お 寿司 数え 方。 にぎり寿司を一貫二貫と数えるようになった理由とは?寿司の歴史も味わおう

寿司

お 寿司 数え 方

語義 [ ] 用字 [ ] 「すし」には「寿司」「鮨」「鮓」などの字が使われる。 このうち「寿司」は好字を使ったである。 「鮨」「鮓」はいずれも、本来は別の(「鮨」は「うおびしお」、「鮓」は「つけうお」、より詳しくはへ)を意味し、「すし」の意はである。 「寿司」と言う表記は、でへ献上することを考慮し使われるようになった。 では「鮨」、では「鮓」の字が使用された。 語源 [ ] 「すし」の語源は中期に編まれた『日本釈名』や『東雅』の、その味が酸っぱいから「酸し(すし)」であるとした説が有力である。 季語 [ ] 夏のである。 鮨、、押鮨、など。 鮒鮨や彦根の城に雲かかる 歴史 [ ] 寿司につながった魚介類の保存方法 [ ] この節には、一部のコンピュータやで表示できない文字が含まれています ()。 『栽培植物と農耕の起源』 では「の山地民やの民族」の焼畑農耕文化複合の一つとされている。 『すしの本』 は、の山地民の魚肉保存食を寿司の起源と挙げ、高地ゆえ頻繁に入手が困難な魚を、長期保存する手段として発達したものとしている。 『とナレズシの研究 ・アジアの食事文化』 では、東北やあたりの平野部を挙げ、地帯でと共に成立した魚介類の保存方法が後に伝わったとしている。 で「鮨」の字は紀元前5 - 3世紀に成立した辞典『』に登場する。 「魚はこれを鮨という。 肉はこれを醢という」 と対比され、鮨は魚の塩辛と篠田は解釈している。 の『』に「鮺は魚の蔵(貯蔵形態)」であるとし、䰼と鮺は同じとする一方、鮨は魚の䏽醤(塩辛)だとして区別した。 鮺がどのような保存食かは不明だが、10世紀のの注は「今俗に鮓に作る」としており 、これをもって「鮓」の濫觴と言える。 2世紀末成立の『』で鮓は「葅。 塩と米で葅のように醸し、熟してから食べる」とされている。 葅は漬物のことである。 しかし、3世紀頃に編まれた『』は鮨は鮓なりとして区別せず、のによる『爾雅注』も同じである。 篠田は様々な記録から「鮓」が中国の古い時代にはあまりポピュラーな食べ物ではなかったことを示し、「南方を起源とする外来食」、つまり東南アジアから伝わったものと位置付けている。 日本における文献初見は『』(718年)の「」で、鰒()鮓、貽貝()鮓のほかに雑鮨が見える。 『』はこれに「鮨また鮓なり」と注解しており 、以後も日本では鮨と鮓が区別されず、ともに「すし」とされた。 『』(729年-749年)にも見える。 篠田統、石毛直道らによると、これは外から来たものであり、稲作文化とともに中国はあたりからに伝わったのではないか、とみている。 「鮓」の読みは『新選字鏡』(899年-901年)で「酒志」、「鮨」の読みは『』(931年-938年)に「須之」とされている。 日本の寿司 [ ] 1千年以上の歴史があり、既にに存在が知られる。 の『』(927年)「式」には諸国からの貢納品が記されており、鮓・鮨の語を多く見出だすことができる。 九州北部、北部、、に多く、以北には見られないのが特徴的。 魚(または肉)をと飯で漬け込み熟成させる「」であると考えられている。 平安時代の鮨は『』にも記述がある。 「鮨売りの女が酔いつぶれて、売り物の鮨桶の中に嘔吐してしまったので、あわててかき混ぜてごまかした」 「は肥満に悩み、医師に減量法を尋ねたところ、『夏は水漬け飯、冬はを召しあがればよい』と教えられた。 そこでの漬物やの鮨をおかずに湯漬け飯を食べたが、食べる量があまりにも多いので結局痩せなかった」 これらの記述から、平安時代の鮨は「嘔吐物を混ぜても気が付かないほど、臭いが強い」いわゆる「なれずし」であり、「鮨をおかずに湯漬け飯を食べた」ことから、飯部分を除去して食されていたことがうかがえる。 になると『』に記述されているように鮨は残り物の魚の加工品として登場し、米食が一般庶民に浸透するになって登場した「ナマナレ」によって、飯を一緒に食する習慣が生まれたようである。 篠田統は、室町時代の『』(1465年-1485年)に見る「生成(ナマナレ)」という言葉を、が十分でない鮨(鮓)の意味であると理解して、これは、「漬け床」の飯も共に食べるものであるとした。 また、は、鎌倉時代から室町時代の諸記録や日記にみえる鮨(鮓)は「生成」であるとし 、日比野光敏は、「ナマナレ(生成)」の特質は、醗酵期間の短縮だけではなく飯の食用にあり、室町時代にはこれが主流となるとしたうえで、飯を食べないものを「ホンナレ」と称して区別した。 この変化は蒸してとして食べられていた米を、炊いて柔らかい姫飯として食べるようになった食生活の変化が生み出したとされる。 しかしながら、室町時代以降に「なれずし」の発酵期間が短縮され、また、「漬け床」の飯も食用とされたということを史料で確認することはできない。 櫻井信也によれば、奈良、平安時代以来、室町時代からにかけても鮨(鮓)の多くを占めるのはやの「なれずし」であるが、各時代の鮎や鮒などの同じ種類の鮨(鮓)の「飯漬け」期間を比較して、その期間の「短縮」が証明されていたわけではない。 奈良、平安時代においても、食材の種類や「飯漬け」の時季により、醱酵の度合いには差があり、数日間の発酵のものもあれば、1 - 2か月のものもあるとされる。 従来の見解は、数箇月間以上の「飯漬け」を行う現在 [ ]の滋賀県の「」を奈良時代以来の「なれずし」、これよりも「飯漬け」期間が遙かに短い和歌山県のの「なれずし」などを「生成」であるとする理解から導き出されたものであるという。 そして、「生成の鮨(鮓)」とは、十分な熟成を経ない半熟の鮨(鮓)ではあるが、飯を共に食するというものではなく、敢えて半熟状態のものを試みに賞翫するというもので、「鮒鮨(鮒鮓)」に限られていることから、これは「鮒鮨(鮒鮓)」の食方を意味する言葉であり、室町時代以降のそれまでの「なれずし」が「生成」になるという篠田統以来の従来の理解は誤りである。 また、酢をとして食することに特徴があり、寿司に酢を用いる契機となったとされる。 そのため、「ホンナレ」と「ナマナレ」という区別も改められなければならないことになる。 時代が下るとともにや、を使用したりと、寿司の発酵を早めるため様々な方法が用いられ即製化に向かう。 そして1600年代からはを用いた例が散見されるようになる。 岡本保孝著『難波江』に、「松本善甫という医者が年間(1673年-1680年)に酢を用いたすしを発明し、それを松本ずしという」とあるが、日比野光敏によれば「松本ずし」に関する資料は他になく、延宝以前の料理書にも酢を使った寿司があるゆえ「発明者であるとは考えられない」としている。 誰が発明したかはともかく、寿司に酢が使われ、酢の醸造技術も進んできて、いよいよ発酵を待たずに酢で酸味を得て食する寿司「早寿司」が誕生することになる。 握り寿司(江戸前寿司)の誕生 [ ] 「」、「」、および「」も参照 「妖術と いう身で握る 鮓の飯」『』(12年〈1829年〉、作句は1827年)が、 握り寿司の文献的初出である。 握り寿司を創案したのは「與兵衛鮓」とも、「松の鮨(通称、本来の屋号はいさご鮨)」堺屋松五郎とも言われる(詳しくは・を参照)。 『』によれば、握り寿司が誕生すると、たちまちにもてはやされて市中にあふれ、江戸のみならず文政の末にはにも「江戸鮓」を売る店ができた。 の末年(1844年)には稲荷寿司を売り歩く「」も現れたという。 この頃には巻き寿司も既に定着しており、江戸も末期、の足音も聞こえてこようかという時代になって、ようやく現代でもポピュラーな寿司が出揃った。 明治30年代(1897年-)頃から企業化したのおかげで、寿司屋でも氷が手に入りやすくなり、明治の末あたりからはを備える店も出てくる。 近海漁業の漁法や流通の進歩もあって、生鮮魚介を扱う環境が格段に良くなった。 握り寿司では、これまで酢〆にしたり漬けにしたり、あるいは火を通したりしていた素材も、生のまま扱うことが次第に多くなっていく。 種類も増え、大きかった握りも次第に小さくなり、現代の握り寿司と近い形へ変化し始めた時代である。 大正12年(1923年)のにより壊滅状態に陥った東京から寿司職人が離散し、江戸前寿しが日本全国に広まったとも言われる。 戦後の寿司 [ ] 本物の、神奈川県(2013年) 直後、厳しい食料統制のさなか、(昭和22年)に飲食営業緊急措置令が施行され、寿司店は表立って営業できなくなった。 東京では寿司店の組合の有志が交渉に立ち上がり、1合の米と握り寿司10個(巻き寿司なら4本)を交換する委託加工として、正式に営業を認めさせることができた。 近畿をはじめ日本全国でこれに倣ったため、日本で寿司店といえば江戸前寿司一色となってしまった。 当時を知る職人は、「あらかじめダミーの米を入れる袋を用意して店頭に置き、取り締まりを逃れて営業したこともある」と述べている。 戦後のになると、衛生上の理由から既に店は廃止され、廉価な店もあるにはあるものの、寿司屋は高級な料理屋の部類に落ち着いた。 からにかけて、を題材とした漫画では、夜遅くまで外で飲み歩いた亭主が、妻の機嫌を取るために寿司のを買って帰るという姿が描かれることもしばしばあった。 安価な寿司 [ ] 回転寿司、持ち帰り寿司 1958年(昭和33年)に大阪で店「」が開店し、廉価な持ち帰り寿司店「」や「」も開業。 1980年(昭和55年)頃には日本各地に普及し、寿司店は家族で訪れるような庶民性も取り戻していった。 宅配寿司 電話やで注文を受けて、顧客へ届けるスタイルの宅配専門寿司店。 回転寿司や持ち帰り寿司店でも宅配を行っている場合がある。 世界の「sushi」へ [ ] の南都・の夜市での寿司屋台(ギャラリーに詳細写真あり) 長いが解かれ、明治になると移民としてやへと渡る者も多く、各地でコミュニティが生まれた。 で最初の日本料理店「大和屋」がに開店したのが1887年。 では、後にと呼ばれる地域にレストラン「見晴亭」が1893年に開店し、1903年に屋、1905年には屋、そして1906年には寿司屋が開店する。 戦前のリトル東京の日本料理店は、主に最大数万人規模のコミュニティにまで膨れ上がった日系人のための食堂であった。 しかし、でアメリカ合衆国と敵対国になったことにより、日系人コミュニティはという形で衰退してしまう。 その後、全国すし連合会会長・理事長を歴任した東京・青山大寿司総本店のが、職人を連れての米国での「」での寿司の披露や、世界初の英文での寿司の専門書を出版するなどして、世界へ「Sushi」を広めた。 戦後のリトル東京の寿司屋は、しばらく1930年代に創業した稲荷寿司と巻き寿司、型抜きした酢飯に魚を乗せただけの寿司を提供する店一軒のみであった。 アメリカ寿司ブームの仕掛人とされる共同貿易社長のにより、1962年にガラスのネタケースが海を渡り、老舗日本料理店「川福」の一角に本格的なカウンターを設えた「sushi bar」 ができ、続いて「栄菊」、発祥の店となる「東京会館」も、1965年にネタケースを設えて「sushi bar」は3軒となった。 当初は寿司を食べる欧米人はほとんどいなかったが、1970年代に入ると徐々に欧米社会にも受け入れられ、1970年代後半には寿司ブームとも言われるほどに成長していった。 しかしを食べる習慣のない欧米人からは、は黒い紙のように見え気持ち悪がられたため、酢飯で海苔とタネを巻く「裏巻き」と呼ばれるスタイルが流行することとなった。 「すしバー」では江戸前寿司だけでなく、各店で独自にアレンジした料理も提供され、欧米では「すしバー」の名称が正統派の寿司店や寿司レストランを含む総称になりつつあるとも言われている。 ロサンゼルスで火のついた寿司ブームは、その後、日本の経済的進出も相まって、アメリカを中心とする世界各地に急速に広まった。 1983年には、の寿司店「初花(Hatsuhana)」が、『』紙のレストラン評で最高の4ッ星を獲得しており 、この頃までには高級店に並ぶ評価を得る寿司店が出現するまでにイメージが転換していたことが窺える。 現在、「スシ」は、等と並ぶ日本食を代表する食品になっており、日本国外の日本食レストランの多くでは寿司がメニューに含まれている。 特に北米では人気があり、大都市では勿論、地方都市のスーパーマーケットですら寿司のパックや巻物が売られていることが珍しくない。 の回転寿司店 回転寿司は、気軽に食べられることやシステムの面白さなどで外国でも人気を得るようになったが、文化の違いから「正しい」楽しみ方はしていないと不満を感じる日本人もいる。 日本でも知られている以外にも、世界各地の食文化と融合したスシ(sushi)が相次ぎ誕生している。 のと組み合わせた「寿司」「寿司」、風の「寿司ボウル」、魚や肉を避ける人向けにの粉を魚介類風に加工してネタとする「フェイク寿司」()などである。 東南アジアのタイ王国では、スシ・レストラン以外に屋台街で販売されるようになっている。 酢飯は甘めが好まれ、ネタは魚介類以外になどがのせられる。 世界各地のには中国人、韓国人など日本人以外の経営・調理によるものが増加し、日本人による寿司店の割合は10パーセント以下とまで言われるほど減少している。 そのため、日本の伝統的な寿司の調理法から大きく飛躍(あるいは逸脱)した調理法の料理までもが「スシ」として販売されるようになった。 酢を合わせていない飯に魚や中国料理を乗せて「スシ」だと称するところまである。 スシは人気のネタのと程度しか提供せず、天ぷらや、の方がメニュー数が多いような日本料理全般を扱う店も大々的にスシ屋を名乗っている。 更にはご飯も魚介も関係なく、一つの食材の上に別の食材を置いた料理を「Sushi style」と称して客に提供する星付きレストランまで現れた。 今ではSUSHIの単語を海外の街で頻繁に見かけるようになったが、本来の日本料理から大きく乖離したメニューを提供する店に遭遇することも多い。 このような現状 [ ]から日本のは「正しい日本食を理解してもらうための日本食の評価」を日本国外の日本食店に行う計画を打ち出したが、欧米の一部には、これを新しい食文化の誕生を疎外するものであると批判的に見る向きもあった。 日本でも、の新聞『』紙が2006年12月24日付け記事 で用いた「スシ・ポリス(Sushi Police、スシ警察)がやってくる! 」との表現が取り上げられた。 このような反応を受けては認証制度の導入を止め、の国際的普及を目指す(NPO)の「(JRO)」が民間の立場から推奨店を決定する方式を取ることとした。 経済発展が著しい、、やでも寿司ブームが起こった。 元来これらの国では魚を生食する文化はなかったが、富裕層を中心に愛好家が増えている。 日本人が寿司文化を世界に広めたために、今度は寿司種が世界市場で高騰すると言う現象が起きてしまっている。 また、このように増大した寿司需要による生物資源の枯渇を避けるため、にリスクを与えずに捕獲された魚介類や増産可能な方法で収穫された農産物を用いた(持続可能な寿司)の動きも2005年から米国で始められた。 創作寿司 [ ] 世界各国の食材が普及し、寿司が日本国外に進出するにあたり、また食スタイルの変化などから日本伝統の寿司の形にとらわれない食材やスタイルの創作寿司もみられる。 寿司種として魚介類以外にも、食肉(肉寿司)、野菜などを使用したもの、ソースとしてやなどの非伝統的な食材をトッピングしたもの、、など色々な調理法を用いたもの、形もやにこだわらないものなど様々である。 農林水産省などが開催する「WORLD SUSHI CUP JAPAN」において「創作寿司」部門が設けられ、江戸前寿司とはまた違った技術を競いあうイベントも開催されている。 販売・消費形態 [ ] 販売 [ ] 日本の寿司シェフ、(2006年) 寿司は、回転寿司などの店内で料理として出される。 寿司屋はを行なうこともある。 やのコーナーでは詰め合わせや握り寿司2つ程度の小さなパックなどが売られる。 弁当販売店の形式で、持ち帰り用寿司を売るチェーン店もある。 巻き寿司、ちらし寿司はしばしば家庭でも作られる。 かつての江戸では露天での販売も盛んで日本国内に広がった程であったが、衛生上の理由から屋台での寿司など生魚を使用した食品の販売は昭和初期までにその多くが規制されている。 なお、大韓民国やタイ王国には近年 [ ]寿司を扱う屋台が現れた。 勘定 [ ] 日本においては、一皿毎の価格が明示されている回転寿司や、寿司専門店であっても一人一食分のセットメニューの価格が明示されている方式が広く普及している。 しかし、伝統的な一部の寿司屋においては、会計は一つ一つの寿司に値段が掲示されていない場合もある。 これは寿司種がの影響を受けるからである。 一方、『寿司屋のかみさんうちあけ話』 の「高くてびっくり安くてびっくり」にて、寿司の職人でも他の店に行けば値段が分からないこと、どんぶり勘定で客を見て値段を決めている店があることが書かれている。 また、同じネタでも客を見て切る部位を変えるので値段も違うという主張も載せられている。 他方、滞在時間の長い「来てほしくない客」の場合は値段が高くなる、と公言する職人すらいる。 日本の法律では商品の内容とまたを偽ることはとされており、値段を店員へ尋ねることができる。 文化 [ ] 地方によって外食と弁当となど、寿司の消費額と種類が異なる。 『2002-2011』によると、は外食が多く、寿司弁当は関西の都市に多い。 石川県は双方とも多いが、寿司店で握り寿司を食べる文化地域と、箱寿司やパック寿司を買って家で食べる文化地域など、寿司の文化は現在の日本東西で異なっている。 は「江戸前寿司の寿司と異なるところは、材料、味つけおよび技法の相違にある。 」 と寿司の違いについて記述していた。 衛生 [ ] 握り寿司は、人間の手で腐敗しやすい魚介類と酢飯に直接接触する工程を伴い、その過程で雑菌が付着することは避けられない。 生鮮魚介類を寿司種とする場合は、と同様に厳しい鮮度・温度管理が行われる。 特に夏期においては握ったものをすぐ食べることが望ましい。 米やネタに匂いが移ることがあるので、臭いを発する強力な洗剤や殺菌薬などで手を洗うことは避け、寿司職人は用を足した後、丁寧に手洗いに努めているケースがある。 また、酢(酢酸)には殺菌の効果がある。 さらに、をネタとシャリの間に挟むのは、鮮魚の運搬に時間がかかる時代に、殺菌剤として挟んでいたものの名残とされている。 日本国外では、手で握る作業を不潔なものと見なし、が薄いゴムやビニール手袋を嵌めることを求める場合がある。 日本では魚介を生食する料理の調理を素手で行うことは、ごく一般的な手法であるうえ、手袋は職人の微妙な手指の感覚を阻害するものであると見なされ、そのような習慣はない。 ただし、日本国内でもスーパーマーケットなどで持ち帰りの寿司を提供する場合や、回転寿司店では手袋の着用がみられる。 種類 [ ] 乳酸系のすし類 [ ] 乳酸系のすし類は、なれずし(馴れ鮨)のように、乳酸を主たる酸味成分とするものである。 なれずし [ ] 詳細は「」を参照 握り寿司は、小さな酢飯の塊に寿司種を載せ、両手で握って馴染ませたものである。 飯と種の間にわさびを入れることが多い。 手づかみ、あるいは箸を用いて、必要が有れば醤油をつけて食べる。 寿司としての歴史は浅く、江戸時代に江戸で考案された。 1つを「1かん」と数え、「貫」の文字を当てることが多い。 このは昭和後期のグルメブームの時に一般に使われるようになったと言われる。 英語でも「Nigiri」で通じる場合がある。 寿司種として使われる魚介類は様々で、おおまかに「赤身」「白身」「貝類」などに分けられる。 生のままだけでなく、酢〆されることが多い「光もの」や煮物も用いられる。 太平洋戦争後の冷蔵・冷凍設備の普及や輸送ルートの整備により、漁港から遠い地域でも寿司種にできる魚介類が増えた。 寿司種とする魚類を水分管理しながら冷蔵庫で長期間寝かせて(例えばでは一カ月程度)、を防ぎながら味を凝縮させる「熟成鮨」も現れている。 手まり寿司 [ ] 種を載せた酢飯をなどで包み、に見立てた小さな球状に丸めた早ずしの一種。 握り寿司のような技術を必要としないため、家庭料理やなどにもしばしば用いられる。 比較的近年に誕生したと思われるが、起源は不詳である。 巻き寿司 [ ] 詳細は「」を参照 巻き寿司は、海苔などで具と酢飯を細長く巻いた寿司。 「巻き物」「」とも呼ぶ。 巻き簾の上に海苔を広げ、酢飯と具を載せて巻いたものである。 太さの違いによって「細巻」「中巻」「太巻」と各々違う呼び名がある。 江戸ではの細巻きが好んで食べられ、これを海苔巻きと称した。 また「」と呼ばれる、酢飯の側面に海苔を巻いて上に、などの崩れやすい材料を乗せたものもある。 その他、一般的に使用される具材には、マグロ、きゅうり、海老、卵焼き、いか、ツナ、納豆、などがある。 英語でも「Maki」で通じる場合がある。 そうした創作巻き寿司では、アボカドやハムなど、お好みの具材が用いられている。 手巻き寿司 [ ] 詳細は「」を参照 の語源は、がに関わりの深いの好物であることに由来する(このため「狐寿司」と呼ぶ地方もある)。 『』「江戸では油揚げの一方を裂いて袋状にし、木茸、カンピョウなどを刻みいれた酢飯を詰めたすしを、の末年から売り巡る。 最も賤価なすし。 稲荷ずしまたは篠田ずしという。 店売りは天保前からあり、名古屋には以前からある」とある。 『天言筆記』(明治成立)には飯や豆腐ガラ(オカラ)などを詰めてワサビ醤油で食べるとあり、「はなはだ下直(低価格)」ともある。 『近世商売尽狂歌合』(1852年)の挿絵には、今日では見られない細長い稲荷寿司を、切り売りする屋台の様子が描かれている。 現代の稲荷寿司は袋状に開いた油揚げを煮付け、中に酢飯のみを詰める場合と、酢飯にや椎茸、などを混ぜ込んで詰める場合とがあり、後者を「五目稲荷」と呼ぶこともある。 岐阜県あたりを境に、東は四角、西は三角と、地域によって形が分かれる。 いずれも寿司の範疇内に分類される寿司である。 また、稲荷寿司と巻き寿司を詰め合せたものをという。 これは「揚げ」と「巻き」で揚巻(『助六』に登場するの名)という洒落である。 この項目では、寿司料理について説明しています。 その他の用法については「」をご覧ください。 五目酢飯をで包んだもの。 東京赤坂にあった「 有職 ( ゆうしょく )」の茶巾ずしは有名で、昭和以降の著名人も触れており、なかにはこの寿司を創作した店だと言及している人もいる。 同店の主張に拠れば、創業者の小原義太郎が宮家御膳所包丁人だったにのに出すものとして考案した料理とされる。 関西発祥と誤解されることが多いが [ ]、東京生まれの創作寿司である。 同様の料理を指す語に ふくさずし(寿司)があるが 、ふくさずしは、薄焼き卵をきちんと折り畳んだなかに五目ずしを詰める料理 、茶巾ずしは薄焼き卵に包んだ後、四隅を上でまとめ 、さらには、ミツバ、細切り昆布などで結わいて上で縛るものとされ 、近年では形状が違うものとして区別される。 なお、によれば本来の"茶巾ずし"はこのような寿司ではなく、ちらしずしをにした形態のものだという。 地方の寿司 [ ] 各地で食べられる寿司には様々な種類があり、何れの地域以外ではあまり見られないものも多い。 伊達巻寿司 [ ] 寿司は、千葉県および大阪府などのである。 伊達巻の中に、椎茸、、干瓢などとともにを巻き込んだ寿司だが、具や飯の分量は地方によって異なる。 明治初期、銚子の「大久保」の職人が細工寿司として考案したとの由来がある。 太巻き祭り寿司 [ ] 詳細は「」を参照 は、地方、や、、岡山県の郷土料理である。 新見市では「金棒寿司」「鯖包み」などとも呼ばれる。 長方形に固めた酢飯の上(下)に塩鯖の半身を乗せ、や布巾で形を整えた後、出汁や長昆布で全体をくるみ竹皮で包んだものである。 とは異なり、型に入れる作業がない。 冷蔵技術が発達する以前に、京都の場合はを通り若狭地方から、岡山県新見の場合は山陰から運ばれる塩干物の塩鯖が貴重な海産物であり、この鯖を利用した寿司が定着した。 山陰や若狭では焼いた鯖を乗せることもあり、特に地方では江戸時代から「焼さば寿司」として日常的に食されていた。 松前寿司 松前寿司とは、鯖の棒ずしをで大阪に集められた北海道産の()で巻いたもの。 元は大阪で昆布巻き寿司などと呼ばれていたものを、1912年(明治45年)に寿司店「丸万」が松前寿司と名付け登録商標として売り出したことで広がり、その後「丸万」が登録を取り下げたため一般的な名称として定着した、現代の昆布で巻くタイプの鯖寿司の源流となったといわれている。 大阪寿司 [ ] 大阪寿司は、江戸前の握り寿司に対して、木型を用いた箱寿司(押し寿司)を指す言葉。 種には酢締めの鯖、昆布締めの鯛、焼き穴子、茹でたエビ、(あるいは)などが用いられる。 ばら寿司(五目寿司)、太巻き寿司などを含める場合もある。 冷えてもうまいように昆布を加えて飯を炊き、寿司酢には塩と砂糖を混ぜる。 バッテラ 語源はの bateira(バテイラ=小舟・ボート)から。 漢字では「 舴飯」や「 醗飣酹」と表記する。 1893年(明治26年)頃に大阪の寿司店がの片身を開き舟形にしたものを使った寿司を考案し、コノシロを開くと尾の方は細いので飯も片側を尖らせたその姿がボートに似ていたことからバッテラと呼ばれるようになった。 その後コノシロの価格が急騰したため、価格が安定しているサバを使うようになり、現在のバッテラが完成された。 現在のバッテラは酢飯に酢締めにした鯖を乗せ、さらに()を重ねた押し寿司。 酢による処理で保存性を高めつつ生臭みを押さえ、昆布が旨みと食感を加える。 鯖の半身を使うため完成品は細長い形となり、切り分けて食べる。 また、押し寿司の舟形の木枠用具がボートの形に似ていたのでこのように呼ばれるようになったとの説もある。 巻き寿司 関西ではかつて細巻が不在であったため、単に巻き寿司といえば一般的に「太巻」を指す。 甘みをもたらす具としてや椎茸の煮しめを用い、やはあまり使われない。 そのため他の地方のものと比べ、ほんのりとした甘みと食べ応えがある。 瀬戸内の特産である焼穴子が使用されることが多いのも特徴である。 生ずし [ ] 「なまずし」ではなく「」と読む。 鯖などの青魚や小鯛などを酢締めにしたもの。 乳酸発酵を伴わない早ずしの一種であるが、米は用いられず魚のみで作られる。 主に関西地方で用いられる用語であり、東日本や西日本のその他地方では「しめさば」「春子の酢締め」などと呼ばれることが多い。 温ずし [ ] ぬくずし、または蒸しずしと呼ばれる、近畿以西の中国、四国、九州地方に伝わる温かいバラ寿司のこと。 「ぬくい」は「温かい」の意味で、この方言が通用する地方の冬季限定メニューである。 とのセットメニューで知られるの「吉宗(よっそう)」では、通年で蒸しずしを食べることが出来る。 酢飯に焼き穴子、海老、白身魚、錦糸卵、、、等を色鮮やかに盛り付け、で蒸して食べる。 発祥は大阪あるいは京都とされ、明治時代からあるが、手間の掛かる割に利益が少ないためか、メニューから外された地域が多い。 、、、広島県、愛媛県などの寿司屋で、郷土料理として冬季(概ね12月頃から3月頃)まで食べられる。 丼に盛り付けて蓋をして蒸籠で蒸す店と、一人前の蒸籠に盛り付けて蒸す店がある。 ばら寿司 [ ] の郷土料理である。 酢飯に干瓢などの具材を混ぜ合わせた上に錦糸玉子をまぶし、さらに大きめに切った多様な具材を乗せる。 岡山県内でも地方によって具材は様々である。 西日本のその他地方では、ちらし寿司のことを「ばら寿司」と呼ぶ箇所が多い。 どどめせ [ ] 岡山県の郷土料理。 に酢を加えて調味したもので、起源は日本で酢が作られる以前のにまで遡る。 当時はしたを用いており、早ずしの元祖ともいえる料理である。 田舎寿司 [ ] 高知県の山間部に伝わる、山の幸を主に使う郷土料理である。 米飯に酢を効かせた酢飯の上に、ネタとして、、、、りゅうきゅう(の茎の皮を剥いて塩漬けにしたもの)のほか 、、、、といったや漬物をのせる。 握り寿司、巻き寿司、押し寿司、姿寿司、稲荷寿司などが存在する。 魚を使う場合は渓流魚や海から運んだアジ、サバ、カツオ、(かいさまずし)などが用いられる。 1986年にの女性たちが全国コンクールに県代表として出品した際に、数種類の寿司をまとめて「田舎寿司」と命名した。 酒寿司 [ ] は鹿児島県の郷土料理である。 塩・酒を合わせた飯と、エビ、、錦糸卵などの具とをすし桶に交互に数段詰め、中蓋をかぶせ、数時間重石をする。 寿司と称しているが酒飯であり、饗応には注意が求められる。 寿司関連の作品 [ ] 魚太巻き寿司 文学 [ ]• 寿司がの役割をしている。 鮨 - ドラマ [ ]• 漫画 [ ]• 主人公の両津勘吉は警察官であり副業は禁止だが、「浅草一郎」名義の戸籍を入手し浅草一郎として寿司屋で働いている。 楽曲 [ ]• (スシ食いねェ! 英語ヴァージョン)()• 古典芸能 [ ]• 三段目、追っ手を逃れの鮓屋となったが「弥助」(後に寿司のとなる)と名乗る) 映画 [ ]• (「」の店主を追うドキュメンタリー)• (殺人兵器と化した寿司が人間を襲う日本のホラー映画) 浪曲 [ ]• 石松三十石船()(「寿司を食いねえ」の文句で知られる) 画像 [ ]• 実際の記述は、「 肉謂之敗,魚謂之餒,肉曰脱之,魚曰斮之,冰脂也,肉謂之羹, 魚謂之鮨,肉謂之醢,有骨者謂之臡。 」 肉魚肉魚と順に説明している文の中にあるので、魚の羹(米の入ったスープ)であるかのようにも見えるが、現在 [ ]のところ魚の醢と解釈されている(『箋注倭名類聚抄』)。 醢は後代の『説文解字』、また『』ではととで漬けたものとされている。 魚の調理法についての詳細は載せられていない。 「塩辛」が魚と塩だけで作られたものと考えるのは、想像まで。 ここで言う「塩辛」は篠田統の説にある質を用いないもののこと。 『釈名』の米を使うと言う説明との対比だが、『爾雅』の鮨にデンプン質を使わなかったと言うのは篠田統説で、根拠が示されておらず、『爾雅』にも記載されていない。 『説文解字約注』下、張舜徽・撰、中州書画社出版、1983年、35-36頁(中国語)。 日本で9世紀末に編まれた『』も、鮓の異字として䰼、鮺などを挙げる。 , p. 134 は「鮓は鮺の俗字」という部分を『』のものとして引用しているが、それは本文ではなく『』の注である。 , p. 148 に関西に握りずしをはやらせた原因として記されている。 『国立民族学博物館研究報告』(レポート)、18、628 注7。 に代表例として、東京の寿司職人で、京都における寿司組合活動の礎を築いたが記されている。 「sushi bar」の「bar」とは横に長いもの、つまり、この場合は「寿司を出すカウンター」という意味(転じて「寿司屋」や「寿司を出す店」そのものも指す) で、アルコール飲料を注文する必要はなく、未成年でも座れる。 , p. 66 によれば、小皿に醤油をたっぷり入れ、を大量に溶かし、そこにスシを置き、ネタの上にを大量に載せるといったスシの食べ方をするフランス人がいるという。 彼らは「スシはスパイシーだから好き」と言う。 女性連れの客は高くふっ掛けられると言うがある。 [ ]• (1963年没)や (1965年没)の言及があり 、1989年(平成元年)にが"もともと茶巾寿司をつくり出した店だから"としている。 は「ふくさずし」をの大分類のひとつとし、その下に"イワシの茶巾寿司"を編入している。 出典 [ ]• "ハレの日に欠かせない 京の寿司". 2008年放送. 75回. 2012年8月22日閲覧。 蔵克和『説文解字新訂』王平・校訂、中華書局、2002年、773頁(中国語)。 , p. 134. , p. 135. , p. 138. , pp. 132-138. , pp. 250. , p. 115. , pp. 20-26. , p. 2007年6月10日. の2012年6月7日時点におけるアーカイブ。 2009年6月16日閲覧。 Weblio英和辞典・和英辞典. 2011年2月28日閲覧。 2006年11月27日. の2009年6月16日時点におけるアーカイブ。 2009年6月16日閲覧。 2017年4月25日. 2017年7月5日閲覧。 サンディエゴゆうゆう. 2007年4月30日. 2017年7月5日閲覧。 『読売新聞』朝刊: ポップスタイル・クール面. 2018年3月12日• 『』: アジア・グローバル面. 2018年3月19日• 2006年12月17日. の2008年5月11日時点におけるアーカイブ。 2009年6月16日閲覧。 Anthony Faiola 20016-11-23. 2009年6月16日閲覧. "So beware, America, home of the California roll. The Sushi Police are on their way. 2008年1月29日. 2009年6月16日閲覧。 [ ]• 佐々木順子 2010年7月2日. JBpress. 2017年3月11日閲覧。 『』、1952-1953。 近藤弘『すし風土記』毎日新聞社 、1974年、32頁• お米・ごはんに関する基礎知識. 2012年2月19日閲覧。 お寿司屋さんの歩き方. 2012年2月19日閲覧。 全国すし商生活衛生同業組合連合会(2019年6月25日閲覧)。 『』朝刊2019年6月24日(2面)2019年6月25日閲覧。 山本山. 2013年5月1日時点の [ ]よりアーカイブ。 2010年2月4日閲覧。 築地玉壽司. 2014年9月30日閲覧。 2012年2月19日閲覧。 コトバンク. 2012年2月19日閲覧。 喜田川季荘(編)『守貞謾稿』巻6 生業。 『』田中眞澄、、1993年12月、460頁。 『小津安二郎東京グルメ案内』 朝日文庫 、2003年5月. 2020年1月27日閲覧。 に拠る。 『』、1973年、254頁。 『財界』 37巻21号、93頁、1989年8月。。 赤坂有職. 2015年6月10日時点の [ ]よりアーカイブ。 2015年6月10日閲覧。 年、5, 23頁• 1996年3月. 2020年1月26日閲覧。 1988 , , 日本大百科全書 25 ,. 2018年1月10日. 2019年3月10日閲覧。 千葉県. 2014年11月10日閲覧。 郷土料理百選 2020年2月15日閲覧• 佐久市農村生活マイスターの会『』 PDF 佐久市農村生活マイスターの会、2013年、21頁。 , p. 2012年8月4日時点の [ ]よりアーカイブ。 2009年4月24日閲覧。 , pp. 22-23. 『毎日新聞』朝刊: 東京面. 2018年1月8日. 2018年1月9日閲覧。 『』、1939年。 参考文献 [ ]• 浅見安彦、橋本常隆『すし調理師入門』柴田書店、1970年。 、ケネス・ラドル『魚醤とナレズシの研究: モンスーン・アジアの食事文化』岩波書店、1990年。 井上光貞(校注)、関晃(校注)、土田直鎮(校注)、青木和夫(校注)『律令』、1994年(原著1976年)、日本思想大系新装版。 『江戸前の鮨-浅草弁天山「美家古寿司」四代目-』晶文社、1989年4月。 内田栄一『浅草寿司屋ばなし-弁天山美家古-』筑摩書房、1990年8月。 佳藤木一(整編)『すし技術教科書(江戸前ずし編)』旭屋出版、1975年。 『明治大正昭和食生活世相史』、1977年。 『』淵上匠子 共編 、、2006年8月、5, 23。 菊地武顕『あのメニューが生まれた店』平凡社〈コロナ・ブックス186〉、2013年11月。 『』中央公論社、1940年。 黒板勝美(校訂)『令義解』吉川弘文館、1968年(原著1939年)、新訂増補国史大系普及版。 『寿司屋のかみさんうちあけ話』講談社、1995年5月。 櫻井信也「日本古代の鮨 鮓 」『続日本紀研究』第339号、2002年。 櫻井信也「室町時代から織豊時代の鮨 鮓 」『栗東歴史民俗博物館紀要』第19号、2013年。 里見真三『すきやばし次郎 旬を握る』文藝春秋〈文春文庫〉、2001年。 『すしの本』柴田書店、1966年。 篠田統『すしの本』柴田書店、1970年6月。 篠田統『すしの話』駸々堂出版〈駸々堂ユニコンカラー双書〉、1978年7月。 『食卓は学校である』〈〉、2010年。 為後喜光、大久保恵子、滝沢真理、本谷滋子『特選おすし113: 家庭の味』家の光協会、1992年3月。 中尾佐助『栽培植物と農耕の起源』岩波書店〈岩波新書〉、1978年1月(原著1966年1月)。 長崎福三『江戸前の味』成山堂書店、2000年12月。 永瀬牙之輔、平野雅彰『すし通』東京書房社〈日本食文化体系13〉、1983年。 中山幹『すしの美味しい話』社会思想社、1996年11月。 二村隆夫(監修)『丸善単位の辞典』丸善、2002年3月。 日比野光敏『すしの貌: 時代が求めた味の革命』大巧社、1997年6月。 日比野光敏『すしの歴史を訪ねる』岩波書店〈岩波新書 新赤版六四一〉、1999年10月。 日比野光敏『すしの事典』東京堂出版、2001年5月25日、初版。 日比野光敏『すしのひみつ』金の星社、2015年7月24日。 『すし物語』井上書房、1960年。 「すしの事典」『近代食堂』、旭屋出版、1971年3月。 『』、1829年。 関連項目 [ ] に 、 、 、 、 、 の項目があります。 ウィキメディア・コモンズには、 寿司に関連する および があります。 ・ 外部リンク [ ]• 『』 - デジタルコレクション 著:小泉清三郎(の末裔)、明治43年刊• 寿司百科全書主義 English 鮨博物誌.

次の

知っても知らなくてもいいお寿司屋さんの粋な数の数え方(隠語・符牒)

お 寿司 数え 方

寿司屋の隠語や専門用語を解説 今日は寿司屋の隠語や専門用語についてご紹介します。 寿司を食べていて、職人さんから「鯛の昆布締めです、どうぞ!」とか「漬けにしてます」とか、言われるけど結局それってなに?ていう人のために寿司屋でよく聞く用語を解説します。 中には知っておかないと恥ずかしい、間違った使い方をしている人なども多くいます。 しっかり覚えてスマートに寿司屋での食事を楽しみましょう! 寿司屋が使う専門用語の意味 専門用語と言ってもわりと普通によく聞く用語ばかりです。 それが一体どんな物を指す用語なのかをお伝えして見ます。 江戸前寿司 江戸前寿司と一言で言っても時代が進むにつれて、その意味合いは変化してきています。 昔は江戸前寿司と言えば、 江戸前(東京湾)でとれた魚を用いた寿司のことを指しましたが、現代は江戸前技法と呼ばれるその昔まだ冷蔵庫等がなかった時代に 魚を日もちさせるために施した処置を用いて作られたお寿司を示す事が多いです。 本来は魚を日もちさせるために施した処置でしたが、その作用は理にかなっており、現代ではこれらの技法を用いることで、魚介類の旨味を引き出しより美味しく食べる事ができる為、色んな場面で使われる技法です。 昆布締め 魚の身から 余分な水分を吸い取り身を締める技法です。 水分をすうと同時に昆布の旨みが魚に移るので普通の身とは違う食感や、味わいが楽しめます。 酢締め 殺菌力とタンパク質を固める作用のある酢を用いて、 魚が腐敗するのを遅らせる技術です。 特にサバはタンパク質分解酵素を多く含むため、この技法を用いる事が基本です 漬け 冷凍技術がまだ発達していない頃、 魚介類の保存方法として用いられた技術です。 特にマグロを腐らせないための技術としてよく活用されました。 現代では鮨ダネに切った身を短時間で漬けて行う 即席漬けも行われます。 煮る 調味料を用いて、身に火を通す技術です。 特に寿司屋では アナゴやハマグリは煮て、その煮汁を煮詰めて煮詰めダレを合わせて提供する事が多いです。 蒸し鮑なども蒸し煮という煮物に近い形で調理される事が多いです。 最近ではあまり見られませんが、イカやホタテなども昔は煮て使うことが多かったようです。 茹でる 水(湯)を用いて、魚介類に火を通す技術です。 特に タコ、エビ、カニなどは茹でて提供される事が多いです。 茹でた後、さらにおぼろ漬けにしたり、酢に漬けたりと茹でた後に手をかける仕事もあります。 貝類や白身魚なども軽く湯引きしてから使用する事もあります。 ー甲殻類の茹で方ー 特に甲殻類を茹でる際はいかに味を抜かずに茹でるかがポイントです。 浸透圧を利用します。 ただのお湯で茹でてしまうと、素材の味や旨味がお湯に溶け出し味気ないエビやカニになります。 又使用用途に応じておかあげ(素冷まし)にするか、急冷するかなどもポイントの一つです。 赤シャリ 熟成した酒粕から作られる酢を使用して作られたシャリの事を指します。 米酢を使った白シャリより色が赤みを帯びている事から赤シャリと呼ばれます。 旨味があり香りや酸味がまろやかなところが特徴です。 江戸前寿司の普及と共に一気に普及しましたが、現代では 戦後の黄変米や物資難などの情勢の影響により使用される機会は減ったように思われます。 神経締め 魚が死後硬直するまでの時間をひきのばす技術です。 魚の脊髄に管や、針金を通すことにより脊髄を壊します。 鮮度抜群のお魚を食べたい、提供したい場合は神経締めを施すケースが多いです。 光り物 青魚や光沢の帯びた皮を持つ小魚を、酢締めや昆布締めを施している寿司タネの総称です。 仕込みの手間が多く、微妙な加減の調整が難しいことから 光り物を食べれば店のレベルがわかるとまで言われます。 えんがわ ヒラメやカレイのヒレ付近の身の事を指します。 独特の食感と旨みがありますが1匹から取れる数が少ない為、珍味に近い存在です。 鉄砲 本来細巻きを指しますが、最近では 鉄砲=干瓢巻きのことを指す事が多い気がします。 形が鉄砲の筒に似ていることが語源とされています 寿司屋が使う隠語の意味 ご紹介する隠語は寿司屋が使う合言葉みたいな物です。 ですので、お客様側の人が使うのはおかしいとか下品だなどと言われます。 正直伝わればどっちでも良いです。 寿司屋側の人間であればしっかりとした意味を理解しておかなければ、お客様に笑われてしまいます。 ネタ 寿司ダネのタネが語源で、タネを逆さに読んだ隠語が『ネタ』です。 ネタも実は僕たち板前が使う言葉なので、お客様が使うのは下品と言われる事があります。 正直どっちでも良いです。 覚えておくぐらいで良いと思います。 あがり お茶のことを『あがり』と言いますが、 正確には最後に出すお茶のことを指します。 反対にお店で最初に出すお茶を『お出花・出ばな』と呼びますが、使う機会はほぼないです。 もし寿司屋でお茶が欲しい場合は普通に「お茶をください」という方がカッコいいですね! あにき・おとうと 先に仕込んだものの事を指します。 要は古い寿司ダネや、食材の事です。 反対にあとから使う食材を「おとうと」といいます。 「あにき」という言葉が頻繁に聞こえてくるお店は少し怖いです。 笑 おあいそ 元は「お愛想づかしでしょうが、お勘定をお願いします。 」の略です。 お会計のことを指します。 要はお店側がお客様に対してお会計をお願いする時に使う言葉なのですが、よくお客様からも「おあいそして!」「おあいそお願いします!」などと声をかけられます。 正直どっちでも良いと思っていますが、今本来の意味を理解できたので普通に「お勘定」と言いましょう。 その方がスマートですよ! にげもの 原価の安いネタのことを指しますが、僕自身は正直使った事ないです。 寿司の数字のかぞえ方 寿司屋の数の数え方を下記の表にまとめました。 この数字の数え方も僕自身は使った事はありませんが参考までにご紹介します。 東京の老舗の寿司屋さんなどではよく使われています。 0 ヤマ 1 ピン 2 リャン(ノノジ) 3 ゲタ 4 ダリ 5 メノジ 6 ロンジ 7 セイナン(セーナン) 8 バンド 9 キワ 10 ピンマル(ソク) 11 ピンピン(ナラビ) 12 チョンブリ 13 ソクキリ 14 ソクダリ 15 ソクメ(アノ、アーノ) 寿司屋の隠語や専門用語を解説ーまとめ 普段寿司屋に行くとよく使う言葉や、よく聞く言葉もフレーズもあったかと思います。 こういう事も知っておくと話のネタになりますよ! ここでもネタが出てきましたね。 そういえば漫才やお笑い芸人の持ち芸も「ネタ」と呼ばれますね。 この記事で学んだ知識を活かしてもっと楽しい寿司ライフをお過ごしいただけたら幸いです! では、この辺で。

次の

寿司の数え方はなぜ重さの単位「貫」なのか|他の寿司用語の語源も紹介

お 寿司 数え 方

干ししいたけをさっと洗って柔らかくなるまで水で戻します。 椎茸の軸を切ります。 鍋に2としいたけの戻し汁を入れて火にかけます。 しいたけがひたひたになるくらいの戻し汁を注ぎます。 もし足りなければ水を加えてひたひたにして、強火にかけます。 沸騰したら、中火にしてアクは取り除きます。 本だしを入れ、落し蓋をして15分煮ます。 途中、煮汁が少なくなったら水を足します。 調味料を加えて、落し蓋をしてさらに15分中火で煮ます。 途中で煮汁がなくなったら火を止めます。 少し煮汁が残っている状態で火を止めましょう。 鍋のまま冷めるまで置いておきます。 冷凍保存が出来るので、多めに作っておくと便利です。 手巻き寿司の他にも、巻きずし、そうめん、混ぜご飯や玉子焼きの中に入れたりといろいろ使えて便利です。 卵はボウルや計量カップなどに割りいれて、泡立てないように箸で溶きほぐします。 Aを入れて、箸で溶かすように混ぜ合わせます。 卵焼き器と、油を馴染ませたキッチンペーパーを用意しておきます。 卵液を入れる前に箸先で卵液を落とした時にジュっと一瞬で卵液が固まる厚さになるかを確認します。 奥から手前に箸でつかみながら巻いていきます。 巻いたものを奥に滑らせて、手前に油をさっとひきます。 残りの半分の卵液を空いたところに流し入れて、奥の卵の下に箸を入れて持ち上げ、卵焼きの下にも卵液を流し入れます。 あとは残った卵液で同じことを繰り返します。 巻いた卵を奥に移動して、残りの卵液を流し入れます。 卵の下にもまた卵液を流し入れて、半熟から少し固まってきたタイミングで手前に巻きます。 あとは表面を好みの焼き色まで焼いて取り出して切り分ければ出来上がりです。 海老は殻と背ワタを取って酒少々をまぶしておきます。 かまぼこは食べやすく切り分けます。 しいたけはそぎ切りにしまう。 にんじんは薄く輪切りにし、花型などを使って花型にします。 青菜は塩ゆでし水けを絞って食べやすい大きさに切っておきます。 ぎんなんとゆりねはさっと茹でておきましょう。 土鍋に食べやすく切った豆腐、餅、うどんを入れて、上から1と2をバランス良く乗せます。 卵を溶きほぐして、Aのだしと調味料を混ぜ、3の土鍋に濾しながら流し入れます。 土鍋を弱火にかけて蓋をして15分ほど煮ます。 様子をみながら、全体が固まってきたら火を止めて10分ほど蒸らして余熱で固めます。 Bの材料を小鍋に入れて煮立て、味を整えて水溶き片栗粉でとろみをつけます。 5の上から回しかけて、おろし生姜を添えたら出来上がりです。 温かいうちに取り分けて食べましょう。 あんがかかっているので冷めにくい茶わん蒸しです。 うどんや豆腐は少し温めておくと早く固まります。 干ししいたけをひたひたの水に浸けて戻しておきます。 戻し汁は後で使うので捨てずにとっておきましょう。 里芋は皮を剥いて食べやすい大きさに切り、下ゆでしておきます。 こんにゃくはスプーンでちぎり、塩もみして2~3分ゆでてざるに上げておきます。 れんこんとごぼうは食べやすい大きさに乱切りにしてそれぞれ水に晒しておきます。 にんじんは小さめの乱切り、しいたけは軸を除いて2~3等分に切ります。 鶏肉は2~3センチに切っておきます。 鍋に油を入れて中火で肉をさっと炒め、水けを切ったれんこん、ごぼう、にんじん、こんにゃくを加えて炒めます。 全体に油が回ったら里芋と干ししいたけを加えます。 その後、しいたけの戻し汁150ミリリットルと調味料をすべて加えて混ぜ合わせます。 落とし蓋をして柔らかくなるまで煮ます。 火加減は弱めの中火で10分です。 煮汁が少なくなってきたら、蓋を取り煮汁を煮詰めていきます。 器に盛り食べる時に塩ゆでした絹さやを散らせば出来上がりです。

次の