友 が みな 我 より えらく 見える 日 よ。 友がみな われよりえらく 見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ

友がみな我よりえらく見える日は

友 が みな 我 より えらく 見える 日 よ

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ 作歌1910年(明43)10月13日夜。 初出『一握の砂』。 木股知史氏がこの歌の簡潔な評釈史を書いておられます(木股知史・藤沢全・山田吉郎『一握の砂/黄昏に・収穫 和歌文学大系77』〈明治書院、2004年〉の「一握の砂」補注七)。 矢代東村・渡辺順三・橋本威・岩城之徳・今井泰子・本林勝夫・太田登・寺山修司の評釈そして与謝野鉄幹の詩人意識までを引いての考察は重厚です。 これらを踏まえた氏ご自身の評釈は以下のようです。 立身出世を基本倫理とした明治社会で、友はみなそれぞれしかるべき地位を得ているように見える日、自分はそうした軌道からはずれた生き方をしているが、花を買ってきて妻と親身な会話をかわす。 敗残の気持ちを妻によって慰撫するととらずに、世俗的栄達よりも、妻との親和という日常のほうが価値があるという思想の表明の歌と理解したい。 まず事実の問題から行きますが、啄木の友で立身出世した者はまだいません。 盛岡中学時代の友人は「友はみな或日四方に散り行きぬ/その後八年/名挙げしもなし」(103ページ左)と啄木自身が歌っているとおりです。 北海道の友は「こころざし得ぬ人人」(176ページ右)ばかり。 考えられるとすれば文学上の「友(特に作家)」ですが、それはどうか。 当時の啄木は短歌に関しては自信をもっていました。 与謝野晶子、前田夕暮、若山牧水、吉井勇、北原白秋、土岐哀歌等々を評価し彼らからよい影響も受けていますが、かれらが自分より「えらく見ゆる日」など考えられません。 ただひとり詩人としての白秋には一目置いていましたが。 啄木がこの時期に 敵わないと認めるのは小説家だけです。 しかし「明治四十四年当用日記補遺」に明治43年の事として次のように書いています。 文学的交友に於ては、予はこの年も前年と同じく殆ど孤立の地位を守りたり。 一はその必要を感ぜざりしにより、一は時間に乏しかりしによる。 これで見ると(この時期にはほとんどいない)作家の友人たちでもないでしょう。 こうして「友がみな」消えてしまいました! では「友がみなわれよりえらく見ゆる」とはどういう事か、という問題があらためて浮上して来ます。 村上悦也さんの労作に『石川啄木全歌集総索引』(笠間書院)があります。 助詞の「の」や「を」を含む全語彙の索引があります。 『一握の砂』『悲しき玩具』を研究する上で非常に有用な本です。 今「友」を検索すると58箇所に出てくることが分かりました。 これらを参考に啄木の「友」の概念を抽出すると「縁あって浅からぬ関係をもっている(あるいはもった)ほぼ対等の立場の人」となります。 師弟関係での師や職場で上下関係にある上司は含みません。 もっとも小樽日報社で啄木が社から追い出した主筆の岩泉江東や啄木を殴って啄木を社から追い出した事務長小林寅吉のことは「友」と呼んでいます(187、192ページ)。 こうなると掲出歌の「友」は職場の同僚、遊びに来たあるいは音信のある渋民盛岡時代・北海道時代の友、東京の文学仲間などみんなということになります。

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友がみな我よりえらく見える日は

友 が みな 我 より えらく 見える 日 よ

以前の読書記録に書いた、『友がみな 我より えらく 見える日は』(上原隆:幻冬社アウトロー文庫)から、「うつ病」という章をとりあげます。 登場するのは28歳・男・元看護学校の学生。 1989年当時の話ですから現在とは事情が異なるところもあるかもしれませんが、150人の学生のうち男は彼一人だった、というところから彼の苦しみがはじまります。 同級生から変人扱いされていた彼は、「挨拶を返してもらえない」「廊下ですれ違うときよけられた」「実習では一人だけ人形を相手にしなければならなかった」などの特別扱いを受けています。 しかし当初はまったく意に介してない風で、高校以来の「人の体を癒す仕事につく」という夢のために通学を続けます。 ある日の実習で、彼は「動悸がして、胸が痛く、息苦しい」という症状を自覚します。 ついに学校を休み、家に閉じこもる生活を送るようになりました。 先生に相談すると、精神科に行くことを勧められます。 精神科医は「うつ状態ってかいとくで」といって診断書を作成し、もって休学することになりました。 自宅で療養することを余儀なくされていたある日、高校の同級生が訪ねてきてくれました。 話を聞いてもらっているうちに、彼は彼を追い詰めていた原因が「性差」にあると結論付けます。 級友が異性であること、彼女らとうまくコミュニケーションが取れないことが抑圧になっていたのだろうと。 うつ状態は3月に終わり、なんとか登校できるようになった彼は、留年を決意します。 幸いひとつ下の学年は明るく暖かい雰囲気のクラスを作っていたようで、彼も卒業できる、という期待を持ちます。 にもかかわらずやはり去年と同じ症状が出ました。 『一回目のときはね、環境がたまたま悪くて、うつ状態になったっていう自分の了解があったんだけど、二度目のときは、環境もよく、うまいこといってるのになったということは、これはもう、自分の持ってる性質に問題はあるのんやっていうふうに根拠付けないとね。 それしか考えられない。 』 退学した彼は、現在精神薄弱者の施設で指導員をしています。 と、これが概略なんですけどね。 ここだけ見れば、なんというか、「よくある話」なんですよ。 この作家の書くものはすべて「よくある話」なんですが。 でも「よくある話」だからこそ読者は自分の事柄を投影してしまう。 珠玉の言葉。 看護士になることに挫折した彼は、 『看護士にはなれなかったけど、自分がいることで、人を癒せるような人間でありたいっていう思いはずーっと持ってるし、なんらかの形で持続していると思っています』と、現在の自分について語る。 作者はそんな彼を、 『生きる姿勢においては挫折していない』と表現しています。 裏を返せば、目標においては挫折した、ということを承認した上での評価です。 とても厳しい。 厳しいが、その厳しさは作者の視線の厳しさではなくて、「生きる」という大仕事自体に内在する厳しさ、と言えるかもしれません。 彼は弱音をはかない人なんですね。 自分の苦境を人のせいにしない。 責任を転嫁しない。 そのぶん、もしかしたら人生の厳しさをまともに、真正面から受けてしまう人でもあるのかもしれません。 『納得の仕方はね、僕の中では、病気に勝てない。 自分のやりたいことやって病気になるんやから、病気には勝てないなんです。 』 『(また新しいことを始めようとするときに挫折するんじゃないかと)思いますね。 そやから、自分に過剰な期待は抱かないようにしてます。 』 彼は、厳しさから逃げ出すすべを知らなかった。 その代わりに得たのが、上の言葉にもある、一種の「諦観」なんでしょう。 僕はどうしても比較してしまう。 彼と、「ある種の人々」とを。 勝手に自らを弱者と規定し、もって被害者意識に束縛され、その反面に規定される強者ないし加害者に対する攻撃をもっぱらとする人々。 勝手に作り上げた弱者像にかわいそうな自分をあてはめ、存在するかどうかもわからない強い敵に立ち向かうことでカタルシスを得てはいるが、彼ら彼女らの言う弱者強者はもとより実証不可能なゴーストであるから、彼らの闘争もおのずと空理空論のシャドウボクシングにならざるを得ないだろう。 当然敵」からの手ごたえは無く、また人生を真摯に生きる人からはただ白眼視されるのみで親身な批判も忠告も得られず、とどのつまりぶつかる壁を失った彼らは無限に自我を拡大することを止められなくなるはずだ。 「私」のことばが即ち「市民全体」の言葉となってしまうように。 「市民」のかわりに「女性」や「地球環境」を代入してもよい。 全く心に響かない、没個性のアジテーション。 「私」は私であって、どのようにも一般化されないはずだ。 私を構成する要素は無限に細分化されるはずで、その些細な要素のどれを取り除いても精確な「私」ではなくなるはずだ。 社会学や心理学で行われる一般化は、共通する要素にだけ着目したもの、逆に言えば共通しない要素は常に捨象されるのであって、集団を総括することはできても、その総括は集団を構成する「私」には決して還元されないという一方通行の論路だ。 主人公の言葉。 『ぼくが看護から挫折したこと、これを切り捨てるのではなく、ぼくの大切な経験として、ぼくの底流としてこだわり続けたい。 この経験が無かったらぼくがぼくでなくなるからだ。 』 「よくある話」なのに心打たれるのは、彼の「私」が見えるからでしょう。 これはうつ病患者の体験談ではなく、ジェンダーマイノリティーの嘆きでもなく、弱者の訴えでもなく、どんなカテゴリにも属さない「彼」という「私」の人生だからです。 そうとすればこれは「よくある話」などではなく、この世で二つとない人生の話、というべきでした。

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石井政之 評 『友がみな我よりえらく見える日は』 上原隆著 【プロの読み手による 書評空間】

友 が みな 我 より えらく 見える 日 よ

afl. rakuten. rakuten. 1996年に出版された単行本の文庫版となります。 著者は、紹介文によると、ボブ・グリーン・タッチのルポを書き、 心にグッとくるエピソードを求め、京も東へ西へ、靴底を減ら しているそうです。 「ボブ・グリーン・タッチ」が何かは良く分かりません。 人生いろいろです。 今回はこの本を次のような視点で読んでみました。 忙しい方のために、結論を先に紹介します。 「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ」 というのが全文です。 30歳になりたての頃、友というより、周りの人間がみな、私 より偉く見えていたような気がします。 「みんななんて大人なんだろう。 仕事もできるし、しっかり生活 しているし。 それに比べて...」 ちょうど、仕事でかなり疲れていた時期で、1人目の子供ができて うれしかった反面、自分はこんな人間で良いのか?といったことを かすかながら考えていたような気がします。 現在はそんなことは全くなくて「他人は他人、自分は自分、あなた もすごいけど、私もすごい」と考えています。 したがって、周りの人がどんなに人間ができていても、たとえ 自分より年下の人が自分よりはるかに仕事ができても、何にも 思わなくなりました。 ただ一つのことを他人と比べれば、負ける部分もありますが、 自分の方がすごいと思える部分も必ずあります。 だから、自分と他人を比較しても何の意味もありません。 いろいろな人の人生のドラマが描かれています。 酒に酔って帰ってきて、アパートの自分の部屋の階数を間違え、 カギが開かないことに気が付き、過去に階段の横からベランダに 回って自分の部屋に入ったことを思い出し、同じようにベランダに 入ろうとしますが、5階から転落し目が見えなくなってしまった 家族のいない友人。 自分の親に「整形外科に行く?」と真剣に言われ、それから自分の 容貌に全く自信が持てなくなり、殻に閉じこもってしまい、仕事は しているけど孤独な女性。 普通の家庭をもっていたけど、いろいろあってホームレスになった 男性。 芥川賞を受賞したにもかかわらず、自分のやりたいように生きて きて、すべてのことを切り捨ててきた男性。 その他にも、様々なつらい人生を、それでも前向きに生きている 人たちのことが書かれています。 ビジネスで成功してお金をたくさん稼ぐ人。 ごく普通の家庭に生まれ、ごく普通の人間に成長し、ごく普通に 結婚し、ごく普通に死んでいく人。 仕事も人生も順調で、順調に昇進し、家もローンで購入、しかし 40代後半になって、会社の業績不振からリストラされ、借金を 抱えたまま、就職先もなく、家族とバラバラになり、ホームレス になってしまう人。 就職はしてみたものの、どうしても仕事が合わなくて、うつ病に なってしまい、何年も病院通いをしている人。 外国を見れば、我が子が餓死していくのをなすすべもなく見守る しかない人。 戦争やテロによって、自分の家族が殺されてしまい、一人になって しまった人。 人間は、楽な人生から、厳しい人生までいろいろな人生を生きて います。 スピリチュアルな見方ができれば、厳しい人生に対しても、前向き に生きていくことができるかもしれません。 しかし、ほとんどの人は、そういった見方ができません。 たとえ、「この厳しい現実も、生まれる前に自分で計画したものだ」 と認識したとしても、厳しい現実には変わりないのです。 厳しい人生を送りつつ、いろいろな人の講演会を聞いたり、人生の 勉強をしてみたり、宗教を勉強したりして、考え方を少しでも 変えることができた人は幸運なのかもしれないです。 人にはさまざまな人生があって、人それぞれに様々な学びがあって、 人生がいくらつらくても、とりあえず生きていくことができれば、 それで十分なのではないかと思います。 人間は10万回生まれ変わるそうなので、人生1回くらいつらく ても、いつか楽しく生きられる人生に出会えるのではないかと 思います。 この本は、端から見るとつらそうな人生だけど、「仕方ないよね」と 納得しながら少しだけ前向きに生きている人たちのことが書かれ ています。 他人と自分の人生を比べてもあまり意味はありませんが、本を 読んでいると、「自分の人生ってかなり幸せ」って思えてきます。 例によって、書評になってません(笑) 申し訳ないです。

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