キングダム ネタバレ 624。 キングダム624話ネタバレ!龐煖が信に王騎の姿を見る!|人の代表同士!

キングダム624話ネタバレ感想・考察

キングダム ネタバレ 624

龐煖 作画引用:原泰久先生 作 キングダム第620話 ) もう目が虚ろでイッてますね、我武の目がラリってます。 だんだん薬物中毒者に見えてきました。 さて、今回の李牧による回想談話によって、求道者としての龐煖のバックボーンが多少なりとも明らかになりましたが、これって結果的にどうなんでしょう? キングダム第623話を読んだ多くの読者様が、『そ、そうだったのか!? やっぱ我武って凄いやつだったんだ!? こんな強敵に果たして信は勝てるのだろうか?』といった武神アゲに繋がったのであれば、最終決戦の価値を高める助走回として、神 作者 の目論見としては大成功の第623話になったと思われます。 私個人としても、想像を絶する求道者の世界の精神性に驚嘆し、乱世の人民救済を目的とした崇高な目的価値を持ち合わせる求道者の誇気高き理想と、500年以上もそれらの道の実践を重ねてきた彼ら一族の強大さに恐怖し…、 これではもう、信たちでは絶対に武神に勝てないと...... なんて、思うワケねーだろ!! 敵の存在感のテコ入れに対して、彼の立場上としての求道者という部分にスポットが当てられたのは分かります。 そしてネタバレとしても、 主人公に対抗する敵キャラであればこそ、戦闘行為を以って対抗してくるなりに、 読者を引き付ける本物の動機がなければ、物語が成立しないというのもよく分かります。 キングダム鄴攻め編でそういった意味では、防衛という名目で趙なりの戦争目的を端的に表現しきったキャラクターは金毛さんは特に際立っていたよう思います。 】語られたわけですが…、 果たしてこれで、読者が龐煖の作品上の強さの根源を認識出来るに足る、説得力ある動機として、武神のバックボーンが成立していたかといえば、疑問の方が大きいです。 むしろ、『思った以上に、コイツ、バカじゃん!?』という印象しか与えていないように感じます。 私個人としても重ねて 『結局、我武個人の宗教活動じゃねえか!』という印象しか残りませんでした。 まあ、誤解を恐れた上で弁明すると、どんな宗教を信じるのはそれぞれ個人の勝手だけれど、その思いが表明されたトコロで、人が感動してくれるかは別だろうといったトコロです。 大半の読者ですら困惑していると思われる中で、李牧から、龐煖の正体を聞かされた趙のモブ将校たちは、果たしてコレで素直に喜んで、彼に朱海平原の結果の全てを委ねる気持ちになれるのでしょうか? 逆に 当事者である趙軍将校からみれば、逆に士気がダダ下がりする話を聞かされただけで…、 「もう帰ろうかな。 」とか思っている奴が出てきてもおかしくないと思われます。 李牧…、マジでカイネに龐煖との来歴なんか説明しないで、読者には脳内回想だけで説明して、味方には黙っていたほうが良かったんじゃないだろうか? ハラワタが出てしまったのか? 「臓物を引きずりながら、一人深山をさまよい…。 」 李牧がさらりとスゴイ事語っていますが、ホントに良く生き残ったなとしか驚かずにはいられません。 あるいは描かれなかったものの、武神の治療技術があまりに卓越していたのか? クソっ!?李牧のネタバレ解説でいろいろスッキリするハズだったのに、逆に謎が増えてしまったゼ…。 という感想が残ります。 既読の方にとっては分かるでしょうが、昔の李牧が自らを愚かだったと言うのは、読み切り作品『李牧』からの設定の通りですよね。 当時、軍師家ではなく、戦場を駆け巡るイチ武将として活躍していた李牧ですが、ある戦の大敗によって重傷を負い、倒れていたトコロで龐煖と出会います。 重傷と疲労の極みによって、意味不明に見える龐煖の語り掛けに、いちいちリアクションもとるワケにもいかず、一方的に「俺の道を答えに導け」といった趣旨のセリフで、後々にわたる約束を押し付けて、自分の名を告げていった龐煖ですが、そのおかげで李牧は何とか一命をとりとめます。 なるほど! イキナリ余談ですが、武将としての限界を知った後の李牧には、軍略家になる為の修行期間がどこかであったのかとは思っていましたが…、 恐らく彼は他の軍略家達とは違って、正式に軍略の勉強をして過ごしていたのではなく、 まさしく求道者と龐煖と言う存在そのモノを徹底的に研究することで軍略家に転身し、他では類を見ない功績を遺すことが出来たのだというコトがココで分かった気がします。 まさに19年前から龐煖をポケモン化するだけの素地があったのかと思うと、流石は李牧の恐るべき先見性です。 まあ、500年以上も同じ目的で活動してきた連中って、それだけでカナリ貴重な無形文化遺産だと思うのですが、よく目的を見失わずにやってこれたと驚愕できるのですが…、 それだけ時間が経ったら、同じ求道者同士で、考え方とか運営手法で意見の相違やら対立が発生して、内部から反目し合いって分裂、消滅しそうなモノなんですがね。 ましてや思想集団がスタートなら。 さて、民衆の救済をいう目的のもと集まった、彼らが出した答えについては、争いの世の中で〝道を捜しても〟答えはない。 という見解がしめされました。 そして、それらの現実を踏まえて彼らが出した結論は、 『人は皆、人を超える存在にならねばならぬ』という一点にたどり着き。 そこから、求道者たちが人の世の中を離れ、深山に姿を消して、各々が人を超えるための手段として、おのおのの求道者が〝道〟を捜しだしたのが始まりであるというコトが語られます。 先ずは、自分たちが民衆にロールモデルとして提示できるだけの存在として、人を超えた姿としての〝模範〟を示すために。 ネタバレ検証-理論の飛躍と破綻 まあ、ここまでは、それぞれの求道者たちが、好きにやってくれればイイよって話だったワケですが…、 この先の解説で、彼ら求道者たち独特の考えが李牧から表明されることによって、龐煖が猶更おかしな存在に変わっていくことが分かります。 何の因果関係かは分かりませんが、 求道者らは〝模〟として、誰か彼らの中の一人でも、奇跡の〝模〟を体現したら、それがきっかけで、人間全体に変化が発生して、皆が一斉に人間以上の存在になれる。 と考えていたコトが、李牧の口から語られます。 まあ、 まさか原先生がいくらガンダム好きだからといって、先進的に宇宙に飛び出た人間の中から誕生したニュータイプの登場が呼び水になって、人類の革新を得る的な…、 ジオン・ダイクン提唱のジオニズム的な社会進化の劣化コピー思想ではないよな…。 とは信じたいですが、ちょっとコレは心配です。 622話の時点で、信がけっこうマジになって龐煖に対して、『何なんだお前は!?』などと言って、真っ向から存在定義を問いただしに来ているので、第624話では何やら龐煖の口から直接、無駄に冗長に長い、意味不明な彼の武神の教義やらが語られてもな~…。 という気もしてくるからです。 読者に対する李牧の説明に加えられて、 途中まで、普通に話を聞いていたカイネやら他の趙軍将校たちも、ここから李牧の説明に驚いて、マジレスし始めます。 最早、 モブ将校の皆さんに至っては、リアクションに困っているようにしかみえません。 しかも、それが人々の世から争いを止め、苦しみの世界から完全に開放されると、本気で信じているとも語られます。 その事実に困惑と衝撃を受けた、カイネ達将校は、何故か左目だけから涙を流すという謎のリアクションを見せています。 この事実は、李牧の解説の声が届かい場所で、ホウケンと戦っている、戦闘当事者である信には、どのように伝わるのでしょうか? 王道で考えれば、信は倒した龐煖も思いをも背負い込んで、大将軍の道を歩むのでしょうか? 状況的に難しいかもしれませんが、上述の信の問い掛けに我武がキチンと答えるのかどうかも含めて、戦闘の最中に、ワザワザ自らの口を割ってまで、信に武神の道は人を救うためのモノであることなど、自分のポリシーを伝えられるか疑問が残ります。 キングダムネタバレ-龐煖の力の正体 キングダム本編の第15巻から第16巻にわたる我武と王騎将軍との戦闘、序盤から標的であう王騎の矛の衝撃をその身に受けてから、徐々に自らの強度を引き出していきました。 今回の623話までの信と我武の戦いは、李牧らを中心とした会話の背景に溶け込んでいたような様子であったため、詳しい序盤の戦闘描写が伴っていませんでしたし…、 せめて来週ぐらいからは、マトモにバトル入っていかなきゃ、だらだら李牧解説だけで、年内キングダムが終了しちゃう恐れも出てきます。 また、623話のラストシーンでは、常軌を逸した求道者龐煖の思い込みの強さが、とにかく常軌の逸したレベルであるという李牧の解説から語られ、なんとなく「そこまで全力で武神になろうとしていたヤツなんだよ。 」的な絵で締められていたので、王騎の矛を継承した信を目の当たりした龐煖が、過去の激情をより思い起こして、さら強力になっていく様が描かれるかもしれません。 また、李牧としても単純にこの時点で戦術や作戦の類を出しきっている状況であるコトを考えれば…、 彼がここでまったく慌てずに、戦闘を様子を見守っている理由は、まさしく龐煖の実力は、信を上回っているとの見立てがあるからこそだと思われます。 ネタバレ検証-武神の実情 また、武神本人が胡漸副長や羌瘣からのダメージを負っていたとしても、この点、ラストバトル補正が掛かることは間違いないでしょう。 むしろ何故かノーダメージに見えるのは、何かクスリでもやってるからでしょうか? もう、李牧に言わせれば、連中が全てをかけて戦っていると言ってしまえば、求道者たちが作った謎の増強剤やら謎の薬物投与で強化されたことも武神の強さだと認めてしまって、なんでもOKのように思えてなりません。 上記の想定はあくまでも一例ですが、キングダムの過去回で羌瘣の証言を参考にすれば、龐煖は求道者の一族とは言っても、一族同士の中のセクシャルプロセスで生まれ育ってきたワケではありません。 彼も羌瘣の知っている武神の実態に即して、人里にいる才能のある子供と認識されて、拉致の後に、強制的に洗脳されて、武神の技を継承させられてきたのであれば、ある意味、幼少期の政や蚩尤族の〝祭〟に出場させられる代表にも劣らない悲劇の下に、一人の武神が毎世代ごと作られてきたと考えることが出来ます…。 龐煖が武神として育ってきた過程を考えれば、例えば、前武神に拉致される時点で、それまで育ってきた村を破壊され、両親が目の前で惨殺されるぐらいの惨劇は十分想定されるでしょう。 また、前武神に才能を吟味されるぐらい、身体が成長した段階で拉致されるのですから。 最初は頭もマトモだったかもしれません。 当初は健全な人間同士の愛着も知っている状態から心を漂白し、さらに再教育を施し、武神の業を伝えるだけでなく、李牧が623話で語った求道者の淵源的な存在意義を仕込み、他の人間に対しては、自分たちが救ってやらないとダメな下等な存在であるという、徹底した優越観念を植え付けていかなければ、ほぼ間違いなく求道者として成立しなかったと思われます。 上述のとおり、たまに私はキングダムをガンダムの世界観が投影されていないか?といった視点で作品を捉える時があるワケですが、 この点、龐煖は本編からの断片的な情報で存在の背後を捉えてみると、カナリ人為的かつ作為的なツギハギだらけの構成バックボーンが垣間見られる点でも、描きかたによっては、ホントは独特の悲劇性の裏付けのある強さを持ったキャラクターとして描ける余地があったのではないかとも考えられます。 な描かれ方をしている様に見えます。 キングダムネタバレ-李牧も既に狂っている。 武神の道の到達点。 それが龐煖の求道者としての目的地であると知って いる李牧が、かつては王騎将軍を標的にするべきであると誘導し、今戦では信こそがそうであると疎明しているワケですが…、 この点、 冷 静に考えてみると、論理破綻を起こしているのは求道者たちだけではありません。 李牧もカナリおかしな提案をしているコトがわかります。 それは李牧自身が、龐煖を代表例に示して『求道者は彼らの中の一人でも人を超え、神に等しい領域に立つとき、我々〝人〟は今と違う上の存在に変化し、争いを止め、苦しみの世から完全に開放されると、本気で信じているのです。 」という満足感を手に入れたとしましょう? しかし、その場合、答えとして武神の道の結果が信に対する勝利で終わったとしても、どの道人類の救済という最終目的も、龐煖以外の人類の為の人以上の存在への連鎖昇華も発生しないのですから、龐煖と李牧はその現実をどのように受け止めるつもりなのでしょうか?? もともと622話以前のように、龐煖が持つ信へのこだわりが、単に一人の武道家としての矜持によって、王騎に勝ち切るコトができなかったという悔恨に過ぎないのであれば、龐煖も信を倒して、李牧と「ハイさよなら。 」で良かったハズなのですが…、 623話で余計なテーマを龐煖に背負わせてしまったがために、 これでは龐煖が信を倒したあとも、彼に人類の昇華と救済を実現させるために、更なる強敵を求めて李牧は旅を続けることになってしまいます。 いや?そうでなくても、ただ単に…、 「あれ李牧?お前が指定した〝道の答え〟倒したのに、俺が人の超越者になったワケでも、他の人間が俺と同じになったワケでも、〝全ての人〟が苦しみから解放されたワケでもないぞ!李牧、俺を騙しやがって!」って話にしかならないと思います。 もしも李牧がマトモなのであれば、事後の武神の怒りの追及から、どうやって逃げるつもりなのでしょうか?この点、メチャクチャ気になります。 また逆に、求道者たちが論理破綻しているのは、今さら別にどうでもいいのですが、李牧まで、龐煖が信や王騎を倒せたら、世の中どうにかなると考えているのであれば問題です。 コレだと完全に、求道者のコトを調べていた放浪期間のウチに、すっかり李牧本人までが、求道者の年寄りに洗脳されてしまっていたとしか考えれません。 皆さんの予想やコメントもいただけると嬉しいです。 どうぞお気軽に。

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キングダム最新624話ネタバレ「人の代表」レビュー考察

キングダム ネタバレ 624

スポンサードリンク 今回は、2019年12月5日発売の週刊ヤングジャンプの掲載漫画『キングダム』の最新624話のネタバレ確定をご紹介していきます! 623話では李牧と龐煖(ほうけん)の出会いから始まり、龐煖は李牧を殺すのかと思いきや、李牧を「答えに導く者」と語り、その命を救うことになります。 そして李牧の口からは、龐煖が人の代表であることの意味が語られましたね。 そして求道者は自分たちが人を越える模を示すことで、人間全体にも変化が起こり、みんなが一斉に上の存在に昇ることを信じていることが語られました。 また求道者は様々な方法で神に近い領域に立とうとしていますが、龐煖は武神になることを目指している存在として描かれています。 この李牧の話の最中にも龐煖と信の戦いは続いていましたが、 それでは2019年12月5日発売の週刊ヤングジャンプの掲載漫画『キングダム』の最新624話のネタバレ確定をご紹介していきます。 最後までお楽しみください! スポンサードリンク キングダムネタバレ最新624話確定『信は龐煖に押され気味?!』 信と龐煖の一騎打ちの続きが?! 龐煖に怒る信の姿。 ついに一騎打ちが始まるんだろうな。 武神を志し、人の救済を目標とする龐煖(ほうけん)。 そんな龐煖の矛の一振りが信を襲います。 その一撃を王騎の矛で受け止めながらも、遠くまで弾き飛ばされる信! しかしそれでも信は龐煖に立ち向かっていきますが、勝負は信が押され気味のままに進んで行きます。 龐煖の矛が信の胴体に食い込む? 連戦による疲労によって、龐煖の攻撃に反応できないことが出てくることになります。 ここまで龐煖は羌瘣(きょうかい)に指を切断されたものの、大きなダメージを受けることなく、疲労の色を見せることなく戦いを始めています。 一方の信は、15日目にまで至った朱海平原の戦いで趙峩龍を倒す功績を上げましたが、そのために体が重たくなっていましたね。 疲労感、怪我などからも信にとって不利な状況はできていましたが、龐煖と信では体のサイズも違います。 羌瘣もかなり龐煖と良い勝負を演じていましたが、足をつかまれて地面に叩きつけられる結果になったのは、体のサイズがものを言ったと思います。 同じぐらいの体のサイズであれば、羌瘣も良い勝負を演じることができたとは思いますが・・・ そのことはともかくとして疲労の色の濃い信は、龐煖からの攻撃を王騎の矛で食い止めることができず、龐煖の一撃が信の胴体に入ってしまうことになります。 スポンサードリンク キングダムネタバレ最新624話確定『信もまた人の代表?!』 倒れても立ち上がれるのはなぜか? 龐煖(ほうけん)の求める道は険しくもあり、しかし叶わない道でもあるから、その点でどこか切なく感じてしまうのかもしれませんね。 またこの道しかないと思い込んでしまっている状態で、なんだか苦しそうにも思えます。 龐煖の強烈な一撃が信の胴体に入っても、なおも信は立ち上がってくるのです。 信の不屈の闘志に周囲で見守っている人々の心には疑問が湧いてきます。 しかし李牧だけはその理由を知っています。 過去の激戦がそうさせるのか、究極の知略型の武将でもある李牧は深い見識を持っています。 そして信もまた人の代表であるために、限界まで立ち上がることができることを李牧は見抜いていました。 人の代表は山にこもって個で修行に明け暮れ、武神を目指す龐煖のような形もあり。 または戦場に身を置きながら、人とのつながりの中で心の力を育んで天下の大将軍を目指す信のような形もあり。 一方で文官であれば、文官ならではの方法で人の代表という域まで上り詰める人物が、今後描かれるのかもしれません。 龐煖は信に王騎を見た?! 限界を通り越したはずの信でしたが、しかし龐煖に向かって信は王騎の矛を振りかざします。 龐煖もしっかりと守りますが、そこから信は力任せに龐煖の矛を押し込んでいきます。 その信の力強さに龐煖は王騎将軍の幻影を見ますが、信に王騎を感じた龐煖は怖さなのか怒りなのか、雄たけびを上げて信をメッタ打ちにしていくことになります。 しかし龐煖からそれほどの攻撃を受けた信は、そこからまた立ち上がっていきますが、そんな信の姿に龐煖は思わず信に語り掛けます。 なぜそこまで立ち上がれるのか? 一体何を目指すものなのか? スポンサードリンク 『キングダム ネタバレ 最新 624話 確定』まとめ 龐煖(ほうけん)が信に力負けした場面。 この時の龐煖は藨公(ひょうこう)に左腕をやられて片腕にしか力が入らない状態でした。 この夢はあの漂とも交わしていた約束でもありましたし、思えば信は漂の思いから背負い続けてきています。 個での「人の代表」が龐煖であるなら、信は戦場や組織という人の繋がりの中で生きる「人の代表」なのかもしれませんね。 ここから限界を超えた信が一段階また覚醒するのか? はたまた龐煖に信は倒されてしまうのか? 今後の展開も興味が尽きませんが、以上キングダム最新624話のネタバレ確定のご紹介でした!.

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最新ネタバレ『キングダム』624

キングダム ネタバレ 624

龐煖 作画引用:原泰久先生 作 キングダム第620話 ) もう目が虚ろでイッてますね、我武の目がラリってます。 だんだん薬物中毒者に見えてきました。 さて、今回の李牧による回想談話によって、求道者としての龐煖のバックボーンが多少なりとも明らかになりましたが、これって結果的にどうなんでしょう? キングダム第623話を読んだ多くの読者様が、『そ、そうだったのか!? やっぱ我武って凄いやつだったんだ!? こんな強敵に果たして信は勝てるのだろうか?』といった武神アゲに繋がったのであれば、最終決戦の価値を高める助走回として、神 作者 の目論見としては大成功の第623話になったと思われます。 私個人としても、想像を絶する求道者の世界の精神性に驚嘆し、乱世の人民救済を目的とした崇高な目的価値を持ち合わせる求道者の誇気高き理想と、500年以上もそれらの道の実践を重ねてきた彼ら一族の強大さに恐怖し…、 これではもう、信たちでは絶対に武神に勝てないと...... なんて、思うワケねーだろ!! 敵の存在感のテコ入れに対して、彼の立場上としての求道者という部分にスポットが当てられたのは分かります。 そしてネタバレとしても、 主人公に対抗する敵キャラであればこそ、戦闘行為を以って対抗してくるなりに、 読者を引き付ける本物の動機がなければ、物語が成立しないというのもよく分かります。 キングダム鄴攻め編でそういった意味では、防衛という名目で趙なりの戦争目的を端的に表現しきったキャラクターは金毛さんは特に際立っていたよう思います。 】語られたわけですが…、 果たしてこれで、読者が龐煖の作品上の強さの根源を認識出来るに足る、説得力ある動機として、武神のバックボーンが成立していたかといえば、疑問の方が大きいです。 むしろ、『思った以上に、コイツ、バカじゃん!?』という印象しか与えていないように感じます。 私個人としても重ねて 『結局、我武個人の宗教活動じゃねえか!』という印象しか残りませんでした。 まあ、誤解を恐れた上で弁明すると、どんな宗教を信じるのはそれぞれ個人の勝手だけれど、その思いが表明されたトコロで、人が感動してくれるかは別だろうといったトコロです。 大半の読者ですら困惑していると思われる中で、李牧から、龐煖の正体を聞かされた趙のモブ将校たちは、果たしてコレで素直に喜んで、彼に朱海平原の結果の全てを委ねる気持ちになれるのでしょうか? 逆に 当事者である趙軍将校からみれば、逆に士気がダダ下がりする話を聞かされただけで…、 「もう帰ろうかな。 」とか思っている奴が出てきてもおかしくないと思われます。 李牧…、マジでカイネに龐煖との来歴なんか説明しないで、読者には脳内回想だけで説明して、味方には黙っていたほうが良かったんじゃないだろうか? ハラワタが出てしまったのか? 「臓物を引きずりながら、一人深山をさまよい…。 」 李牧がさらりとスゴイ事語っていますが、ホントに良く生き残ったなとしか驚かずにはいられません。 あるいは描かれなかったものの、武神の治療技術があまりに卓越していたのか? クソっ!?李牧のネタバレ解説でいろいろスッキリするハズだったのに、逆に謎が増えてしまったゼ…。 という感想が残ります。 既読の方にとっては分かるでしょうが、昔の李牧が自らを愚かだったと言うのは、読み切り作品『李牧』からの設定の通りですよね。 当時、軍師家ではなく、戦場を駆け巡るイチ武将として活躍していた李牧ですが、ある戦の大敗によって重傷を負い、倒れていたトコロで龐煖と出会います。 重傷と疲労の極みによって、意味不明に見える龐煖の語り掛けに、いちいちリアクションもとるワケにもいかず、一方的に「俺の道を答えに導け」といった趣旨のセリフで、後々にわたる約束を押し付けて、自分の名を告げていった龐煖ですが、そのおかげで李牧は何とか一命をとりとめます。 なるほど! イキナリ余談ですが、武将としての限界を知った後の李牧には、軍略家になる為の修行期間がどこかであったのかとは思っていましたが…、 恐らく彼は他の軍略家達とは違って、正式に軍略の勉強をして過ごしていたのではなく、 まさしく求道者と龐煖と言う存在そのモノを徹底的に研究することで軍略家に転身し、他では類を見ない功績を遺すことが出来たのだというコトがココで分かった気がします。 まさに19年前から龐煖をポケモン化するだけの素地があったのかと思うと、流石は李牧の恐るべき先見性です。 まあ、500年以上も同じ目的で活動してきた連中って、それだけでカナリ貴重な無形文化遺産だと思うのですが、よく目的を見失わずにやってこれたと驚愕できるのですが…、 それだけ時間が経ったら、同じ求道者同士で、考え方とか運営手法で意見の相違やら対立が発生して、内部から反目し合いって分裂、消滅しそうなモノなんですがね。 ましてや思想集団がスタートなら。 さて、民衆の救済をいう目的のもと集まった、彼らが出した答えについては、争いの世の中で〝道を捜しても〟答えはない。 という見解がしめされました。 そして、それらの現実を踏まえて彼らが出した結論は、 『人は皆、人を超える存在にならねばならぬ』という一点にたどり着き。 そこから、求道者たちが人の世の中を離れ、深山に姿を消して、各々が人を超えるための手段として、おのおのの求道者が〝道〟を捜しだしたのが始まりであるというコトが語られます。 先ずは、自分たちが民衆にロールモデルとして提示できるだけの存在として、人を超えた姿としての〝模範〟を示すために。 ネタバレ検証-理論の飛躍と破綻 まあ、ここまでは、それぞれの求道者たちが、好きにやってくれればイイよって話だったワケですが…、 この先の解説で、彼ら求道者たち独特の考えが李牧から表明されることによって、龐煖が猶更おかしな存在に変わっていくことが分かります。 何の因果関係かは分かりませんが、 求道者らは〝模〟として、誰か彼らの中の一人でも、奇跡の〝模〟を体現したら、それがきっかけで、人間全体に変化が発生して、皆が一斉に人間以上の存在になれる。 と考えていたコトが、李牧の口から語られます。 まあ、 まさか原先生がいくらガンダム好きだからといって、先進的に宇宙に飛び出た人間の中から誕生したニュータイプの登場が呼び水になって、人類の革新を得る的な…、 ジオン・ダイクン提唱のジオニズム的な社会進化の劣化コピー思想ではないよな…。 とは信じたいですが、ちょっとコレは心配です。 622話の時点で、信がけっこうマジになって龐煖に対して、『何なんだお前は!?』などと言って、真っ向から存在定義を問いただしに来ているので、第624話では何やら龐煖の口から直接、無駄に冗長に長い、意味不明な彼の武神の教義やらが語られてもな~…。 という気もしてくるからです。 読者に対する李牧の説明に加えられて、 途中まで、普通に話を聞いていたカイネやら他の趙軍将校たちも、ここから李牧の説明に驚いて、マジレスし始めます。 最早、 モブ将校の皆さんに至っては、リアクションに困っているようにしかみえません。 しかも、それが人々の世から争いを止め、苦しみの世界から完全に開放されると、本気で信じているとも語られます。 その事実に困惑と衝撃を受けた、カイネ達将校は、何故か左目だけから涙を流すという謎のリアクションを見せています。 この事実は、李牧の解説の声が届かい場所で、ホウケンと戦っている、戦闘当事者である信には、どのように伝わるのでしょうか? 王道で考えれば、信は倒した龐煖も思いをも背負い込んで、大将軍の道を歩むのでしょうか? 状況的に難しいかもしれませんが、上述の信の問い掛けに我武がキチンと答えるのかどうかも含めて、戦闘の最中に、ワザワザ自らの口を割ってまで、信に武神の道は人を救うためのモノであることなど、自分のポリシーを伝えられるか疑問が残ります。 キングダムネタバレ-龐煖の力の正体 キングダム本編の第15巻から第16巻にわたる我武と王騎将軍との戦闘、序盤から標的であう王騎の矛の衝撃をその身に受けてから、徐々に自らの強度を引き出していきました。 今回の623話までの信と我武の戦いは、李牧らを中心とした会話の背景に溶け込んでいたような様子であったため、詳しい序盤の戦闘描写が伴っていませんでしたし…、 せめて来週ぐらいからは、マトモにバトル入っていかなきゃ、だらだら李牧解説だけで、年内キングダムが終了しちゃう恐れも出てきます。 また、623話のラストシーンでは、常軌を逸した求道者龐煖の思い込みの強さが、とにかく常軌の逸したレベルであるという李牧の解説から語られ、なんとなく「そこまで全力で武神になろうとしていたヤツなんだよ。 」的な絵で締められていたので、王騎の矛を継承した信を目の当たりした龐煖が、過去の激情をより思い起こして、さら強力になっていく様が描かれるかもしれません。 また、李牧としても単純にこの時点で戦術や作戦の類を出しきっている状況であるコトを考えれば…、 彼がここでまったく慌てずに、戦闘を様子を見守っている理由は、まさしく龐煖の実力は、信を上回っているとの見立てがあるからこそだと思われます。 ネタバレ検証-武神の実情 また、武神本人が胡漸副長や羌瘣からのダメージを負っていたとしても、この点、ラストバトル補正が掛かることは間違いないでしょう。 むしろ何故かノーダメージに見えるのは、何かクスリでもやってるからでしょうか? もう、李牧に言わせれば、連中が全てをかけて戦っていると言ってしまえば、求道者たちが作った謎の増強剤やら謎の薬物投与で強化されたことも武神の強さだと認めてしまって、なんでもOKのように思えてなりません。 上記の想定はあくまでも一例ですが、キングダムの過去回で羌瘣の証言を参考にすれば、龐煖は求道者の一族とは言っても、一族同士の中のセクシャルプロセスで生まれ育ってきたワケではありません。 彼も羌瘣の知っている武神の実態に即して、人里にいる才能のある子供と認識されて、拉致の後に、強制的に洗脳されて、武神の技を継承させられてきたのであれば、ある意味、幼少期の政や蚩尤族の〝祭〟に出場させられる代表にも劣らない悲劇の下に、一人の武神が毎世代ごと作られてきたと考えることが出来ます…。 龐煖が武神として育ってきた過程を考えれば、例えば、前武神に拉致される時点で、それまで育ってきた村を破壊され、両親が目の前で惨殺されるぐらいの惨劇は十分想定されるでしょう。 また、前武神に才能を吟味されるぐらい、身体が成長した段階で拉致されるのですから。 最初は頭もマトモだったかもしれません。 当初は健全な人間同士の愛着も知っている状態から心を漂白し、さらに再教育を施し、武神の業を伝えるだけでなく、李牧が623話で語った求道者の淵源的な存在意義を仕込み、他の人間に対しては、自分たちが救ってやらないとダメな下等な存在であるという、徹底した優越観念を植え付けていかなければ、ほぼ間違いなく求道者として成立しなかったと思われます。 上述のとおり、たまに私はキングダムをガンダムの世界観が投影されていないか?といった視点で作品を捉える時があるワケですが、 この点、龐煖は本編からの断片的な情報で存在の背後を捉えてみると、カナリ人為的かつ作為的なツギハギだらけの構成バックボーンが垣間見られる点でも、描きかたによっては、ホントは独特の悲劇性の裏付けのある強さを持ったキャラクターとして描ける余地があったのではないかとも考えられます。 な描かれ方をしている様に見えます。 キングダムネタバレ-李牧も既に狂っている。 武神の道の到達点。 それが龐煖の求道者としての目的地であると知って いる李牧が、かつては王騎将軍を標的にするべきであると誘導し、今戦では信こそがそうであると疎明しているワケですが…、 この点、 冷 静に考えてみると、論理破綻を起こしているのは求道者たちだけではありません。 李牧もカナリおかしな提案をしているコトがわかります。 それは李牧自身が、龐煖を代表例に示して『求道者は彼らの中の一人でも人を超え、神に等しい領域に立つとき、我々〝人〟は今と違う上の存在に変化し、争いを止め、苦しみの世から完全に開放されると、本気で信じているのです。 」という満足感を手に入れたとしましょう? しかし、その場合、答えとして武神の道の結果が信に対する勝利で終わったとしても、どの道人類の救済という最終目的も、龐煖以外の人類の為の人以上の存在への連鎖昇華も発生しないのですから、龐煖と李牧はその現実をどのように受け止めるつもりなのでしょうか?? もともと622話以前のように、龐煖が持つ信へのこだわりが、単に一人の武道家としての矜持によって、王騎に勝ち切るコトができなかったという悔恨に過ぎないのであれば、龐煖も信を倒して、李牧と「ハイさよなら。 」で良かったハズなのですが…、 623話で余計なテーマを龐煖に背負わせてしまったがために、 これでは龐煖が信を倒したあとも、彼に人類の昇華と救済を実現させるために、更なる強敵を求めて李牧は旅を続けることになってしまいます。 いや?そうでなくても、ただ単に…、 「あれ李牧?お前が指定した〝道の答え〟倒したのに、俺が人の超越者になったワケでも、他の人間が俺と同じになったワケでも、〝全ての人〟が苦しみから解放されたワケでもないぞ!李牧、俺を騙しやがって!」って話にしかならないと思います。 もしも李牧がマトモなのであれば、事後の武神の怒りの追及から、どうやって逃げるつもりなのでしょうか?この点、メチャクチャ気になります。 また逆に、求道者たちが論理破綻しているのは、今さら別にどうでもいいのですが、李牧まで、龐煖が信や王騎を倒せたら、世の中どうにかなると考えているのであれば問題です。 コレだと完全に、求道者のコトを調べていた放浪期間のウチに、すっかり李牧本人までが、求道者の年寄りに洗脳されてしまっていたとしか考えれません。 皆さんの予想やコメントもいただけると嬉しいです。 どうぞお気軽に。

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