、編集部との折り合いさえ付けば、あとは漫画家が自身の描きたい方向性を自由に打ち出せる傾向がある(そのせいか、他誌のように作品の方向性がによって突然、大きく変質してしまうケースが比較的少ない)。 現在の発行部数は、週刊少年漫画誌としては『』()、『』()に続いて業界3位に位置する。 歴史 [ ] 1959年創刊 - 1960年代 [ ] 1958年、学年誌編集部の次長だったが、時代の到来と1950年代半ばから続いていた週刊誌ブームを受けて、を中心に据えた少年週刊誌の発行を社長のに働き掛け、『週刊少年サンデー』の創刊が決まる。 当初は1959年5月5日の発行を予定して諸準備に取り掛かっていたが、『ぼくら』『少年倶楽部』などの月刊少年誌を持つも週刊誌ブームを受けて『』の創刊準備を始めたことから、徐々に創刊日が繰り上がり、結局ともに1959年3月17日に創刊した。 創刊号のラインアップは『』、『宇宙少年トンダー』、『』、 『』、『南蛮小天狗』で、創刊号の表紙にのを起用。 巻末にはのが祝辞を寄せている。 両誌の価格はサンデーが30円、マガジンが40円で、豊田が「もしサンデーがマガジンと同じ値段だったとしたら、マガジンの付録の分お得感で負けてしまう」と判断した事から、両誌の契約している印刷所がともにだったこともあり、「マガジンが刷り始めるのを確認してからサンデーの値段を入れて刷る」という機密漏洩的のような裏技を使っている。 創刊号の売上げはサンデーが30万部で、マガジンが20. 5万部でサンデー側に軍配が上がり 、マガジンも5号から30円に値下げした。 これ以降もお互い張り合って雑誌の総ページ数を増やしていった。 1960年代半ばには(『』をマガジンからサンデーに移籍)、1960年代末には『』のマガジンからサンデーへの移籍が起きるなど、その後もライバル間の争いは続いた。 1960年代のヒット作には、『』(1961年)、『』(1962年)、『』(1964年)、『』(1966年)、横山光輝『』(1967年)、手塚治虫『』(1967年)、赤塚不二夫『』(1967年)などがある。 1960年代半ばからマガジンが劇画路線・スポ根路線を開拓して、創刊当初の主要読者層()を離さなかったのに対して、サンデーは少年向けの漫画にこだわった。 毎週土曜日に編集部を子供達に開放し、漫画需要を探るという作戦を取り、当時立ち上げを企画していた『週刊少年ジャンプ』()編集部の協力要請に「一ツ橋に少年向けの漫画雑誌は二つもいらない」と協力を拒否する一方で、青年向けの漫画雑誌『』(1968年、創刊当初「一流の漫画家しか起用しない」というのをウリのひとつにしていた)を創刊するなどして対応していた。 1960年代末になると、「右手に朝日ジャーナル、左手にマガジン」のの時代が訪れ、学生の他にアングラ・カルチャー層からの支持を得たマガジンが発行部数を伸ばし、一気に追い抜かれることになった。 この時期、の『』(1968年)の懸賞問題の影響で、隆盛を誇っていた戦記モノが激減した。 1970年代 [ ] 『週刊少年マガジン』との争いの敗北を受けて、追随する形で青年向け雑誌(マガジンとは異なり、スタイリッシュな路線を目指した)への方向転換を図り、1970年21号から1年間広告製作プロダクションに表紙の製作を受注。 「傑作アイデアシリーズ」と称した、昆虫をダイナミックにレイアウトした「怪虫シリーズ」を皮切りに、トイレの便器、マネキン、スキンヘッド、マッチ箱、オール手書きイラスト、編集部宛の投書など表紙としての定義さえも破壊した表紙が次々と登場した。 この時期の主な連載に『』(1970年)、『』(1970年)、赤塚不二夫『』(1971年)などがある。 それらが沈静化した1972年頃からは『』、『』などの旧作のアニメ化に伴った漫画連載を展開し、当時作品に馴染んでいた親層の取り込みを図る一方で、『』(1972年)、『』(1973年)、『』(1974年)、『』(1974年)などの特撮・SFアニメ作品のコミカライズを大挙掲載し、新規子供層を押えようとするなど、「親と子が安心して読める」誌面の展開を目指した。 しかし、サンデー、マガジンともすでに青年(あるいはそれ以上)向け雑誌に転じていたため、本来の読者層であるはずの少年の多くが『』に流れることになり、1973年にはサンデー、マガジンともに発行部数で追い抜かれることになり、再び少年向けに方向転換(ただし、一部の劇画は残った)。 当時の小学館は路線転換の煽りで離れつつあった少年読者層の再度獲得を目指すべく、まず1974年6月にの「少年サンデーコミックス」(「」などが第一弾として刊行)を立ち上げ、続いてサンデーから特撮・SFアニメ作品の部分を引き継いだ『』(1976年)、児童向けの『』(1977年)、学年誌とサンデーの中間の『マンガくん』(1976年)(1979年に『』に改称)、新人作家育成のための『』(1978年)など次々と新雑誌を創刊。 この時期は『』の大躍進の影響もあり、発行部数が低迷、第4位になっていた。 1977年には編集長が交代し、ビッグコミック系誌から持ち込まれ、現在もサンデーを象徴するイメージキャラクターのヘルメットを被ったナマズが初登場。 また1976年から5年間1年ごとに誌名ロゴを変更する体制をとった。 1980年前後には、『週刊少年チャンピオン』の部数激減の影響もあり、発行部数が『週刊少年ジャンプ』に次ぐ第2位になった。 1980年代 [ ] 1980年代に入ると、出身のの『』(1978年)と、『少年ビッグコミック』で『』をヒットさせていたの『』(1981年)のヒットでブーム(学園もの、青春もの)を巻き起こし、部数を大きく伸ばして、1983年には最高発行部数の228万部を記録するなど黄金期を迎えた(ちなみに、この記録は現在でも破られていない)。 そのため、当時発行部数で首位に立っていた『週刊少年ジャンプ』編集部は猛追を恐れ、「友情・努力・勝利」を「友情・勝利・愛」に変えようとした程であった(ただし、これはその直後の『』の大ヒットと、これに伴う発行部数の急激な上昇によって回避された)。 また、この時期から増刊組が台頭し、の『』(1983年)、の『』(1985年)などの特撮のが話題になり、いずれもヒットした。 なお、本誌から連載の依頼があっても増刊で描くのが好きだからと断る のような漫画家もいた。 1985年に誌名ロゴを固定化し、その頃から、を筆頭に、などの、あるいはウィラードやガスタンクなどのパンク・ハードコア系のバンドの盛り上がり(第1次バンドブーム)にインスピレーションを受けたの『』(1985年)、の『』(1985年)などの、音楽的かつ青年誌的な漫画が増えた。 1985年中盤に『』が、1986年末に『タッチ』が、1987年初頭に『うる星やつら』が終了したのを皮切りに、それまでのサンデーを支えていた作品の多くが完結し、1980年代前半の勢いが止まる。 その後、高橋留美子の『』(1987年)、ゆうきまさみの『』(1988年)、の『』(1987年~、不定期連載)・『』(1988年)などがヒットするものの、続くヒット作がなかなか出ずに部数が大きく落ち込み、1987年頃にはマガジンに発行部数を追い抜かれた。 1988年から1991年にかけて連載数を増加させ、他社からのギャグ漫画家などの引き抜きや、、ら大御所の再登用、漫画家インタビューコラム「オレのまんが道」の連載、既存の枠にとらわれない増刊『サンデーspecial』の発行、プロ・アマチュアを問わずに連載用の第1話を公募して誌面に掲載、読者の人気が高かったものを連載化する「コミックグランプリ」の実施、(1990年14号)や(1990年35号)といったロックバンドのカラーグラビア掲載などの実験的な試みを数多く行った。 この時期は雑誌および編集部に混乱が続いていて、の『少年』(1989年)の不自然な打ち切り、の『ウエルカム』(1990年)の打ち切り、単行本が最終巻刊行直後に絶版になる(石ノ森『』、楳図『』)など、中堅・ベテラン・大御所を問わず悲惨な目に遭うことになった。 この時期、少年ビッグコミックの対象読者層が創刊当初に予測していた層より上になっていた事を受けて、青年誌『』(1987年)としてリニューアル創刊された。 1990年代 [ ] 1988年から1991年にかけての大混乱の中、若手漫画家の手により、それまでのサンデーの色に無かった新しい漫画が増え始め、『』(、1989年)、『』(原作:・漫画:、1989年)、『』(、1989年、増刊号から移籍)、『』(、1990年)、『』(、1990年、増刊号から移籍)、『』(、1991年)、『』(、1991年)などがヒットし、これらはいずれも長期連載となった。 これらに加えて、『』(、1992年)、『』(、1992年)、『』(、1994年〜)、『』(原作:・漫画:、1994年)、『』(、1994年)、『』(、1994年)、『』(原作:・漫画:、1995年)、『』(、1995年)、『』(、1995年)、『』(、1996年)、『』(、1996年)、『』(、1996年)、『』(、1997年)、『』(、(原案協力:)、1997年)、『』(、1997年)、『』(、1998年)、『』(、1999年)、『』(、1999年)などがヒットし、伸び悩んでいた部数も1994年頃から2000年頃まで上昇を続け、サンデーは再び黄金期を迎えた。 雑誌的には一種の安定期に入ったが、その一方で1990年代半ばから後半にかけて若手漫画家が台頭せず、暗い影を落とした(1995年に週刊少年サンデー増刊号を『』とリニューアルするなどして若手漫画家の台頭を待っていた)。 1992年16号から誌名ロゴが現在のものに落ち着き。 1993年51号で、サンデーは創刊2000号を迎え、その記念として(サンデー創刊と同じ年の生まれ)によるオリジナルソング「SUNDAY'S DREAM」が発表され、サンデーの懸賞プレゼント用に8cmCDが制作された(歌詞は嘉門の半生を歌った内容に的に過去のサンデーの連載作品名を盛り込んだもの)。 この時期、『コロコロコミック』と『サンデー』の中間層をターゲットにした『』(1999年)、メディアミックス誌『』(2000年)が創刊された。 2000年代 [ ] この前後から長期連載や人気作が次々と終了し、部数が低迷。 1990年代以上に積極的なメディア展開を行うようになり、『』(、2001年)、『』(、2001年)、『』(、2002年)、『』(、2002年)、『』(、2002年)、『』(、2003年)、『』(、2003年)、『』(、2003年)、『』(、2004年)、『』(、2005年) 、『』(、2005年) 、『』(、2005年~) 、『』(原作:・漫画:、2006年)、『』(原作:・漫画:、2007年)、『』(、2008年)、『』(、2008年)、『』(、2008年)などがヒットするが、その他の連載は伸び悩み、部数の低迷に歯止めが効かず、また、この時期から多くの漫画家がサンデーを離れていくことになり、さらに、、がサンデー編集部での原稿紛失を巡ってに対し損害賠償請求のを提起するなど、1980年代後半の混乱と同様に安定しない時期となった。 に創刊された『』の合同企画コーナーが設置され、一部の作家の入れ替えや引き入れが同じ小学館で刊行されている『』・『』と同時になされることが多くなった。 2009年第14号(3月18日号)では、「創刊表紙トリビュート号」と題して創刊号の表紙デザインを再現(創刊号表紙の長嶋茂雄をに、の『スリル博士』のイラストをの『』に置換)した。 50周年イベント終了後の3月末からは、週刊少年誌としては初の『』を開設。 さらに、月刊少年サンデー『』の創刊、『週刊少年サンデー超』(現在は『』)の月刊化などをし、今まで連載経験のない新人作家を、積極的に連載させるなど、これまで以上に新人育成に力を入れるようになる。 また、それ以降連載作品を『クラブサンデー』や『週刊少年サンデー超』に移動させたり、『週刊少年サンデー超』の連載作品を本誌に移動させたりする事例が増え、連載陣の入れ替えの激しさが増していった。 2010年代前半 [ ] この前後から、『』(、2008年~)、『』(、2009年)、『』(、2011年)など、他誌・他社の人気漫画家の新作を連載する事例が増え、いずれもヒットし、さらに、『』関連作品との連動も図られるようになっており、『』の出張掲載や『』の前後編読み切り掲載などが行われているほか、小学館の主力コンテンツである『』や『』を原作とする作品が連載されたり、メディアミックスとして『』や『』、『』、『』のコミカライズ作品を連載したりしている。 上記3作品以外では、『』(、2009年)、『』(、2010年)、『』(、2011年)、『』(、2011年~)、『』(、2011年)、『』(、2012年)、『』(、2013年)、『』(、2014年)、『』(、2015年〜)などがヒットする。 また、雑誌に付録として、やシール・栞・の限定シリアルコードなどを付録に付けることが増え、単行本関連では人気作品において限定版・特別版の同時発売が多く行われるようになっている。 他にも、SSS(サンデーサポーターズショップ)・一部 でイラストペーパーやなどを初回特典として同梱・配布するケースが増加した。 さらに、ウェブコミック関連では『』に加えて、WEB漫画作家を多数起用した『』(後に『』として独立)を2012年4月に開設し、『』(、2012年)や『』(原作:・作画:、2012年)などをヒットさせた。 その他にも、著名人であるやが原作の漫画の連載、2013年33号のみ17年ぶりに200円で販売、初の単独イベント『サンデーフェス』を開催したりなど様々な展開をするが、他の漫画雑誌と同様になどの影響で、発行部数は減少し続けた。 2010年代後半 [ ] 2015年7月、『』を創刊し、ゲッサンの編集長を務めていた市原武法が編集長として就任。 新人作家の育成を絶対的な使命とする大改革を行うと宣言し、大きな話題となった。 宣言通り、多くの連載作品の打ち切り、新たな作品の連載、サンデーの雑誌作りに協力する中高校生限定のサンデーサポータークラブ(SSC)の設立、『』のリニューアル、『クラブサンデー』を終了し、新たなウェブコミック配信サイト『』の開設など様々な展開をし、新人作家の作品として、『』、『』、『』、『』、『妖怪ギガ』、『switch』などを、サンデーうぇぶりでは、『ジンメン』、『死神坊ちゃんと黒メイド』などをヒットさせた。 これらに加えて、ベテラン・中堅作家による『』、『』、『』、『』、『』、『』などをヒットさせ、さらにはサンデーにて長年執筆している高橋留美子の7作目の連載作品である『』を立ち上げているが、他の少年誌と比べ、アニメ化などメディア展開される作品が減少傾向になっている。 また、連載作家に会えるなど、SSC会員限定のイベントを開催したり、2016年頃からサンデーSと共に『名探偵コナン』関連の全員サービスを定期的に行ったり、スピンオフ作品として、『』を連載したりなど、今まで以上に『名探偵コナン』の色が強く出るようになり、内容によっては、売り切れることも増え始めた。 2019年に創刊60周年を迎え、巻末には連載中の漫画家の日記を紹介するミニコーナー、『水曜日のDiary』を立ち上げる。 特徴 [ ] 連載傾向と読者層 [ ] 本誌の傾向としては、特にとにノウハウと強みを持っていることが挙げられる。 特に、中長期連載となった作品ではその傾向が強く見られる。 また、ラブコメ・恋愛漫画ではない作品でも、作中のエピソードなどで恋愛およびラブコメ的な要素を色濃く匂わせるものが多い。 他の少年漫画雑誌と比べて、スロースタートで始まる作品や一つの出来事・展開に数話分使う作品などが比較的多く、ストーリーを深く書かせてくれる傾向がある。 また、時折少年漫画雑誌とは思えない社会を絡ませた重厚な内容の作品が連載されることもある。 作品をにする場合、『』など他誌のように唐突に終了することは少なく、ある程度物語がまとまった形で終了させる傾向にある。 漫画家では、・・・など、他の少年誌と比べて、二作目以降も完全新作でヒット作を生み出す作家が多く、「作品を作ることよりもマンガ家を作ることを得意とする雑誌」と評させることがある。 少年漫画誌の中では読者の年齢層が高く、高校生以上の読者が全体の約6割を占めている。 ラブコメや恋愛漫画に強みを持っているため、少年誌でありながら女性の購読者も非常に多い。 そのためか、他の少年誌と比べて女性漫画家が多いのも特徴である。 各種コーナー [ ] 『週刊少年ジャンプ』とは異なり、表紙に(『週刊少年マガジン』なども同様)が付いている号がある。 ただ2013年に入ると前述のアニメプロジェクトもあってかグラビアは減少している。 また、グラビア以外でも女性キャラクターを前面に押し出す表紙イラストがしばしば見られる。 その他、2001年よりアンケートやがハガキ以外にも()からも応募・投稿できるが、これは週刊少年誌で最初に始まったものである。 の節やも参照のこと。 また、2008年より週刊少年漫画誌としては初めて「」を、2012年からは「」を、2016年からはを開設した。 週刊少年サンデー事件史 [ ]• 、読者懸賞の軍装品に対して児童文学者らが賞品の撤回を求めて抗議を行った騒動。 詳しくはを参照。 、が『』のクレームによる改題が発端で編集者との確執に至った。 、がサンデー編集部での原稿紛失を巡って、小学館に対し損害賠償請求のを起こした。 のちに小学館の謝罪と和解金255万円で和解が成立した。 歴代編集長 [ ]• (1959年 - 1960年)• (1960年 - 1963年)• (1963年 - 1965年)• (1965年 - 1967年)• (1967年 - 1969年)• (1969年 - 1970年43号)• (1970年44号 - 1972年3・4合併号)• (1972年5号 - 1977年46号)• (1976年47号 - 1984年29号)• (1984年30号 - 1987年27号)• (1987年28号 - 1991年32号)• (1991年33号 - 1994年33号)• (1994年34号 - 1996年33号)• (1996年34号 - 2000年16号)• (2000年17号 - 2001年34号)• (2001年35号 - 2004年50・51合併号)• (2004年52号 - 2009年35号)• (2009年36号 - 2012年33号)• (2012年34号 - 2015年34号)• (2015年35号 - ) 連載作品 [ ] 過去の連載作品についてはを参照 2020年6月3日(2020年27・28合併号)現在連載中の作品。 不定期連載作品も含む。 作品名 作者(作画) 原作など 開始号 備考 ましつくかいと あおやま こうしよう - 1987年26号 不定期連載 めいたんていこなん あおやま こうしよう - 1994年5号 せったいかれんちるとれん しいな たかし - 2005年33号 ひいふるうすあおになれ たなか もとゆき - 2011年9号 めしやあせかんと みつた たくや - 2015年15号 『』の続編 あまのめくみはすきたらけ ねこくち - 2016年3号 『』より移籍 そうほうていこわすへし ふした かすひろ - 2016年17号 あおさくらほうえいたいかつこうものかたり にかいとう ひかる - 2016年22・23合併号 まおうしようておやすみ くまのまたかきし - 2016年24号 こみさんはこみゆしようてす おたともひと - 2016年25号 まいこさんちのまかないさん こやま あいこ - 2017年5・6合併号 ほあんかんえうあんすのうそ くりやま みつき - 2017年20号 たいくのはとう くさは みちてる - 2017年21号 ようかいきか妖怪ギガ さとう さつき - 2017年22・23合併号 掲載順は巻末近くに固定 とかちひとりほつちのうえん よこやま ゆうし - 2018年1号 掲載順は巻末に固定 そうきゆうのありあとね やき のりひろ - 2018年2号 とにかくかわいい はた けんしろう - 2018年12号 きみはたふるおおえいと まつえな しゆん - 2018年13号 すいつちswitch なみきり あつし - 2018年20号 ほんこつちやんけんしようちゆう ふくち つはさ - 2019年21・22合併号 まお たかはし るみこ - 2019年23号 のけものたちのよる ふくい せい - 2019年36・37合併号 よふかしのうた ことやま - 2019年39号 めいたんていこなんけいさつかつこうへん あらい たかひろ (漫画) あおやま こうしよう (原作) 2019年44号 『』のスピンオフ作品 本編休載時の穴埋めとして不定期連載 うそつき みなみ - 2020年1号 そうそうのふりいれん あへ つかさ (漫画) やまた かねと (原作) 2020年22・23合併号 いとやんことなき こまつ しようた - 2020年24号 りゆうといちこ やなもと みつはる - 2020年25号 いけたくん あつみ たける - 2020年26号 休載中 [ ] 作品名 作者(作画) 原作など 開始号 備考 あらたかんかたり わたせ ゆう - 2008年44号 休載中 あとあすとらへるあすへら はた けんしろう - 2015年40号 休載中 めいたんていこなんせろのていいたいむ あらい たかひろ (漫画) あおやま こうしよう (原作) 2018年24号 『』のスピンオフ作品 本編休載時の穴埋めとして不定期連載 警察学校編の連載のため休載中 発行部数 [ ]• 1959年 30万部(創刊号)• 1983年 228万部(本誌の最高発行部数)• 1989年 140万部• 1995年 140万部• 1998年 170万部• 2001年 150万部• 2004年(2003年9月 - 2004年8月) 1,160,913部• 2005年(2004年9月 - 2005年8月) 1,068,265部• 2006年(2005年9月 - 2006年8月) 1,003,708部• 2007年(2006年9月 - 2007年8月) 935,729部• 2008年(2007年10月 - 2008年9月) 873,438部• 2009年(2008年10月 - 2009年9月) 773,062部 発行部数(2008年4月以降)() 1〜3月 4〜6月 7〜9月 10〜12月 2008年 866,667 部 833,334 部 802,084 部 2009年 781,667 部 765,000 部 745,770 部 717,728 部 2010年 684,462 部 670,417 部 645,834 部 624,546 部 2011年 630,770 部 605,000 部 583,750 部 565,584 部 2012年 540,167 部 526,500 部 525,834 部 520,334 部 2013年 502,000 部 494,000 部 532,667 部 490,334 部 2014年 461,250 部 445,500 部 428,417 部 411,250 部 2015年 393,417 部 388,417 部 369,231 部 356,584 部 2016年 345,667 部 369,833 部 330,000 部 323,250 部 2017年 319,667 部 315,750 部 311,167 部 306,000 部 2018年 298,333 部 301,667 部 306,667 部 296,250 部 2019年 277,500 部 263,333 部 252,500 部 242,083 部 2020年 232,500 部 詳細は「」を参照 系列誌 [ ]• (月刊少年サンデー)(2009年-)• (1960年-1974年)• (1987年-2008年)• 『』系列誌だったものが改名によってサンデー系列となった。 映像化作品 [ ] 作品名は五十音順としている。 アニメ [ ] 4月現在のもの。 中期には週4 - 5本程度のテレビアニメ作品が放送されていた。 しかし、他の少年誌と比べて、アニメ化作品が減少傾向になっており、時期によってはアニメ作品が『名探偵コナン』関連のみとなる時がある。 半ばまではアニメ化される作品の大半が系列 で放送されていたが、以降は制作・系列 で放送されることが多い。 2000年代に入ると系列 でアニメ化される作品も多くなっていた。 他の週刊少年誌の作品と比較するといわゆる「」として新作が放送されたのは『』・『』・『』・『』程度に留まっており、もっぱらやでの制作・放送が基本となっている。 現在放送中の作品 [ ]• (第2期) 放送予定の作品 [ ]• 過去にアニメ化された作品 [ ]• (アニメタイトル:PROJECT ARMS)• (アニメタイトル:ガンバリスト! (アニメタイトル:GS美神)• (アニメタイトル:金色のガッシュベル!! THE UNLIMITED 兵部京介 - 「」にてコミカライズ版が連載された。 (アニメタイトル:がんばれ! ぼくらのヒット・エンド・ラン)• マギ シンドバッドの冒険 - OVAの再編集版に新作エピソードを加えて放送。 (単独版アニメタイトル:まじっく快斗1412)• (アニメタイトル:メルヘヴン)• (アニメタイトル:剣勇伝説YAIBA)• タイアップ作品のアニメ化 [ ] いずれも「サンデー」ではアニメと並行して漫画版を連載。 - 「サンデー」では『小悪魔王伝 戦コレ! 』のタイトルで連載。 - 原作。 途中から「サンデーS」へ移籍し完結。 - アニメオリジナル作品を原作として連載。 途中から「クラブサンデー」へ移籍し完結。 OVA [ ]• うしおととら• おいら女蛮• 機動警察パトレイバー• 絶対可憐チルドレン• ハヤテのごとく! 神のみぞ知るセカイ• 史上最強の弟子ケンイチ• ムシブギョー• ハヤテのごとく! マギ シンドバッドの冒険• MAJOR• ドラマ [ ] 放送予定の作品 [ ]• 過去にドラマ化された作品 [ ]• 天下一大物伝• さよなら三角• なんか妖かい!? 現地語タイトル:旋風管家)• (ドラマタイトル:名探偵コナン 工藤新一への挑戦状)• (ドラマタイトル:FIRE BOYS 〜め組の大吾〜• (ドラマタイトル:ワイルドライフ〜国境なき獣医師団R. 〜) この節のが望まれています。 ( 2011年5月) 実写映画 [ ] 公開予定の作品 [ ]• ドラマ版 過去に映画化された作品 [ ]• OV [ ]• 特撮関連 [ ] ドラマ化されたものや、としてされた作品群。 少年サンデーCM劇場 [ ] 1995年から、連載作品の中でまだアニメ化されていない作品を用にアニメ化して放送している。 これらはで、一部を除き過去分も含め視聴することができる。 アニメ化された作品の場合はテレビ放送が開始した時点で放送を終了しているが、『ハヤテのごとく! 』ではアニメ開始後も放送をしばらく続けていた。 近年ではCM劇場の形をとらない形態でCMが放送される作品も増えている。 サンデーCM劇場でアニメ化された作品 [ ]• 近年はテレビアニメ化が決定している作品がCMに使われることがほとんどである。 海外提携誌 [ ]• 元気少年(台湾・)• 龍漫少年星期天(中国・吉林美術出版社。 編集は小学館の現地合弁法人「上海碧日咨詢事業有限公司」が担当)• BOOKING(韓国・鶴山文化社)• 読者コーナー [ ] 「」の『週刊少年ジャンプ』や「マガジン7」の『週刊少年マガジン』に対抗して、巻末に読者コーナーが設置された。 当時の人気アイドルだったおニャン子クラブ出身の、、などがいたが、特筆すべきは当時人気絶頂だったが最初の読者コーナー「サンデーファン」を担当していたことである。 現在の読者ページは2001年春に始まった。 週刊の少年誌の中で「」が初めて読者からのインターネットでの投稿を受け付けた。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 同様の状況は同時期に創刊されたライバル誌『』にもあり、マガジンの場合は企画立ち上げ時のスタッフに少女漫画誌の編集者が多く、少女漫画家を多く起用していた。 例として、『』においては10巻~22巻まで連続して関連グッズ・を同梱した初回限定版が発売されている。 作品にもよるが、主に・・で実施されるケースが多い。 漫画全般に置いてこうした店舗での新刊特典自体は珍しくないが、週刊少年誌の単行本としては多い部類に入る。 例としては『』や『』、『』、『』、『』など。 当初の題名『ジャップ』について、作者が日本に対する蔑称である点に懸念を抱いたが、編集者が問題ないと判断して題名としたものの、クレームが多発して改題されるに至った。 この一件が原因で『バランサー』は打ち切りになり、新谷は増刊号も含めサンデーから一時撤退した。 増刊号に連載された『紅たん碧たん』の単行本は小学館では1巻のみの発行となり、1994年に完全版がから発行されている。 その後はサンデーとの関係が修復し、単発の読切作品や『少年サンデー1983』の復刻・インタビューの掲載も行っている。 出典 [ ]• 2009. サンデーとマガジン. 『』第1巻、P. 193• 2011年7月22日時点の [ ]よりアーカイブ。 2007年12月18日閲覧。 『サンデーとマガジン 創刊と死闘の15年』(大野茂、2009年、光文社新書、)• 『Hello! あんくる』追悼版に収録されている関係者のコメント• 参考文献 [ ]• - 過去の連載作品の一覧。 - 月刊少年サンデー。 - サンデーの増刊誌。 - サンデーのメディアミックス系漫画雑誌。 - サンデーのウェブコミック配信サイト。 - 小学館のコミックアプリ。 - サンデーのウェブコミック配信サイト。 - 小学館が配信するウェブコミック配信サイト。 - 読者投稿コーナー。 外部リンク [ ]• - チャンネル.

次の

爆笑問題の日曜サンデー

サンデー

概要 [ ] (昭和34年)に、同年号として創刊。 「サンデー」という誌名は「この雑誌を読むとまるで日曜日のように楽しい気分に浸れるように」という初代編集長が名付けた。 当初は毎週の発売だったが、現在は、毎週に発行されている。 マスコットキャラクターはで、『ビッグコミック』系列誌のものとは異なり、本誌ではイナズママーク入りのヘルメットを被っている。 「澱んだ池の底でも辛抱していればそのうち大きくなる」というハングリー精神を表している。 企画立ち上げ時のスタッフの中核がの編集者ということから、創刊前には「小学館の新児童誌」と宣伝され、実際、創刊から10年近くの間、学年誌の延長線上にあり 、読み物や付録などが充実していた。 半ばにはに力を入れ、当時気鋭の若手が小説の連載を行なっていたこともあった。 1960年代にシリアスな漫画で問題を起こすことが多かった一方、比較的ライトな内容のギャグ漫画やコメディ・タッチの漫画にヒット作が多かったことから、俗に「 ギャグのサンデー」と呼ばれることになった。 初頭には「 ラブコメ」や「 パロディ」も加わり、この様な軽快さは雑誌の大きな気風として現在も続いている。 とは言い、1980年代半ばにはギャグ漫画家(パロディ組)が飽和状態になり、サンデー出身作家の『』()など他誌への鞍替えが目立った時期もあった。 担当編集者を介したつながりや誌上企画などに端を発した、師弟関係以外の漫画家間の交流(サンデー内のみではなく、小学館関係の雑誌も含め)が比較的盛んで、中でも1980年代から初頭のを中心としたグループ、1990年代半ばのを中心としたグループが有名である。 に通巻1500号の記念企画としてレコード「WINGS OF FREEDOM」が制作された際には、当時の連載陣の一部が歌を披露している。 伝統的に、掲載作品については編集部が企画段階から関与し、その意向が作品の方向性に少なからぬ影響を及ぼす。 また、長期連載となるには読者からの作品人気が必要で、雑誌付属のアンケート葉書などのリサーチの結果が編集方針や作品の内容・存続に影響を及ぼすことに、競合他誌と違いはない。 しかし、創刊時からの競合誌『』と比べれば編集部主導という姿勢がそこまで色濃いわけでもなく、かといって後発誌『』『』ほどにの結果データに極端に偏重したスタイルでもないため、これら競合誌と比較した場合、編集部との折り合いさえ付けば、あとは漫画家が自身の描きたい方向性を自由に打ち出せる傾向がある(そのせいか、他誌のように作品の方向性がによって突然、大きく変質してしまうケースが比較的少ない)。 現在の発行部数は、週刊少年漫画誌としては『』()、『』()に続いて業界3位に位置する。 歴史 [ ] 1959年創刊 - 1960年代 [ ] 1958年、学年誌編集部の次長だったが、時代の到来と1950年代半ばから続いていた週刊誌ブームを受けて、を中心に据えた少年週刊誌の発行を社長のに働き掛け、『週刊少年サンデー』の創刊が決まる。 当初は1959年5月5日の発行を予定して諸準備に取り掛かっていたが、『ぼくら』『少年倶楽部』などの月刊少年誌を持つも週刊誌ブームを受けて『』の創刊準備を始めたことから、徐々に創刊日が繰り上がり、結局ともに1959年3月17日に創刊した。 創刊号のラインアップは『』、『宇宙少年トンダー』、『』、 『』、『南蛮小天狗』で、創刊号の表紙にのを起用。 巻末にはのが祝辞を寄せている。 両誌の価格はサンデーが30円、マガジンが40円で、豊田が「もしサンデーがマガジンと同じ値段だったとしたら、マガジンの付録の分お得感で負けてしまう」と判断した事から、両誌の契約している印刷所がともにだったこともあり、「マガジンが刷り始めるのを確認してからサンデーの値段を入れて刷る」という機密漏洩的のような裏技を使っている。 創刊号の売上げはサンデーが30万部で、マガジンが20. 5万部でサンデー側に軍配が上がり 、マガジンも5号から30円に値下げした。 これ以降もお互い張り合って雑誌の総ページ数を増やしていった。 1960年代半ばには(『』をマガジンからサンデーに移籍)、1960年代末には『』のマガジンからサンデーへの移籍が起きるなど、その後もライバル間の争いは続いた。 1960年代のヒット作には、『』(1961年)、『』(1962年)、『』(1964年)、『』(1966年)、横山光輝『』(1967年)、手塚治虫『』(1967年)、赤塚不二夫『』(1967年)などがある。 1960年代半ばからマガジンが劇画路線・スポ根路線を開拓して、創刊当初の主要読者層()を離さなかったのに対して、サンデーは少年向けの漫画にこだわった。 毎週土曜日に編集部を子供達に開放し、漫画需要を探るという作戦を取り、当時立ち上げを企画していた『週刊少年ジャンプ』()編集部の協力要請に「一ツ橋に少年向けの漫画雑誌は二つもいらない」と協力を拒否する一方で、青年向けの漫画雑誌『』(1968年、創刊当初「一流の漫画家しか起用しない」というのをウリのひとつにしていた)を創刊するなどして対応していた。 1960年代末になると、「右手に朝日ジャーナル、左手にマガジン」のの時代が訪れ、学生の他にアングラ・カルチャー層からの支持を得たマガジンが発行部数を伸ばし、一気に追い抜かれることになった。 この時期、の『』(1968年)の懸賞問題の影響で、隆盛を誇っていた戦記モノが激減した。 1970年代 [ ] 『週刊少年マガジン』との争いの敗北を受けて、追随する形で青年向け雑誌(マガジンとは異なり、スタイリッシュな路線を目指した)への方向転換を図り、1970年21号から1年間広告製作プロダクションに表紙の製作を受注。 「傑作アイデアシリーズ」と称した、昆虫をダイナミックにレイアウトした「怪虫シリーズ」を皮切りに、トイレの便器、マネキン、スキンヘッド、マッチ箱、オール手書きイラスト、編集部宛の投書など表紙としての定義さえも破壊した表紙が次々と登場した。 この時期の主な連載に『』(1970年)、『』(1970年)、赤塚不二夫『』(1971年)などがある。 それらが沈静化した1972年頃からは『』、『』などの旧作のアニメ化に伴った漫画連載を展開し、当時作品に馴染んでいた親層の取り込みを図る一方で、『』(1972年)、『』(1973年)、『』(1974年)、『』(1974年)などの特撮・SFアニメ作品のコミカライズを大挙掲載し、新規子供層を押えようとするなど、「親と子が安心して読める」誌面の展開を目指した。 しかし、サンデー、マガジンともすでに青年(あるいはそれ以上)向け雑誌に転じていたため、本来の読者層であるはずの少年の多くが『』に流れることになり、1973年にはサンデー、マガジンともに発行部数で追い抜かれることになり、再び少年向けに方向転換(ただし、一部の劇画は残った)。 当時の小学館は路線転換の煽りで離れつつあった少年読者層の再度獲得を目指すべく、まず1974年6月にの「少年サンデーコミックス」(「」などが第一弾として刊行)を立ち上げ、続いてサンデーから特撮・SFアニメ作品の部分を引き継いだ『』(1976年)、児童向けの『』(1977年)、学年誌とサンデーの中間の『マンガくん』(1976年)(1979年に『』に改称)、新人作家育成のための『』(1978年)など次々と新雑誌を創刊。 この時期は『』の大躍進の影響もあり、発行部数が低迷、第4位になっていた。 1977年には編集長が交代し、ビッグコミック系誌から持ち込まれ、現在もサンデーを象徴するイメージキャラクターのヘルメットを被ったナマズが初登場。 また1976年から5年間1年ごとに誌名ロゴを変更する体制をとった。 1980年前後には、『週刊少年チャンピオン』の部数激減の影響もあり、発行部数が『週刊少年ジャンプ』に次ぐ第2位になった。 1980年代 [ ] 1980年代に入ると、出身のの『』(1978年)と、『少年ビッグコミック』で『』をヒットさせていたの『』(1981年)のヒットでブーム(学園もの、青春もの)を巻き起こし、部数を大きく伸ばして、1983年には最高発行部数の228万部を記録するなど黄金期を迎えた(ちなみに、この記録は現在でも破られていない)。 そのため、当時発行部数で首位に立っていた『週刊少年ジャンプ』編集部は猛追を恐れ、「友情・努力・勝利」を「友情・勝利・愛」に変えようとした程であった(ただし、これはその直後の『』の大ヒットと、これに伴う発行部数の急激な上昇によって回避された)。 また、この時期から増刊組が台頭し、の『』(1983年)、の『』(1985年)などの特撮のが話題になり、いずれもヒットした。 なお、本誌から連載の依頼があっても増刊で描くのが好きだからと断る のような漫画家もいた。 1985年に誌名ロゴを固定化し、その頃から、を筆頭に、などの、あるいはウィラードやガスタンクなどのパンク・ハードコア系のバンドの盛り上がり(第1次バンドブーム)にインスピレーションを受けたの『』(1985年)、の『』(1985年)などの、音楽的かつ青年誌的な漫画が増えた。 1985年中盤に『』が、1986年末に『タッチ』が、1987年初頭に『うる星やつら』が終了したのを皮切りに、それまでのサンデーを支えていた作品の多くが完結し、1980年代前半の勢いが止まる。 その後、高橋留美子の『』(1987年)、ゆうきまさみの『』(1988年)、の『』(1987年~、不定期連載)・『』(1988年)などがヒットするものの、続くヒット作がなかなか出ずに部数が大きく落ち込み、1987年頃にはマガジンに発行部数を追い抜かれた。 1988年から1991年にかけて連載数を増加させ、他社からのギャグ漫画家などの引き抜きや、、ら大御所の再登用、漫画家インタビューコラム「オレのまんが道」の連載、既存の枠にとらわれない増刊『サンデーspecial』の発行、プロ・アマチュアを問わずに連載用の第1話を公募して誌面に掲載、読者の人気が高かったものを連載化する「コミックグランプリ」の実施、(1990年14号)や(1990年35号)といったロックバンドのカラーグラビア掲載などの実験的な試みを数多く行った。 この時期は雑誌および編集部に混乱が続いていて、の『少年』(1989年)の不自然な打ち切り、の『ウエルカム』(1990年)の打ち切り、単行本が最終巻刊行直後に絶版になる(石ノ森『』、楳図『』)など、中堅・ベテラン・大御所を問わず悲惨な目に遭うことになった。 この時期、少年ビッグコミックの対象読者層が創刊当初に予測していた層より上になっていた事を受けて、青年誌『』(1987年)としてリニューアル創刊された。 1990年代 [ ] 1988年から1991年にかけての大混乱の中、若手漫画家の手により、それまでのサンデーの色に無かった新しい漫画が増え始め、『』(、1989年)、『』(原作:・漫画:、1989年)、『』(、1989年、増刊号から移籍)、『』(、1990年)、『』(、1990年、増刊号から移籍)、『』(、1991年)、『』(、1991年)などがヒットし、これらはいずれも長期連載となった。 これらに加えて、『』(、1992年)、『』(、1992年)、『』(、1994年〜)、『』(原作:・漫画:、1994年)、『』(、1994年)、『』(、1994年)、『』(原作:・漫画:、1995年)、『』(、1995年)、『』(、1995年)、『』(、1996年)、『』(、1996年)、『』(、1996年)、『』(、1997年)、『』(、(原案協力:)、1997年)、『』(、1997年)、『』(、1998年)、『』(、1999年)、『』(、1999年)などがヒットし、伸び悩んでいた部数も1994年頃から2000年頃まで上昇を続け、サンデーは再び黄金期を迎えた。 雑誌的には一種の安定期に入ったが、その一方で1990年代半ばから後半にかけて若手漫画家が台頭せず、暗い影を落とした(1995年に週刊少年サンデー増刊号を『』とリニューアルするなどして若手漫画家の台頭を待っていた)。 1992年16号から誌名ロゴが現在のものに落ち着き。 1993年51号で、サンデーは創刊2000号を迎え、その記念として(サンデー創刊と同じ年の生まれ)によるオリジナルソング「SUNDAY'S DREAM」が発表され、サンデーの懸賞プレゼント用に8cmCDが制作された(歌詞は嘉門の半生を歌った内容に的に過去のサンデーの連載作品名を盛り込んだもの)。 この時期、『コロコロコミック』と『サンデー』の中間層をターゲットにした『』(1999年)、メディアミックス誌『』(2000年)が創刊された。 2000年代 [ ] この前後から長期連載や人気作が次々と終了し、部数が低迷。 1990年代以上に積極的なメディア展開を行うようになり、『』(、2001年)、『』(、2001年)、『』(、2002年)、『』(、2002年)、『』(、2002年)、『』(、2003年)、『』(、2003年)、『』(、2003年)、『』(、2004年)、『』(、2005年) 、『』(、2005年) 、『』(、2005年~) 、『』(原作:・漫画:、2006年)、『』(原作:・漫画:、2007年)、『』(、2008年)、『』(、2008年)、『』(、2008年)などがヒットするが、その他の連載は伸び悩み、部数の低迷に歯止めが効かず、また、この時期から多くの漫画家がサンデーを離れていくことになり、さらに、、がサンデー編集部での原稿紛失を巡ってに対し損害賠償請求のを提起するなど、1980年代後半の混乱と同様に安定しない時期となった。 に創刊された『』の合同企画コーナーが設置され、一部の作家の入れ替えや引き入れが同じ小学館で刊行されている『』・『』と同時になされることが多くなった。 2009年第14号(3月18日号)では、「創刊表紙トリビュート号」と題して創刊号の表紙デザインを再現(創刊号表紙の長嶋茂雄をに、の『スリル博士』のイラストをの『』に置換)した。 50周年イベント終了後の3月末からは、週刊少年誌としては初の『』を開設。 さらに、月刊少年サンデー『』の創刊、『週刊少年サンデー超』(現在は『』)の月刊化などをし、今まで連載経験のない新人作家を、積極的に連載させるなど、これまで以上に新人育成に力を入れるようになる。 また、それ以降連載作品を『クラブサンデー』や『週刊少年サンデー超』に移動させたり、『週刊少年サンデー超』の連載作品を本誌に移動させたりする事例が増え、連載陣の入れ替えの激しさが増していった。 2010年代前半 [ ] この前後から、『』(、2008年~)、『』(、2009年)、『』(、2011年)など、他誌・他社の人気漫画家の新作を連載する事例が増え、いずれもヒットし、さらに、『』関連作品との連動も図られるようになっており、『』の出張掲載や『』の前後編読み切り掲載などが行われているほか、小学館の主力コンテンツである『』や『』を原作とする作品が連載されたり、メディアミックスとして『』や『』、『』、『』のコミカライズ作品を連載したりしている。 上記3作品以外では、『』(、2009年)、『』(、2010年)、『』(、2011年)、『』(、2011年~)、『』(、2011年)、『』(、2012年)、『』(、2013年)、『』(、2014年)、『』(、2015年〜)などがヒットする。 また、雑誌に付録として、やシール・栞・の限定シリアルコードなどを付録に付けることが増え、単行本関連では人気作品において限定版・特別版の同時発売が多く行われるようになっている。 他にも、SSS(サンデーサポーターズショップ)・一部 でイラストペーパーやなどを初回特典として同梱・配布するケースが増加した。 さらに、ウェブコミック関連では『』に加えて、WEB漫画作家を多数起用した『』(後に『』として独立)を2012年4月に開設し、『』(、2012年)や『』(原作:・作画:、2012年)などをヒットさせた。 その他にも、著名人であるやが原作の漫画の連載、2013年33号のみ17年ぶりに200円で販売、初の単独イベント『サンデーフェス』を開催したりなど様々な展開をするが、他の漫画雑誌と同様になどの影響で、発行部数は減少し続けた。 2010年代後半 [ ] 2015年7月、『』を創刊し、ゲッサンの編集長を務めていた市原武法が編集長として就任。 新人作家の育成を絶対的な使命とする大改革を行うと宣言し、大きな話題となった。 宣言通り、多くの連載作品の打ち切り、新たな作品の連載、サンデーの雑誌作りに協力する中高校生限定のサンデーサポータークラブ(SSC)の設立、『』のリニューアル、『クラブサンデー』を終了し、新たなウェブコミック配信サイト『』の開設など様々な展開をし、新人作家の作品として、『』、『』、『』、『』、『妖怪ギガ』、『switch』などを、サンデーうぇぶりでは、『ジンメン』、『死神坊ちゃんと黒メイド』などをヒットさせた。 これらに加えて、ベテラン・中堅作家による『』、『』、『』、『』、『』、『』などをヒットさせ、さらにはサンデーにて長年執筆している高橋留美子の7作目の連載作品である『』を立ち上げているが、他の少年誌と比べ、アニメ化などメディア展開される作品が減少傾向になっている。 また、連載作家に会えるなど、SSC会員限定のイベントを開催したり、2016年頃からサンデーSと共に『名探偵コナン』関連の全員サービスを定期的に行ったり、スピンオフ作品として、『』を連載したりなど、今まで以上に『名探偵コナン』の色が強く出るようになり、内容によっては、売り切れることも増え始めた。 2019年に創刊60周年を迎え、巻末には連載中の漫画家の日記を紹介するミニコーナー、『水曜日のDiary』を立ち上げる。 特徴 [ ] 連載傾向と読者層 [ ] 本誌の傾向としては、特にとにノウハウと強みを持っていることが挙げられる。 特に、中長期連載となった作品ではその傾向が強く見られる。 また、ラブコメ・恋愛漫画ではない作品でも、作中のエピソードなどで恋愛およびラブコメ的な要素を色濃く匂わせるものが多い。 他の少年漫画雑誌と比べて、スロースタートで始まる作品や一つの出来事・展開に数話分使う作品などが比較的多く、ストーリーを深く書かせてくれる傾向がある。 また、時折少年漫画雑誌とは思えない社会を絡ませた重厚な内容の作品が連載されることもある。 作品をにする場合、『』など他誌のように唐突に終了することは少なく、ある程度物語がまとまった形で終了させる傾向にある。 漫画家では、・・・など、他の少年誌と比べて、二作目以降も完全新作でヒット作を生み出す作家が多く、「作品を作ることよりもマンガ家を作ることを得意とする雑誌」と評させることがある。 少年漫画誌の中では読者の年齢層が高く、高校生以上の読者が全体の約6割を占めている。 ラブコメや恋愛漫画に強みを持っているため、少年誌でありながら女性の購読者も非常に多い。 そのためか、他の少年誌と比べて女性漫画家が多いのも特徴である。 各種コーナー [ ] 『週刊少年ジャンプ』とは異なり、表紙に(『週刊少年マガジン』なども同様)が付いている号がある。 ただ2013年に入ると前述のアニメプロジェクトもあってかグラビアは減少している。 また、グラビア以外でも女性キャラクターを前面に押し出す表紙イラストがしばしば見られる。 その他、2001年よりアンケートやがハガキ以外にも()からも応募・投稿できるが、これは週刊少年誌で最初に始まったものである。 の節やも参照のこと。 また、2008年より週刊少年漫画誌としては初めて「」を、2012年からは「」を、2016年からはを開設した。 週刊少年サンデー事件史 [ ]• 、読者懸賞の軍装品に対して児童文学者らが賞品の撤回を求めて抗議を行った騒動。 詳しくはを参照。 、が『』のクレームによる改題が発端で編集者との確執に至った。 、がサンデー編集部での原稿紛失を巡って、小学館に対し損害賠償請求のを起こした。 のちに小学館の謝罪と和解金255万円で和解が成立した。 歴代編集長 [ ]• (1959年 - 1960年)• (1960年 - 1963年)• (1963年 - 1965年)• (1965年 - 1967年)• (1967年 - 1969年)• (1969年 - 1970年43号)• (1970年44号 - 1972年3・4合併号)• (1972年5号 - 1977年46号)• (1976年47号 - 1984年29号)• (1984年30号 - 1987年27号)• (1987年28号 - 1991年32号)• (1991年33号 - 1994年33号)• (1994年34号 - 1996年33号)• (1996年34号 - 2000年16号)• (2000年17号 - 2001年34号)• (2001年35号 - 2004年50・51合併号)• (2004年52号 - 2009年35号)• (2009年36号 - 2012年33号)• (2012年34号 - 2015年34号)• (2015年35号 - ) 連載作品 [ ] 過去の連載作品についてはを参照 2020年6月3日(2020年27・28合併号)現在連載中の作品。 不定期連載作品も含む。 作品名 作者(作画) 原作など 開始号 備考 ましつくかいと あおやま こうしよう - 1987年26号 不定期連載 めいたんていこなん あおやま こうしよう - 1994年5号 せったいかれんちるとれん しいな たかし - 2005年33号 ひいふるうすあおになれ たなか もとゆき - 2011年9号 めしやあせかんと みつた たくや - 2015年15号 『』の続編 あまのめくみはすきたらけ ねこくち - 2016年3号 『』より移籍 そうほうていこわすへし ふした かすひろ - 2016年17号 あおさくらほうえいたいかつこうものかたり にかいとう ひかる - 2016年22・23合併号 まおうしようておやすみ くまのまたかきし - 2016年24号 こみさんはこみゆしようてす おたともひと - 2016年25号 まいこさんちのまかないさん こやま あいこ - 2017年5・6合併号 ほあんかんえうあんすのうそ くりやま みつき - 2017年20号 たいくのはとう くさは みちてる - 2017年21号 ようかいきか妖怪ギガ さとう さつき - 2017年22・23合併号 掲載順は巻末近くに固定 とかちひとりほつちのうえん よこやま ゆうし - 2018年1号 掲載順は巻末に固定 そうきゆうのありあとね やき のりひろ - 2018年2号 とにかくかわいい はた けんしろう - 2018年12号 きみはたふるおおえいと まつえな しゆん - 2018年13号 すいつちswitch なみきり あつし - 2018年20号 ほんこつちやんけんしようちゆう ふくち つはさ - 2019年21・22合併号 まお たかはし るみこ - 2019年23号 のけものたちのよる ふくい せい - 2019年36・37合併号 よふかしのうた ことやま - 2019年39号 めいたんていこなんけいさつかつこうへん あらい たかひろ (漫画) あおやま こうしよう (原作) 2019年44号 『』のスピンオフ作品 本編休載時の穴埋めとして不定期連載 うそつき みなみ - 2020年1号 そうそうのふりいれん あへ つかさ (漫画) やまた かねと (原作) 2020年22・23合併号 いとやんことなき こまつ しようた - 2020年24号 りゆうといちこ やなもと みつはる - 2020年25号 いけたくん あつみ たける - 2020年26号 休載中 [ ] 作品名 作者(作画) 原作など 開始号 備考 あらたかんかたり わたせ ゆう - 2008年44号 休載中 あとあすとらへるあすへら はた けんしろう - 2015年40号 休載中 めいたんていこなんせろのていいたいむ あらい たかひろ (漫画) あおやま こうしよう (原作) 2018年24号 『』のスピンオフ作品 本編休載時の穴埋めとして不定期連載 警察学校編の連載のため休載中 発行部数 [ ]• 1959年 30万部(創刊号)• 1983年 228万部(本誌の最高発行部数)• 1989年 140万部• 1995年 140万部• 1998年 170万部• 2001年 150万部• 2004年(2003年9月 - 2004年8月) 1,160,913部• 2005年(2004年9月 - 2005年8月) 1,068,265部• 2006年(2005年9月 - 2006年8月) 1,003,708部• 2007年(2006年9月 - 2007年8月) 935,729部• 2008年(2007年10月 - 2008年9月) 873,438部• 2009年(2008年10月 - 2009年9月) 773,062部 発行部数(2008年4月以降)() 1〜3月 4〜6月 7〜9月 10〜12月 2008年 866,667 部 833,334 部 802,084 部 2009年 781,667 部 765,000 部 745,770 部 717,728 部 2010年 684,462 部 670,417 部 645,834 部 624,546 部 2011年 630,770 部 605,000 部 583,750 部 565,584 部 2012年 540,167 部 526,500 部 525,834 部 520,334 部 2013年 502,000 部 494,000 部 532,667 部 490,334 部 2014年 461,250 部 445,500 部 428,417 部 411,250 部 2015年 393,417 部 388,417 部 369,231 部 356,584 部 2016年 345,667 部 369,833 部 330,000 部 323,250 部 2017年 319,667 部 315,750 部 311,167 部 306,000 部 2018年 298,333 部 301,667 部 306,667 部 296,250 部 2019年 277,500 部 263,333 部 252,500 部 242,083 部 2020年 232,500 部 詳細は「」を参照 系列誌 [ ]• (月刊少年サンデー)(2009年-)• (1960年-1974年)• (1987年-2008年)• 『』系列誌だったものが改名によってサンデー系列となった。 映像化作品 [ ] 作品名は五十音順としている。 アニメ [ ] 4月現在のもの。 中期には週4 - 5本程度のテレビアニメ作品が放送されていた。 しかし、他の少年誌と比べて、アニメ化作品が減少傾向になっており、時期によってはアニメ作品が『名探偵コナン』関連のみとなる時がある。 半ばまではアニメ化される作品の大半が系列 で放送されていたが、以降は制作・系列 で放送されることが多い。 2000年代に入ると系列 でアニメ化される作品も多くなっていた。 他の週刊少年誌の作品と比較するといわゆる「」として新作が放送されたのは『』・『』・『』・『』程度に留まっており、もっぱらやでの制作・放送が基本となっている。 現在放送中の作品 [ ]• (第2期) 放送予定の作品 [ ]• 過去にアニメ化された作品 [ ]• (アニメタイトル:PROJECT ARMS)• (アニメタイトル:ガンバリスト! (アニメタイトル:GS美神)• (アニメタイトル:金色のガッシュベル!! THE UNLIMITED 兵部京介 - 「」にてコミカライズ版が連載された。 (アニメタイトル:がんばれ! ぼくらのヒット・エンド・ラン)• マギ シンドバッドの冒険 - OVAの再編集版に新作エピソードを加えて放送。 (単独版アニメタイトル:まじっく快斗1412)• (アニメタイトル:メルヘヴン)• (アニメタイトル:剣勇伝説YAIBA)• タイアップ作品のアニメ化 [ ] いずれも「サンデー」ではアニメと並行して漫画版を連載。 - 「サンデー」では『小悪魔王伝 戦コレ! 』のタイトルで連載。 - 原作。 途中から「サンデーS」へ移籍し完結。 - アニメオリジナル作品を原作として連載。 途中から「クラブサンデー」へ移籍し完結。 OVA [ ]• うしおととら• おいら女蛮• 機動警察パトレイバー• 絶対可憐チルドレン• ハヤテのごとく! 神のみぞ知るセカイ• 史上最強の弟子ケンイチ• ムシブギョー• ハヤテのごとく! マギ シンドバッドの冒険• MAJOR• ドラマ [ ] 放送予定の作品 [ ]• 過去にドラマ化された作品 [ ]• 天下一大物伝• さよなら三角• なんか妖かい!? 現地語タイトル:旋風管家)• (ドラマタイトル:名探偵コナン 工藤新一への挑戦状)• (ドラマタイトル:FIRE BOYS 〜め組の大吾〜• (ドラマタイトル:ワイルドライフ〜国境なき獣医師団R. 〜) この節のが望まれています。 ( 2011年5月) 実写映画 [ ] 公開予定の作品 [ ]• ドラマ版 過去に映画化された作品 [ ]• OV [ ]• 特撮関連 [ ] ドラマ化されたものや、としてされた作品群。 少年サンデーCM劇場 [ ] 1995年から、連載作品の中でまだアニメ化されていない作品を用にアニメ化して放送している。 これらはで、一部を除き過去分も含め視聴することができる。 アニメ化された作品の場合はテレビ放送が開始した時点で放送を終了しているが、『ハヤテのごとく! 』ではアニメ開始後も放送をしばらく続けていた。 近年ではCM劇場の形をとらない形態でCMが放送される作品も増えている。 サンデーCM劇場でアニメ化された作品 [ ]• 近年はテレビアニメ化が決定している作品がCMに使われることがほとんどである。 海外提携誌 [ ]• 元気少年(台湾・)• 龍漫少年星期天(中国・吉林美術出版社。 編集は小学館の現地合弁法人「上海碧日咨詢事業有限公司」が担当)• BOOKING(韓国・鶴山文化社)• 読者コーナー [ ] 「」の『週刊少年ジャンプ』や「マガジン7」の『週刊少年マガジン』に対抗して、巻末に読者コーナーが設置された。 当時の人気アイドルだったおニャン子クラブ出身の、、などがいたが、特筆すべきは当時人気絶頂だったが最初の読者コーナー「サンデーファン」を担当していたことである。 現在の読者ページは2001年春に始まった。 週刊の少年誌の中で「」が初めて読者からのインターネットでの投稿を受け付けた。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 同様の状況は同時期に創刊されたライバル誌『』にもあり、マガジンの場合は企画立ち上げ時のスタッフに少女漫画誌の編集者が多く、少女漫画家を多く起用していた。 例として、『』においては10巻~22巻まで連続して関連グッズ・を同梱した初回限定版が発売されている。 作品にもよるが、主に・・で実施されるケースが多い。 漫画全般に置いてこうした店舗での新刊特典自体は珍しくないが、週刊少年誌の単行本としては多い部類に入る。 例としては『』や『』、『』、『』、『』など。 当初の題名『ジャップ』について、作者が日本に対する蔑称である点に懸念を抱いたが、編集者が問題ないと判断して題名としたものの、クレームが多発して改題されるに至った。 この一件が原因で『バランサー』は打ち切りになり、新谷は増刊号も含めサンデーから一時撤退した。 増刊号に連載された『紅たん碧たん』の単行本は小学館では1巻のみの発行となり、1994年に完全版がから発行されている。 その後はサンデーとの関係が修復し、単発の読切作品や『少年サンデー1983』の復刻・インタビューの掲載も行っている。 出典 [ ]• 2009. サンデーとマガジン. 『』第1巻、P. 193• 2011年7月22日時点の [ ]よりアーカイブ。 2007年12月18日閲覧。 『サンデーとマガジン 創刊と死闘の15年』(大野茂、2009年、光文社新書、)• 『Hello! あんくる』追悼版に収録されている関係者のコメント• 参考文献 [ ]• - 過去の連載作品の一覧。 - 月刊少年サンデー。 - サンデーの増刊誌。 - サンデーのメディアミックス系漫画雑誌。 - サンデーのウェブコミック配信サイト。 - 小学館のコミックアプリ。 - サンデーのウェブコミック配信サイト。 - 小学館が配信するウェブコミック配信サイト。 - 読者投稿コーナー。 外部リンク [ ]• - チャンネル.

次の