文鳥 名前 の 由来。 文鳥、名前の由来は?【ことば検定】 答え林修

「文鳥」の名前の由来

文鳥 名前 の 由来

目 次• 文鳥の日とは 10月24日の「文鳥の日」は、文鳥についての書籍出版、文鳥グッズ販売の伊藤美代子さんという人が2005年に制定しました。 日付の由来は、「手に幸せ」を運ぶ手乗り文鳥といったイメージから、 て(10)に(2)し(4)あわせ で10月24日なんですが、残念な語呂合わせですね。 また、1、0、2、4の数字を組み合わせたイラストが文鳥の形を表せるということでもあるそうです。 生後半年で成鳥になってしまうので、手乗り文鳥とするためには、生後2週間前後で巣から離して、2~3時間おきに挿し餌をする必要があります。 成鳥となると、水浴びが好きなので水を周囲に飛び散らし、餌も散らかし放題という手間のかかる鳥にもなってしまいます。 かわいくて、しかも手間がかかる…これって愛される秘訣なんでしょうか。 その代わりに、2018年に「文鳥感謝の日」として、神奈川・相模大野で同様の催しが開催されています。 5秒ほど要します。 十姉妹(ジュウシマツ)、雷鳥(ライチョウ)も同様です。 小鳥以外でも、植物では月桂樹(ゲッケイジュ)、動物では山椒魚(サンショウウオ)もそうかもしれません。 これは漢字が表意文字で、漢字のひとつひとつに意味が込められており、瞬時に意味が理解できるからですが、動植物にはなじみのない難しい漢字が使われていることも多く、漢字では読めない名前はヤマほどありますね。 一方、カタカナはアルファベットと同じ表音文字で、1文字に意味はなく、いくつかが組み合わさることで意味を持ちます。 頭の中で「ブンチョウ」と発音して、「おおっ、文鳥か」となるので、ほんのちょっと時間がかかります。 筆者はトシを重ねるにつれ、この時間がわずかずつ延びている気がしています。 次は、なぜ動植物名に漢字、ひらがな、カタカナが混在しているのかという疑問です。 動植物のそれぞれには、ワシントン条約で分類上の決まりがあり、日本語は「ひらがな」、外来語は「カタカナ」、学名は斜体文字表記と統一されているために混在しています。 しかし、これは学術上の話で、日常ではこんな意識を持つ人はいません。 NHKの基準では、動植物の漢字が常用漢字表にあれば漢字で、なければ「ひらがな」、学術的な場合は「カタカナ」としています。 たとえば、学術的名称「バラ科サクラ属」を使用した後に、一般の話題になれば「バラ」「桜」と表記されることになります。 ちなみにワシントン条約中の文鳥は、和名「ブンチョウ」、英名「Java sparrow」とされています。 たしかに、飼い主にまとわりつくなど、子ネコさながらの愛嬌で、愛され続ける理由も納得、飼ってみたい気にもなります。 しかし、小さくともひとつの命に責任を持つことであり、安易に考えてはいけませんね。 他にもおもしろい記念日がたくさんあります!.

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文鳥の歴史1

文鳥 名前 の 由来

スズメ目カエデチョウ科 マニキンス類)の鳥で、学名をPadda oryzivora、「パダ・オリジヴォラ」という。 原種を日本では並文鳥(ナミブンチョウ)と称していたが、私自身は見たことはない。 桜文鳥の胸のぼかしをなくし、色を少し濃くして、小ぶりにしたような姿ではないかと想像する。 それが現地では、時に集団化し田んぼで米を食べたりして 従って英語の別名はRice Bird 生活しているようである。 その生活のあり方は、わが国の 雀とほとんど同じ と見て良いだろう。 以前には日本国内で野生化した文鳥もおり、また本来の生息地ではないインドやハワイなどにも帰化しているように、かなり生活力のある小鳥と見なせそうだ。 日本の自然環境には、完全に適応できないようだ。 しかし、どういった経緯で日本に持ち込まれ、『文鳥』と呼ばれるようになったのか、今一つわからない。 試みにその起源を少し調べたところ、本によって諸説が分かれ、 しかもそれぞれの話の 根拠が不明瞭 なので、かえって混乱してしまう。 小林さんはその随筆の中で、『本朝食鑑』という1697年に刊行された書物に「近時外国から来たもの」とあることから、その数年前に文鳥は日本にやって来たとお考えになっている。 『本朝食鑑』の原文を確認すると、確かに 「・・・近時自外国来、以形麗号文鳥、・・・」 とある。 しかしこの「近時」という表現を数年前と単純に考えて良いものか疑問であろう。 大昔はいなかった程度の意味かもしれないのだ。 何しろ1697年と言えば、時の将軍は「犬公方」の徳川綱吉であり、 生類憐れみ政策 のもと、極端な動物愛護が強いられており、鳥の飼育自体を禁じることはなかったものの(「慰み」のために野鳥を捕獲飼育することは禁じられていた)、カゴの鳥を新たに外国から輸入する時期としては 、 最も不適当な時期 に相違ないのである。 安土桃山時代から江戸の初期、1570年代くらいから 1620年代くらいまで は日本の大航海時代で、日本人はやたらに東南アジアに進出して各地に集落(日本町)を作り、貿易したり現地で傭兵になったり、今となっては信じられないくらい活動的な展開を示していたのは、周知の事実で、 ジャワ島のバタビヤ なども日本人の拠点であった。 つまり、間違いなく現地で日本人はジャワ雀と接触しているはずで、そこで飼育も始まり、貿易商人を通じて日本に持ち込まれたとしても、何ら不思議ではない。 日本でも一般的に収穫される米や、イネ科の雑穀を主食とするジャワ雀の飼育は、オウム類に比して容易であったに相違なく、珍奇な異国風の小鳥として領主階級や豪商に飼育されるようになっていき、17世紀中葉、江戸時代の社会が安定してくるに従って一般化していったと考えられるのではなかろうか( ただし当初は、野生のものを捕獲して輸入し、一代限りの観賞物として飼育していただけのはずなので、かなり断続的な存在でしかなかったと考えられる)。 つまり、日本人の文鳥飼育の起源をたどっていくと、 野生の文鳥が南蛮貿易を通じて直接日本に持ち込まれた ものにさかのぼれると、ここでは考えておきたい。 しかし一説には、すでに飼鳥化したものが中国(China を経由して日本に入ったとされている。 無根拠なのでとるに足らないが、たしかに『文』という漢字には、『いくつかの色で作りだす模様』とか『みやびやかな』といった意味があるので、南方の珍奇な、どことなく上品な色彩の小鳥を指して、中国の知識人層が『文鳥』と表現することは 大いに有り得そうだ。 ただ飼鳥化していたという事は、この場合17世紀までに、中国で文鳥の人工繁殖が行われていたという意味になる点が気にかかる。 何しろ日本でも中国でも野鳥を捕らえ飼鳥とすることはあっても、そういった小鳥を 人工繁殖 させるような習慣があったとは 思えない のである。 しかし、これらは野生の鳥を捕まえてきて、鳥カゴに放りこんでいるに過ぎず、野生の小鳥をわざわざ繁殖などする事はなかった。 元々、小鳥は 声や姿のためだけの存在 で、かわいがって育てようなどという発想は乏しかったのである。 昔の児童唱歌に、 「歌を忘れたカナリヤは、裏のお山に捨てましょか。 」 などという文句があったらしいが、昔の人々にとって、小鳥は完全に鑑賞物でしかないのである。 そういった感覚は、おそらく中国も同様であったものと思う。 もし前近代に中国でジャワ雀が飼われていても、野生のものを捕まえて輸入したものだった可能性が高く、まして、人工繁殖をし、それを日本に輸出するなどという 、現代の ペット産業化 した側面は、ほとんど 想定しがたい であろう。 さらに、「文鳥」という言葉の由来を、一概に中国に求めるのにも問題がある。 『大漢和辞典』の「文鳥」の項によれば、かの国には 「文鳥之夢」 という四文字熟語があるのが、この『文鳥』というのは「文彩の有る鳥」、つまり 模様の有るきれいな鳥 という意味で、ジャワ雀の事だけを指す言葉ではない。 また、現代の中国南部の人が、野生の文鳥(並文鳥)を「灰文鳥」と呼んでいるそうだが(『ブンチョウの飼い方・ふやし方』)、わざわざ「灰」をつけるところを見ると、いまだに『文鳥』が ジャワ雀固有の 名詞となっていない ことがわかる。 実はジャワ鳥をはじめて見た日本人に、 彩色の有る鳥=「文鳥」 と中国人が説明したのを、『文鳥』という種類の鳥なのだと 誤解した のが、ジャワ雀が日本で文鳥と呼ばれるようになる発端なのではないか、そのように考えた方が、無理がないように思う。 しかし同書で学名としてあげられているLonchura malaccaは和名ギンパラのことなので、その点で混乱されているようだ。 一方「栗腹文鳥」の近縁としてあげられている「白腰文鳥」(Lonchura striata)は学名からも和名のコシジロキンバラに相違ないから、中国ではギンパラ類も文鳥と呼んでいるものと判断できる。 つまり現在の中国において、明らかに『文鳥』はジャワ雀のみを意味する固有名詞ではなく、模様のある鳥類すべてを表現する普通名詞に過ぎないのである。 さらに『日本鳥名由来辞典』によれば、清国(中国の近世帝国)では 「瑞紅鳥」 と文鳥を表記していた事が判明する。 中国では、元々ジャワ雀は「文鳥」ではなく「瑞紅鳥」という別の固有名詞を持っていたのである。 結局、現代も過去も中国で「文鳥」が文鳥という品種をさす固有名詞ではなかったと考えざるを得ないのである。 〔付記2004・4〕 18世紀中国(清)の余曽三による『百花鳥図』には、「瑞紅鳥」として文鳥(原種)が描かれている。 また、化政年間の常陸笠間藩主牧野貞幹の描いた『鳥類写生図』の中の文鳥(原種)も、「瑞紅鳥」としており、こちらが正式名称であったことがうかがえる。 なお、両図は国立国会図書館のの「電子図書館」「貴重書画像データベース」で閲覧できる。 しかし、中国大陸経由で持ち込まれたという話は、まったく的外れとも言えない。 何しろ日本の場合 1630年代から鎖国体制 に入り、徳川幕府の政策によって、貿易港は基本的に長崎の出島だけとなり、相手国は中国とオランダに限られていたのである。 当然『文鳥』の輸入も出島を経て行われたはずで、中国商人の手を通じた輸入の形態をもって、中国経由であったと理解することも十分に可能なのである。

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可愛い文鳥に名前を付けてあげよう! 文鳥の名付けのヒント集

文鳥 名前 の 由来

文鳥は、インドネシアのジャワ島や、マレーシア・タイのマレー半島などが原産であり、日本へは江戸時代の初期に中国を経由して渡来したとされる。 人によく懐(なつ)く文鳥は昔からペットとして飼育されてきた。 文鳥には、白い斑紋が桜の花びらのように見える「桜文鳥(サクラブンチョウ)」や、全身が白い「白文鳥(シロブンチョウ)」など、数多くの品種があるが、原種に最も近いとされるのは通常個体の「並文鳥(ナミブンチョウ)」または「ノーマル文鳥」と呼ばれる品種である。 黒い頭に白い頬が特徴で、体の模様も綺麗である。 「文鳥」という名前はそんな美しい姿に由来する。 江戸時代の前期、1697年(元禄10年)に刊行された本草学者・人見必大(ひとみ ひつだい)の書物『本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)』には、「以形麗号文鳥(形の麗しきをもって文鳥と号す)」と記されている。 これは「姿が美しいので文鳥と呼ぶ」という意味である。 「文鳥」の「文」は文章の文ではなく、「文(あや)」つまり「模様、色合い」のことである。 「文」だけでも「模様」の意味があるが、「文彩(ぶんさい)」という言葉もあり、これは「模様、色どり」などの意味である。 このように「文鳥」という名前は「体の模様が美しい鳥」という意味であり、その外見に由来する言葉である。 ちなみに、「て(10)に(2)し(4)あわせ」(手に幸せ)と読む語呂合わせなどから10月24日は「」という記念日になっている。

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