第 61 回 日本 レコード 大賞。 日本レコード大賞

第61回日本レコード大賞

第 61 回 日本 レコード 大賞

詳細は「」を参照 日本レコード大賞は、大手レコード会社の寡占状態にあった戦後日本の音楽界を広く開放し、多ジャンルの中から新しい日本の歌を生み出してゆくという試みから生まれ、その推進力となったのはレコード会社所属の作曲家による親睦団体『』であった。 創設の経緯から音楽界の主流派に対する挑戦という意味合いが強く、レコード会社や大手メディアの協力が得られず、運営費の一部は実行委員長のの持ち出しで賄われた。 審査員は音楽ペンクラブから5名、NHKから3名、各放送局から1名、『』と『』の編集長、作曲家協会の会員代表であった。 審査員が1人1曲をエントリーし、12月14日の第一次予選で20曲、第二次予選で6曲まで候補が絞られた。 15日に6曲の中で決を採った結果、「黒い花びら」との「」の間で決選投票となり、「黒い花びら」が1票差で大賞に選出された。 フランクは歌唱賞を受賞、また新人の水原が大賞を受賞したため、新人賞は受賞者なしとなった。 後年、作曲家協会で理事長を務めていたが選考にまつわる裏話を披露しており、それによると審査の最中に「黒い花びら」を作曲したが作曲家協会に所属しておらず、ノミネートの基準を満たしていないことが発覚した。 そこで急遽、中村を加入させることにより体裁を整えたとのことである。 服部は「われわれとしては『黒い花びら』みたいな歌に第1回大賞を上げたかった」と語っており、受賞資格を緩和させてまで同曲を受賞させた経緯がうかがえる。 審査中も、「黒い花びら」はロカビリーだから外すべきだ、という意見が出て侃侃諤諤の議論になったことが明らかになっている。 結果として、受賞曲はロカビリーの「黒い花びら」、歌手はジャズ喫茶やキャバレーで下積みを積んだ水原弘、作曲はジャズマンから転身したフリーランスの中村八大、作詞は本職が放送作家の永六輔といういずれも本作デビューの3人という、音楽界の主流とは程遠い面子が第1回の大賞に輝いた。 ただし、レコード大賞自体は当時知名度が余りにもなく、受賞の報せを受けた水原は「レコード大賞? なんだい、そりゃあ」という言葉を残している。 中村は名古屋への演奏旅行の最中で「おめでとう、と言われても何だかわからなかった」という。 発表会は12月27日の午後3時からで行われ、ラジオ東京テレビ(KRT。 現:)で生中継された。 放送時間はわずか30分で、司会のアナウンサーの紹介と表彰、受賞曲の披露が淡々と進むだけの構成であった。 受賞曲は審査翌日に新聞に掲載されていたため演出上盛り上がる要素が皆無で、収容2000人の会場には観客は200人しか入らず、作曲賞を受賞した渡久地政信までが往来で客引きに駆り出されたという。 終了後の祝賀会は会場前の喫茶店の2階で行われ、一同紅茶とケーキで歓談したという。 司会 [ ]• 受賞作品・受賞者一 [ ] 日本レコード大賞 [ ]• 歌手:• 作詞:• 作曲:• 編曲: 歌唱賞 [ ]• 歌手: 作曲賞 [ ]• 「」(歌:)• 作曲: 作詩賞 [ ]• 「」(歌:)• 作曲: 童謡賞 [ ]• 「」(歌:と) TV中継スタッフ [ ]• プロデューサー:• 総合演出:• 舞台監督:• 編成担当:• 製作著作:• 主催:社団法人 日本作曲家協会、日本レコード大賞制定委員会、日本レコード大賞実行委員会 脚注 [ ].

次の

活動〜日本レコード大賞〜【公益社団法人 日本作曲家協会】

第 61 回 日本 レコード 大賞

発表会会場の 受賞対象 優れた楽曲・歌手 会場 ・中劇場(2004年より) 国 授与者 初回 1959年12月27日 最新回 2019年12月30日 公式サイト• 日本レコード大賞 放送局 特記事項: 放送回数・時間・内容などはテレビと同一 『 日本レコード大賞』(にほんレコードたいしょう)は、を含む各の記者が中心となって決定するである。 略称は「 レコ大」(レコたい)。 主催は、後援はである。 ・とその系列局が放送し、番組名は『 輝く! 日本レコード大賞』(かがやく にほんレコードたいしょう)。 概要 に創設され 、1970年代から80年代にかけて、テレビにおける歌番組の隆盛と共に最盛期を迎えた。 しかし、レコード会社や事務所の力関係により受賞者が決まっているとの指摘もあり 、賞レースに左右されない音楽活動をしたいことなどを理由に、受賞そのものを辞退する有力アーティストが1990年代から増えるようになった(、、、所属歌手など)。 これにより賞の権威は大きく低下し 、(1994年)には大賞受賞者が授賞式に出席しないという異例の事態となった。 それ以降、歌手が受賞を辞退した場合または歌手がその年に死去した場合、その楽曲は大賞受賞曲とはならない。 審査委員 詳細は「」を参照 ()を例として掲載する(計23人)• 審査委員長:川崎浩()• 審査委員兼幹事(2人):、• 審査委員• 新聞社社員(11人):、、、、、、、、、、• TBS系列局社員 (4人):、、、• 音楽評論家・音楽プロデューサー(5人) 審査への批判 2014年に審査委員を務めるが、大賞決定と同時刻に受賞作品の詳細をネットニュースで配信したため、事前にどの作品が受賞するかわかっていたのではないか、という疑惑が生じた。 この種の癒着は1970年代ころからあったとされるものの、審査委員の大半を新聞社とテレビ局の社員が占めるため、「報じない、報じられない」といった状態が続いてきたと、音楽評論家のは指摘している。 この様な中、審査委員を務めるは2015年に自ら、「出来レースでは?」と題し、賞の存在意義に疑問を投げかける記事を同社のニュースサイトにて掲載した。 また、大賞常任実行委員で音楽家のはインタビューに対し、「賞レースの盛り上がりが、ファンには音楽業界の利益優先の『腐敗』や『出来レース』のように映るようになり、大衆から支持を失っていった」と認めた。 『』2016年11月3日号においては、前年に大賞を受賞したが買収によるものであったとの記事が掲載され、「年末のプロモーション業務委託書として」と書かれた当時の消費税込み1億800万円の請求書が公開された。 このことについての三代目J Soul Brothersサイドからの反応は無く、事実は不明となっている。 沿革 賞の創設 戦後の日本の音楽界においては、ジャズ、ロカビリーなど米国由来の新しいジャンルが流れ込んできており、若者世代から熱狂的な支持を受けていた。 一方で音楽界の主流を占めているのは戦前から続く歌謡曲で、大手のレコード会社が専属の作家に売れ筋の曲を書かせ、発売するという寡占状態が成立していた。 結果、年配世代がレコードを通じて歌謡曲を、若者世代がコンサートを通じて新音楽をそれぞれ支持するという世代間の空白が生じていた。 1959年、、らの主導で、レコード会社所属の作曲家による親睦団体『』が設立される。 古賀、服部らは、世代間のギャップを超えた「新しい日本の歌」を生み出すべく、ジャンルを問わずにその年の日本を代表する歌を選出するグランプリを開催することを目指す。 範としたのは、前年に米国で始まったである。 しかし古賀らの動きは音楽界の主流派の非協力という形で抵抗を受ける。 共催を申し込んだ社団法人日本蓄音機レコード文化協会(現・)には断られ、レコード会社はビクター以外の協力は得られなかった。 大手新聞社の音楽記者会は事態を警戒して初年度の審査への参加を留保して、テレビ各社はラジオ東京テレビ(現・TBS)のみが賛意を示した(これが縁で、レコード大賞の放送はTBSで行われている)。 運営委員長を引き受けた古賀は参加者の不安を抑えるために私財を投げ打ってでも必ず実施すると宣言し、実際に赤字分を個人負担せざるを得なかった。 草創期 古賀の自腹によってどうにか開催された第1回レコード大賞で大賞を受賞したのは、ロカビリー系の「」、歌手は本作でデビューの、作詞は放送作家の、作曲はジャズ奏者として一世を風靡したという、主流の歌謡曲とはかけ離れた組み合わせであった。 後に作詞家として大成した永は後年、第1回の大賞を権威ある作品ではなく全く無名人の作品にしたことを、「審査員の良識だったと思う」と述懐している。 以降も新ジャンルからの受賞が相次ぎ、受賞曲がヒット、受賞者が売れっ子のヒットメーカーになるにしたがって、日本の音楽界のボーダーレス化が進んでゆく。 古賀らが立ち向かったレコード会社の専属作家制度は、1970年頃には姿を消した。 初めの数年は賞自体の知名度が低く 、放送時間は年末の昼間、会場もなど小規模の会場であった。 黄金期 1969年、から番組の構成を一新する。 大晦日の『』が始まる前の19:00-21:00に本選を開催・生中継する様になり、での全国放送を開始、更に会場をに移し、司会にはを起用した。 更に伴奏にはと当時の常識ではあり得ない規模のストリング・オーケストラ(団)、各種管打楽器(、、など)、それに団が並び、が永らく指揮者を務めた。 演出に力を注ぎ、更に国民的番組であった紅白歌合戦と時間帯が連続することにより、賞のネームバリューが上昇、視聴率も紅白と肩を並べるほどになる。 賞の権威は絶好調であったが、賞の創設に関わった服部良一は1974年頃、権威の上昇と比例して賞の商業的な付加価値が高まり、レコード会社の賞とり合戦の過熱と作品の質よりも人気が先行する傾向が相乗し、更にこれが審査の不透明さを巡る黒い噂を生じさせていることを懸念していた。 衰退期 1980年代には台頭してきたニューミュージックを中心に音楽の権威に対する考え方の変化が起こり、賞レースに左右されない音楽活動をしたいことなどを理由に、受賞そのものを辞退する有力アーティストが増えるようになり、賞の権威は低下し始める。 1989年、紅白歌合戦が放送開始時刻を19時台に引き上げることによって紅白が裏番組になり、視聴者を奪われると同時に歌手のやり繰りにも苦労するようになる。 (1990年)から大賞を「・部門」と「・部門」に分割し、視聴者による電話投票の導入するなど打開策を講じたが、大賞のジャンル分けでレコード会社の認識との食い違いが生じるなど問題が生じ、また電話投票は組織票が問題視され、(1993年)で廃止された。 (1994年)では、大賞を受賞したが欠席するという異例の事態になる。 大賞受賞者が欠席したのはこの1回のみ。 この年から会場がに移る。 (2004年)からは紅白歌合戦や『』の出演で()や()とを移動する出演者への配慮で、会場を()に移した。 (2005年)には視聴率が過去最低の10. 常連だったスポンサーの多くが降板し、スポンサー枠自体が縮小されるに至った。 (2006年)から裏番組とのバッティングの弊害を解消すべく、開催日を1日繰り上げてに変更した。 同時に放送時間を拡大し、過去の受賞曲で構成される事前番組が放送されるようになった。 年別詳細 1950年代 1960年代 - - - - - - - - - 1970年代 - - - - - - - - - 1980年代 - - - - - - - - - 1990年代 - - - - - - - - - 2000年代 - - - - - - - - - 2010年代 - - - - - - - - - 「日本レコード大賞」各回の放送概要 回 年 日 司会者 会場 平均視聴率 男性 女性 補助 1 1959 12月27日 不在 不在 記録なし 2 1960 12月30日 3 1961 12月28日 4 1962 12月27日 10. 視聴率は調べ、関東地区・世帯・リアルタイム。 赤数字は最高視聴率で、青数字は最低視聴率。 第1回 - 第3回の視聴率はビデオリサーチ設立前につき記録なし。 通常アナウンサーは同授賞式では進行役となる事が一般だが第29・30回(1987・1988年)の三雲については進行役という扱いでなく男性司会と同等の位置付けがなされていたため、ここでは女性司会の欄に記載する事とする。 19:00を境とした2部制で放送した年は、第2部の数値を示してある。 ラジオ中継実況• 第41回 - 第49回(1999年 - 2007年):小島一慶(元TBSアナウンサー)• 第50回 - 第53回(2008年 - 2011年):(TBSアナウンサー)• 第51回(2009年):(当時TBSアナウンサー)• 第54回 - (2012年 - ):(TBSアナウンサー) 出演者補足• 司会者は第11回(1969年)から第25回(1983年)まで高橋が長く務めていたがその後は幾度か司会者が変更され、第38回()から第53回(2011年)までは堺が務めていた。 にはその年に最も輝いているタレントや女優、キャスター、その当時のTBSの最も人気のあるなどが選ばれている。 また、最近は番組の途中で司会者全員衣装を変えるのが恒例となっている。 審査会場や他のライブ会場からのリポート担当、曲ナレーションのみのために声だけ出演をするアナウンサーなども回によっては存在する。 ナレーションは第41回(1999年)から第51回(2009年)までが担当しているが、第48回(2006年)のみが担当した。 第52回(2010年)から第54回(2012年)まではが担当し、第55回(2013年)からはが担当。 第11回(1969年)の浅丘と第12回(1970年)の佐良直美は厳密には「特別ゲスト」扱いとしての出演だが、実質的には高橋のアシスタントとしての役割を務めた。 また第12回(1970年)の堺・加藤、第13・14回(1971・1972年)の、第24回(1982年)のアナ、第19回(1977年)の小島については観客へのインタビュー役を担当するための司会補佐として出演した。 第19回(1977年)より高橋は授賞式の進行一切を統括する「総合司会」として別のMC席から式全般の進行統括、最優秀歌唱賞・大賞・最優秀新人賞等の受賞者発表等を行い、高橋の下に更に「司会」としてもう1人の男性司会者と女性司会がコンビとなって歌手へのインタビュー、各部門賞受賞者発表等を行う形式になっていた。 なお、それ以外の年(第21・25回(1979・1983年))もMC席には高橋1人が常在し女性司会はインタビューなどのある際にその都度登場するパターンで進行され、厳密には一般的な男女ペア形式での司会とは異なる形となっていた。 各賞 各賞受賞者には作の楯が授与される(写真を参照)。 「 日本レコード大賞」 対象年度に発売されたすべてのの中で「、、を通じて芸術性、独創性、企画性が顕著な『作品』」、「優れた歌唱によって活かされた『作品』」、「大衆の強い支持を得た上、その年度を強く反映・代表したと認められた『作品』」、以上3点に該当する『1作品』に贈る。 そのため、賞の授与対象は対象曲を歌唱した歌手に限らず作詞・作曲・編曲者・所属プロダクション・所属レコード会社が対象になる。 審査対象は、「優秀作品賞」に選ばれた『作品』とする。 過去には副賞としてテレビ番組スポンサーの1社(自動車メーカー)から車が贈られた。 歴代最多の大賞受賞アーティストは、4回のである。 「 最優秀歌唱賞」 対象年度内の作品を最も的確に表現し、さらに高めた『』に贈る。 審査対象は「金賞」に選ばれた作品の歌手としていたが、()からは11月下旬から12月上旬にかけて行われる選考委員会で決定されることになった。 「 優秀作品賞」 (旧名:金賞、ゴールド・ディスク賞) 大衆の強い支持を得て作品としても芸術性・独創性に優れ、その年度を反映したと認められた『作品』に贈る。 「 金賞」や「 ゴールド・ディスク賞」という名称が使われていた時期もあったが、第50回(2008年)からは「優秀作品賞」に変更された。 「」 「新人賞」の中から最も優秀と認められた『歌手』に贈る。 「 新人賞」 対象年度内に於いてデビュー(初めて芸能活動として歌う)し大衆に支持され、将来性を認められた『歌手』に贈る。 「 作詩賞」「 作曲賞」「 編曲賞」 特に作詩・作曲・編曲の分野で独創的であると認められた『作品・作者』に贈る。 作詞賞を「西条八十賞」、作曲賞を「中山晋平賞」としていた時期もある。 「 企画賞」 独創的な企画意図をもって製作され、それによって成果を上げ大衆音楽に大きな貢献をした『作品』(を含む)に贈る。 「 功労賞」 長年に亘りやCDを中心とする音楽活動を展開し、日本音楽界に大きな貢献をした『者』に贈る。 「 特別賞」 対象年度に於いて社会的に最も世の中を賑わせ注目された『人』、『楽曲』、『作品』、『現象』などに贈る。 その他にも年によって特別な賞が設けられる場合がある。 「 特別功労賞」 長年に亘り音楽活動・評論活動を展開し、音楽界に大きな貢献をした『故人』に贈る。 「 日本作曲家協会選奨」 ()から「日本作曲家協会奨励賞」として新設された賞。 が日本の心を伝え未来のある実力ある『歌手』に期待を込めて贈る賞。 第56回(2014年)からは、魅力的な歌唱で大衆の支持を集めている『歌手』も受賞対象になると同時に、現在の賞名に変更。 「 優秀アルバム賞」 対象年度に発売されたすべてのの中で芸術性・独創性に優れ、その年度を強く反映・代表したと認められた『作品』に贈られる。 「 最優秀アルバム賞」 優秀アルバム賞該当の中から最も優れた『作品』に贈られる。 「 特別映画音楽賞」「 特別歌謡音楽賞」 社会的に世の中を賑わせ、注目された『音楽作品(特別映画音楽賞は映画音楽作品)』・『人』に贈られる。 第56回(2014年)から新設。 過去に存在した各賞 「 童謡賞」 からまで子供向けのやに与えられた賞だった。 建前としてはレコード大賞を童謡が受賞した際には「歌謡曲賞」を設けることになっていた が、結局「歌謡曲賞」が設けられることはなかった。 の『』がヒットした際には、同曲も「童謡賞」の対象にすべきかという議論があったという。 にヤングアイドル賞の導入により廃止された。 そのヤングアイドル賞も1回限りで廃止された。 「 歌唱賞」 優れた歌唱によって活かされた作品に贈られる賞として定義され、文字通り歌手の歌唱力を評価したものである。 作詩賞、作曲賞、編曲賞と共に第1回(1959年)から設けられた賞である。 からは最優秀歌唱賞が設けられその候補としての位置付けとなり、さらにまでは大賞の最有力候補としての位置付けでもあった(から第19回(1977年)までの3年間は大賞候補10組作品の中から歌唱賞5組作品が選出され、さらにその中から大賞と最優秀歌唱賞が決定された)。 からは金賞の導入により廃止された。 「 大衆賞」 第11回(1969年)から第19回(1977年)まで、大衆に支持された歌手や楽曲に与えられた賞だった。 当初は歌唱賞と同様に大賞候補としての位置付けだったが、第17回(1975年)からは大賞候補の枠外の位置付けとなった。 に1度だけ復活した。 「 特別大衆賞」 1980年に引退したのそれまでの実績を称え与えられた()。 他に()、、(ともに)が受賞している。 「 ゴールデン・アイドル賞」 からまでデビュー2年目に顕著な活躍をした歌手に与えられた。 「 ベストアルバム賞」「 アルバム大賞」 対象年度に発売されたすべてのの中で最も芸術性・独創性に優れ、その年度を強く反映・代表したと認められた作品に贈る。 からは優秀アルバム賞・最優秀アルバム賞として復活。 「 吉田正賞」 ・の偉大な業績を記念し伝統的な日本の歌を充実させ、前進させた作曲家に贈る。 「 美空ひばりメモリアル選奨」 歌手・が日本の社会、歌謡史に残した偉大な業績を称え、それを記念するに相応しい豊かな魅力と力量を持った歌手に贈る。 初めて制定された当初は「美空ひばり賞」だったが、に「美空ひばりメモリアル選奨」に変更、を以て最後となる。 「 ロングセラー賞」 に新設された賞。 その頃、金賞(現在の「優秀作品賞」)に選ばれていたのは、前年11月下旬 - 当年11月中旬に発売されたレコードに限られていたが、1979年には「夢追い酒」()、「花街の母」()、「みちづれ」()、「北国の春」()といった、発売されて数年経っている曲が立て続けに大ヒットしたため、この賞が新設された。 その年の金賞の対象期間より前に発売され、その年に売上(通算)が100万枚に達したレコードに贈られていた。 その後も「ロングセラー賞」は毎年選出されていたが、第25回(1983年)を最後に消滅。 歴代大賞受賞曲 回数 開催 放送年 曲名 所属レコード会社 歌手 作詞 作曲 編曲 中村八大 日本ビクター 日本ビクター 吉田正(2) 吉田正 永六輔(2) 中村八大(2) 中村八大(2) 大矢弘子 土田啓四郎 土田啓四郎 日本コロムビア 日本ビクター 橋幸夫(2) 一ノ瀬義孝 日本コロムビア 鈴木邦彦 日本ビクター いずみたく なかにし礼(2) 宇井あきら 森岡賢一郎(2) 筒美京平 日本コロムビア キングレコード 小椋佳 日本コロムビア 阿久悠(2) 阿久悠(3) ビクター音楽産業 阿久悠(4) 都倉俊一 筒美京平(2) 筒美京平(2) 阿久悠(5) 2 寺尾聰 日本コロムビア なかにし礼(3) 中村泰士(2) 馬飼野俊一(2) 日本コロムビア 細川たかし(2) 薗広昭 五木ひろし(2) 石本美由起(2) 斎藤恒夫 松岡直也 ワーナー・パイオニア 中森明菜(2) 阿木燿子(2) CBSソニー 飛鳥涼 尾関昌也 船山基紀(2) 演 ポリスター 堀内孝雄 ポ 織田哲郎 演 船村徹(2) 南郷達也 ポ ポリドール KAN KAN KAN 小林信吾 演 池田充男 伊藤雪彦 池多孝春 ポ 米米CLUB 米米CLUB 米米CLUB ポリドール 桜井和寿 Mr. Children(2) 桜井和寿(2) 桜井和寿(2) 小林武史(2) Mr. Children(2) 倖田來未 渡辺未来 佐伯亮(2) 小渕健太郎 コブクロ エイベックス・エンタテインメント 松尾潔 Jin Nakamura エイベックス・エンタテインメント EXILE(2) miwa furuse エイベックス・エンタテインメント EXILE(3) michico T. J Mitsu. J 西野カナ Carlos K. Yo-Hey Carlos K. それ以外の各部門賞受賞曲については各回の項を参照。 三冠達成者 レコード大賞の主要な賞である大賞、最優秀新人賞(第10回以前は新人賞)、最優秀歌唱賞(第10回以前は歌唱賞)の3賞をすべて獲得している歌手は、2013年現在以下の5人となっている(三冠達成順、新人賞・最優秀新人賞以外は初受賞回を記載)。 :新人賞()、大賞()、最優秀歌唱賞()• :最優秀新人賞()、大賞()、最優秀歌唱賞()• :新人賞()、最優秀歌唱賞()、大賞()• :最優秀新人賞()、最優秀歌唱賞()、大賞()• :最優秀新人賞()、大賞()、最優秀歌唱賞() 大賞の副賞変遷• 第12回(1970年)-第13回(1971年)・第15回(1973年):()• 第14回(1972年):世界一周旅行• 第16回(1974年)-第27回(1985年):(トヨタ自動車)• 第28回(1986年):() 放送 発表の模様は(TBS系 全国28局ネット)と(全国17局ネット)でされている(()から()まではTBS系のでも放送されていた)。 また、(2002年)からCS放送・で過去に放送された回をその年の放送分につき1回(2008年からは2回)限りではあるが毎年12月に再放送を行っている(TBSに現存している第10回(1968年)以降の放送分。 CMはカットされるが、その部分には地上波で今年放送される回の5 - 15秒の番宣が挿入されている。 過去には編成の関係で年明けの1月に放送されたこともある)。 TBSに現存する映像はモノクロ放送の最後となった第10回(1968年。 開催会場は)が最古である。 これ以前の本選の模様はニュース映像の一部、写真、ラジオの音声のみが現存し、第11回(1969年)以降はすべて鮮明なカラー映像の完全版VTRが現存している。 ()からTBSのの開始に伴い、テレビでのが始まった。 以降、すべてステレオ放送となる。 テレビでのネット局 系列で第47回(2005年)まで12月31日にネットして来た番組であるが、以前は が多く、JNN系列でも曜日によって他系列を同時ネットしている局も多くあった。 その反面、JNN系列以外でも曜日によってJNNを同時ネットしている局もあり、番組をネットした局もあった。 先発局でJNN系列局が以前金曜日の19:30 - 21:00枠で日本テレビを同時ネットしている局が多数あったり水曜日の20:00 - 21:30(その後19:30 - 21:00)の枠、土曜日の19:30 - 22:00枠、日曜日の19:00 - 21:00枠が日本テレビ同時枠だったりした局があった。 では、放送日が金曜日だった第13回(1971年)に番組をネットせず、系の番組を同時ネットした。 また(。 日本テレビ系)では、木曜日にTBS系番組を同時ネットしていた年 1970年は20:00からの飛び乗りで、1981年は全編フルネットで放送 に限り同番組をネットしていた。 近畿広域圏ではの第16回までは(現:)にてネット。 翌年()の第17回からでのネットになる。 では、の第13回からの第24回まで(当時TBS系と系のクロスネット局。 現在はフジテレビ系)にネットされていたが、の第25回からはTBS系新局として開局したでのネットになる。 1978年・1980年はTV中継の同時ネット局のみロールスーパー方式(ネット局は略称・ロゴ出し)で紹介した。 2001-2005年の5年間は系列・BS-i(現・)でもが行われていた。 ラジオでのネット局 1978年(第20回)当時は20局以上ネットしていたが、2015年(第57回)は8局(うち、4局は途中飛び乗り)に留まっている。 JNN(テレビ)とJRN(ラジオ)との兼営局の一部が、テレビとラジオで同時放送している。 なお、のように、テレビがJNN系列でない局が、ラジオだけで放送するケースもある。 (RAB)ではかつて『』を放送した曜日のみ途中飛び乗り放送していたが、現在は放送していない。 (RNC)では1997年のJRN加入後も含めてネットする事はなかったが、2005年に初めてネットした。 前述のRABと同様、JRNナイターの絡みから実現したものと思われる。 こちらも現在は放送していない。 毎日放送では1975年からテレビとで同時放送されて来たが、2006年以降についてはラジオが自社制作枠の確保による編成上の理由で放送されなくなった。 第54回(2012年)は再びネットしたが、第55回(2013年)以降は自社制作枠の確保のため、再び放送されなくなった。 '67年度日本レコード大賞受賞 栄光のグランプリ(1968年、 SKK-411) 1967年の各部門賞受賞作品の中から、キングレコード関連の作品を中心に収録。 脚注 [] 注釈• ここでいう「レコード」とは「記録」という意味ではなく20世紀中盤から後半にかけて使われた音楽記録メディアのことである• 時期は不明だが、当初は「」がなかった。 では数少ない・の同時放送番組でもある• この年には、TBSテレビをキー局とするニュースネットワーク「JNN」も発足した。 基本的には5社連盟構成局のみだが、年によっては・も加わる。 はのレコード大賞を受賞した際に「レコード大賞って何だ? 」と言ったというエピソードがある。 また、が出演しても客席がガラガラだった事もあったという。 テレビ中継の最高(調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)は()の50. 松宮一彦は第39回(1997年)まではTBSアナウンサー。 第40回(1998年)はこの年の6月にTBSを退社しフリーアナウンサーとしての担当。 第41回(1999年)放送の直前に自殺。 TBS時代の上司だった小島一慶が引き継ぐ形となった。 かつてはTBS賞として員の作のブロンズ像が贈られていた• 元々はに吹き込まれ、に、大ヒットしたの楽曲で、にがカバーした。 「矢切の渡し」は元々、のシングル「酒場川」(発売)のB面として発表された楽曲で、には、ちあきのA面シングルとして発売されている。 翌にがカバーし、レコード大賞を受賞した。 現在の音源元は。 現在の音源元は。 同年には開始10周年を記念した特別番組「10周年記念音楽会」(1968年12月28日放送)が放映され、それまでの各賞受賞者達が勢揃いした。 この特番は鮮明な映像の完全版VTRが現存している。 この為、第9回以前の受賞曲の紹介では、この時の映像が使用されることが多い• 愛媛県では、の第33回から、この年にTBS系新局として開局したでネットされている。 TSUTAYA T-SITE NEWS. 2016年1月5日閲覧。 産経ニュース. 2016年1月5日閲覧。 cyzo. inc. 2016年1月17日閲覧。 Real Sound. 2016年1月18日閲覧。 exciteニュース. 2018年12月31日閲覧。 , pp. 123-124. , pp. 122-123. , pp. 124-125. , pp. 129-131. , p. 145. 「レコード大賞 復権へ再改革」『朝日新聞』1993年12月18日付東京夕刊、14頁。 当日13時に閲覧。 「Yahoo! テレビ. Gガイド」の番組解説欄に記載。 オリコン2013年1月2日閲覧• 2013年2月11日閲覧。 Yahoo! ニュース 2017年1月2日配信・閲覧• デイリースポーツonline 2018年1月2日配信・閲覧• スポニチアネックス 2019年1月2日配信・閲覧• スポニチアネックス 2019年1月2日配信・閲覧• TBSラジオ広報誌「954press」2012年12月 - 2013年1月号5項に掲載• 参考文献• 『「黄昏のビギン」の物語』〈〉、2014年。 関連項目• - TBSテレビ以外の民放4系列局が、本賞への対抗として設立。 - 当初は「夜のレコード大賞」という名称で、深夜番組『』の1コーナーであった。 (アメリカ)• (イギリス)• (台湾)• - ダジャレ御題の一つに『 マンガ輝け! レコード大賞』というものがあった。 外部リンク• - 公益社団法人 日本作曲家協会• - TBSテレビ.

次の

『第61回輝く!日本レコード大賞』、各賞受賞者発表

第 61 回 日本 レコード 大賞

第61回「日本レコード大賞」(主催・日本作曲家協会)の最終審査と音楽発表会は、12月30日17時30分から東京・初台の新国立劇場・中劇場において盛大に実施されました。 総合司会は、TBSアナウンサー・安住紳一郎氏と女優の土屋太鳳さんが、アシスタントは江藤 愛さん(TBSアナウンサー)がつとめました。 この模様はTBS系列地上デジタル放送、BS放送、そしてTBSラジオでも生放送されました。 今回は、企画賞を獲得したゴールデンボンバーの「令和」で華やかに開幕となりました。 やがて、前半のハイライト最優秀新人賞の発表。 元ラグビー日本代表主将・廣瀬俊朗氏により受賞者が発表され、徳久広司実行委員長によりBEYOOOOONDSに楯が授与されました。 その後、発表会は各賞受賞者による歌唱や、特別功労賞受賞者など亡くなったスターを偲んでのスペシャルコーナーで、EXILE・ATSUSHIさん、伊藤 蘭さん、亀梨和也さん、吉田 羊・鈴木梨央さんらによるパフォーマンスがステージを飾りました。 そして、最優秀歌唱賞を獲得した市川由紀乃さんの発表の後、受賞者たちが客席に着き会場の雰囲気が最高潮に達したところで、「第61回レコード大賞」が発表され、弦 哲也制定委員長により「パプリカ」を歌唱したFoorinの制作スタッフに楯が授与されました。 なお、Foorinは平均年齢が11. 2歳と全員が15歳以下ということで、午後9時以降の出演は自主規制したため、すでに帰宅したメンバーに電話で感動の受賞を伝え、制作スタッフが受賞を代行しました。

次の