藤井 聡。 藤井聡、内閣官房参与を辞す

藤井聡京都大学大学院教授の主張「財務省が国民1人あたりの借金...

藤井 聡

ねとうよや藤井や高橋などは 根本的に誤解している部分があります。 例えば、税金を使って建物を建てる場合、 建物は減価償却され耐用年数を経れば ほとんど無価値に近くなります。 耐用年数を過ぎると 逆に解体費用の支払いを求められる可能性すらあります。 越後湯沢のマンションやペンションで 何が起きているかを見れば すぐわかることです。 つまり、帳簿上の価額と 実質いくらで売れるかとは別の話なのです。 また、 需要が無ければ公正な価額で売ること自体不可能です。 MMTというのは二ポンやスペインやイタリアなど 財政が放漫で重債務国であるのにかかわらずGDPが伸びず、 物価が低迷する国だけ見て適当に仮説を組み立てた議論です。 アルゼンチンやトルコで藤井の言うことと同じことをやって うまくいくと思っているのはねとうよや高橋だけです。 日銀引き受けを常態化させた環境で 物価引き締めのために国債の買い入れを止めて 逆回転させると言っても どうやって売りオペするんでしょうか。 MMTはただの暴走機関車です。 アクセルだけはあるけどブレーキはない、 ただ現状動かないので動くまで燃料を焚き付けろ、 と言ってるだけです。 一旦動き始めたら、国が亡ぶのにも関わらずですwww 原理上は借り換えで支払っちゃっても大丈夫ですよ。 ただ、なぜ税金があるのかと言うと、インフレの抑制の効果があるからです。 だから表向きとりあえず税で利子払ってるわけです。 今はデフレギャップ(供給に対し総需要が足りない)があるから、総じて税を取りすぎてる、歳出不足ということになります。 単にそれだけの話です。 あと、国債は預金から引っ張ってきてませんからね。 日銀当座預金というところから、無から有を作り出して、国債発行してます。 それで資産として預金に積み上げられていくんです。 要するにファイナンス(預金から調達)してないんです。 ファイナンスしてたら、資金が減って金利が上がるんですが、金利0です。 だから、国債暴落とかクラウディングアウトとかも起こりません。 根本的にファイナンスしてないんで。 財務省とか経済学者は、無知か嘘つきだということは確かです。

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藤井聡太

藤井 聡

ようやく、緊急事態宣言が解かれる方向となりました。 東京や大阪はまだ解除されていませんが、近日中に確実に宣言解除となるでしょう。 それが 「ソーシャルディスタンス」すなわち 「社会的距離」の確保です。 このソーシャルディスタンスは、TVでもほとんど毎日必要だと繰り返されており、専門家会議の「新しい生活様式」の中でも、「最も必要」という体裁で一丁目一番地に明記されています。 しかしこれは、 感染防止の観点から「絶対必要」とは必ずしも言えないものなのです。 これまでに明らかになっているコロナウイルスの特徴を踏まえれば、 発話しなければ距離が近くても感染リスクはほぼありませんし、 発話していても、マスクをしていればリスクはほとんどありません。 例えば、仮に社会的距離が全くない満席の状況であったとしても、 クラシックコンサートや映画を黙って見ている状態ではほとんど感染は考えられません。 ロックコンサートや格闘技の試合でも、マスク着用を義務づけ、「大きな歓声の自粛」だけしておけば、飛沫が周辺に飛び散り、感染が拡大してしまうリスクをほとんど回避することができます。 それにも拘わらず、今回、芝居やコンサートについて、全国公立文化施設協会が、 社会的距離・ソーシャルディスタンスの確保を前提とするガイドラインをまとめてしまいました。 要するに、観客と観客の間を空けることが必要というガイドラインです。 これでは 減収は必至。 全く利益が出ず、赤字となるケースが頻発するでしょう。 結果、 音楽・演劇等の業界関係者は、廃業せざるを得ない方々の続出は必至です。 もちろん、社会的距離の確保が、感染防止のために必須であるなら、それはそれで仕方ないのかも知れませんが、ウイルスの感染経路から考えて、上述のように必須の条件でないのですから、この 社会的距離の確保についての項目は、換気の徹底、マスクの着用、大声での歓声・発話さえ可能なケースでは「削除」で全く問題ないと考えます。 にも拘わらず、ガイドラインに書かれてしまったのは、感染抑止が目的というより 「事なかれ主義」があるからに他なりません。 政府としては、万一の事があった時にとやかく言われるのが面倒だから、念の為に距離を取れと書いておけば、責任逃れができるだろう、という程度の話で、社会的距離・ソーシャルディスタンスを書いているに過ぎないのです。 そんなくだらない理由で上記の厚労省の専用HPにも、社会的距離が第一番目に書かれることになっているのですが、こう書かれてしまえば全国公立文化施設協会としても、無視するわけには行かなくなってしまうわけです。 何という 国民に対する無配慮・・・そんなくだらない 「小役人的な事なかれ主義」せいで、ミュージシャンや演劇関係者、照明さんや大道具さん、小道具さん等、ありとあらゆる関係者の暮らしが脅かされ、その帰結として日本の音楽文化や演劇文化が危機にさらされるのですから、これほど悲しい話はありません。 繰り返しますが、ソーシャルディスタンスが感染抑止のために必須であるなら仕方ありませんが、実際の所、さして必要ではないのです。 これは要するに、未だに 「過剰自粛」のマインドが残存しており、これが経済を苦しめ続ける状況にある、という次第です。 同じ事が、公共交通事業者や飲食店においてもあります。 公共交通について言えば、社会的距離・ソーシャルディスタンスの確保は、経営上、致命的な打撃を与えます。 これが絶対条件になれば、 ほぼ全ての路線が「赤字」に転落してしまい、多くの路線が廃線になり、事業者の倒産も相次ぐ事になります。 しかし、公共交通においても、ウイルス学の見地からいって、(超満員電車を除けば) 換気さえ徹底し、皆が会話しないかあるいはマスクさえしているのなら、社会的距離の確保は何も必要ではないのです。 (詳しくは、こちらのポスターをご覧下さい! ) 飲食店についても、ラーメンチェーンの「一蘭」の様にパーティションで区切っていればもちろんのこと、(換気さえ徹底していれば) 「食事中以外はマスク着用、食事中は静かにする」ということをお願いしていれば、社会的距離は必要ではありません。 「食事しながらの会話」を許容したいという店舗があるなら、そういう店舗においてのみ(換気に加えて)ソーシャルディスタンスを確保すればよいのです。 「飲酒」に関しても、互いの発話に伴う飛沫が直接グラスにかかる事を避ける工夫(例えば、グラスを口に傾ける時だけマスクを外し、それ以外はマスクを着用するようにする、飲まない時は、グラスの飲み口に何らかのシートをかけておく等)をすれば、感染リスクを大幅に下げることができますから、ソーシャルディスタンスの確保を回避する バーの通常営業も可能でしょう。 この様に、実際の感染プロセスを具体的にイメージし、それを防ぐという態度で考えれば、それぞれの業態毎に ソーシャルディスタンスを確保しなくても済む工夫はいくらでも考えられるのです。 にも拘わらず、ただ単に責任逃れしたいからという程度の理由で流布された「社会的距離・ソーシャルディスタンス」確保論は、そうした一切の工夫を 暴力的にうち捨てるのです。 我々人間はソーシャルディスタンス・社会的距離を確保し続けては、生きてはいけない存在。 だから私達の社会は、そんな距離を確保しないことが前提でできあがっているのです。 家族の団らんや恋人同士の語らいはもちろんのこと、 文化的活動や「公共」交通での移動は全て、ソーシャルディスタンスを「縮める」こと、すなわち「広義の接触」から始まるものなのです。 にも拘わらず政府の 「新しい生活様式」は、驚くべき事に外出時のみに適用せよという話ではなく、自宅においてすら配慮しましょう、ということも言われているのです。 したがって、 この政府の指針に真面目に完璧に従う限りにおいて、私達は家族との団らんにおいても距離を確保し、食事中は押し黙らねばならなくなるのです。 これでは、公衆におけるまともな精神衛生の確保は著しく困難となるでしょう。 したがって、私達の経済、社会、そして、共同体や家族、そして、わたしたちの健全なる精神そのものを成立させるために不可欠な広義の「接触」に対する配慮の一切を欠いた、 「暴力的」とも言いうるソーシャルディスタンス確保論に、私は、断固反対いたします。 これは、新型コロナウイルスからの攻撃から身を守りながら、人間が人間であることを続けんがための闘争なのです。 追申: こうした 「暴力的に自粛を強要する事なかれ主義」の深淵にあるものはもちろん、 「コロナに対する恐怖心」です。 もちろん、「未知」と言われるウイルスに対して適度に恐れることは必要ではありますが、どうやら中には 「過剰」と言わざるを得ない水準で新型コロナウイルスを恐れる方が一部におり、その人達に引きずられる形で「暴力的に自粛を強要する事なかれ主義」がはびこっているのが実態です。 ご関心の方は是非、ご一読ください。 雑誌『表現者クライテリオン』の定期購読はこちらから。 Twitter公式アカウントはこちらです。 フォローお願いします。 その他『表現者クライテリオン』関連の情報は、下記サイトにて。 おっしゃっていることとてもよくわかります。 ただ、マスクの本来の目的は、 「手についた菌を口につけない」事です。 こ の部分では日本人は大きな間違いを犯しています。 コロナウイルス 新旧 は、 物を介して感染する事が既に確認されています。 例えばコロナ感染者が座った席に 後から来た外部者が同じ席に座り感染する。 コロナは物に付き、 その物に触って感染するというのが科学的検知です。 ただ、テレビではほとんどその事は言いません。 何か裏があるのでしょうね。 飛沫感染がないわけでもありません。 飛沫感染の代表はインフルエンザウイルスです。 真実に忠誠を誓うはずのテレビは、 政府に忠誠を誓っているようですね。 私もマスクもソーシャルディスタンスも嫌いですが、 この流れは止められません。 テレビウイルスが蔓延している以上、 もう元に戻ることはないのです。 コロナウイルスのような弱いウイルスは、 必ず二派三派が来ます。 弱いと言っても肺炎を伴う場合もありますので、 お気をつけてお過ごし下さい。 メディア 国は 感染者 の数はいつも出しますが 是非出さなければいけない情報にその感染者の 年齢、国籍、基礎疾患の有無 そして大事なのがその後の経過です 無症状~重篤 死までありますよね その情報を国民が知らないから 現状の事態把握があいまいで 行動もあいまいで 経済に多大な影響を被らせていると思います。 是非藤井先生に 実際陽性とされた方に呼び掛けて 感染者の口からこんな経過で何日ぐらいで回復した インフル、風邪と変わらない などの話が聞けたら youtube等で拡散しやすいのではないかと思います。 欧米が圧倒的に死者が多いのは(ちなみにpcr検査はコロナを特定するものではない 陽性でも他の風邪の可能性もある) ホームレス、不法移民、貧困移民、極貧層、無保険者等がものすごい数いるからです それらは当然衛生状態 栄養状態 健康状態が圧倒的に悪いからです。 沿うう言う人たちの感染が増えれば当然 そのような層以外にも感染させる確率が高くなります。 下記 加治将一さんのツイートから引用 「NY低所得者地域で約8千人に抗体検査を実施。 平均陽性率は27%。 市北部ブロンクスは34%。 中でもヒスパニックの陽性率が56%を記録した。 ブルックリンでは、黒人住民の80%が陽性という地域もあった」 日本はそれらがほぼないので条件が違いすぎます。 もちろん日本人の衛生観念もあると思います。 日本政府の対策が良いからではありません。 中小企業2019年度においても状況が良かったわけではありません そこに消費増税です! 戦争で言えば 最前線で戦っている私たち中小は現在バタバタ倒れています 売上前年比90%で大変です sディスタンシングで人数制限など考えられません。 日本企業の97%以上は中小です。 令和のインパール作戦」になりたくないです。 どうか前線の私たちに手を貸してください! シイノ様へ、 同感です。 なぜ国民に「科学的なデーター」つまり無症状者、重篤者の詳細なデーターですが、加えて回復者や既往症も持つ患者、発症から回復までの経過等の詳細を示さないのか不思議です。 政府は「国民皆様の命を守るために」を繰り返しているだけです。 武漢ウイルスが報道され始めて直ぐにイタリア北部で感染拡大が報道されましたが、南部イタリアでは起こっていない。 それで私は感染者は春節休暇から北イタリアに戻った中国人の労働者だろうと予想できました。 イタリアに滞在していた時の驚きは多数の中国人労働者の姿でした。 イタリア政府は国籍を発表出来ないジレンマを抱えているはずです。 イタリア北部の豊かな経済構造を支えているのは中国人だと思います。 やはり後日NHK番組で現地特派員は言葉を濁していました。 中国人労働者の事はEU全体の問題でもあるでしょうし、人種差別に直結するでしょうから発表できないのですが、中国人労働者の置かれた環境は感染拡大の要因を全て満たしていると思います。 エイズが世界的話題になった時、私の周辺では恐怖と偏見から感染を恐れて海水浴も控えた若者もいました。 ダイアナ妃がエイズ偏見を是正することに貢献したことはよく知られていますね。 アフリカ東部で流行したエボラ出血熱の騒ぎの時は回復者の女性がアメリカの故郷に帰るとまるで魔女狩りの如く排斥され隔離されようとしました。 当時私はラジオで現地の海外青年協力隊の日本人女性がインタビューで「石鹸で手を洗えば大丈夫ですよ。 」と軽く話している内容に驚いたのですが、間もなくエボラ出血熱は終息しました。 以上のことから私は正確な情報を入手することが大事で、すぐに恐怖感を抱かないと決めていました。 コロナは少々厄介なインフルエンザ肺炎として私は捉えています。 致死率の低さ、殆どが高齢者、若年の致死は既往症が関係していること、などからです。 肺炎は怖いですがどのタイプの肺炎もそうではないでしょうか? 季節的に蔓延するインフルエンザは秋から冬に感染増大するから夏になれば自然に終息するだろうと楽観視しています。 反対に南半球の国々はこれから秋に向かうので流行するのではと予想できます。 以上が一市民の医学的素人の感想です。 医療治療体制が充実しているか否かが一番のポイントですから、まあ現状では、一切コロナを恐れる必要は無くマスク外して海外渡航はスタンバイしながら、全部元通りの以前の生活に戻るべきと考えます。 私は暑い中マスクを付けてる人を横目に 「熱中症にお気を付けてね」とつぶやきつつ,マスク無しで出歩いています。 以上ですが、間違いを指摘してくださることを期待しています。 感情を書き込むつぶやきと違って、「理性と知性で書かれた意見」であれば、当然自分の名前を名乗るのは最低限の礼儀だと思います。 先生方はお顔も名前も公表されています。 責任が伴う務めをされてるのです。 先生方には名指しで質問しても、自分は名乗らない? 私はそう言う方々は残念ながらリスペクト致しません。 お互いに自分を名乗ってこそ相互信頼が生じるのです。 もしそんなこと知らなかった、そこまでしなくて良いだろうと思われたら、甘やかされて育っておられると気の毒に思います。 他人の意見を聞き出す権利があるのであれば、自分の意見も述べる権利はありますが、最低限の義務も伴うのではないでしょうか? 反論を待っています。 藤井先生に賛同するものです。 ただ「経済」優先という点については、私は勉強不足で門外漢かもしれません。 学校教育についてですが、政府は一斉休校をいち早く宣言しました。 この点で、甚だ疑問??を感じ、現在もこの気持ちは変わりません。 なぜなら、1クラス35人で何クラスもある都会の学校も、死者が一人も出ていない県も山間部や過疎地で学校の学年全部で30人程度も満たない、いいわゆる僻地の学校も全部休校にしてしまうという方針に違和感を感じるからです。 児童の感染率も極端に低いし死者もいないのです。 (既往症の児童に関しては分かりませんが)当時それは判明していたにも拘わらず、異常ともいえる措置を進めたのか私には理解できませんが、言えることは責任回避だけに腐心していたのではないでしょうか。 なぜ自治体の裁量に任せなかったのか? なぜ首長は声を挙げなかったのか? 私はいまだに解せないでいます。 私は、日本では、緊急事態宣言が全国で解除される見込みの6月以降は一切の自粛は不要と考えます。 ソーシャルディスタンス、マスク着用、手洗いの呼びかけ、食事中の会話自粛、 営業時間短縮、県をまたぐ移動も含めて、全てです。 ただし、国をまたぐ移動は世界規模の感染拡大が収束するまでは、 自粛どころか明確に法的に禁止するべきでしょう。 また、自主的に自粛している人達は、自粛を止めさせようとせずそのまま放っておいて問題ありません。 一切自粛しない普通の生活をしてまた第2波が来るというのであれば、 医者や感染症の専門家達の新型コロナウイルスに対する考え方、 現代医学の考え方が根本的に間違っている証になります。 国民が新型コロナウイルスにこれほどまでに恐怖するのは、 全部マスコミの無意識あるいは恣意的な報道のせいです。 テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、政府や自治体の公報など、 何もかも報道が発する「言葉」が原因なのです。 もっとも、私も人のことを言えたものではありませんが……。 まず、質問ですが感染してない人が100、200人集まって普通にしてもウィルスは発生しない、そしてもしその中に一人感染者がいてその方がマスクをして一言もお喋りをしなかったと仮定した時に感染しますか? それで仮にウィルスは発生しない、感染しないとして思うのはまず、コロナは症状が出る前に感染、又は無症状が問題となっています、それで熱があったり体の異常を感じたらすぐに診察をして貰って感染しているか調べて感染していれば当然隔離をする事になりますが、その時に名前や住所も公表して、そこで差別をするのでなく皆でその人を応援する事が大切です。 そしてそこで始めてその方と会った人はマスクをして自粛をする、それと普段の行動範囲外、県外移動した人もマスクをする、それぞれ一週間様子を見て何もなければマスクを外して行動もOK 今は県外から来ないでとか感染者に対して冷たい目線が行って悲しい状況です、それにこの経済の悪さは大変ですがこれも人をみれば感染者と思えの政策の現れです。 もっとウィルスがどうすれば移る、移さないかのメカニズムを発信をして欲しいと思います。 自粛を辞書で調べると、「自分で自分の行いをつつしむこと」 広辞苑 や「自分から進んで行動や態度をつつしむこと」 明鏡国語辞典 などとなっています。 これは換言すれば、「自主的な行動抑制」ということであります。 すると、非自主的な行動抑制は自粛とは言えないことになります。 従って、(中央及び地方の)政府が国民に、「外出の自粛」や「営業の自粛」を「要請」していることは、その真意は別として、言葉自体がおかしいと思います。 学生にズル休みを勧める教師のようなものだと思います。 もちろん、「他者から強く求められたことがきっかけで、納得したうえで自主的に行動抑制をする」場合はあり得ます。 が、それは吟味し合点した結果が自粛に結び付いたということで、「要請があったから」自粛しているのではありません。 それでも「いや、要請されたから自粛しているのだ」と言い張る向きもあるでしょう。 しかしそういうのは、私たちの現実の感情に照らせば自粛よりも恭順に近いものではないでしょうか。 ましてや「他者から強く求められたために、意に反して行動抑制をする」のは自粛の反対で、おそらく忍従、覚える抵抗の度合いがさらに高ければ屈服というべきでしょう。 国民一般がどの程度「自粛もどき(恭順・忍従・屈服)」をしているのか、私には分かりません。 そしてもし多くの人が「真の自粛(主体的な行動抑制)」をしているのならば、政府が「要請」という言葉を用いたことも、結果としては不問に付してよいのかもしれません。 しかし、次のことは言えます。 感染や医療崩壊を恐れて「真の自粛」を続けている人でも、それは「(政府や自粛警察などの)他者からの要請」を根拠に自粛しているのではない以上、状況次第で、「自粛もどき」に転じることがあるということです。 そして、日本政府の緊縮財政は、真に自粛している人々の気持ちをも、忍従や屈服へと変貌させる力を有しているということです。 自粛は「自主的な行動抑制」です。 自主的である以上、そこにはどうしても責任が貼り付いております。 吝嗇趣味の強い客は、店主が好意で負けてくれているのか、メンツで負けてくれているのかという違いについて、徹底的に鈍感でいられます。 いや、戦術として得策でないだけではありません。 藤井先生は「暴力的に自粛を強要する事なかれ主義」と仰いました。 そのとおりだと思います。 しかし、「暴力的な自粛の強要」が国民の心に生み出すのは、拙論に従えば、忍従や屈服、良くて恭順です。 私たちは自粛警察的思考、政府の事なかれ主義、そして緊縮財政が織りなす雷雲の下に縮こまっている。 コロナの稲光にも戦慄を覚えなくはありませんが、この応答のすべてを自粛の一言に回収したくありません。 そして、藤井先生の「半自粛」論に関連していえば、自粛以外のもう半分が「自粛もどき」で埋め尽くされるとしたら、日本政府の所業は国民への弾圧であることになると思います。 (政府による大規模な新規国債発行がないことを思うと、憤慨と焦るような気持ちでいっぱいです。 私にはツイッターやフェイスブックといったコミュニケーションツールがありませんので、この場に思っていることをつらつらと書いてしまいました。 ソーシャルディスタンス論から外れたことを書いてしまい、申し訳ございません。 ) 医療機関で働きつつ、街中で小さな演劇公演や落語会などの有料公演を企画制作している立場の者です。 私自身はボランティアですが、公演にかかる諸経費を差し引いた上で出演者(表現者)に正当な対価が発生するよう心がけた活動をしています。 今現在の状況では、私自身が客席に座ることも出来ませんし、その環境下で企画を実行する立場上の矛盾にも悩みつつ、どうしたら良いか思案する毎日ですが、日頃感染症に対して職場で行っている対策を通して考えると、ソーシャルディスタンスは非常に妥当な考え方だと認識しています。 ソーシャルディスタンスについて『感染防止の観点から「絶対必要」とは必ずしも言えないもの』とおっしゃる科学的な根拠をご存知でしたら教えてください。 否定から入ることはしませんが、説得力には欠けていると思いましたので、ぜひ、教えてください。 初めまして。 昔から諺があります。 「角を矯めて牛を殺す」です。 過剰自粛は失業、貧困、教育混乱、犯罪を結果的に生み出すことになっているではないですか。 「私は許さない!」ともっと何度も声を上げてください。 藤井先生の全体像は不勉強で存じ上げませんが、偶々聞いた京都ラジオで「致死率を考えたら。。。 云々」でまさしく我が意を得たり。 それ以来生活の中で先生のラジオ番組を待ちわびているものです。 人々はウイルスの事を正しく知ることをしないで一日中「自粛してください」と「感染者が増加しています」「感染者数」と言ったマイナス言葉を聞かされて恐怖の穴にぞろぞろと盲目的に向かっているのです。 私はブラジル大統領の「ただのインフルエンザだ。 」の発言が案外正しいのではないかと思っています。 対応はリーダーの力量が発揮されるべきで、この点については医療治療体制を充実さえすれば良いわけです。 マスク着用に関して、まるで空気感染するかのように誤解しています。 黙って独り距離保って歩いていてもマスク無しの私は睨まれ避けられることがあります。 広々とした野原で誰もいないのにマスクしている若者を見ると「もっとしっかり情報を掴め!」とつぶやいてしまいます。 それにしても日本政府は国民を恐怖に陥れて操るのが長けています。 そんなネガティブ環境からの脱出には本来はユーモアで切り抜けるべきでしょうが、悲しいかな日本人はこの精神が分からない。 ですから「くそおやじ」「噓つきどもめ」「ボケー」の藤井先生言葉が当面の私の胸スカッと薬です。 よろしくお願いいたします。

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「食料自給率」向上は「国家安全保障」に必須【藤井聡・京都大学大学院教授】|ここまで落ちた食料自給率37% どうするのか この国のかたち|特集|JAの活動|JAcom 農業協同組合新聞

藤井 聡

From 藤井聡@京都大学大学院教授 緊急事態宣言の延長にあわせて、専門家会議から「新しい生活様式」が提案されました。 この内容は、この提案をできるだけ 「わかりやすく」纏めているNHKのサイト情報には、以下のように掲載されています。 全文は、文末の 付録に掲載しますので、雰囲気だけでもご確認頂く趣旨で、文末をさっとご覧になってみてください。 ・・・いかがでしょうか? 当方はコレを見たとき、あまりの理不尽さに、 激しい憤りを感じました。 これでは感染症の拡大は防げないからです。 しかもこれでは、私達の社会も経済も大きく傷付くからです。 以下、その理由を説明します。 第一に、項目が多すぎで、誰も守れない。 上に記載した「 感染防止の3つの基本」だけでも補足事項が 多すぎるし、付録に記載した項目も含めれば、その情報量文字通り「 膨大な量」。 これだけ全てを頭にたたきこめる国民はほぼいないでしょう。 当方は国民の行動変容を導く公共政策としてのコミュニケーションの研究を20年以上続けていますが(例えば、こちらをご参照ください)、その視点から言って、これは 文字通り、最悪です。 なぜなら、 情報が多く、内容が「ややこし」ければ結局、国民に伝わらず、行動変容を誘発できず、感染症拡大が防げなくなってしまうからです。 第二に、感染防止のために最も重要な諸事項が書かれていない。 これだけ大量の事項が書かれているのだから、これを全て真面目に覚え、従っていれば感染も防げ、重症者数・死者数も減らせられるのかと思いきや・・・驚くべき事に、 とりわけ重要なことがいくつも抜け落ちているのです。 中でも特に大切なのが、 1)(外出中には)目鼻口、特に「鼻の穴」を触らない なのですが、この一点が、全く書かれていません。 いくら手を洗っても、手を洗った後に、テーブルやドアノブを触ってウイルスが手に付くかも知れず、その手で鼻の穴に指でもいれてしまったら ウイルスが鼻の粘膜に練り込まれてしまいます。 逆に言えば、 一切手を洗わなくたって、その手で目鼻口を触らなければ、感染はしないのです。 それくらい、「目鼻口を触らない」という一点は大事なのに、それが書かれていないのは、極めて深刻な問題です。 そして、具体的な行動として、 2)(当面の間は)通常スタイルの宴会・カラオケは自粛 ということも書かれていない。 コロナの感染拡大は、おおよそ、宴会やパーティ、カラオケで起こっているのですから、ここを直接自粛、あるいは、禁止するように呼びかけることが最も効果的です。 (もちろん、「 お一人様飲酒・ お一人様カラオケ」はその限りではありません) 「大皿は避けて料理は個々に/対面ではなく横並びで座ろう/料理に集中 おしゃべりは控えめに」とも書かれているので、それはそれでいいとは言えますが、こう言うよりも「宴会・カラオケは自粛」と言った方が圧倒的にわかりやすい筈です。 無論、自粛すべきはあくまでも 「通常スタイル」の宴会やカラオケが自粛なだけで、「できるだけ声を小さくして、距離をとって」あるいは「食事は黙ってさっと食べて、飲むときはマスクをしてコップを口に付けるときだけマスクを一瞬外しながら飲む」等なら、ある程度収束してくれば構わないと思いますが、 「自粛から解除」する「出口」では宴会・カラオケ自粛というキーワードは、感染防止上極めて効果的です。 そもそも 4月上旬に「感染者数が大きく増加」していますが、これは3月に多くの組織で送別会や年度末会を行ったからという疑義が濃密に考えられるくらいなのです。 さらには、 3)高齢者・基礎疾患者・妊婦の保護 (高齢者等との同居者の方の配慮も不可欠) という一点が書かれていないのも、 「医療崩壊」リスクの視点から言って、問題です。 したがって、 高齢者の間で感染者が広まると、重症者病床が瞬く間に一杯になってしまうのです。 したがって、医療崩壊、感染死急増を回避するという視点に立てば、 高齢者・基礎疾患者・妊婦の自粛の継続 を出口戦略の一つとして掲げておくことは重要です(ただし、そうするかどうかは、最終的には政治判断になりますが)。 この様に、 あれだけ膨大な項目をかいておきながら、肝心の「目鼻口を触らない」「宴会の自粛」「高齢者等の保護」という項目が書かれていないのです。 これは極めて深刻な問題です。 第三に、感染防止のために「無駄」なのに経済社会に「被害」を与える項目が多い。 この「新しい生活様式」では「身体的距離の確保」が「絶対条件」の一つの様に扱われています。 これに従う限り、 電車やバスの混雑は絶対にダメ、ということになりますし、 カウンターでの隣り合った飲食も絶対ダメ、ライブハウスなんてもってのほか、ということになります。 だから、 この条件を皆が守る限りにおいて、交通事業者も飲食店もライブハウスも、極めて深刻なダメージを受けることになります。 しかし、 「身体的距離の確保」は、感染防止の視点から決して「必須」の項目ではありません。 電車やバスについて言えば、しっかり「換気」がなされ、かつ、乗客が皆黙っている、あるいは、マスクをしていれば、少々近接していても、飛沫感染や空気感染(エアロゾル感染)が起こる可能性はほとんどありません。 同様に飲食店・ライブハウスにおいても「会話禁止」「歓声禁止」と「換気」が徹底していれば、少々隣接していても、感染リスクはほとんどないのです。 そもそも、専門家会議も、当初は三密の 「重なり」だけを避けるべしといっていたわけで、そうした当初の主張のままなら、「距離の確保」だけをことさら強調するのは、論理的整合性を欠く、不誠実な主張だと言うこともできるでしょう。 いずれにしても、 交通事業者も飲食店も、工夫をすれば、「距離の確保」は必須ではなくなり、したがって、収益激減のリスクを回避することが可能なのに、専門家委員会提言では、それが「不可能」となってしまうのです。 さらには、食事について「大皿は避けて料理は個々に/対面ではなく横並びで座ろう/料理に集中 おしゃべりは控えめに」などと書かれていますが、こういう配慮は、 「外食時」は、ということで十分だと思います。 夫婦同士や恋人同士の食事の時、ある程度は注意するとしても、他人と同じ水準で注意していては基本的な人間関係が壊れてしまいます。 つまり、この 提言は社会生活に対する配慮が不足しているのです。 ・・・ この様に、専門家会議の「新しい行動様式」には、 第一に、項目が多すぎで、誰も守れない。 第二に、感染防止のために最も重要な諸事項が書かれていない。 第三に、感染防止のために「無駄」なのに経済社会に「被害」を与える項目が多い。 といういずれをとっても深刻この上ない問題が三つもあるのです。 したがって、筆者は、この提案は即刻取り下げ、新たなものを再提案すべきだと考えます。 そして、筆者は、次のようなシンプルな 「出口戦略」で十分だと考えます。 なぜそういう風に作ることができたのかというと、この提案は、京都大学レジリエンス実践ユニットの ウイルス学や 社会心理学、 防災学の専門家らと議論を重ねた上で、 可能な限り無駄を省きつつ、わかりやすさ覚えやすさ実施しやすさに配慮し、感染防止の点から最も効果的な項目に絞り込んだものだからです。 だから、この「半自粛のススメ」にそって、緊急事態を徐々に解除していけば、 高齢者等を保護して医療崩壊を回避しつつ、 食事(とりわけ飲み会等)に注意して 「飛沫感染」を防ぎ、 目鼻口を触らないようにして 「接触感染」を防ぎ、 換気を徹底することで 「空気感染」(厳密にはエアロゾル感染)を防ぐ、 ということが、効率的、効果的に可能となるのです。 逆に言うなら、 この3つさえ注意しておけば、接触機会を8割減なぞということをせずとも、「感染機会」を8割以上減らし、感染リスクを0に近づけることが可能となるのです。 政府、与党には是非、「専門家会議」の提案では無く、この京大レジリエンス実践ユニットの 「半自粛のススメ」を採用いただきたいと思っています。 さもなければ、「専門家会議」の提案のままでは、感染は拡大し、経済も社会も傷付くことは避けられないと、心底危惧しています。 是非とも、国民の皆様からも、政府にご提案、ご推挙頂けると有り難く存じます。 何卒よろしくお願いします。 追申: 政府の専門家会議系の議論は、深刻な問題が様々にあります。 下記も是非、ご一読ください。 『北大西浦教授の「8割おじさん戦略」は、批判的に徹底検証されねばならない。 しかも、やはり密室に籠って事実を見ていないのかな? 医学だけで完結するならば、それでよかったかもしれません。 しかしこれは社会全体にすら影響を与えるもの。 いろんなファクターを考えなければならないのに、それらは全て無視。 なにせ医学者や疫学者しかいないのですから。 初夏に入ってなお、鬼と誤謬と流行病の嘲笑う声がやまない。 その点、京都大学が出した防疫方針はとてもシンプルで、簡単に小学生にも解説できます。 そして理にかなっています。 「新しい生活様式」は正直守れそうにないです。 長すぎるし、どこかで必ず失念します。 京都大学のそれでもそのリスクはあるかもしれませんが、守るべきことが多くても7点 手洗い、うがい、咳エチケット、宴会の自粛、鼻と口に触らない、換気、高齢者・基礎疾患者・妊婦の自粛 なので、専門家会議のそれよりもずっと守りやすいでしょう。 ぜひ、SNSとかでも拡散してしまいませ。 >「専門化会議」の提案 「ありとあらゆる政策」だと豪語する日本政府のわりには、 営利学者の ありとあらゆるややこしい無思考な言葉の羅列と、 ありとあらゆるややこしい非日常茶飯事的な指示、 を支持する 最低最悪なる日本政府。 わしゃ敵わんよっ!オロローン!オロローン! 「バケツ持って廊下に立ってろーっ!」ちゅーんじゃっ! 需要減少を留める政府支出と医療供給力破壊を留め患者数対応可能にする技術の政府投資支出、ワクチン開発政府投資支出にありとあらゆる財力を掛けろっちゅーんじゃっ! このっ!馬鹿垂れがーっ! 消費税制でバケツの穴から水が大量に流れ消えてる時に、早く政府支出の水をありとあらゆるところから注ぎ込めっちゅーんじゃ! ここまで来たなら議論の余地があるかーっ! ヒトラーの目的じゃなくて、手段を見習えっちゅーんじゃっ! 疫病と蝗害 コロナに対する 模範解答は 示されました が、、、 今度は 食糧危機に対する 模範解答が求められる かと、、 >FAOのサイトによると、2020年5月4日現在、サバクトビバッタは、西はケニア・エチオピア・ソマリア・エリトリア・スーダンまで、アラビア諸国ではイエメン・サウジアラビア・イラク・オマーン・UAEにその発生を拡散した。 スワームはイラン南部からパキスタンへと広がり、東の最前線はパキスタン-インドの国境地帯である。 そして春に繁殖したスワームは6月のあいだいくつもの波となって押し寄せるとFAOは予測する。 < とのこと マスクや トイレットペーパーの次は 食糧の 奪い合いかな 自粛要請のあとは 断食要請 ですか?? あっ そうか 食糧はいくらでも お金さえ出せば 輸入可能でしたね。。。 幼少時、親からの「躾」でよくネ? プラス宴会 カラオケなど 自粛…で。 日本は疫病に鈍感では無いよ。 疫病対策がすべて生活様式に組み込まれている た のに。 それを忘れた現代人… それはともかく、私が警戒してるのは「ベーシックインカム」です! 最近MMT推進派が主張していますが、理論的にはフリードマンと同じです。 つまり国家の家畜ではなく資本の家畜になれと。 私はこのコロナ騒動で、つくずく感じる事は国家と国民、それと需要と供給の関係性です。 「政府の負債は、国民の資産」国家で見ればトントンです。 当たり前です。 政府と国民は同じであり一つの中で負債と資産が共存しているのです。 なので国家さえ揺るがなければどうにでもなります。 需要と供給も同じです。 「働かざる者食うべからず」と言う言葉が有るように、「働くから物が食える」「物が食えるから働ける」 つまり、一人の中で2つの事をバランスよく考える事ができる訳です。 では、国家が無く、政府と国民、供給と需要を分ける社会が出来ればどうなるでしょうか。 国家が無く政府と国民を分ける社会は今の日本の姿そのものです。 政府が国民を私物化するように、国民の声を聞かず、己だけの一つの考えで動こうとする。 つまり「政府の負債」しか見ず、国民の資産は他人の資産と考えるでしょう。 では、本来一人の中で2つ 需要供給 のバランスをとって生きてきた生命体が供給側と需要側を分ければ、どの様な社会になるのでしょうか… その社会で生きている生命体は存在します。 家畜です… 最後に「供給能力が上がれば」と言いますが、その「供給能力」に莫大な資本が集中し、大きな権力が生まれることをお忘れなく。

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