ミハイル・プレトニョフ。 楽天ブックス: シチェドリン:≪カルメン≫組曲 管弦楽のための協奏曲 第1番≪お茶目なチャストゥーシュカ≫・第2番≪鐘≫

ミハイル・プレトニョフ ピアノ・リサイタル

ミハイル・プレトニョフ

プレトニョフ氏、形勢不利?~被害者少年テレビで証言、近所の住民も プレトニョフ氏がタイで逮捕された事件で、新たな情報が出てきました。 パタヤの警察ではプレトニョフ氏の名前は組織的少年売春グループから入手したとしています。 一方、ネット上ではプレトニョフ氏の隣人の証言も登場、14歳のタイの少年もプレトニョフ氏と関係があったことを認める証言をしています。 プレトニョフ氏はモスクワ到着後の記者会見できっぱりと今回の事件の容疑を否定する発言をしています。 氏は現在マケドニアで公演中、7月18日にはタイに戻り法廷に出頭すると表明しています。 NTVのコンスタンチン・ゴリデェンツヴァイグ記者のレポートです。 しかしどうも形勢は不利になってきたようです。 インターネットで本日新しい証言ビデオが掲載されました。 この証言が真実だと仮定すると、タイ警察のプレトニョフ氏に対する容疑は根拠のあるものということになります。 14歳の少年オト・ブランチャノンフ君はパタヤでロシアメディアのインタビューに答え、プレトニョフ氏を良く知っている、と答えています。 ジャーナリスト 「この男性を知っているの?」 オト君 「うん、知ってるよ。 マイクっていう名前だ。 」 ジャーナリスト 「この人と性的関係があったの?」 オト君 「うん。 数回ね。 3,4ヶ月前だよ。 それにマイクのところで5,6人の男の子を見たことがあるよ。 それに僕、マイクの掃除や家事を手伝ったりしたしマイクにピアノを教えてもらったよ。 」 プレトニョフ氏の邸宅のあるパタヤでは、プレトニョフ氏は音楽家としてではなく、少年がよく訪れる家の主として隣人に知られています。 オイー・フマツヌフブリさんは「学校の制服を着た男の子たちがよく出入りしていた。 17歳ぐらいまでの少年たちだった。 」と証言。 ジャーナリスト 「この家ではよく訪問客が来てましたか?訪問客は少年だったのでしょうか、それとも女学生?」 オイーさん 「いつも男の子ですよ!女の子は見たことがないです。 毎日別の男の子、いつも訪れる男の子はいなかったですね。 今は誰も来ませんね。 」 ジャーナリスト 「どんな年頃の少年たちでしょうか?」 オイーさん 「若い子達よ。 15歳ぐらいまでかしら。 」 こうした新しい証言で警察はプレトニョフ氏に対する容疑を早急に固めています。 検察によると、今回の捜査で、インターネットカフェを通じて顧客に少年を斡旋する組織的少年売春グループを突き止めということです。 少年たちは、貧しい家庭環境から来ています。 捜査でタイ人のタイプホプ・ブンプハソングが既に逮捕され、ブンプハソングの古くからの知人プレトニョフ氏が捜査上に上がりました。 プレトニョフ氏によると、ブンプハソングは自宅の警備をしていたということでした。 プレトニョフ氏は新証言に対しまだ反論をしていませんが、氏には古くからこうした同じ容疑が何度となく持ち上がっています。 ロシアの新聞紙上では2001年に《ブルーオーキッド》というインターネットでロシアや外国の顧客に児童ポルノを提供するグループが摘発され、その際にプレトニョフ氏の名前も顧客として上がっていました。 当時拘束された容疑者の取調べで、顧客の1人がプレトニョフ氏であると判明。 氏に対する捜査は続けられましたが証拠不十分に終わりました。 これと同様な形でプレトニョフ氏の名前が持ち上がった事件が滅にもありました。 モスクワのセルゲイ・ツルキン氏はレニンスキー地方で90年代に検察庁管轄下で働いており、その時に自ら事件を捜査担当しました。 セルゲイ・ツルキン氏 「当時プレトニョフ氏が4,5回少年に性的暴行を働いたことが判明しています。 つまり、4,5人の少年がプレトニョフ氏との関係を証言しています。 刑事訴追が行われました。 当時、これを阻止しようとするかなりの圧力がかかったのですが、法廷に刑事訴追をしました。 」 ところが、事件の深刻さにも拘らず、この裁判はなぜか中止、不起訴となっています。 プレトニョフ氏 「89年にこれと似たような事件が持ち上がってますが、私に対する訴追はされておりませんしそれで一件落着しております。 その後の事件は私自身知りませんでした。 裁判沙汰にもなりませんでしたし、裁判所にも出頭しておりません。 」 こうした何度にも渡る同様の事件に、プレトニョフ氏は否定をし続けて、「法廷に対する準備は出来ています。 」と発言しています。 7月18日にはタイ法廷に出頭することになっているプレトニョフ氏。 公判は困難な状況になりそうです。

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変奏曲、バガテル集 ミハイル・プレトニョフ : ベートーヴェン(1770

ミハイル・プレトニョフ

プレトニョフは、ピアニスト、指揮者、作曲家、とそれぞれの分野において並外れた才能を発揮し、世界中の観客を魅了している芸術家である。 1957年、音楽家の両親のもと、ロシアのアルハンゲリスクに生まれ、幼少の頃から音楽に非凡な才能を示す。 カザンで育ち、13歳で中央音楽院、1974年モスクワ音楽院に入学。 ヤコフ・フリエール、レフ・ヴラセンコに師事した。 1978年、弱冠21歳でチャイコフスキー国際コンクール・ピアノ部門においてゴールド・メダル及び第1位を獲得。 これにより早くも世界的に認められる存在となった。 驚くべき技巧、深い知性に裏づけられた演奏、完璧にコントロールされた美しい音色で、カリスマ的人気を誇る現代最高のピアニストの一人として活躍。 1988年、ワシントンで開かれた先進国首脳会議で演奏したことが、ミハイル・ゴルバチョフとの関係を築き、その後彼が自由な音楽活動を行う契機ともなった。 1990年、ロシア内外の個人、会社、財団等の支援によって資金を得、長年の夢でもあったオーケストラ、ロシア・ナショナル管弦楽団(RNO)を創設。 これはロシアでのプレトニョフの知名度・人気の高さを証明している。 彼の舞台芸術ヴィジョンに賛同して、国内の多くの優れた音楽家たちがこのRNOの始動に参加。 そして彼のリーダーシップのもと、RNOは数年のうちに世界有数のオーケストラとして認められるようになった。 現在プレトニョフは、同オーケストラの芸術監督を務めている。 指揮活動の中心をRNOに置きながら、客演指揮者としてロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、フィルハーモニア管弦楽団をはじめとする数々のオーケストラを指揮。 2011年2月13&14日にはドレスデン空爆記念日演奏会にてドレスデン国立歌劇場管弦楽団を指揮し、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」を演奏した。 またボリショイ・オペラにおける「スペードの女王」の指揮で大成功を収めているほか、コンサート形式のオペラ指揮も行っている。 2015年より東京フィルハーモニー交響楽団の特別客演指揮者に就任。 プレトニョフは、当時の大統領(1995年エリツィン大統領および2002年プーチン大統領)によって、その音楽的功績に対し、ロシア共和国第一国家賞を授与されている。 またロシアの文化評議会の顧問を務める彼は、2007年に国家の芸術生活への貢献によって大統領賞、2014年にプラトノフ賞を授与された。

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ミハイル・プレトニョフ、タイのバタヤで逮捕──ロシアのピアニストそして指揮者。14歳の少年に対する性的暴力容疑: 音楽とのりものと・・・

ミハイル・プレトニョフ

父親の転勤に伴い、生後すぐ上海に移り6歳まで滞在。 幼少の頃より音楽に非凡な才能をみせ、3歳よりピアノを始める。 5歳で第2回上海市琴童幼儿鋼琴電視大賽年中の部第1位受賞。 8歳の時から5年連続でショパン国際ピアノコンクールin ASIAで1位受賞。 2012. 年(12歳)、第16回浜松国際ピアノアカデミー・コンクールにて最年少1位受賞。 2012年3月に日本人ピアニストとして最年少(12歳)でユニバーサルよりCDデビュー。 その後、2013年「想い出」、「献呈~リスト&ショパン名曲集」、2014年7月2日「トロイメライ~ロマンティック・ピアノ名曲集」が発売されている(ユニバーサル ミュージック)。 2015年6月に新譜発売予定。 各地でのリサイタルに加え、2014年9月5日には初の海外公演を行い、台湾の高雄市交響楽団と共演。 2015年6~7月にはプレトニョフ指揮ロシア・ナショナル管弦楽団との初共演、日本ツアーが予定されている(チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番)。 上海にて陳融楽氏 現在バンクーバー在住 、鄭曙星(上海音楽学院教授・ピアノ学科長)、日本にて金子勝子(昭和音楽大学・大学院教授)に師事。 現在、モスクワ音楽院ジュニア・カレッジに在籍。 ユーリ・スレサレフ(モスクワ音楽院教授)、ウラディミル・オフチニコフ(モスクワ音楽院付属中央音楽学校校長)の各氏に師事。 「ショパン国際ピアノコンクール in Asia に参加したことは、僕にとって貴重な経験だったと思います。 このコンクールの魅力は、ファイナルでポーランドの有名な先生方に演奏を聴いていただけることなんですが、小学1年生で初めて参加した時はファイナルに進めず、ちょっと悔しい思いをしました。 翌年からは毎回第1位をいただき、2012年には年齢制限なしの部門で第1位となり、審査員の先生方から素晴らしいアドヴァイスをいただきました」 このコンクールで出会った審査員のピオトル・パレチニ氏のレッスンが、彼の演奏の大きな転換点になったという。 「それまで僕は、フォルテに向かっていく音楽をつくろうとしていたんです。 いかに大きく弾くか、フォルティッシモをどうやったら出せるかということばかり考えていました。 でも、パレチニ先生はピアニッシモに向かっていく音楽、静寂の中の緊張感、繊細な表現を教えてくださいました。 その頃の僕はガンガン、ちょっと汚い音で弾いていたと思うんです。 パレチニ先生のアドヴァイスを受けてから、音色や響きに耳を澄ませ、各声部の構成を考えてきめ細く表現しなければならないと思うようになりました」 もうひとつの大きな転機は、ロシアの巨匠ミハイル・プレトニョフに出会ったこと。 「ピアニストとして音楽に向き合う姿勢を一から学んでいます。 大きなホールの一番後ろまでピアニッシモの音を響かせる打鍵、フォルテの出し方など、技術的な練習方法も教えてくださいます。 ロシア・ピアニズムの核となる部分を学んで、音楽に対する考え方も変わったなと感じています」 現在、モスクワ音楽院ジュニア・カレッジに在籍し、モスクワ音楽院教授のユーリ・スレサレフ氏、モスクワ音楽院付属音学校校長のウラディーミル・オフチニコフ氏の指導を定期的に受けている。 「おふたりの教授は、細かいディテールではなく、作品の本質をとらえて大きな指針を示してくださいます。 技術面では、やはり打鍵です。 指だけで弾くのではなく、肩から上半身を使って鍵盤に重さをのせて、コロコロとボールを転がすように重さを移動させてパッセージを弾くことを学んでいます。 父親の転勤に伴い、生後すぐ上海に移り6歳まで滞在。 幼少の頃より音楽に非凡な才能をみせ、3歳よりピアノを始める。 5歳で第2回上海市琴童幼儿鋼琴電視大賽年中の部第1位受賞。 8歳の時から5年連続でショパン国際ピアノコンクールin ASIAで1位受賞。 2012. 年(12歳)、第16回浜松国際ピアノアカデミー・コンクールにて最年少1位受賞。 2012年3月に日本人ピアニストとして最年少(12歳)でユニバーサルよりCDデビュー。 その後、2013年「想い出」、「献呈~リスト&ショパン名曲集」、2014年7月2日「トロイメライ~ロマンティック・ピアノ名曲集」が発売されている(ユニバーサル ミュージック)。 2015年6月に新譜発売予定。 各地でのリサイタルに加え、2014年9月5日には初の海外公演を行い、台湾の高雄市交響楽団と共演。 2015年6~7月にはプレトニョフ指揮ロシア・ナショナル管弦楽団との初共演、日本ツアーが予定されている(チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番)。 上海にて陳融楽氏 現在バンクーバー在住 、鄭曙星(上海音楽学院教授・ピアノ学科長)、日本にて金子勝子(昭和音楽大学・大学院教授)に師事。 現在、モスクワ音楽院ジュニア・カレッジに在籍。 ユーリ・スレサレフ(モスクワ音楽院教授)、ウラディミル・オフチニコフ(モスクワ音楽院付属中央音楽学校校長)の各氏に師事。

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