八 男 っ て それは ない で しょう 打ち切り。 八男って、それはないでしょう!~もう一人の転生者~公式ウェブサイト

THE イナズマ戦隊 WABISABIの唄 歌詞

八 男 っ て それは ない で しょう 打ち切り

八部衆像のお話 今月は「八部衆像」について記述いたします。 八部衆は「天竜八部衆」、「龍神八部衆」 とも言われ八種の天部のことです。 八部衆は一般的には余り馴染みがないですが八部 衆の一神「阿修羅」と言えばああ「興福寺にある阿修羅像」を思い起こされる方も多いこ とでしょう。 天部はすべてインド古来の神で仏教世界から誕生したものではなく、バ ラモン教の神々が仏教に取り込まれて仏法の守護神となりました。 しかし、八部衆の 成立は、インドでは見当たりませんので中国で考案されたのではないかと言われてお ります。 八部衆は「釈迦如来」の「眷属 けんぞく 」として造像されておりましたが、平安以降 は八部衆の一部が「十一面観音」の眷属である「二十八部衆」として造像されることにな ります。 ですから、八部衆像は古代のみ造像されたことになります。 眷属とは主に複数で仏、菩薩に仕える尊のことです、釈迦如来といえば、脇侍は普 賢・文殊菩薩ですが眷属といえば八部衆と十大弟子です。 「法隆寺塔本四面具の釈迦 涅槃像」では脇侍である普賢・文殊菩薩それと眷属である八部衆、十大弟子ともに造 像されており価値が極めて高いものです。 主尊が活躍出来たのは脇侍、眷属が優れて いたからでしょう。 八部衆は釈迦如来と同じように早い時期にだんだんと造像されなくなります。 そこ で考えられることは、我が国で大乗仏教が盛んな主な理由は、出家者だけでなく在家 の者でも現世利益が得られる仏が大乗仏教から誕生したことにあります。 それだけに、 一般の在家者にとって現世利益が期待できない釈迦如来と同じ八部衆は信仰の対象と ならなかったのでしょう。 当然、単独尊としても造像例は僅かなものです。 八部衆は「天」「龍」「夜叉」「乾闥婆 けんだつば 」「阿修羅」「迦楼羅 かるら 」「緊那羅 きんなら 」「摩睺羅迦 まごろか 」の八種の神のことですが仏名には異名があります。 例えば、興福寺の八部衆では天に「五部浄 ごぶじょう 」、龍に「沙羯羅 さから 」、夜 叉に「鳩槃荼 くばんだ 」、摩睺羅迦に「畢婆迦羅 ひばから 」を当てております。 興福寺の八部衆像は、江戸時代焼失した「西金堂」に安置されておりました。 その西 金堂は「光明皇后」が亡き母「橘三千代」の追福を祈って建立されたものであります。 西 金堂には釈迦三尊像を中心に梵天・帝釈天像、十大弟子像、八部衆像など数多くの尊 像が取り巻いていたらしいですが本尊、梵天、帝釈天像は存在いたしません。 現在残 っている十大弟子像、八部衆像の出来栄えから想像いたしますと本尊はさぞかし優れ た作品だったことでしょうにかえすがえすも残念なことです。 「釈迦涅槃像」は釈迦如来の、脇侍である普賢・文殊菩薩像それと眷属である八部衆 像と十大弟子像が揃っている異国情緒あふれる素晴らしい群像です。 静かにお見送りす る者、悲しみに堪えきれず身体を震わせうめく者、号泣する者などをパノラマ的に表現 しております。 涅槃像、医者像、阿修羅像など現存最古の遺構です。 こんな狭いスペー スに肩と肩が触れ合うほどこれだけ多くの像を並べたなあと感心いたします。 ただ惜し いことに、少し時期がずれて前列に並べられたとされる十大弟子像が少し大き過ぎるた め八部衆像は殆ど見えない状況となっております。 これは、当時の人が臨終の席にエキ ゾチックな八部衆が居る不思議な光景に違和感を覚え、その解決策として十大弟子像を 追加したのでしょうか?それとも、仏像はあくまで信仰の対象でありますので配列に気 を配る必要がなかったのでしょうか? 山岳の塑壁であるため伝え聞く広い空間に沙羅双樹が茂っていてその沙羅双樹の下で 釈迦は涅槃に入られたと言うイメージが沸いてこない懸念がありますが貴重な文化財で あることは間違いありません。 「 ナーガ」はコブラをイメージして考えられたのではないかといわれております。 それは、ナーガにはコブラのような頸にふくらみがあるからです。 ナーガの姿は「コ ブラ踊り」で分かりますように怒ると鎌首をもたげたコブラそのものだからです。 こ のコブラ踊りの姿は大きく見せて相手を威嚇するためでしょう。 コブラのようなナー ガと我々が知る龍とは全く違う種類の生き物です。 我が国の寺院には中国の龍はあっ てもインドのナーガは居りません。 ナーガは頭を7頭とか9頭で表現いたしますが次の「龍」の特徴は何一つ持ち合わせ ておりません。 次の写真のようにナーガの表現としては人身か仏にナーガの多頭を光背状にして付 けたものが多数らしいです。 カンボジアの王国の祖先はナーガであるといわれておりナーガは神格化されており ます。 山岳民族にとっては危険なコブラなどの毒蛇と背中合わせでの日常生活だけに 恐ろしい毒蛇を神と祭り上げて怒りを鎮めようと考えたのではないでしょうか。 「龍」とは中国、日本で見かける龍のことです。 ドラゴンは怪獣で悪役でありますが ナーガ、龍は前身はともかく霊獣として衆生に敬られております。 中国にはコブラが居らなかったのでナーガを中国の龍と勘違いして漢訳されたので はないでしょうか。 中国、我が国ではマムシはいても毒蛇のコブラは生存しなかった のでインドほど蛇に対する恐怖心はなかったことでしょう。 龍は釈迦が誕生のとき香水を掛けて清めたとか、釈迦が成道の際洪水に遭遇したの を守ったという、龍は釈迦にとっては大恩人ということで仏教と龍との繋がりがある のです。 龍はドラゴンのような巨大な怪獣ではなく巨大な蛇のようです。 特徴は頭に鹿の角 が2本、顔には眼光鋭い眼、長い耳と長い立派な口髭、背中には81枚の鱗、短い足は 4肢、爪は3〜5本、喉下には触れると怒りだす逆鱗があります。 蛇はその昔、4肢があったらしくそれが退化して今はありませんが龍には昔の4肢 の大蛇の面影であるのでしょうか。 これらの特徴はナーガには全然存在いたしません。 中国では龍は皇帝のシンボルであると同時に皇帝の守護神でもありました。 皇帝の 象徴である龍の特徴は五爪 青矢印 で特に五爪の龍は皇帝以外は使用禁止でした。 一 方、我が国では三爪の龍が多かったのは天皇のシンボルとして龍に興味がなかったか らでしょう。 その証に、年号には龍の語が一度も使われることはありませんでした。 もし、中国と同じように龍が天皇のシンボルとなれば五爪の龍が誕生していたことで しょう。 我が国でも寺院だけでなく庶民にも尊崇されました。 と申しますのも、稲作文化の 我が国では米作に多量の水を必要としたのであります。 そこで五穀豊穣を龍神に祈願 して雨乞いをしたのであります。 その点、龍は雲を呼び雨を降らす霊力があったから です。 前述のナーガも水の神です。 当時、公の雨乞いの儀式がいかに重要だったかは、 中国でも我が国でも雨乞いの儀式の役割は「皇帝」、「天皇」が担うものだったことから もわかします。 また逆に、龍神の機嫌を損なうと旱魃になると言う俗信もありました。 雨乞いの本尊の龍神 といえば「室生寺」が思い出されます。 間もなく紅葉の季節を迎 え紅葉の室生寺は一段と明るく映えることでしょう。 錦秋の澄み切った天空に飛翔す る龍の勇姿を想像しながら室生の里をお訪ねください。 刺青といえば龍の彫り物と決まったくらい人気がありましたのは龍の勇壮な姿に憧 れたからでしょう。 「四神」では龍は単体の神「青龍」でありますが蛇は亀との合体で始めて神の「玄武」と なります。 「十二支」で空想上の動物は龍 辰 のみでありますが社会の裏表を知り尽くした悪賢 い人を語るときに使う「海千山千」とは、蛇が大海で千年修行して「蚊龍 蚊 みずち 」 になりさらに千年深山で修行して龍に出世すると言うことです。 ですから、蛇から龍 に変身するのに、十二支では先に龍がきてその後に蛇が来ますので順序が逆になって おります。 蚊龍は鱗、四肢はありますが角はありません。 龍の先祖は蛇とはいえ「龍頭 蛇尾」と言われるように龍でないと駄目なようですね。 限られた僅かな人生を龍頭蛇尾 に終えることのないよう精進いたしましょう。 龍はドラゴンのように翼がなくても空中を飛ぶことが可能ですが東洋では翼で飛行 することを好まなかったようです。 ここで一つの疑問ですが、龍は天の一神であり、 その天が飛行できるのであれば「飛天」となる筈ですが。 古代の人は空中を飛んでいる龍の姿を虹と見なしたようであります。 龍は天に登ることが出来るので昔の人は竜巻の現象を見て、あれは龍の昇天である と考えそれで龍巻と呼称するようになったのです。 それは、いろんな物を持ち上げて いく巨大な力が発揮できるのは龍しか考えられずそれで龍巻 トルネード となったの でしょう。 トルネードと言えば野茂投手のトルネード投法が米の野球界で大きな旋風 を巻き起こしておりますことはご存知の通りです。 龍王の脳から宝珠 如意宝珠 が出たといわれております。 本来、龍王の生活の場所は海中にある龍宮城ですが我が国で龍宮城と言えば乙姫様 が居て男性にとってはパラダイスのイメージが強いです。 寺院の天井に水に関わりある龍が描かれるのは防火の守りとしてであり天井にはそ れ以外に蓮とか雲などの水に関係あるものを描きます。 天井も天の井水から命名され たとも言われております。 今年のセ・リーグの「龍虎の闘い」は「陸上の王は虎」に軍配が上がり、「水中の王は 龍」は今一歩及びませんでしたね。 「雲は龍に従い、風は虎に従う」と言われるように 今年の日本列島には多くの台風をはじめ政界 自民党圧勝 にも虎に従う強風が吹きま したね。 鳩槃荼像 興福寺 「 夜叉」とはサンクリット語のヤクシャを音写したも のです。 財宝と富をもたらす神でインドでは盛んな民間 信仰を集めたようです。 以前は傍若無人な態度の悪神だ ったのが仏教に取り入れられてから善神に変わりました。 「邪鬼」も夜叉の一族で「十二神将」も十二夜叉大将と言 われる通り夜叉一族であります。 興福寺では夜叉に「鳩槃荼」を当てております。 興福寺 の八部衆像では珍しく「鳩槃荼像」だけが焔髪で目を吊り 上げたいかつい顔の憤怒相で少しは恐ろしさが感じられ る像ですが、姿態は仏敵を威嚇できないほど痩身でこれ では仏敵も退散することはないでしょう。 奥さんである夜叉女 ヤクシー は半裸で魅力あふるる 官能的な姿ですがこのような表現が出来るのは開放的な インドならではでしょう。 この夜叉女と鳩槃荼像を並べ ると「美女と野獣」そのものでしょう。 阿修羅像 興福寺 阿修羅像 雲崗石窟第10窟 「 阿修羅」とはサンクリット語のアスラを音写した ものです。 六道の阿修羅道の主で衆生はこの六道の輪 廻から解脱することを願い精進したものであります。 「八部衆」は普通「沓」を履いているのに「板金剛」とい われるサンダルを履いております。 それと武装してい なければならないのに上半身は裸形 で「甲」を着けてお りません。 三面六臂 三つの顔と六本の手 の像ですが均整の取 れた姿となっております。 顔はつぶらな眼差しの童顔、 筋肉質の腕ではなくしなやかな細い腕、まるで美しい 少年少女の姿であります。 本像から闘いに明け暮れし た鬼神とは到底見えずどうしてこんなに優しく造られ たのでしょう。 荒ぶる悪神から善神に変身する瞬間を 表現したものでしょうか?その証がそっと手を合わせ た合掌でしょうか。 頭髪は今流行の茶髪というべき、珍しい金髪で髪筋 には細い金箔が貼ってあります。 近寄って確かめてく ださい。 像から受ける印象は日本人の感性にあってお り眺める人を虜にしております。 「脱活乾漆造」で像の内部は空洞のため、身長の割り に大変軽いこともありますが何度も火災に遭いながら も無事に運び出されたのはそれだけ尊崇されていたか らでしょう。 阿修羅像の第三手は何かを支えるポーズですが左右 の手で「雲崗石窟像」のように日輪、月輪を捧げ持って いたのではないでしょうか。 阿が省略されて修羅とも言われますが像名だけは言葉の響きを大切にする我が国で は使われません。 一方、阿が省略されたのが「修羅場」「修羅の巷」であります。 修羅場とは阿修羅と「帝釈天」との血で彩られて壮烈な決闘場面を表しますが常に戦 いをする暴れん坊の阿修羅を象徴しております。 この阿修羅と帝釈天との戦闘であり ますが、本像と並んで奈良の観光ポスターの常連は「東大寺三月堂の月光菩薩像」であ ります。 月光菩薩像は様式から判断すれば「帝釈天像」と考えられます。 あの貴婦人の ような月光菩薩とこの阿修羅が闘っても壮烈な場面修羅場とはならないでしょう。 両 像ともどうしてこんなに清らかに美しく造られたのでしょうか。 これらの神秘は永遠 の謎で誰もその謎解きは出来ない歴史のミステリーでしょう。 阿修羅は「邪鬼」より恐 ろしい姿でなければなりませんのに。 帝釈天といえば「男はつらいよ 」の柴又の帝釈天 が有名ですね。 貴乃花がこの阿修羅像に似ていると騒がれた時期がありましたが一日も早く阿修羅 像の如く多くの方に愛される貴乃花に戻り相撲界の刷新に尽力されることを願うばか りです。 時代は貴乃花を必要としておりますだけに現在の状況 2005 は惜しまれます。 巨石を運ぶY字型の「橇」を「修羅」といいますが阿修羅が帝釈天と闘ったという故 事からで「大石」を呉音で読むと「たいしゃく」となりこの大石を動かせるのは 阿 修羅 であると言うことから命名されたらしいです。 しかし、大阪府藤井寺市の古墳から発 掘された「木橇」は1500年前に使用されていたものでその頃、個人的に仏教を信仰され ていたのかも知れませんが公の仏教伝来以前であり、阿修羅という神は未知だったと 思われます。 それと、阿修羅が修羅と略されますのは仏教伝来より時間が経ってから のことです。 さらに、「大」の呉音読みは「だい」であって「大仏、大日如来、大黒天、 大徳寺」などであり、また、「石」は「温石 おんじゃく 」というようにジャクである筈 ですのに難しい話です。 迦楼羅像 興福寺 迦楼羅像 雲崗石窟第12窟 「 迦楼羅」 とはサンクリット語のガルダ、 ガルーダを 音写したものです。 空想上の巨大鳥で鳥類の王者と言わ れております。 鳥の様相で顔、尖った嘴、羽と足と爪が 鷲に似ていて識別しやすい姿です。 異国的な雰囲気です が何となく親しみがわいてくる像です。 全身が黄金で輝 いているので金翅鳥とも言われますが全身が鳥というの を雲崗石窟で見かけましたが我が国では人身鳥頭しか私 は不勉強なので知りません。 前述の「龍」を常食としており天敵と同じ仲間の八部衆 であるとは不思議な縁ですね。 この問題を解決し仲直り させたのが釈迦如来であります。 鳥の顔をしておりなんとなく天狗のイメージがありま す。 迦楼羅から天狗の一種である「烏天狗」が生まれたの ではないかといわれております。 烏天狗の容貌は鳥頭で 人身は山伏の格好をした姿、剣術に秀でていて「牛若丸」 に剣術指南をしたとされております。 「甲」は厚手で立派な割に体躯は痩身で「阿修羅像」と同 じく猛々しくないためガードマンらしくありません。 迦楼羅はインドネシア共和国の国鳥でしたが現在は 「ジャワクマタカ」と交代。 インドネシア国営航空会社、 ガルーダ・インドネシア航空は 名称変更せず営業を続け ております。 我が国には国章が存在しませんが迦楼羅は インドネシアとタイ国の国章で迦楼羅はそれだけ東南ア ジアでは崇拝されているということでしょう。

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雪ノ下陽乃「比企谷君ひゃっはろー」ギュー 八幡「やめて下さい」

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八部衆像のお話 今月は「八部衆像」について記述いたします。 八部衆は「天竜八部衆」、「龍神八部衆」 とも言われ八種の天部のことです。 八部衆は一般的には余り馴染みがないですが八部 衆の一神「阿修羅」と言えばああ「興福寺にある阿修羅像」を思い起こされる方も多いこ とでしょう。 天部はすべてインド古来の神で仏教世界から誕生したものではなく、バ ラモン教の神々が仏教に取り込まれて仏法の守護神となりました。 しかし、八部衆の 成立は、インドでは見当たりませんので中国で考案されたのではないかと言われてお ります。 八部衆は「釈迦如来」の「眷属 けんぞく 」として造像されておりましたが、平安以降 は八部衆の一部が「十一面観音」の眷属である「二十八部衆」として造像されることにな ります。 ですから、八部衆像は古代のみ造像されたことになります。 眷属とは主に複数で仏、菩薩に仕える尊のことです、釈迦如来といえば、脇侍は普 賢・文殊菩薩ですが眷属といえば八部衆と十大弟子です。 「法隆寺塔本四面具の釈迦 涅槃像」では脇侍である普賢・文殊菩薩それと眷属である八部衆、十大弟子ともに造 像されており価値が極めて高いものです。 主尊が活躍出来たのは脇侍、眷属が優れて いたからでしょう。 八部衆は釈迦如来と同じように早い時期にだんだんと造像されなくなります。 そこ で考えられることは、我が国で大乗仏教が盛んな主な理由は、出家者だけでなく在家 の者でも現世利益が得られる仏が大乗仏教から誕生したことにあります。 それだけに、 一般の在家者にとって現世利益が期待できない釈迦如来と同じ八部衆は信仰の対象と ならなかったのでしょう。 当然、単独尊としても造像例は僅かなものです。 八部衆は「天」「龍」「夜叉」「乾闥婆 けんだつば 」「阿修羅」「迦楼羅 かるら 」「緊那羅 きんなら 」「摩睺羅迦 まごろか 」の八種の神のことですが仏名には異名があります。 例えば、興福寺の八部衆では天に「五部浄 ごぶじょう 」、龍に「沙羯羅 さから 」、夜 叉に「鳩槃荼 くばんだ 」、摩睺羅迦に「畢婆迦羅 ひばから 」を当てております。 興福寺の八部衆像は、江戸時代焼失した「西金堂」に安置されておりました。 その西 金堂は「光明皇后」が亡き母「橘三千代」の追福を祈って建立されたものであります。 西 金堂には釈迦三尊像を中心に梵天・帝釈天像、十大弟子像、八部衆像など数多くの尊 像が取り巻いていたらしいですが本尊、梵天、帝釈天像は存在いたしません。 現在残 っている十大弟子像、八部衆像の出来栄えから想像いたしますと本尊はさぞかし優れ た作品だったことでしょうにかえすがえすも残念なことです。 「釈迦涅槃像」は釈迦如来の、脇侍である普賢・文殊菩薩像それと眷属である八部衆 像と十大弟子像が揃っている異国情緒あふれる素晴らしい群像です。 静かにお見送りす る者、悲しみに堪えきれず身体を震わせうめく者、号泣する者などをパノラマ的に表現 しております。 涅槃像、医者像、阿修羅像など現存最古の遺構です。 こんな狭いスペー スに肩と肩が触れ合うほどこれだけ多くの像を並べたなあと感心いたします。 ただ惜し いことに、少し時期がずれて前列に並べられたとされる十大弟子像が少し大き過ぎるた め八部衆像は殆ど見えない状況となっております。 これは、当時の人が臨終の席にエキ ゾチックな八部衆が居る不思議な光景に違和感を覚え、その解決策として十大弟子像を 追加したのでしょうか?それとも、仏像はあくまで信仰の対象でありますので配列に気 を配る必要がなかったのでしょうか? 山岳の塑壁であるため伝え聞く広い空間に沙羅双樹が茂っていてその沙羅双樹の下で 釈迦は涅槃に入られたと言うイメージが沸いてこない懸念がありますが貴重な文化財で あることは間違いありません。 「 ナーガ」はコブラをイメージして考えられたのではないかといわれております。 それは、ナーガにはコブラのような頸にふくらみがあるからです。 ナーガの姿は「コ ブラ踊り」で分かりますように怒ると鎌首をもたげたコブラそのものだからです。 こ のコブラ踊りの姿は大きく見せて相手を威嚇するためでしょう。 コブラのようなナー ガと我々が知る龍とは全く違う種類の生き物です。 我が国の寺院には中国の龍はあっ てもインドのナーガは居りません。 ナーガは頭を7頭とか9頭で表現いたしますが次の「龍」の特徴は何一つ持ち合わせ ておりません。 次の写真のようにナーガの表現としては人身か仏にナーガの多頭を光背状にして付 けたものが多数らしいです。 カンボジアの王国の祖先はナーガであるといわれておりナーガは神格化されており ます。 山岳民族にとっては危険なコブラなどの毒蛇と背中合わせでの日常生活だけに 恐ろしい毒蛇を神と祭り上げて怒りを鎮めようと考えたのではないでしょうか。 「龍」とは中国、日本で見かける龍のことです。 ドラゴンは怪獣で悪役でありますが ナーガ、龍は前身はともかく霊獣として衆生に敬られております。 中国にはコブラが居らなかったのでナーガを中国の龍と勘違いして漢訳されたので はないでしょうか。 中国、我が国ではマムシはいても毒蛇のコブラは生存しなかった のでインドほど蛇に対する恐怖心はなかったことでしょう。 龍は釈迦が誕生のとき香水を掛けて清めたとか、釈迦が成道の際洪水に遭遇したの を守ったという、龍は釈迦にとっては大恩人ということで仏教と龍との繋がりがある のです。 龍はドラゴンのような巨大な怪獣ではなく巨大な蛇のようです。 特徴は頭に鹿の角 が2本、顔には眼光鋭い眼、長い耳と長い立派な口髭、背中には81枚の鱗、短い足は 4肢、爪は3〜5本、喉下には触れると怒りだす逆鱗があります。 蛇はその昔、4肢があったらしくそれが退化して今はありませんが龍には昔の4肢 の大蛇の面影であるのでしょうか。 これらの特徴はナーガには全然存在いたしません。 中国では龍は皇帝のシンボルであると同時に皇帝の守護神でもありました。 皇帝の 象徴である龍の特徴は五爪 青矢印 で特に五爪の龍は皇帝以外は使用禁止でした。 一 方、我が国では三爪の龍が多かったのは天皇のシンボルとして龍に興味がなかったか らでしょう。 その証に、年号には龍の語が一度も使われることはありませんでした。 もし、中国と同じように龍が天皇のシンボルとなれば五爪の龍が誕生していたことで しょう。 我が国でも寺院だけでなく庶民にも尊崇されました。 と申しますのも、稲作文化の 我が国では米作に多量の水を必要としたのであります。 そこで五穀豊穣を龍神に祈願 して雨乞いをしたのであります。 その点、龍は雲を呼び雨を降らす霊力があったから です。 前述のナーガも水の神です。 当時、公の雨乞いの儀式がいかに重要だったかは、 中国でも我が国でも雨乞いの儀式の役割は「皇帝」、「天皇」が担うものだったことから もわかします。 また逆に、龍神の機嫌を損なうと旱魃になると言う俗信もありました。 雨乞いの本尊の龍神 といえば「室生寺」が思い出されます。 間もなく紅葉の季節を迎 え紅葉の室生寺は一段と明るく映えることでしょう。 錦秋の澄み切った天空に飛翔す る龍の勇姿を想像しながら室生の里をお訪ねください。 刺青といえば龍の彫り物と決まったくらい人気がありましたのは龍の勇壮な姿に憧 れたからでしょう。 「四神」では龍は単体の神「青龍」でありますが蛇は亀との合体で始めて神の「玄武」と なります。 「十二支」で空想上の動物は龍 辰 のみでありますが社会の裏表を知り尽くした悪賢 い人を語るときに使う「海千山千」とは、蛇が大海で千年修行して「蚊龍 蚊 みずち 」 になりさらに千年深山で修行して龍に出世すると言うことです。 ですから、蛇から龍 に変身するのに、十二支では先に龍がきてその後に蛇が来ますので順序が逆になって おります。 蚊龍は鱗、四肢はありますが角はありません。 龍の先祖は蛇とはいえ「龍頭 蛇尾」と言われるように龍でないと駄目なようですね。 限られた僅かな人生を龍頭蛇尾 に終えることのないよう精進いたしましょう。 龍はドラゴンのように翼がなくても空中を飛ぶことが可能ですが東洋では翼で飛行 することを好まなかったようです。 ここで一つの疑問ですが、龍は天の一神であり、 その天が飛行できるのであれば「飛天」となる筈ですが。 古代の人は空中を飛んでいる龍の姿を虹と見なしたようであります。 龍は天に登ることが出来るので昔の人は竜巻の現象を見て、あれは龍の昇天である と考えそれで龍巻と呼称するようになったのです。 それは、いろんな物を持ち上げて いく巨大な力が発揮できるのは龍しか考えられずそれで龍巻 トルネード となったの でしょう。 トルネードと言えば野茂投手のトルネード投法が米の野球界で大きな旋風 を巻き起こしておりますことはご存知の通りです。 龍王の脳から宝珠 如意宝珠 が出たといわれております。 本来、龍王の生活の場所は海中にある龍宮城ですが我が国で龍宮城と言えば乙姫様 が居て男性にとってはパラダイスのイメージが強いです。 寺院の天井に水に関わりある龍が描かれるのは防火の守りとしてであり天井にはそ れ以外に蓮とか雲などの水に関係あるものを描きます。 天井も天の井水から命名され たとも言われております。 今年のセ・リーグの「龍虎の闘い」は「陸上の王は虎」に軍配が上がり、「水中の王は 龍」は今一歩及びませんでしたね。 「雲は龍に従い、風は虎に従う」と言われるように 今年の日本列島には多くの台風をはじめ政界 自民党圧勝 にも虎に従う強風が吹きま したね。 鳩槃荼像 興福寺 「 夜叉」とはサンクリット語のヤクシャを音写したも のです。 財宝と富をもたらす神でインドでは盛んな民間 信仰を集めたようです。 以前は傍若無人な態度の悪神だ ったのが仏教に取り入れられてから善神に変わりました。 「邪鬼」も夜叉の一族で「十二神将」も十二夜叉大将と言 われる通り夜叉一族であります。 興福寺では夜叉に「鳩槃荼」を当てております。 興福寺 の八部衆像では珍しく「鳩槃荼像」だけが焔髪で目を吊り 上げたいかつい顔の憤怒相で少しは恐ろしさが感じられ る像ですが、姿態は仏敵を威嚇できないほど痩身でこれ では仏敵も退散することはないでしょう。 奥さんである夜叉女 ヤクシー は半裸で魅力あふるる 官能的な姿ですがこのような表現が出来るのは開放的な インドならではでしょう。 この夜叉女と鳩槃荼像を並べ ると「美女と野獣」そのものでしょう。 阿修羅像 興福寺 阿修羅像 雲崗石窟第10窟 「 阿修羅」とはサンクリット語のアスラを音写した ものです。 六道の阿修羅道の主で衆生はこの六道の輪 廻から解脱することを願い精進したものであります。 「八部衆」は普通「沓」を履いているのに「板金剛」とい われるサンダルを履いております。 それと武装してい なければならないのに上半身は裸形 で「甲」を着けてお りません。 三面六臂 三つの顔と六本の手 の像ですが均整の取 れた姿となっております。 顔はつぶらな眼差しの童顔、 筋肉質の腕ではなくしなやかな細い腕、まるで美しい 少年少女の姿であります。 本像から闘いに明け暮れし た鬼神とは到底見えずどうしてこんなに優しく造られ たのでしょう。 荒ぶる悪神から善神に変身する瞬間を 表現したものでしょうか?その証がそっと手を合わせ た合掌でしょうか。 頭髪は今流行の茶髪というべき、珍しい金髪で髪筋 には細い金箔が貼ってあります。 近寄って確かめてく ださい。 像から受ける印象は日本人の感性にあってお り眺める人を虜にしております。 「脱活乾漆造」で像の内部は空洞のため、身長の割り に大変軽いこともありますが何度も火災に遭いながら も無事に運び出されたのはそれだけ尊崇されていたか らでしょう。 阿修羅像の第三手は何かを支えるポーズですが左右 の手で「雲崗石窟像」のように日輪、月輪を捧げ持って いたのではないでしょうか。 阿が省略されて修羅とも言われますが像名だけは言葉の響きを大切にする我が国で は使われません。 一方、阿が省略されたのが「修羅場」「修羅の巷」であります。 修羅場とは阿修羅と「帝釈天」との血で彩られて壮烈な決闘場面を表しますが常に戦 いをする暴れん坊の阿修羅を象徴しております。 この阿修羅と帝釈天との戦闘であり ますが、本像と並んで奈良の観光ポスターの常連は「東大寺三月堂の月光菩薩像」であ ります。 月光菩薩像は様式から判断すれば「帝釈天像」と考えられます。 あの貴婦人の ような月光菩薩とこの阿修羅が闘っても壮烈な場面修羅場とはならないでしょう。 両 像ともどうしてこんなに清らかに美しく造られたのでしょうか。 これらの神秘は永遠 の謎で誰もその謎解きは出来ない歴史のミステリーでしょう。 阿修羅は「邪鬼」より恐 ろしい姿でなければなりませんのに。 帝釈天といえば「男はつらいよ 」の柴又の帝釈天 が有名ですね。 貴乃花がこの阿修羅像に似ていると騒がれた時期がありましたが一日も早く阿修羅 像の如く多くの方に愛される貴乃花に戻り相撲界の刷新に尽力されることを願うばか りです。 時代は貴乃花を必要としておりますだけに現在の状況 2005 は惜しまれます。 巨石を運ぶY字型の「橇」を「修羅」といいますが阿修羅が帝釈天と闘ったという故 事からで「大石」を呉音で読むと「たいしゃく」となりこの大石を動かせるのは 阿 修羅 であると言うことから命名されたらしいです。 しかし、大阪府藤井寺市の古墳から発 掘された「木橇」は1500年前に使用されていたものでその頃、個人的に仏教を信仰され ていたのかも知れませんが公の仏教伝来以前であり、阿修羅という神は未知だったと 思われます。 それと、阿修羅が修羅と略されますのは仏教伝来より時間が経ってから のことです。 さらに、「大」の呉音読みは「だい」であって「大仏、大日如来、大黒天、 大徳寺」などであり、また、「石」は「温石 おんじゃく 」というようにジャクである筈 ですのに難しい話です。 迦楼羅像 興福寺 迦楼羅像 雲崗石窟第12窟 「 迦楼羅」 とはサンクリット語のガルダ、 ガルーダを 音写したものです。 空想上の巨大鳥で鳥類の王者と言わ れております。 鳥の様相で顔、尖った嘴、羽と足と爪が 鷲に似ていて識別しやすい姿です。 異国的な雰囲気です が何となく親しみがわいてくる像です。 全身が黄金で輝 いているので金翅鳥とも言われますが全身が鳥というの を雲崗石窟で見かけましたが我が国では人身鳥頭しか私 は不勉強なので知りません。 前述の「龍」を常食としており天敵と同じ仲間の八部衆 であるとは不思議な縁ですね。 この問題を解決し仲直り させたのが釈迦如来であります。 鳥の顔をしておりなんとなく天狗のイメージがありま す。 迦楼羅から天狗の一種である「烏天狗」が生まれたの ではないかといわれております。 烏天狗の容貌は鳥頭で 人身は山伏の格好をした姿、剣術に秀でていて「牛若丸」 に剣術指南をしたとされております。 「甲」は厚手で立派な割に体躯は痩身で「阿修羅像」と同 じく猛々しくないためガードマンらしくありません。 迦楼羅はインドネシア共和国の国鳥でしたが現在は 「ジャワクマタカ」と交代。 インドネシア国営航空会社、 ガルーダ・インドネシア航空は 名称変更せず営業を続け ております。 我が国には国章が存在しませんが迦楼羅は インドネシアとタイ国の国章で迦楼羅はそれだけ東南ア ジアでは崇拝されているということでしょう。

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八 男 っ て それは ない で しょう 打ち切り

原作は山崎朋子著『サンダカン八番娼館』。 脚本は広沢栄、監督は脚本も執筆している「朝やけの詩」の熊井啓、撮影は「ザ・ゴキブリ」の金宇満司がそれぞれ担当。 1974年製作/121分/日本 原題:Sandakan No. 8 配給:東宝 ストーリー 女性史研究家・三谷圭子は、今、ボルネオの北端にあるサンダカン市の近代的な街に感慨を込めて佇んでいる。 ここは、その昔、からゆきさんが住んでいた娼館の跡であり、サキが現在もそこにいるような錯覚すら覚えるのだった……。 圭子とサキの出会いは三年程前になる。 からゆきさんの実態を調べていた圭子は、天草を訪ねた時、身なりの貧しい小柄な老婆と偶然めぐりあった。 それがサキであった。 圭子は、サキがからゆきさんであった、との確信を強め、また、サキの優しい人柄にひきつけられ、波瀾に富んだであろう過去を聞き出すために、サキとの共同生活を始めた。 やがて、サキはその重い口を徐々に開いて、その過去を語り出した……。 サキの父は彼女が四歳の時に世を去り、母は父の兄と再婚した。 サキが十二歳の時、サンダカンで娼館を経営する太郎造はサキに外国行きをすすめ、前金三百円を渡した。 サキはその金を兄・矢須吉に送金し、人手に渡った畑を買い戻して幸福な生活をするように願い、村の仲間、ハナ、ユキヨと共にサンダカンへと発った。 当時のサンダカンは、英領北ボルネオにおける最大の港町で、日本人の経営する娼館が九軒あり、一番館、二番館と名づけられており、太郎造の店は八番館であった。 八番館に着いて一年後、サキは客を取るように言い渡された。 借金はいつの間にか二千円にふくれあがり、十三歳のサキにその借金の重みがズッシリとのしかかり、地獄のような生活が始った。 だが、そんな生活の中にもサキは、ゴム園で働いている竹内秀夫との間に芽生えた愛を大切に育てていった。 そしてある日、太郎造が急死し、女将のモトはサキたち四人を余三郎に売り渡した。 余三郎はサキたちをプノンペンへ連れて行こうとするが、新しく八番館の主人となったおキクの尽力で、サキとフミだけはサンダカンにとどまることになった。 おキクが主人となってからは、八番館は今までと違って天国のようだった。 そして秀夫との愛に酔いしれたサキだったが、ある日突然、秀夫はゴム園の娘との結婚を告げ、サキに別れを告げた。 サキの初恋は砂上の楼閣のように、もろくも崩れ去った。 数年を経て、おキクはひょっこり現われた余三郎との口論の最中倒れた。 おキクはサンダカンで死んだ日本人を弔うために共同墓地を作っていた。 おキクを葬ったサキは帰国したが、母は既に死に、兄の矢須吉もサキが外国帰りということで外聞を気にして避けるようになっていた。 天草はサキにとって、もはや故郷ではなくなっていた。 その後渡満したサキは結婚、男の子を生んだ。 だが戦争は夫も財産も奪った。 やがて帰国したサキは、息子と京都で暮すが、彼が二十歳を過ぎた頃、サキ一人で天草へ帰された。 結婚するにはからゆきさんの母親が邪魔になるのだろう……。 圭子とサキの生活は三週間続いた。 だが、村人は二人への疑惑を燃え上がらせた。 圭子がサキの実態を書けば村の醜聞が知れ渡るからだ。 圭子は取材を断念するとともに、自らの素姓を明かしてサキに詫びた。 だが、サキは圭子を慰め、温い愛情で勇気づけるのだった……。 そして今、圭子はジャングルの中でおキクや秀夫の墓を発見した。 望郷にかりたてられて死んでいった日本人たち。 だが、それらの墓は、祖国・日本に背を向けて立てられていた……。 強烈な映画でした、そして号泣しました 田中絹代でなけなればこの映画は成立しない、それほどのもの凄い演技でした 他の誰が演じても無理です、彼女でしかなし得ない恐るべき演技です 枯れ木のように細く軽い小さな体と浅黒く日焼けした肌と顔 そこにキラキラ光る瞳と笑ったときの得も言えない包容力 正に老境のおサキさんそのものです 彼女こそ稀代の名女優です そしてそれを清楚で上品な栗原小巻との対比をなすことで一層際立ているのです 高橋洋子も現代パートに負けない熱演でした また熊井啓監督の演出もものすごいものがあります 特におサキが初めて客を取らされたときに、彼女の顔に掛かる客の首にかけられたチェーンの先の細長い鍵のシーンには感嘆しました 強制された処女喪失の破瓜の痛みと悲しみに歪む顔、逃げ場のない鍵をされた部屋、男が首にかけたチェーンが顔に掛かる体位、男性器を暗喩する鍵の挙動 それらを一挙に映像で表現してしまうのです また天草の兄の家の風呂で顔を湯に浸け声を出さずに泣くシーンにも心が張り裂かれました 音楽はあのゴジラの伊福部昭で、独特の他にない土臭い強烈な音楽で突き抜けた悲しみを増幅させる力があります その他にもおサキさんという一人の女性に日本の近代化の軋みと歪みが見える構成と演出は見事という他にありません 終盤の主人公とおサキさんの別れでのタナカ絹代の号泣シーンには強烈な破壊力があり涙腺が崩壊しました エピローグの墓が日本に背を向けている 拒絶のように見えて、実はそれこそが血のでるような望郷の叫びだったのです.

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