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でんでらりゅうとは

でんでら 映画

姥捨山のその奥に老人達の桃源郷があった 時は幕末、陸奥国の八戸藩と南部藩に挟まれた二万石の小さな国、外館藩西根通大平村が舞台。 大平村には、60才になると全ての役割を解かれ、御山参りをする習わしがあった。 御山参りと言えば聞こえはいいが、それは大平村へ戻れない片道の旅。 食い扶持を減らす為の村の掟であったのだ。 ある日、代官所は、そんな大平村が、飢饉の年でも年貢をきちんと納めることを怪しく思う。 姥捨山に老人を捨てているからだという噂もあるが、それでも老人を減らすだけで、重い年貢を納めることができるものかといぶかしむ。 そこで代官所がたどり着いた答えは、「大平村は隠田を開墾しているのではないか」という疑惑だった。 隠田を持っていることは、死罪にあたる時代、果たして真相やいかに・・・? 代官と農民の知恵比べ。 幕末老人痛快エンタテインメント! 【編集担当からのおすすめ情報】 原稿を最初読んだとき、あまりの面白さにページをめくる手が止まりませんでした。 今、まさに見直したい「老人力」。 老人達の知恵と勇気が詰まった、この小説を読むと、年を重ねる楽しさが伝わってきます。 高齢化社会に突入した日本へ、たくさんのヒントが詰まった物語です。 江戸時代末、陸奥国小国戸館藩西根通大平村 雪がちらつく彼岸の入り 白装束を纏った善兵衛は息子夫婦と孫に見送られ御山へと向かった。 この地では六十歳になると全ての役割が解かれ元気な者は徒歩で足腰の弱った者は家族に背負子で担がれ御山参りをする。 御山へ参れば二度と郷へ戻ってくることは出来ない。 つまり姨捨の山であった。 が、家から遠ざかるにつれ善兵衛の顔はほころび踊りながら山道を歩いていく・・・? その年、本家筋の南部藩から五千両の金の工面を言い渡され戸館家では金の捻出に頭を悩ましていた。 何とか手立てをと考えるうち大平村はどんな飢饉の年でも損耗の届けが出たことがないが棄老された者達の食い扶持や出稼ぎで得た銭では損耗を補えないことに気づき『隠田』があるのではと調べが入ることに。 そう、姥捨て山には『でんでら国』という年寄り達の楽園があった。 年寄り達は亡魂の仕業に見せて様々な手で役人たちを翻弄する。 その必死さと滑稽なこと。 ついにはすべてが明らかになり万事休すかと思いきや年寄り達は白装束の亡者となり葬列を成してお城へ。 五千両の肩代わりを申し出『でんでら国』を守ろうとするが藩はその上をいき召し上げに。 しかし年寄りたちはもっと賢かった。 一息に読破してしまった。 登場する老人たちの勢いに引っ張られるようでした。 老人たちが生き生きして、といいますか老人の方が生き生きしている気さえします。 しかし彼らの強い結束は、他村を頼りにできない事実によるものです。 うちはうち、よそはよそ。 その絶対の線引きは、人間の狡賢さや汚さから学んだように思えてなりません。 老人と検知役の、知略を尽くす戦いに目を見張ること間違いなし。 説明を最小限に留めておりテンポよく場が進んでいきます。 設定は江戸時代ですが会話や表現も平易で、とっつきやすい文体です。

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デンデラ 監督:天願大介/2011年/日本 姥捨て山に捨てられた老婆たちが、村人に復讐します。 「」を見に行ったとき劇場に貼ってあった「 デンデラ」ポスターの、倍賞美津子のアイパッチ姿がですね、気になりまして、その後Twitterでもなかなか評判がよろしいと。 迷っておりましたところこの映画は1000円で見られるということで、見に行ってきました。 お客さんの年齢層高かった〜。 あらすじ:捨てられた老婆たちは、共同体「デンデラ」を作り、村人に復讐する時を待っていた。 斎藤カユ( 浅丘ルリ子)は70歳を迎え、姥捨て山に捨てられます。 息子に背負われ、雪山へと向かうわけです。 息子が去ると、おしっこするんですね。 いきなり浅丘ルリ子の放尿シーンですよ。 カユは姥捨て山に捨てられて死ねば極楽へ行けると思っています。 それが村のしきたりだから、運命だから。 おすすめ ポイント まさかのアニマルパニック映画です。 クマーッ! 不器用な映画ですが、奇妙なパワーがあります。 怪作です。 ところがカユは、老婆の集団に助けられます。 彼女たちはカユと同じく捨てられたのですが、共同体「デンデラ」を作り、50人で生活をしているんです。 カユが老婆たちの顔を見る、知っている人なので名前を呼ぶんですね。 フルネームなんです。 「 お前は浅見ヒカリ!」とか言うんです。 その後もなにかとフルネームで呼びあうわけですが、ここはちょっと疑問でした。 人物紹介であるのはわかるんです。 でも、既婚女性の苗字というのは、基本的に嫁いだ先のものです。 苗字は男のもの、男と社会の象徴と言っていい。 老婆たちは男を憎んでおり、村を憎んでいる。 カユは憎悪には至らないんですけれども、他の老婆たちは村を憎んでいるんです。 ですから、社会に捨てられ同時に社会を捨てた彼女たちが、それでもなお社会的な意味を持つ名で呼び合うと、彼女たちが個人として「デンデラ」という団体に属している意味が薄れてしまうように思えるんですね。 しかしですね、このような違和感は、その後の展開から思えばまったくささいなことでありました。 デンデラを作ったのは、御年100歳の三ツ屋メイ( 草笛光子)。 30年前に捨てられ、ひとりで生き延びました。 彼女の30年前の姿は何度か回想シーンとして出てきます。 樹の皮をかじったり魚を手づかみで捕まえたり、お花を見つけてほっこりしたり、魚の骨で髪の毛を梳こうとしてうまくできなくてぽろりと泣いたりするんだよ。 捨てられてしまったつらさと、生き延びるしぶとさと、それでもきれいなものを愛でたり自分自身も美しくありたいという気持ちとがあるわけです。 これを女子力と言わずしてなんと言う! 村人に復讐してやろう、皆殺しにしてやろうと言うメイに対し、復讐してなんになる、それはいけませんと思っているのが椎名マサリ( 倍賞美津子)。 亀の甲羅でアイパッチ! みつこ! わたしは貴女を見に来ました。 マサリは、村の掟を破ったために家族を皆殺しにされ、離婚させられ、目を潰され、男たちの慰みものになりました。 ハードだな。 そんな過去がありますので、「 この中で誰よりも村を憎んでいるのは私だ」と言うわけです。 それでも、復讐は違うと。 マサリ派は5人しかいないのです。 あとの人はほとんどメイ派なんですね。 デンデラにカユが加わり、メイは今こそ復讐のときだと言うんです。 それで、みんなで人殺し特訓とかしてる。 うおーとか言ってわら人形を手作りの槍でブッ刺したりします。 もうね、この画がもう笑っちゃうの。 だって老婆ですからね! みんな小さいので、ちょっとイウォーク族みたいでしたね。 カユはデンデラそのものに対しても良くは思っていません。 「 お山で死ねば極楽浄土に行けるのに、生き延びたりしてみっともない」と言います。 復讐に関しても、それはどうなのかな…と思っています。 かといってマサリ派に入るわけでもなく、なんかユラユラしてるんですね。 浅丘ルリ子は能面のような表情で真意を探りにくいんですが、おそらくカユは、メイの言うこともわかる、マサリの言うこともわかる、まだデンデラには慣れていないから自分の立ち位置も決められない、中立であるということなんだろうなあと思います。 そんなカユの思いとは関係なく、メイは満月の夜に襲撃を決行するぞと決めます。 あと5日でその日だというとき、デンデラに衝撃が走ります。 なんと、熊が襲ってきたのです。 食物の貯蔵庫をやられ、老婆が数人殺されてしまうのです。 バラバラ死体がばっちり映っておりますよ。 そしてカユの友人である黒井クラ( 赤座美代子)が、両脚食いちぎられて小屋の梁のところにひっかかってるんですよ。 脚の切株もばっちり映していました。 メイは怒り狂います。 今まで熊なんか一度も襲ってこなかったのに、なんで復讐のときの今来るわけ? で、まあとりあえず復讐よりも目の前の熊をなんとかしよう、となるわけです。 でね、メイが提案します。 「 脚を食いちぎられたクラを囮にしましょう、餌にして罠を仕掛けましょう」と。 え! 社会から役立たずとして捨てられた人たちが、役立たずになった人を捨てるってことですか? メイは誰も見捨てないみたいなこと言ってましたよね? これものすごい違和感なんですが、良く考えてみますと、若い頃は働いて子供も産んで村の役に立っていた女たちが、年をとって役に立たなくなり捨てられる。 クラに関してはもとから身体が悪いのか動けない人なので、もともと役立たずだったわけです。 話を聞いているとどうも子供も産めなかったっぽい。 そんな役立たずのクラが、最期の最期には周りの役に立って死んでいくというわけなんですね。 まあ、だったら、メイがクラを餌にすると言うのではなく、クラ自ら餌になることを提案するべきかとも思います。 しかしですね、この違和感すらも、その後の展開から思えばまったくささいなことでありました。 話が前後しますが、熊がね、明らかに人が入っちゃってる感満載なんです。 初登場シーンの、足元が映るところからもう、あー、きぐるみです! って感じなんですよ。 がおーとか言って顔のアップも映るんですが、もうやばい。 ハッキリ言って出来が悪い。 ほぼコントです。 ところが、この熊のトンチキさを悪く言う気にはまったくなれないんですよ。 恐怖の対象がマヌケというのは映画としては致命的な部分です。 これは乗れなくてもしかたない。 でもわたしは許す! すべて許す! カユは言います。 「 村に復讐はしない。 デンデラを捨てて、別の土地へ行こう。 ただその前に、熊だけは倒す。 」 そろそろ解ってきました。 この映画、姥捨て山に捨てられた老婆たちが、村人に復讐する映画ではない。 しつこく襲ってくる人食い熊と戦う映画だった。 わたしが見たかったのは、ぼろをまとって髪を振り乱した山姥たちが、村人をばんばん殺しまくる画でした。 それを期待していました。 だからね、村人殺しちゃえよ、とは思うんです。 しかし、すべて許す! 熊の出来が悪かろうと、老婆が人殺しする様子が見られなかろうと、特殊メイクがイマイチであろうと、物語のフォーカスが合っていなかろうと、すべて許す! がんばればあさん、熊と戦え! いろいろと悪いところはあるにせよ、エンターテイメントとして観客を楽しませようという姿勢は見て取れるし、笑えるシーンも多いです。 死ぬときみんな「 デンデラー!」って叫ぶんだよ。 うふふ。 でね、わたしは笑わなかったけれども、高齢の観客がみんな笑っていたシーンがあるんです。 それは、熊に追われたカユとヒカリ( 山本陽子)が「 こんな怖い思いをするなら、長生きなんかするんじゃなかった」って言うところ。 なんでみんな笑ったんだろう? と思うんです。 年をとってみないとわからないことなのかもしれないですね。 画に関してですが、9割以上が雪山でですね、照明が妙にバッチリ当たっていますので、最初はセットなのか? と思ったんです。 夜のシーンですら、やや明るいですから。 もちろんセットではなく、山形県の山中で撮っています。 半分くらいのシーンで雪が降っていて、撮影現場としては非常に過酷な環境かと思います。 俳優はみんな老人ですし、ほんとにしゃれにならない。 で、画がなんとなくバッキリしていることと、俳優の演技やセリフ回しのために、舞台っぽいなあと思いました。 それがいいか悪いかはともかくとしてね。 この映画、物語としてうまくないところもありますし、テーマを伝えるには言葉足らずなところもあります。 二人の人が向い合って話しているときに、その間を通り過ぎる人がいたり、ちょっと意味不明なところもあります。 そして熊の出来。 さっきから熊の出来の悪さばかり指摘していますが、これね、この映画の全体的な不器用さの中でもし熊の出来が良かったとしたら、もしかしたらわたしはこんなに褒めなかったかもしれません。 熊は出てきただけで笑えますんで、物語のダメなところとかについて緩和されちゃうんですね。 熊の出来がよいと、わたしが少し上で指摘した違和感や、物語のおかしなところが目についちゃう気がする。 だから、熊はあれでいいんです。 もう、すべて許す! 老婆がドバドバ血を流しながらバンバン死んでいくんですよ? 高齢化社会に対する説教みたいなのとかもないんですよ? あるのかもしれないんだけど、伝わらないんですよ? 痴呆老人が棒持ってふらふら歌いながら熊に近寄ったりしちゃうんですよ? 今の時代にこんな映画を撮った勇気、よくやった! この不器用さ、浅丘ルリ子のちょっと内股ぎみの走り方のかわいらしさ、倍賞美津子のかっこよさ、草笛光子の捨て身の演技、そして、もっさい熊。 すごい。 こんなに真面目に作っててこの出来、わたしとしては愛さずにはいられないわけです。 追記:なぜ、熊なのか?簡単に言うと、デンデラと熊は同じなんです。 メイいわく、「 熊はこの30年間一度もデンデラを襲うことはなかった」。 デンデラは今までずっと村から隠れていた。 それが、ここへきて襲撃を実行に移そうとしたわけです。 熊は一度ならず三度もデンデラを襲います。 2度目は、殺された小熊の復讐のためです。 3度目は、重傷を負った自分のためです。 いずれにせよ復讐です。 村人に復讐しようとしているデンデラが、熊から復讐されるというわけです。 1 リンク.

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でんでらりゅう

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歌詞 [編集 ] でんでらりゅうば でてくるばってん でんでられんけん でーてこんけん こんこられんけん こられられんけん こーんこん 漢字表記 [編集 ] 出ん出らりゅうば 出て来るばってん でん出られんけん 出て来んけん 来ん来られんけん 来られられんけん こーん来ん 共通語訳 [編集 ] 出て行けるものであれば、そちらに出かけて行くけれど 出られないので、行けないので そちらに行けないので、行けないので そちらには行きません、行きません では「来る」を「行く」の意味でも用いる。 概要 [編集 ] もともとは長崎県内に伝わる童歌。 一説には長崎は丸山の遊女の歌とも。 の出し物「本踊」や「阿蘭陀万才」でも使われている。 その他の使用例は以下の通り。 発売のレコード「デンデラリュウ」。 フォーク歌手「」が現代風にアレンジした歌詞・曲を追加(作詞・作曲:前田良一)。 から、(製造・販売)のローカルCM「でん出らりゅう 編」に登場。 公開の映画『』。 主演のがこの歌を口ずさむ。 発売のが長崎弁を使って作詞したラップ曲「」内に登場。 発売のサントラCD『NHKにほんごであそぼ〜うたCD〜』に収録。 『』に登場。 発売のカペラッテのオリジナルCD『風のきおく』に収録。 女声3声による演奏。 発売ののベストアルバム『』(初回限定盤のみ)に収録。 ライブ(2009年、2015年)と道標ライブの入場曲に使用。 放送開始ののに登場。 が手振り付きで歌い、がその後加わり一緒に歌う。 本曲をモチーフとして製作された創作絵本に以下の作品がある。 『おんぼろヨット』(作:、絵:、、。 『でんでら竜がでてきたよ』(作:、絵:伊藤英一、、。

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