なめ とこ 山 の 熊 あらすじ。 * なめとこ山の熊

naoko_note: 「なめとこ山の熊」____死との融和_破綻した予定調和の世界

なめ とこ 山 の 熊 あらすじ

この記事を読むのに必要な時間は約 9 分です。 こんにちは、このかです。 娘が成長すると、改めて「女性の生き方・働き方」について考えさせられます。 娘の将来は、もちろん母として応援しますが、自分軸で生きたい私は、まだまだ生きている限り自分にも可能性があると思うのです。 女性の一生は、子供が独立するときに一つの大きな区切りを迎えます。 今は、それに向かって準備をする時期だと思っています。 「仕事」と一言で言っても、いろんなものがありますね。 「仕事」と「労働」、この2つは同じようで実は異なるんですよ。 多くの文学者や思想家がその違いについて書いていますが、私が真っ先に思い浮かぶのは、宮沢賢治の 『なめとこ山の熊』です。 すごく短いお話なので、あらすじを説明するより読んだ方が早いですよ。 「仕事」は使命感を持ってする尊いもの 「なめとこ山」に住む小十郎の「仕事」は、 熊捕りです。 「マタギ」と呼ばれる職業でしょう。 小十郎が山刀と鉄砲を持って大きな熊をしとめる姿は、ヒーローのようにかっこいいです。 おれはてまへを憎くて殺したのでねえんだぞ。 」 彼の天敵である熊たちも、実のところ、そのように言う小十郎の事が好きなのでした。 狩猟は、まさしく小十郎の天職でした。 「熊捕り」こそ小十郎の使命、 【仕事】だったのです。 彼はその【仕事】に美学を持っていて、熊に対して、常に真摯な態度をとり続けます。 人は自分の本当にするべきこと、これをやるために生まれてきたのだと思える【仕事】に従事できたとき、小十郎のように輝けるのだと思います。 そして、小十郎と熊の関係は、狩るものと狩られるものでありながら、お互いを認め合った崇高さすら感じる関係でした。 スポンサーリンク 「労働」は生活するお金を得る手段 その後、小十郎は町に下りて、先程しとめた熊の「皮と胆」を、お店の人に買い取ってもらいます。 小十郎にはたくさん家族がいて、稼ぎ手は小十郎だけです。 彼は、米などの食料を買うための 「お金」が必要なのです。 お金を得るために熊の「皮と胆」を売りに行く事は、 本当はしたくないけれど、お金を得るためにしなければならないことでした。 小十郎は、お店の人に買いたたかれても、とにかく頭を下げてお願いします。 ここには、資本主義経済の原理が働いています。 お店の主人は資本家で、小十郎は労働者です。 店の主人は、小十郎がどうしても売りたいと思っている事を知っているので、偉そうな態度をとり、足元を見て安く買いたたきます。 小十郎は、命がけで仕留めた「熊の皮と胆」が2円にしかならないと言われても、売るしかありません。 さらに、小十郎は、はいつくばって繰り返しお礼を言いました。 そんな小十郎を見て、店の主人は満足げでした。 小十郎と命のやり取りをした熊は、町に持っていくと、たった2円の価値しかないただの「物」になってしまうのです。 そして、大きな熊と対峙した小十郎は、町ではただの貧しい哀れな労働者でしかなかったのです。 「なめとこ山」にいるときの堂々とした小十郎とは全く違う「町の」小十郎の卑屈な姿を見て、宮沢賢治が思わず「語り手」として言葉を差しはさんでいます。 賢治の言う「仕事」と「労働」の違いに納得 小十郎の2つの行動を、宮沢賢治が対照的に描いた理由を考えたいと思います。 「猟師の小十郎が、熊を捕ってそれを町の店に売りに行く」、これは一連の仕事のようで、全く違う2つの行為が含まれています。 ・熊を捕るのは、小十郎の【仕事】 ・町の店に熊の「皮と胆」を買い取ってもらうのは【労働】 宮沢賢治は、 【仕事】と【労働】をはっきり区別しています。 彼の代表作の1つ 『農民芸術概論綱要』の中にも、 「今われらにはただ労働があるばかりである」という嘆きの言葉を残していますよ。 賢治は、ただ生活する目的のためにお金を得る【労働】をするのではなく、自分が生まれてきた使命を意識して、それを【仕事】にすべきだと言いたいのです。 彼だけでなく他の思想家たちも、似たような言葉を残していますよ。 例えば、 吉田松陰も、同じようなことを弟子たちに伝えています。 私も、これから何かをするなら、手早くお金を稼ぐためでなく、それが自分の生きがいになり、同時に誰かのためになる【仕事】をしたいと思います。 「理想」と「現実」の間で悩むのが人間 宮沢賢治の作品、特に晩年の作品には「まこと」「ほんとう」という言葉が強調されています。 「ほんとうのさいわいは一体何だろう」 「ぼくわからない」(引用元:『銀河鉄道の夜』) ほんとうのさいわい ほんとうのいいこと 自分がこの世に生を受けた「ほんとう」の理由・使命・・・ みんなのさいわいにつながる「まこと」の道・・・ 人は「ほんとう」の道を求めずにはいられないのに、現実は、生活のために手っ取り早くお金を稼げる労働に時間を奪われがちですね。 自分が今しているのが「仕事」なのか「労働」なのか、じっくり考えてみるのも大切だなと思うのでした。 こちらの 新潮文庫の「注文の多い料理店」には、表題作のほかに「雪渡り」「茨海小学校」 「なめとこ山の熊」など19編の作品が収録されています。

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宮沢賢治 なめとこ山の熊

なめ とこ 山 の 熊 あらすじ

この記事を読むのに必要な時間は約 9 分です。 こんにちは、このかです。 娘が成長すると、改めて「女性の生き方・働き方」について考えさせられます。 娘の将来は、もちろん母として応援しますが、自分軸で生きたい私は、まだまだ生きている限り自分にも可能性があると思うのです。 女性の一生は、子供が独立するときに一つの大きな区切りを迎えます。 今は、それに向かって準備をする時期だと思っています。 「仕事」と一言で言っても、いろんなものがありますね。 「仕事」と「労働」、この2つは同じようで実は異なるんですよ。 多くの文学者や思想家がその違いについて書いていますが、私が真っ先に思い浮かぶのは、宮沢賢治の 『なめとこ山の熊』です。 すごく短いお話なので、あらすじを説明するより読んだ方が早いですよ。 「仕事」は使命感を持ってする尊いもの 「なめとこ山」に住む小十郎の「仕事」は、 熊捕りです。 「マタギ」と呼ばれる職業でしょう。 小十郎が山刀と鉄砲を持って大きな熊をしとめる姿は、ヒーローのようにかっこいいです。 おれはてまへを憎くて殺したのでねえんだぞ。 」 彼の天敵である熊たちも、実のところ、そのように言う小十郎の事が好きなのでした。 狩猟は、まさしく小十郎の天職でした。 「熊捕り」こそ小十郎の使命、 【仕事】だったのです。 彼はその【仕事】に美学を持っていて、熊に対して、常に真摯な態度をとり続けます。 人は自分の本当にするべきこと、これをやるために生まれてきたのだと思える【仕事】に従事できたとき、小十郎のように輝けるのだと思います。 そして、小十郎と熊の関係は、狩るものと狩られるものでありながら、お互いを認め合った崇高さすら感じる関係でした。 スポンサーリンク 「労働」は生活するお金を得る手段 その後、小十郎は町に下りて、先程しとめた熊の「皮と胆」を、お店の人に買い取ってもらいます。 小十郎にはたくさん家族がいて、稼ぎ手は小十郎だけです。 彼は、米などの食料を買うための 「お金」が必要なのです。 お金を得るために熊の「皮と胆」を売りに行く事は、 本当はしたくないけれど、お金を得るためにしなければならないことでした。 小十郎は、お店の人に買いたたかれても、とにかく頭を下げてお願いします。 ここには、資本主義経済の原理が働いています。 お店の主人は資本家で、小十郎は労働者です。 店の主人は、小十郎がどうしても売りたいと思っている事を知っているので、偉そうな態度をとり、足元を見て安く買いたたきます。 小十郎は、命がけで仕留めた「熊の皮と胆」が2円にしかならないと言われても、売るしかありません。 さらに、小十郎は、はいつくばって繰り返しお礼を言いました。 そんな小十郎を見て、店の主人は満足げでした。 小十郎と命のやり取りをした熊は、町に持っていくと、たった2円の価値しかないただの「物」になってしまうのです。 そして、大きな熊と対峙した小十郎は、町ではただの貧しい哀れな労働者でしかなかったのです。 「なめとこ山」にいるときの堂々とした小十郎とは全く違う「町の」小十郎の卑屈な姿を見て、宮沢賢治が思わず「語り手」として言葉を差しはさんでいます。 賢治の言う「仕事」と「労働」の違いに納得 小十郎の2つの行動を、宮沢賢治が対照的に描いた理由を考えたいと思います。 「猟師の小十郎が、熊を捕ってそれを町の店に売りに行く」、これは一連の仕事のようで、全く違う2つの行為が含まれています。 ・熊を捕るのは、小十郎の【仕事】 ・町の店に熊の「皮と胆」を買い取ってもらうのは【労働】 宮沢賢治は、 【仕事】と【労働】をはっきり区別しています。 彼の代表作の1つ 『農民芸術概論綱要』の中にも、 「今われらにはただ労働があるばかりである」という嘆きの言葉を残していますよ。 賢治は、ただ生活する目的のためにお金を得る【労働】をするのではなく、自分が生まれてきた使命を意識して、それを【仕事】にすべきだと言いたいのです。 彼だけでなく他の思想家たちも、似たような言葉を残していますよ。 例えば、 吉田松陰も、同じようなことを弟子たちに伝えています。 私も、これから何かをするなら、手早くお金を稼ぐためでなく、それが自分の生きがいになり、同時に誰かのためになる【仕事】をしたいと思います。 「理想」と「現実」の間で悩むのが人間 宮沢賢治の作品、特に晩年の作品には「まこと」「ほんとう」という言葉が強調されています。 「ほんとうのさいわいは一体何だろう」 「ぼくわからない」(引用元:『銀河鉄道の夜』) ほんとうのさいわい ほんとうのいいこと 自分がこの世に生を受けた「ほんとう」の理由・使命・・・ みんなのさいわいにつながる「まこと」の道・・・ 人は「ほんとう」の道を求めずにはいられないのに、現実は、生活のために手っ取り早くお金を稼げる労働に時間を奪われがちですね。 自分が今しているのが「仕事」なのか「労働」なのか、じっくり考えてみるのも大切だなと思うのでした。 こちらの 新潮文庫の「注文の多い料理店」には、表題作のほかに「雪渡り」「茨海小学校」 「なめとこ山の熊」など19編の作品が収録されています。

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なめとこ山の熊とは

なめ とこ 山 の 熊 あらすじ

登場人物 [編集 ] 小十郎 本名淵沢小十郎。 まるで熊のような風体をした熊撃ちの達人であったが、熊の言葉や気持ちが分かるようになり、熊の命を奪う行為に疑問を感じ、葛藤する。 熊 母子熊、小十郎に命を差し出した熊、小十郎を打ち殺した熊が登場する。 荒物屋の主人 小十郎の毛皮を買い叩いて搾取する、やり手の荒物屋。 あらすじ [編集 ] の麓に小十郎という熊撃ちの名人がいた。 小十郎には家族を養えるほどの畑はなく 、山林は政府のものとなって伐採が禁じられ、里では職にありつけず、熊を撃つしか家族を養う道がなかった。 小十郎は、一家七人を養うために、熊を撃ちまくったが、本当は熊に申し訳ない気持ちでいっぱいであった。 彼は熊撃ちの時は自信に満ちた名人だったが、殺した熊に言い訳を聞かせ、次に生まれる時には熊になるなよと熊に語りかける。 そして、熊の肝と皮を担いで帰る時はみるかげもなく、ぐんなりした風で山を降りてゆく。 なめとこ山の熊にとって、撃ち殺されるのはもちろん迷惑だったが、熊はそんな小十郎に一種の親近感を抱き、いつも高いところから眺めていた。 小十郎は時おり、熊の言葉さえ分かる気さえした。 彼が、なめとこ山で道に迷って、熊の親子に出会った時に、小熊と母熊の会話を理解してしまい、胸がいっぱいになって、こっそり戻った時があった。 山では気高い小十郎も、なめとこ山の熊が肝と毛皮という商品に変わってしまい、町の荒物屋に売りに行くときはみじめだった。 小十郎の毛皮は、ずるい荒物屋によって2枚で2円という安値がつけられる。 生活がかかっている小十郎は、それが不当に安いことを分かっていて、仕方なく手放してしまうのであった。 ある日、小十郎は、木に登っている熊に出会い、鉄砲を構えた。 鉄砲をつきつけられた熊は、観念し、木から下りると、小十郎に自分が殺されなければいけない理由を尋ねた。 小十郎は、最後には安く買い叩かれてしまう熊の末路を教え、気の毒に思っていることを告げた。 さらに(本当は熊撃ちをやめて)草の実でも食べて死ぬならそれでも良いような気がする、と本音を漏らした。 すると熊は、二年間し残した仕事を済ませたら、二年目に小十郎の家の前で、死んでいてやるから、胆でも皮でもあげるからと約束した。 小十郎はそれを聞くと切なくなって、見逃してやった。 ところが二年後、熊は小十郎の家にやって来て、約束どおり死んでしまった。 小十郎は熊を見て、思わず拝むようにした。 一月、小十郎は母に、「水に入る(猟を始める儀式)」が嫌になったと弱音をはいた。 それから白沢から峰を越えたところで猟を始めた。 するとまもなく不意打ちで熊が現れ、小十郎は撃ち損じて熊に襲われてしまった。 小十郎は、お前を殺すつもりはなかったという声を聞き、青い火を見て死を悟り、熊どもゆるせと心でつぶやいた。 三日後、小十郎のために数多くの熊が集い、盛大な弔いが行われている場面で物語が終わる。 なめとこ山について [編集 ] なめとこ山は賢治が名づけた架空の山であると思われていた。 しかし1990年代になって、明治初期の「岩手県管轄地誌」に「那米床山」「ナメトコ山」の記載が見つかり、の南に実在する山()であったことが判明した。 しかし、物語の記述を見るかぎり、作品に登場するなめとこ山は、隣接した山々も含む地域とされている。 淵沢小十郎の「モデル」 [編集 ] 賢治が研究生時代の土性調査などで、「なめとこ山」を含む現在の花巻市西方の山地を跋渉した時期に接したが小十郎のモデルではないかと考えられてきた。 1990年に牛崎敏也が、当時この地区で唯一マタギの家であった松橋和三郎(1852 - 1930)とその息子勝治(1893 - 1968)であるという説を発表し、その後も補強する研究が行われている。 ただし、ここで「モデル」というのは賢治が猟師の姿を執筆するに当たって参考にした、という意味合いであり、ストーリーで描かれたようなキャラクターや境遇の直接のモデルではない点には留意が必要である。 脚注 [編集 ]• で書かれた文も数箇所だが存在する。 小十郎の台詞に「畑はなし」という箇所があるが、そのあとの本文では「少しの畑からは稗(ひえ)がとれるのではあったが米などは少しもできず」と説明されている。 この研究史の概要については、中路正恒(京都造形芸術大学教授)のブログの2008年9月12日「淵沢小十郎のモデル松橋和三郎をめぐる高橋健二氏からの聞書き」を参照。 関連項目 [編集 ]• 外部リンク [編集 ]• 中路正恒の研究論文。

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